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アート界のレジェンドたちが中絶禁止の危機に声を上げる。「米国は退行している」

2022年1月、アーティストのアリーシャ・エガートは、ワシントンの米連邦最高裁判所前に「Our Bodies(私たちの体)」と書かれたネオンサインを設置。キューバ人アーティスト、タニア・ブルゲラの「まだ来ていない人、これから来る人のためにアートを作ろう」という19年の呼びかけに触発されたこの作品は、図らずもその後に起きる深刻な問題を予見するものとなった。

ゲリラガールズによる1992年の抗議デモ(ワシントン) Teri Slotkin

5月2日夜、米国の政治系ニュースサイト、ポリティコが、最高裁の保守派判事による多数意見草案の漏えいを報じた。リークされた内容は、人工妊娠中絶の権利を合憲とした1973年の画期的なロー対ウェイド判決を覆そうとするものだ。ジョン・ロバーツ最高裁長官は、98ページにおよぶ草案は本物だと認めている。

6月に予定される判決が同草案に基づくものになるとしたら、州議会が合法的中絶を制限、あるいは全面禁止することが可能になり、過去50年間にわたる法的な論争に結論が下されることになる。

このニュースを受け、リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)を長年主張してきた活動家やアーティスト、文化面のリーダーたちが憤りと危機感を表明している。その中には、バーバラ・クルーガー、ナン・ゴールディン、ナンシー・ブキャナン、ローリー・シモンズなどの著名アーティストや、レガシー・ラッセル、ジャスミン・ワヒといった気鋭のキュレーターが含まれる。

「驚くべき内容のニュースではない。もし驚いた人がいたとしたら、これまでの状況をよく見ていなかっただけ」と、アーティストのバーバラ・クルーガーはARTnewsのメール取材に答えている。

クルーガーの作品は、広告業界の巧妙な手法を告発するような大胆なグラフィックで知られ、フェミニスト活動家のシンボルになったものもある。「Your Body Is a Battleground(あなたの体は戦場だ)」という言葉が女性の顔の上にレイアウトされた白黒のコラージュ作品《Untitled (Your Body Is a Battleground)》(1989)は、もとは1989年にワシントンで行われた中絶の権利を主張する女性のデモのために制作されたが、その後フェミニストやクィアの抗議活動で広く使われるようになった。

クルーガーは、同作品の制作から30年あまりを経た2020年12月、人工妊娠中絶がほぼ全面禁止になるポーランドの司法判断に対する抗議運動に、この作品の複製を用いることを許可している。また、米国では穏健派や左派の議員たちが「リプロダクティブ・フリーダム(性と生殖の自由)の問題にまともに取り組んでいない」ことが、状況が後退する原因になっていると批判する。

彼女の言うところによれば、「彼らの想像力の欠如こそが、私たちが今直面している事態を招いた」のだ。

ある世代の女性アーティストたちに「痛みと衝撃」をもたらす

リークされた草案の内容は、「米国が少数派に支配されつつある」とする識者の批判を再燃させ、アーティストたちの活動団体であるゲリラガールズなど、アート界も懸念を示している。ゲリラガールズは、80年代半ばから美術館に対してジェンダーによる差別を改めるよう要求してきた。

ARTnewsへのメールの中でゲリラガールズの広報担当者は最高裁を批判し、「米国人の77%がロー(ロー対ウェイド裁判で女性の中絶の権利を主張した原告)を支持すべきだと考えている」と指摘した。

長年、公共の場でテキストを中心とした大型作品を発表し、権力者の力の誇示に挑戦してきたジェニー・ホルツァーも同意見だ。ARTnewsに宛てたメールで「一部の偏ったイデオロギーの持ち主に、女性の安全と幸福を脅かす権利はない」と述べている。

カリフォルニア出身のパフォーマンスアーティストであるナンシー・ブキャナンは、70年代に南カリフォルニアのフェミニストアートシーンを主導した非営利芸術教育施設、L.A.ウーマンズ・ビルディングの運営に関わるなど、女性運動にも参加してきた経歴の持ち主で、今回の判決草案に憤慨している1人だ。

ブキャナンはARTnewsのインタビューに対し、「私は、友人たちが違法と知りながら中絶を行うのを繰り返し目撃してきた世代。どういうわけか、この国の狂気は広がり続けているようだ」と語った。

ローリー・シモンズは、人形やおもちゃを用いた映画や写真でジェンダーによる役割分担を風刺的に表現しているアーティストだ。「私たちは闘いに明け暮れてきたし、ひどい状況だった時代を覚えている。だというのに、今起こりつつある後退は深刻だ」

日記のようなスタイルの先駆的な写真作品で知られるナン・ゴールディンも、ここ数年、社会活動に積極的に取り組んでいる。最近では、オピオイド系鎮痛剤が深刻な薬物中毒を引き起こしたと批判されているパーデュー・ファーマのオーナー、サックラー家からの資金援助を断ち切るよう、ニューヨークのメトロポリタン美術館に迫る抗議活動を主導した。アーティストとしても活動家としても、肉体の脆弱性というテーマに取り組んできたゴールディンは、今回のニュースを差し迫った危機と捉えている。

ゴールディンは、「女性が自分の体をコントロールする権利を奪うことが可能というだけではなく、自分でコントロールした体が有罪になりうるという考えが、まさに犯罪だ」とし、「米国の退行を示す恐ろしい兆候」と表現した。


アリーシャ・エガート《OURs(私たちのもの)》(2022) Courtesy Alicia Eggert

若い世代のアート関係者が重視するインターセクショナリティと連帯

ロー対ウェイド判決が覆される可能性に関し、若い世代のアート関係者たちが注目しているのはインターセクショナリティ(*1)の側面だ。2020年に「Abortion is Normal(中絶は正常なこと)」という展覧会を企画したニューヨークのキュレーター、ジャスミン・ワヒは、ソーシャルメディア上で保守派判事の草案を鋭く批判している。

*1 人種、階級、ジェンダー、性的指向、国籍、年齢、障害など、さまざまな属性が交差した時に起きる差別や不利益などを捉える概念。

「教権ファシズムの信奉者、異性愛の白人、(主に男性の)シスジェンダー(*2)の行為は、米国社会の底流に存在し続けてきた」とワヒは指摘し、「ロー対ウェイド判決が覆されれば、世界中の大多数の人々に壊滅的な結果がもたらされるだろう」と付け加えた。

*2 性自認と生まれ持った性別が一致している人。

ニューヨークの有名なアートスペース、キッチンを運営するキュレーターで、『Glitch Feminism(グリッチ・フェミニズム)』(2020)の著書があるレガシー・ラッセルは、「芸術を通じて、そして芸術を超えて、運動の連帯が求められている」とARTnewsに語った。

ラッセルはまた、「性と生殖に関する権利は気候変動に関する権利であり、気候変動に関する権利は市民の権利であり、市民の権利は先住民の権利であり……というように、黒人、アジア系、ラテン系、女性、LGBTQの権利も、全てはつながりあっている」と語る。この4月、ラッセルはニューヨークで行われたチャリティーイベントで、アート界に存在する不平等と超富裕層が優遇されている現実を指摘し、現状を「フェミニストの緊急事態」とするスピーチを行ったばかりだ。

州法で中絶が規制されている地域のアーティストやコレクターは、特に判決の行方を警戒している。セントルイスを拠点とするディーラーでコレクターでもあるスーザン・バレットは、女性や有色人種のアーティストの作品を中心に扱っているが、この問題をめぐる地元の憂慮すべき事態を目の当たりにしているという。バレットによれば、保守的なミズーリ州で唯一の中絶施設である全米家族計画連盟(PPFA)の地元支部は、長年、中絶反対派の攻撃を受けてきた。

「セントルイスは、保守的な州にあるリベラルな都市。我われは自分たちが直面している事態をよく理解している」とバレットはARTnewsに語った。

PPFAの支援を受け、ネオンサインを用いた作品《OURs(私たちのもの)》(2022)を発表したテキサス在住のアーティスト、アリーシャ・エガートは、すでにテキサス州の大半の女性が実質的に中絶の権利を奪われていると言う。

「この問題は緊急性が高く、危機は現実のものになってる」とエガートはARTnewsに語った。「私がネオンサインを用いるのは、すぐに、かつ効果的に人々の注意を引くことができるから。それを目にしないわけにはいかないし、読まないわけにもいかない」

サンフランシスコを拠点とするアーティスト、ミシェル・プレッドは、ハイウェイの看板に女性の服などを用いた作品でリプロダクティブ・ライツを訴えてきた。ナンシー・ホフマン・ギャラリー(ニューヨーク)で予定されている展覧会では、妊娠中絶薬の入手に関する情報を広めることを狙いとしているという。「私たちは、この国の全ての体、全ての女性の体のことを考えなければならない」

エガートやラッセルをはじめとする多くのアーティストの政治的な作品に込められたテーマは、相互につながり合っている。

エガートはこう言う。「私たちの体、私たちの未来、私たちの中絶の権利。どれか1つが欠けてもダメなんです」(翻訳:清水玲奈)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年5月4日に掲載されました。元記事はこちら

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