謝礼はたったの50ポンド! バンクシーが子どもたちにグラフィティを教えていた過去が明らかに
ブレイク前夜のバンクシーがイギリス・ブリストルの低所得地域において、グラフィティの描き方を子どもたちに教えていたことが、当時のボランティア職員によって明らかになった。
作品がオークションに出品されれば1億円以上の値で取引され、展覧会が開催されると大勢の観客を動員させるグラフィティアーティストであるバンクシーの素性や過去を知る人はそう多くない。そんな正体不明のアーティストがイギリス・ブリストル近郊のユースセンターで、スプレーペイントを使った子ども向けの絵画教室をおよそ30年前に開催していたことが、BBCの取材によって明らかになった。
1990年代後半にブリストル北西部の町、ローレンス・ウェストンで青少年指導員としてボランティアをしいていたピーター・デ・ボアは、地域に住む子どもたちに希望を与えるような地元のアーティストを探していたという。そんななか、タギング(スプレーペイントで自分の名前を街中に記す行為)をしているバンクシーを友人づてに紹介されたといい、当時のグラフィティ教室の様子をデ・ボアは次のように振り返っている。
「友人にバンクシーを紹介してもらったのちに、教室を開いてくれないかと電話で直接お願いしてみました。初回のレッスンでは50ポンド(現在の為替で約9500円)の謝礼を彼に支払ったと記憶していますが、教室で使うための画材の費用しかまかなえなかったと思います。バンクシーは子どもたちに熱心にスプレーペイントの使い方を教えていましたし、お金のために教えているというよりかは、彼らと一緒になって楽しんでいるように見えましたね」
グラフィティ教室を始めた直後、ブリストル市内ではバンクシーの知名度が上がり始めていたというが、子どもたちは「気負わず彼と接していました」と、デ・ボアは話す。レッスンが開始されると子どもたちとバンクシーは、作品のアイデアを出し合ったのちに、デフォルメされたウシやエイリアン、ロボットに乗っ取られたサーカスといった作品を派手な色を用いながらユースセンターの壁に描いていた。しかし、当時制作されたグラフィティは写真でしか残されておらず、絵画教室で使われたステンシルは教室が終了すると同時にデ・ボアによって処分されており、描かれた作品は次のレッスンのために塗りつぶしていたと彼は語る。
「絵画教室で作られた作品の一つだったので、彼のグラフィティを塗りつぶすことには何の抵抗もありませんでした。とはいえ、彼が地域の子どもたちのために一肌脱いでくれたのはとてもうれしかったですね。教室に参加していた子どもたちがバンクシーのことを覚えているのか、気になるところではあります」