塗り潰されたゲルハルト・リヒターの大壁画が40数年ぶりに姿を現す。塗料を剥がす様子も公開
若き日のゲルハルト・リヒターがドレスデンで制作した大壁画の一部が、数十年ぶりに一般公開される。この作品は1979年に上から塗装が行われ、見ることができなくなっていた。
1956年、24歳のゲルハルト・リヒターは、ドレスデンにあるドイツ衛生博物館の吹き抜け階段ホールに約60平方メートルもの大壁画《Lebensfreude(人生の喜び)》を描いた。しかし23年後の1979年、壁画は上から塗り込められてしまった。
それから40年以上を経た今年、壁画の一部で上塗りを剥がす修復が行われ、一般公開される。これは同美術館で開かれる特別展の一部として実施が予定されているもので、3月9日以降、来館者は修復専門家のアルブレヒト・ケルバーが壁画を覆う白い塗料を剥がす様子を見ることができる。
同館はアートニュースペーパー紙の取材にこうコメントしている。
「現在進行中の修復作業は、東ドイツの歴史の一断面を明らかにし、新たな視点を与えるプロセスのメタファーだと受け止められるのではないでしょうか」
1932年にドレスデン(当時は東ドイツ)で生まれたリヒターは、ドレスデン美術アカデミーの修了時にこの大壁画を制作。そこには、ダンスをしたり、ビーチで楽しんだり、公園に座ってくつろいだりと、日常生活やレジャーを楽しむ人々が描かれ、明るく祝祭的な雰囲気が醸し出されている。
1994年にリヒターは、ドイツ衛生博物館から塗装を剥がして壁画を公開してもいいか打診されたが、その申し出を断った。「この絵は世界に残すだけの高い価値があるものではない」というのが理由だった。それから時が経ち、2022年になって博物館が再度提案するとリヒターは首を縦に振った。
注目に値するのは、リヒターが自作として記録すべきものを注意深く管理している点だ。彼のオンラインカタログによると、最初の作品は壁画制作の5年後にあたる1961年の《Tisch(テーブル)》とされている。また、東西の行き来が制限される直前の1961年にリヒターが西ドイツへと逃げた後、デュッセルドルフ美術アカデミーの火災で初期作品のほとんどが焼失した。アートニュースペーパーによれば、それが東ドイツの文化遺産管理当局が1979年に壁画の上塗りを決定した理由の一端になったという。
壁画の修復および公開プロジェクトは、ドレスデン美術大学の協力・監修のもと、ドイツ衛生博物館とヴュステンロート財団が共同で進めている。また、教育面の施策については、エルンスト・フォン・ジーメンス美術財団から助成金を得ている。(翻訳:石井佳子)
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