アート市場は時代遅れの収益源から脱却し、大胆な改革を──イェール大学教授が提言
フリーズ・ロンドンとアート・バーゼル・パリは大成功を収めたが、イェール大学でアートマネジメントを教えるマグナス・レッシュは、「アート市場の現モデルはサステナブルではない」と喝破する。中小ギャラリーやアーティストにも還元できるアートフェアの新たなあり方を、レッシュが提言する。
中小ギャラリーのフェア参加は「重い」負担
フリーズ・ロンドンとアート・バーゼル・パリが開催された10月は、その盛況ぶりを伝える華やかな話題に注目が集まった。しかし忘れてならないのは、厳しい市場環境でどれだけのギャラリーが今後も苦戦を強いられるのか、という差し迫った問題だ。
ここ数カ月間、ニューヨークはギャラリーの閉鎖が相次ぐ憂慮すべき状態にあり、夏にヨーロッパを回ったときには、1年で1点も作品が売れなかったというギャラリストたちもいた。多くのギャラリーが、前年度から50%以上の減収になったと(オフレコを条件に)明かし、サザビーズやクリスティーズのような最大手のオークションハウスでさえ、収益が30%減少したと発表している。アート市場は明らかに危機的状況にあるのだ。
こうなった責任はどこにあるのだろうか? 同僚のオラフ・ヴェルタイスがニューヨーク・タイムズ紙の論説で、責任の多くは大手アートフェアにあると指摘したのは2018年だが、状況は今も変わっていない。
特に中小のギャラリーは、大手のフェアに参加する余裕はないのに、参加しないわけにもいかないという悪循環から抜け出せない状況にある。現在、全ギャラリーの売上の半分はフェアでの販売によるもので、その割合は10年前から倍増した。また、年間平均のフェア参加回数は5回だが、それはギャラリー自身の選択ではなく、必要に迫られてのことだ。アートフェアはコレクターとのネットワークを広げ、ギャラリーの知名度を上げる機会を提供してくれるが、経済的負担は非常に重い。
NADA、スプリング・ブレイク、アフォーダブル・アート・フェアのような規模の小さいフェアなら、ギャラリーが黒字になる可能性もある。一方、大規模なフェアのブース料金は最低でも5万ドル(約750万円)前後のことが多く、ホテル代やディナーパーティの開催費用、旅費、美術品の保険料などを含めると、経費が20万ドル(約3000万円)近くになることすらある。ギャラリーが赤字を抱えて帰ることは珍しくなく、ある調査結果によると、参加したフェアの半分近くで利益を上げられていない。多くのギャラリーにとって、大規模フェアのあり方が、経営を続けられるかどうかを左右する深刻なリスクになっている。
大手フェアの収益モデルは時代遅れ?
アート市場全体が一堂に会するプラットフォームであるフリーズとアート・バーゼルの2大フェアは、この危機を緩和できる立場にある。しかし、両者はともに改革を進められず、アート市場の番人としての役割を果たしていないのが現状だ。小規模ギャラリーに多少の割引を提供するなどの試みもあるが、焼け石に水でしかない。20%程度の費用削減では、ほとんどのギャラリーにとって十分とは言えないからだ。
テクノロジーを活用しようという試みも、意図は良かったもののうまくいかなかった。アート・バーゼルがブロックチェーン技術を取り入れたのは、美術品取引の合理化と取引コストの大幅削減を目的としていた。しかし、一流の人材を集めたチームが明確なビジョンを持って臨み、1000万ドル(約15億円)を超える投資を行ったにもかかわらず、このプロジェクトは上昇気流に乗れず、最終的には主要な人材が去ってチームは解散した。
アート市場には、変化を嫌うという大きな障壁が立ちはだかっている。市場で力を持つトップギャラリーやメガコレクター、著名アーティストたちは、現在のシステムから多大な利益を得ており、アートフェア側はこうしたシステムの最上層部を混乱させるのを恐れている。しかし、意味のある変化をもたらし、既存の構造を打破するだけの広範に及ぶ持続的な影響力を持てるとしたら、アート・バーゼルやフリーズのようなグローバルブランドを置いてほかに誰がいるだろう? もし、大手フェアが本当にそうした変化を望むなら、現状のシステムから莫大な利益を得ている主要なステークホルダーの一部が抵抗勢力になったとしても、あえて改革に挑戦する姿勢が求められる。
しかし、アートフェアはそうした姿勢を示すことなく、不動産の裁定取引のような確実に利益を生み出す時代遅れの収益モデルに依存し続けている。アートフェアは、トップクラスの顧客を抱え、顧客データベースを共有してくれるギャラリーやアーティストを利用し、チケット販売やブース使用料で収益を得ているが、このモデルはフェアに真の活力をもたらす存在であるギャラリーの犠牲の上に成り立っている。つまり、アート市場の長期的な健全性よりも、短期的な利益を優先するシステムを存続させてしまっているのだ。
収益源を再考し、作家やギャラリーへの還元を
しかし、もっと革新的で十分に実現可能な収益モデルがある。アート・バーゼルとフリーズは、的確なマーケティングとスタッフの献身的な努力によって、ラグジュアリーとライフスタイルの代名詞となり、多数の来場者を集めることで開催都市に大きな利益をもたらしている。たとえばアート・バーゼルの経済効果は、マイアミだけで推定5億ドル(約750億円)に上る。ならば、この収益を活用しない手はない。
たとえば、宿泊するホテルやイベントへの交通手段、ディナーなどを含むパッケージプランを提供することで、アートフェアはギャラリーの出展料を大幅に引き下げられるだろう。無料ブースの提供のほか、参加ギャラリーやアーティストへの還元すら可能かもしれない。ロックコンサートを考えれば分かる。ミュージシャンはコンサートの出演料をもらうのであって、出演するために参加費を払うことはない。それなのに、アートフェアに出展するアーティストやギャラリーが真逆の扱いを受けるのはなぜだろう? そもそも、アートフェアを訪れる価値のあるものにしているのは、アーティストとギャラリーなのに。
しかし、こうした変化はギャラリーの当面の金銭的プレッシャーをいくらか和らげることはできても、アート市場を悩ませている核心的な問題、つまりアートが売れないという問題の解決にはならない。美術品の購入者数は年々減少しており、過去10年間で富裕層は2倍になったが、コレクターの数は減っている。超高額作品を積極的に買っている少数のハイエンドコレクターがいなければ、アート市場は不況に陥るだろう。
今、必要なのは、新たな購買層を開拓することだ。アメリカでは、NBAやNFLの試合を含むスポーツイベントよりも、アートイベントや美術館を訪れる人の方が多い。つまり、潜在的な購買層はすでに存在している。しかし、アートを購入するのは、そのうちのごく一部にすぎない。たとえばアート・バーゼルでは、8万人の来場者のうち、作品の購入者は2000人を下回る。
アート市場を持続可能にするために必要なフェアの進化
では、購入者が増えないのはなぜか? 理由として挙げられるのは、価格に透明性がないこと、作品の数が多すぎること、アートディーラーが醸し出す排他的な雰囲気に尻込みする来場者が多いことなどだ。アートフェアを訪れたことのある人なら誰でも経験するように、15分も会場を見ていると刺激の多さに疲れ始める。そこに、価格を尋ねなくてはならないという難易度の高いタスクが待ち構えているのだから、潜在顧客の多くは買う気を削がれてしまうだろう。
さらには、アート・バーゼルやフリーズの場合、新進アーティストを扱う「ディスカバリーズ」のようなセクションでさえ、価格の中央値が1万ドル(約150万円)を超えるので、5000ドル(約75万円)未満の作品を探しているような初級コレクターにとっては敷居が高い。これでは、ほとんどの来場者が手ぶらで帰るのも当然だ。
アート市場の現在の構造はサステナブルではなく、長期的な健全性は実現できない。今のフリーズやアート・バーゼルは、売り手と買い手の橋渡し役として機能するどころか、むしろ障壁になっている。しかし、市場の未来を確実なものにするためには、常に新しい才能やコレクターが育つ場であることが不可欠だ。低価格帯こそ創造性とリスクをいとわない姿勢が花開く場なのだから、新進アーティストのためのプラットフォームを提供し、5000ドルを下回る価格の作品も用意して、新しいコレクターがアートを買いやすくするべきだろう。コレクターとしてのキャリアは、大抵このくらいの価格帯からスタートするものだ。
ギャラリーやアーティストの財政的な基盤を安定させるための提案としては、無料ブースの提供、縁故主義を排除した公平で透明性のあるギャラリーの選定、美術品の価格引き下げ、価格の透明性確保の義務化、フェアのカスタマイズツアーへのテクノロジー活用、フェアの利益をギャラリーやアーティストと共有することなどが考えられる。
解決策は、根本的な変化と、視点の転換にある。時代遅れの収益源から脱却し、活気のあるインクルーシブな市場を育成するために、大胆な一歩を踏み出すことが望まれる。(翻訳:清水玲奈)
US版編集部注:本記事は、ドイツ最大の日曜紙「ヴェルト・アム・ゾンターク(Welt am Sonntag)」に掲載された論説よりの転載。
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