「ついに正当な地位が与えられた」──ピカソ美術館でフランソワーズ・ジロー作品の常設が決定
画家のフランソワーズ・ジローの作品がパリのピカソ美術館に常設されることが決定した。パブロ・ピカソのミューズや愛人という枠組みではなく、作家としてのジローに焦点を当てたこの常設展は、「ジローはピカソのパートナーにすぎない」という考えを払拭することを目的としている。
常設コレクションの再整備の一環としてパリのピカソ美術館は、フランソワーズ・ジローの作品に特化した展示スペースを設けることになった。この展示スペースでは、パブロ・ピカソの元パートナーという枠組みだけには収めることのできないジローの功績に焦点が当てられる。
2023年に101歳で亡くなったジローは、「芸術家としてついに正当な地位が与えられました」と、ピカソ美術館館長のセシル・デブレイは声明を発表。
ピカソ美術館のオテル・サレに設けられる新たな展示スペースでは、ジローが芸術家として歩んできた数十年間のキャリアに焦点が当てられる。この展示には「サロン・デ・レアリテ・ヌーベルに参加していた画家との親交や、1980年代の『象徴的な絵画』の偉大なトーテム的な作品」が含まれるという。
美術館3階の17号室にあるこのスペースでは、1964年にベストセラーとなった回想録『ピカソとの日々』に関する議論も行われる見通しだ。この回想録にはお世辞にもいいとは言えない彼女とピカソの関係が描かれており、キュビズムの作家たちはその出版を止めようとした。
さらにこのスペースは、芸術家としてのジローにのみ焦点を当て、ピカソが彼女を描いた絵や写真の展示はなく、ミューズという側面のジローは一切ない。美術館の広報担当者によると、ピカソ美術館がこうした視点からジローを見るのは今回が初めてだという。この展示は、翌年まで行われる予定だ。
美術館のキュレーターを務めるジョアン・スネルチは、「ジローはピカソのパートナーにすぎない」という考えを払拭するために彼女の作品を展示することが重要だとガーディアンに語っている。
またスネルチはこう続ける。
「彼女はれっきとしたアーティストであり、長いキャリアに渡って彼女の作品は進化を続けていました。今回の展示では、多種多様の作品を公開しています。私たちは、ピカソの人生における彼女の存在を示すだけでなく、ジローがピカソの伴侶以上の存在であったことを示すことも大切だと考えました。結局のところ、100年以上に及んだ生涯のうちジローは、わずか10年しかピカソと過ごしていませんから」
ジローがピカソと出会ったのは1943年。彼女は21歳でピカソは61歳だった。10年ほど続いた交際期間中に彼らは、クロードとパロマという二人の子どもをもうけており、子どもを育てながらもジローは制作活動を続けている。1953年にジローは子どもとともにピカソの元を去ったが、ピカソはこれをよく思わなかった。
ガーディアンの記事によるとピカソは、アンリ・マティスから届いた手紙を含むジローの所持品を破壊したという、また、ルイーズ・レイリス・ギャラリーに作品の取り扱いを中止するよう要求し、フランスの権威アル芸術家グループ、サロン・ド・メイの展示会に彼女を招待しないよう強要したのだ。
芸術批評家のカールトン・レイクとともに書いた『ピカソとの日々』においてジローは次のように記している。
「彼と分かち合ってきた過去と私をつなぐすべての橋が燃やされてしまった。しかし、そうすることで彼は私に自分自身を発見させ、生き残ることを強いた。彼への感謝の念は尽きない」
回想録が出版されたことでフランス国内で騒動が起きたことから、ジローは実質的に国を追われてしまい、1970年にはアメリカに定住した。同時期に彼女はウイルス学者のジョナス・ソークと出会う。二人は1970年からソークが死ぬ1995年まで結婚生活を続けた。ジローが2023年6月に亡くなる直前、晩年まで作品を作り続けたジローの絵画が2021年のサザビーズで130万ドル(約1億9200万円)で落札された。(翻訳:編集部)