訃報:鋼鉄の彫刻家リチャード・セラが死去。晩年はがん治療を拒否し制作に捧げる
3月28日、壮大な鋼板の作品でミニマル・アート運動を牽引したアメリカの彫刻家、リチャード・セラがニューヨーク州オリエントの自宅で肺炎により亡くなったとニューヨーク・タイムズ紙が報じた。85歳だった。
リチャード・セラは1938年サンフランシスコに生まれ、造船所で働く父親のもとで育った。カリフォルニア大学サンタバーバラ校に進学し、その後イェール大学で絵画を学んだ。1960年代からセラは彫刻を制作するようになり、ポスト・ミニマリズムの最前線に登場。70年代から鋼板を使ったスケール感のある作品を手掛けるようになる。1970年にセラは、第10回東京ビエンナーレとして知られる「人間と物質」展に招聘され、上野公園に自身初の野外彫刻《To Encircle Base Plate (Hexagram)》を制作している。
セラの代名詞となった、見る者を押しつぶしそうなほどの巨大な鋼板の作品は、今ではニューヨーク州北部の美術施設Dia:Beaconからカタールの砂漠に至るまで世界各地に設置され、人々に愛されている。
しかし、セラの作品は全ての人に受け入れられていたわけではない。1981年にマンハッタンのフォーリー・スクエアに設置された、高さ約3.6メートル、幅約36メートルの《Tilted Arc》(1981)は、鉄の壁が緩やかなカーブを描き、わずかに傾いているために危険、景観を損ねるとの抗議が起き、今日、ニューヨークの歴史上最も非難されたパブリックアート作品のひとつとなった。最終的に、1989年に作品は撤去された。
セラの作品は、溶接の助けを借りずに自立しているため、危険に感じる人がいるかもしれない。しかし、その傾斜は、安定性をコンピューターで計算されたものだった。また、彼が作り出す頑丈な円柱(彼はこれを「ラウンド」と呼んだ)や、立方体のフォルムは、1つ1つ積み重ねても文句なしに安定した。
セラの仕事を、批評家たちは大げさに語り、彫刻を新しいコンセプチュアルな領域へと押し進めることに成功した画期的なものとみなしてきた。彼は、作品が空間の中に存在するだけでなく、鑑賞者が自分の周囲にどのようにアプローチするかを形作ることで、空間を再編成する方法について議論した。作品は流れるような、幾何学的な形状をしており、完全に体験するためには動き回ってみる必要があった。セラは、作品には多くの「歩きながら見る」、つまり「周回的知覚」が必要だと語った。それは「鑑賞者中心」の考え方だった。
ニューヨーク・タイムズ紙は、セラを「聡明で妥協を許さず、果てしなく議論好きで、歯切れの悪い強調された話し方で、冗長にも饒舌にもなる。歳を重ねるにつれて穏やかになったが、それでも時折、戦いに備えているかのように、少し蟠りを感じさせることもあった」と評した。
数年前、目の不調を訴えたセラは、医師から左目の涙管にがんがあることを知らされた。眼球を摘出さえすれば予後は良好と診断されたが、セラは自分の視力や芸術家としての仕事を損ねたくないと決意し、臆せず手術を断念した。(翻訳:編集部)
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