レンブラントの《夜警》とチカンクスアートの関係。コメディアンがアート界のゲームチェンジャーに
レンブラントの《夜警》がチカンクスアート(メキシコ系アメリカ人によるアート作品)とどんな関係にあるのだろう? 俳優でコメディアンのチーチ・マリンが《夜警》を見たことが、将来的に美術館の基礎となるようなコレクションを築き始めるインスピレーションになったというのが、その答えだ。
1980年代、チーチ&チョン(チーチ・マリンがトミー・チョンと結成したコンビ)の全盛期に、マリンはチカンクスアートを収集し始めた。その頃、アムステルダム国立美術館を訪ね、幅が450センチ以上に及ぶレンブラントの大作《夜警》を1時間近くも眺めて過ごしたという。マリンは、「絵をじっくり眺めて、全ての要素を吸収したんだ」と言う。美術館の所蔵品に匹敵するようなアートコレクションを構築したいと思うようになったのは、これがきっかけだった。
マリンはロサンゼルス郊外の高級住宅地にある自宅からインタビューに答え、「子どもの頃から画集では見ていたけれど、実物はまるで壁画のように大きな作品だった」と話す。「本物を見たときにすごく感動して、これこそ自分がやるべきことだと思ったんだ」
マリンは「美術館級の大作」を収集することを決心した。収集対象は、「歴史的に重要なだけではなく、美しく仕上げられ、感動を呼び起こすような」チカンクスアートの大作だ。また、小ぶりの作品もある。さらに、アムステルダム国立美術館が所蔵する、宝石箱のようなフェルメールの4作品もまた、実物を鑑賞することの重要性を理解するきっかけになったのだそう。「実際に見られることが、作品が真に輝いて見える唯一の瞬間」だとマリンは言う。いつか自分のコレクションを見にきた人たちに、《夜警》の前で自分が味わったのと同じ体験をしてほしいというのが彼の夢だ。「以前はそんな夢を見たことはなかったな。手が届かないことだと思っていたから」
全てのコレクターが、収集した美術品を一般の人たちと共有したいという思いを抱くわけではない。仮にそう考えたとしても、多く場合、手始めに美術館への貸し出しをするのが一般的だ。ロサンゼルスのアートコレクター、イーライ・ブロードは、2015年に自らの私設美術館を開くまで、長い間ブロード基金の所蔵品ライブラリーから世界中の美術館に作品を貸し出している。マリンはこれとは異なる道を選び、コレクションを巡回展で見せるようになった。
マリンはサウス・ロサンゼルスでメキシコ系アメリカ人の両親のもとに生まれ育った。チカンクスアートと初めて本格的に出会ったのは1980年代、ロサンゼルスのギャラリーでのこと。マリンはその印象を、「懐かしいと同時に新しい感じがした」と振り返る。「ビートルズを初めて聴いたときみたいだと思った。こういう音楽を耳にしたことはあるけれど、こんなふうには感じなかったというような」。マリンは子どもの頃に野球カードを集めて以来コレクションをするのが好きで、大人になってからは、アールヌーボー(美術、デザイン、工芸の境界を取り払おうとした、19世紀末から20世紀初頭にかけての国際的な美術運動)の作品を収集していた。
しかし、80年代にチカンクスアートに出会うと、たちまち夢中になった。最初に購入したのはジョージ・イェペス、フランク・ロメロ、カルロス・アルマラスの絵画作品1点ずつで、すぐに本人が冗談めかして言う「マニア」になった。「本当に魅力的ですばらしいアートなので、集めずにはいられなかった。もう全部見たはずだと思った頃に、また新しい作品に出会うんだ」。コレクションは現時点でおよそ700点に達し、チカンクスアートのコレクションとしては公的・私的を問わず世界最大と見られている。
1990年代後半になると、コレクションを見たアーティスト、キュレーターやアート業界関係者が、展覧会の企画を勧めるようになった。こうして、マリンのコレクションを見せる初の巡回展となった「Chicano Visions: American Painters on the Verge(チカーノのビジョン:アメリカの周縁的な画家たち)」が2001〜2007年に米国内の12の美術館を会場に開かれた。マリンによれば、この展覧会はたやすく実現できたと思われがちだが、実際にはそうではなかった。
「コレクションの巡回展を、ある日なにげなく決めたように思われるんだ」とマリンは振り返る。「でも、準備作業は膨大で、まるでチャチャチャのステップを習うときのような試行錯誤の連続。アメリカ中のありとあらゆる企業の重役室に行って、売り込み活動をしなくちゃならなかった。ゼネラル・ミルズ社でもゼネラル・モーターズ社でも、『ゼネラル』がつく会社ならどこにでも行ったよ」
チカンクスアートのキュレーターとして高く評価されている故ルネ・ヤネスの協力を得たマリンは、巡回展を受け入れる美術館や、ツアー資金を出すスポンサーを探して3年を費やした。巡回展には、カルロス・アルマラス、フランク・ロメロ、グロンク、パッツィ・バルデス、エスター・ヘルナンデス、カルメン・ロマス・ガルザ、ルパート・ガルシアらの作品が含まれていた。
「最大の障害は、『Chicano(チカーノ)』という表現を使うことだった」とマリンは続ける。「当時、この言葉には賛否両論があり、サンアントニオ美術館(テキサス州)が使うまでは誰もが避けていたから。その後は、みんながこぞって使うようになるのだけど」
「Chicano Vision」展が与えたインパクトは、はかりしれない。チカンクスアートをテーマとした展覧会はこれが初めてではなく、すでに1990〜1993年にはロサンゼルスのほか10都市で巡回展「Chicano Art: Resistance and Affirmation(チカーノアート:抵抗と肯定)」が行われている。しかしマリンが企画した「Chicano Vision」は、アート界と一般市民の双方にチカンクスアートに対する関心を呼び起こしたという意味で最も重要なものだ。その背景には、マリンの名が持つ宣伝効果がある。
マリンのコレクションに30以上の作品が含まれているアーティストのマーガレット・ガルシアは、「チカンクスアートのコミュニティのために、これだけ尽力した人物は他にいません」と語る。「マリンは、あまり関心を持たれていないアーティストにも居場所を作ってくれている。マリンのコレクションに含まれていないアーティストも含めて、彼は私たちの多様性に目を向ける場を与えてくれたんです。彼がいなかったら、この状況は生まれなかったでしょう」
カリフォルニア大学ロサンゼルス校チカンクス研究リサーチセンターの所長を長年務めていたチョン・A・ノリエガは、マリンの展覧会について初めて聞いたとき、試しに「チカンクスアート」と「チーチ・マリン」をグーグル検索してみたという。その結果は示唆に富むものだった。「チーチ・マリンはチカンクスアートよりも有名で、多くの人たちに知られていたのです。マリンはその知名度をうまく活用してきました。これだけチカンクスアートへの認識が広めることができるのは、彼以外にはいないでしょう」とノリエガは語る。
過去20年間にわたり、マリンのコレクションはアメリカ各地で様々な形で展示されてきた。2017年にはカリフォルニア州のリバーサイド美術館で、65点を集めた展覧会「Papel Chicano Dos: Works on Paper(パペル・チカーノ・ドス:紙に描かれた作品)」が開催されている。
この頃にはコレクションの質の高さが認知され、その長期的なプランについて、美術館の間で憶測が飛び交うようになっていた。マリンはブロード夫妻やルベル家のように私立美術館を創設するのではないか? それとも、マリンの地元の美術館がコレクションの獲得を働きかけるのだろうか? サンフランシスコ近代美術館がドナルド・フィッシャーに、シカゴ美術館がステファン・エドリスにしたように。
マリンのコレクションがチカンクスアートの認知を広げていた頃、米国の美術館も展示作品の領域を広げる必要があることに遅まきながら気づきつつあった。人口構成が変化しているにもかかわらず、アートファンの多くは自分自身の文化を反映するようなアートを見る機会が十分になかったのだ。
リバーサイド美術館の展覧会が開幕したとき、1400人以上がオープニングレセプションに駆けつけた。開幕後最初の1カ月の入場料収入は3倍になり、最終的な入場者数は美術館史上最高を記録した。入場を待つ長い列を見たリバーサイド市のジョン・ルッソ市政担当官は、リバーサイド美術館にマリンのコレクションを誘致する提案を持ちかけた。展覧会が始まって1週間もたたないうちに、リバーサイド市とリバーサイド美術館はコレクションを管理する計画をマリンに申し出た。
マリンは最初その提案の真意が理解できず、「美術館を買い取ってほしいのかな? 美術館が買えるほど僕はお金持ちじゃないのに」と思ったという。しかし、提案の内容がマリンのコレクションを常設するスペースを館内に設け、チカンクスアート関連のリサーチセンターを新設する計画だと理解すると、マリンは前向きになり始めた。そして、展覧会が終了して約1週間後には、Cheech Marin Center for Chicano Art & Culture(チーチ・マリン チカンクス芸術文化センター、通称チーチ)を2022年5月に開設するための交渉開始の覚書が、リバーサイド市議会で承認された。
1964年に建てられた歴史的建築の改修工事はほぼ完成しており、最近指名されたアーティスティックディレクター率いる「チーチチーム」は、二つのオープニング展の準備を進めている。チーチのコレクション展はもちろん、ガラス作家のデ・ラ・トーレ兄弟による個展も開催予定だ。展示の設営や、プログラムの詳細は確定していないが、美術史における未開拓分野であるチカンクスアートに新しい時代を切り拓く重要な施設となることは明らかだ。
ロサンゼルスに開館予定のLucas Museum of Narrative Art(ルーカス・ミュージアム・オブ・ナラティブ・アート)のチーフキュレーター、ピラー・トンプキンス・リヴァスは、「チカンクスアートは、まだまだ注目も研究も足りていない分野」と言う。「これから美術史に記録されるべきことがたくさん残っています。近年取り組みが進んでいるとはいえ、研究はまだ表面的にしか行われていない状況で、今後もっと進める必要がある。美術関連機関が注目するべき重要なテーマであり、多大な努力が実ってチカンクスアートの重要性にアート界がようやく気づいたというところです」
以前はリバーサイド公共図書館の本館だった場所が、今後はチーチコレクションの本拠地になる(図書館は新設の専用施設に移転)。建物は市の中心部にあるモダニズム建築で、2階建ての約5700平方メートルのスペースに、複数の展示室と教育施設、多目的イベントスペース、作品収蔵庫、ミュージアムショップが設けられる予定だ。
マリンが初めてリバーサイド美術館にコレクションを寄贈したのは、前述した「Papel Chicano Dos」展の会期中のこと。ロサンゼルスの版画印刷スタジオ、モダン・マルチプルズを経営するリチャード・ドゥアルドが印刷を手がけたチカンクスアートの版画26点だ。その後、マリンは追加で11点を寄贈した。その中には、2020年にリバーサイド美術館で展示されたロメロの《Arrest of the Paleteros(アイスクリーム売りの逮捕)》(1996)、アルマラスの《Creatures of the Earth(地球の生物たち)》(1984)、グロンクの《La Tormenta Returns(嵐の回帰)》(1986)が含まれる。マリンは作品収蔵庫の完成を待って、500点ほどを寄贈する予定で、将来的には175点の作品の貸し出しのほか、同センターはマリンのコレクションからさらに作品を獲得する権利を持つことになる。
チーチ・センターは、発案から5年経たないうちに開館にこぎつける予定だ。この異例のスピードに現れているように、「アートとイノベーションの街」を掲げるリバーサイドは、ラテン系住民が多数を占める地域特性もあり、チカンクスアートの専門施設を積極的に推進する姿勢を示している。
これは、約30年の歳月を経て、2020年12月に米国議会によりスミソニアン研究所内に設立されたNational Museum of the American Latino(アメリカン・ラティーノ国立博物館)とは対照的だ。この博物館設立の第一歩は、1997年にスミソニアン・ラティーノ・センターが発足したことだった。その3年前に、今では悪名高いものとなった報告書「Willful Neglect: The Smithsonian Institution and U.S. Latinos(意図的な無視:スミソニアン研究所とラテンアメリカ系市民)」が発表された。報告書は、スミソニアン協会が「運営のほぼすべての側面においてラテンアメリカ系市民を排除し、無視している」と批判。「スミソニアンの役員の多くが、ラテンアメリカ系の歴史と文化はアメリカを構成する正当な要素ではないという印象を与えている」と述べている。
チーチ・センターは官民共同事業で、リバーサイド美術館が運営にあたり、市は最初の10年間、毎年80万ドルの資金を美術館に提供する(その後、市の資金は2年目から最低でも2万5000ドル増額される)。残りの運営予算については、リバーサイド美術館が資金調達を行う。さらに、リバーサイド市から選出されているカリフォルニア州議会議員により、施設改修費の一部として州予算から1330万ドルが確保されている。美術館はさらに、臨時費用として120万ドルを追加調達した。
リバーサイド美術館のドリュー・オーバージャージ館長は「市は展覧会の内容や企画について細かく口を出すことはありませんが、センターの成功のために投資してくれています」と述べる。それに対し、経済学者ジョン・ヒューシングの推計では、チーチ・センターがリバーサイド美術館の現入館者数の2倍に相当する年間10万人を集客することで、市に3億ドルの経済効果をもたらすとされている。
リバーサイド市のシティマネージャーであるアル・ゼリンカ氏は、芸術と文化が発展を続ける地域において、チーチ・センターは「アートとイノベーションに取り組むという市の姿勢をさらに強化する機会を提供するもの」だとしている。また、「チーチ・センターは、コミュニティの全ての領域において、社会的包摂を実現しようとする市の取り組みの中でも非常に重要な要素です」と述べている。市の芸術・文化担当マネージャーのマージー・ハウプトは、「新たな場を作ること、空間を場所に変えることが、内部協議での中心的な問題でした。リバーサイド市における場所と空間の活用の仕方を変えるということです」と説明している。
2021年、リバーサイド市議会は、経済的繁栄、環境対策、社会的責任の3つの重要課題に焦点を当てた5カ年計画を承認した。この戦略に沿って、チーチ・センターの周辺地区では約6億ドル規模のプロジェクトが進行しており、多くの建物が最近完成したか建設中だ。これは、リバーサイド市の経済成長の新たな可能性を想定し、伸ばしていこうという地元コミュニティのコミットメントの表れだ。
副シティ・マネージャーのラファエル・グズマンは「これは、人々がリバーサイドやインランド・エンパイア(リバーサイド市とサンバーナーディーノ市を含むカリフォルニア州南部の地域)、そして新しいライフスタイルを選ぶ理由の一つになっています」と説明する。マリンも同意見で、「リバーサイドは一大アート都市になるはず。その準備は整いつつある」と付け加えた。
米国には、チカンクス、それにラティンクス(ラテンアメリカ系住民)のアートを中心に据えた美術館がいくつかある。たとえば、ニューヨークのEl Museo del Barrio(エル・ムセオ・デル・バリオ)、サンフランシスコのMexican Museum、シカゴのNational Museum of Mexican Artだ。しかし、ノリエガによれば、このジャンルで個人のコレクションから生まれた美術館はチーチ・センターが初めてだという。個人コレクションに基づく美術館設立は、アート界の主流において伝統的に行われてはいるが、有色人種のコレクターには稀なことだ。「その意味で似ているのは、ザ・ブロードのような美術館です」とノリエガは言う。「チーチの努力は、個人コレクターの活動で美術館を立ち上げ、発展させたエリ・ブロードに匹敵する」
ノリエガはこう続けた。「これらの美術館は大都市に設立されて、既存の美術館に欠けていたものを埋める役割を果たしています。一方、チーチ・センターができることは、リバーサイドのアート関連施設をチカンクスアートに集中し直すことです」
マリンは、チーチ・センターを発展させるための野心的なアイデアを持っている。具体的には、映画部門や版画のアトリエ、吹きガラスのスタジオなどを増設すること。さらには音楽や食を楽しめる屋外イベント、オレンジ・ブロッサム・フェスティバルの復活を助けることだ。だが、実現は難しいかもしれない。しかし、新任のアーティスティック・ディレクター、マリア・エスター・フェルナンデスは、そうした任務に十分すぎるほどの人材だとマリンは言う。フェルナンデスの前職は、サンタクララにあるTriton Museum of Artのチーフキュレーター兼副館長。カリフォルニア州ベイエリアとその近郊のアーティストを中心に紹介する美術館で、キュレーションと運営、両方の経験を積んでいる。「絵画を壁にかけることも、版画アトリエを開設することも、両方できるような人材がほしかったんです」とマリンは説明する。「これは大きな仕事です。小さく見えるかもしれませんが、非常に多岐にわたる大きな仕事なのです」
フェルナンデスのアーティスティックディレクターとしての仕事の一つは、リバーサイドの地元コミュニティとの関係構築。特に多数派のラテンアメリカ系住民とのつながりだ。リバーサイド郡と隣接するサンバーナーディーノ郡(合わせてインランド・エンパイアを形成している)は、それぞれカリフォルニア州で第4と第5の規模だ。しかし、チカンクスアートの代表的な研究者であるロブ・エルナンデスによると、この地域は「アーティストやチャンスを引き寄せるには、文化面での資金が不足している」。「チーチ・センターが、有色人種や先住民が多い地元市民たちのために、そうした状況を改善する立場になるといいのですが」とヘルナンデスは言う。
2021年8月、美術館の正式なメンバーとなったフェルナンデスは、チーチ・センターを「コミュニティへの貢献というテーマについて、コミュニティのためになることもあれば、ならないこともある。この美術館という枠組みの中で、どう活動できるかを改めて考えたい」と述べている。そのために、コミュニティに属する様々な住民やリーダーと会い、チーチ・センターに求めることをヒアリングする計画を進めているという。
ラテンアメリカ系住民が多く住むイーストサイド地区は、リバーサイド美術館から2キロメートル弱にある。しかし、アーティスト・イン・レジデンスなどのプログラムを通して、本格的にこの地区やカサブランカ地区の住民との交流を始めたのは、つい最近のことだ。オーバージャージ館長は、「世界的に有名なコレクションと、美術館として、また都市として、地域やコミュニティにコミットしている事実が並存していることが、このプロジェクトの大きな魅力です」と語る。「全米の美術館が、すぐ近所にいる住民たちが見学にこない、近隣の住民のことを知らないという状態に甘んじているのです」
フェルナンデスは、ローカルなものに焦点を当てることは、マリンがコレクションしたアートにも通じると言う。「チカンクスアートは、社会正義や平等に関する政治運動から来ている部分がある。このような作品を取り上げるアートセンターでありながら、ローカルな視点を持たないわけにはいかないのです。コミュニティのルーツを理解することは重要です」
アーティストたちはもちろん、チカンクスの人々の自己認識を変えるうえで、アートが果たせる役割を理解している。マーガレット・ガルシアは「チカンクスといえば、犯罪と結びつけられることがあまりに多い」と語る。「その現状を見直し、それが不名誉であることを認識し、汚名を晴らすことが大切です。コミュニティの中にチカンクスアートのセンターがあれば、次世代に目指すものを与え、『これが私だ』と思わせることができます。文化とは、私たちが自分を定義する方法です。私たちには自分自身を認識する方法があるのです」
現時点では、マリンのコレクションはチカンクス・アートの全貌を映し出すものとは言えない。男性アーティストが多い一方で、ジュディ・F・バカ、アマリア・メサ・ベイン、ヨランダ・M・ロペス、イレイナ・D・セルバンテス、デリラ・モントーヤといった先駆的な女性アーティストが欠けていることが目につく。
ラファ・エスパルザ、カルメン・アルゴテ、グアダルーペ・ロサレス、ガブリエラ・ルイスといった今の世代の躍進を示す作品も含まれていない。ローラ・アギラール、ルイス・C・ガルザ、クリスティーナ・フェルナンデス、スター・モンタナらの写真作品がないことも盲点になっている。しかし、網羅性は期待されていないと、ノリエガは説明する。「これは一人のコレクターによるコレクションなのです。『チカンクスアート』を百科事典的に見るものではなく、(マリンの)がチカンクスアートとどう個人的な関わりを持ったかを表すものです」
チーチ・センターの活動範囲を広げる責任を担うフェルナンデスは、「チカンクスアートは、さまざまな人にとってさまざまな意味を持ちます」と語る。「私たちのコミュニティは複雑です。チカンクスアートはチカーノムーブメントという政治運動から生まれ、一枚板であるかのように伝えられることが多いのですが、それは進化し、成長してきました。チーチ・センターはこうした対話の場であるべきです」
2017年にUCR Artsで絶賛された展覧会、「Mundos Alternos(ムンドス・アルテルノス)」を企画したエルナンデスのような研究者たちは、チーチ・センターに大きな期待を寄せ、チカンクス研究の幅を広げるアイデアを温めている。エルナンデスは、チーチ・センターは、インランド・エンパイアの「重要なビジュアルアーカイブを回復」することを目指すべきだとする。さらに、「チカンクスアートの意味を、ロサンゼルスの視点ではなく地元インランド・エンパイアの視点から考えることが必要です。ひいては南カリフォルニアについて新たな見方をもたらすでしょう」
アーティストにとっても、自らの制作の基盤になっている伝統についての見方が広がるという利点がある。マリンのコレクションにも入っているラウル・ゲレーロは、自分を様々な側面を持つ「チカーノ」ではなく、シンプルに「メキシコ系アメリカ人」としているが、チーチ・センターによって「チカンクスアートの定義が広がること」を望んでいる。「私たちが、私たちの歴史から生まれた考えをより広く伝えることができれば、私たち自身を称賛するだけでなく、私たち全員の知識のベースを広げることにもつながるでしょう。それは、私たちだけでなく、他の全ての人のためでもあるのです」
マリンにとって、このセンターは待ち望んでいたものだ。「この数年間、私の信条はこうだ。チカンクスアートは、見てみないと好きにも嫌いにもならない。イメージはできても、実際に見てみると、そのイメージとはまったく違う。よく言われるのは、「チカンクスアートが何か知らなかったけど、これは気に入った」ということです。それがまさに私の目標。できる限り多くの人に、チカンクスアートを見てもらいたいんだ」(翻訳:清水玲奈)
※本記事は、米国版ARTnewsに2021年11月9日に掲載されました。元記事はこちら。