障がい、創造、連帯。ソフィ・カルやデヴィッド・ホックニーら100名が集結した大規模展をレビュー
100人近い出展アーティストを集めた大規模な障がい者アート展が、アメリカ・カリフォルニア州のサンディエゴ現代美術館で開催されている。フェミニズムやテクノロジー、薬物中毒などの社会的テーマを織り混ぜたこの企画展をレビューする。

「私たち全員が、人生で病気や障がいを経験している、あるいは経験することになる」
サンディエゴ現代美術館で2月2日まで開催中の展覧会「For Dear Life: Art, Medicine, and Disability(全力を尽くす:アート、医療、障がい)」に掲示された説明文には、こう書かれている。この文章が示すように、同展は障がい者アートを幅広い視点から捉えようとしている。参加作家には、障がい者であることを公言し、障がい者の権利を求める運動に沿った作品を制作するアーティストもいれば、病名や障がいの詳細が伏せられているケースもある。
フェミニズムからホックニーまで幅広い展示作品
展覧会の最初のセクションでは、身体をテーマにした1960年代のフェミニズム・アート作品が紹介され、イヴォンヌ・レイナーが片手の動きを病床で撮影した7分のビデオ作品《ハンド・ムービー》(1966)が冒頭に展示されている。ここでは、フェミニズムがアーティストたちに身体的経験や身体の差異による抑圧と向き合う場、そして、一般化も理想化もせず、ありのままの混沌としたそれぞれの身体を表現する場を与えたことが語られている。

「For Dear Life」展でも特にパワフルな作品が並ぶこのセクションは、壊れやすさを秘めた物質性が中心的なテーマになっている。その1つが、穴開けパンチで打ち抜いた小さな円がカンバス一面に散りばめられたハワルデナ・ピンデルの作品だ。ピンデルは1979年の交通事故による脳障がいから回復する過程で個人的な写真や絵はがきを作品に取り入れ、記憶を少しずつ再構築していった。展示には、こうした障がいの体験を創作の糧としたビヴァリー・ブキャナン、リン・ハーシュマン・リーソン、ティシャン・スー、ファニタ・マクニーリーなど、100人近いアーティストの作品が並ぶ。

それに続くセクション以降はテーマ別と年代別が入り混じった構成になっているため、やや混乱する。その中で特に印象深いのが1980年代の展示で、AIDSやがん、医療の進歩など、この時代を反映する「テクノロジー化した身体」に関する作品が集められている。
活動家グループACT UPのレイ・ナバロが使用していた移動補助器具を撮影したゾーイ・レナードの写真と並ぶのは、1986年に制作されたティシャン・スーの作品。壁の説明文には、腎臓病と診断された後、医療技術が進歩するまで頑張れと言われたと書かれている。スーにとって大きな転機となったこの体験は、その後数十年にわたって彼が作り続けたみすぼらしいサイボーグのような絵に色濃く反映されている。
その近くにあるデイヴィッド・ホックニーの《Breakfast with Stanley, Malibu(スタンリーとの朝食、マリブ)》(1989)は、白黒印刷のコピー用紙を格子状に並べた作品だ。ホックニーは1979年に聴力を失った後、ファックスを「耳の不自由な人の電話」と呼び、頻繁に友人へドローイングを送信していた。それはやがて、多数の用紙を貼り合わせた大規模なファックスアート作品に発展する。
障がい者の連帯を促進するアートの力
ここに集められた作品の幅広さは、長所でもあると同時に短所でもある。美術史において、またありとあらゆる創造的活動において、障がいが創造を促す中心的な役割を果たしてきたことに注目が集まるのは心強い。キュレーターのジル・フランクとイザベル・カッソがそうした作品を数多く見せてくれているように、障がい者アートの役割を示す事例は尽きることがないとさえ思える。
しかし、コンセプトの拡大には希薄化して意味をなさなくなるリスクもあるため、微妙なバランスが要求される。おそらく、全てのアーティストは何らかの病気や障がいを経験するだろうが、その経験は生活面でも芸術面でも千差万別だ。私は「Disability(障がい)」という言葉をタイトルに掲げる展覧会に出展を依頼されたアーティストたちが、どう反応したのかが気になった。時代はようやく変わりつつあるのかもしれないが、障がいを経験した人が全員、自分を障がい者だと思うわけではない。
この違いは重要だ。なぜなら、「障がい者」という言葉を自分に当てはめるのは、障がい者であるのは恥ずべきことという見方を拒否する手段であり、さらに、共通の言語を用いることは連帯を形成するのに役立つからだ(「クィア」という言葉を再定義することによって連帯が形成されたように)。また、バリアフリーでない建物、高額な医療費、汚染された水や空気といった社会構造が、障がいを不均等に引き起こし、悪化させる原因となっていると指摘している点も重要だ。それぞれの診断は個人の身体にのみ関わるものだが、障がい者という旗印のもとに団結することで、障がいは政治的な問題として捉えられるようになる。
もし、障がいに言葉を与えた果敢なアーティストたちがいなければ、アート界が耳を傾け、今回のような展覧会が実現することはなかったろう。それを可能にしたのは、キャロリン・ラザード、パーク・マッカーサー、クリスティン・ソン・キム、コンスタンティナ・ザヴィツァノス、リヴァ・レーラー、ジョセフ・グリグリーなどの作品だ(少しでも助けになればという私の思いから、アーティストの名前をできるだけ多く記した)。

障がいは現代アートにおける創造の原動力
「For Dear Life」展で力強いメッセージを発しているのは、障がいがもたらす働き方や生き方に変化を与えるような作品だ。それらは、障がいそのものをテーマとし、必ずしも反障がい者差別の立場を取らない作品とは対照的だと言える。この展覧会で唯一、そうした緊張関係をはらんでいるのが、ソフィ・カルの《The Blind(盲目の人々)》(1986)と、ジョセフ・グリグリーによる反論《Postcards to Sophie Calle(ソフィ・カルへの絵はがき)》(1991)を並べた展示だ。聴覚に障がいのあるグレグリーは、ソフィ・カルに対する一連の質問を通して、生まれつき目が見えない人々の経験を「盲人の声というより、ソフィ・カルの声」として感動的な物語に変えてしまったと、穏やかに、しかし鋭く批判している。

この展覧会は、人々を連帯させる役割を果たしているという点が素晴らしい。たとえば、薬物乱用を障がいと位置付けて扱うセクションでは、それぞれ異なる状況を超えた連帯が促される。ナン・ゴールディンがオピオイド中毒の入院治療を受けているときに撮影したセルフポートレート(2002)のそばには、2018年に彼女がアートフォーラム誌に寄稿し、自身の経験を詳細に語った文章が掲示されている。このとき大きな反響が寄せられたことで、ゴールディンは初めて自分が孤独ではないと気づいたという。こうしてコミュニティを見つけ、活動家グループPAIN(Prescription Addiction Intervention Now:処方薬中毒への介入を今)を立ち上げた彼女は、その後、サックラー家の名を多数の美術館から削除することに成功した(*1)。沈黙を破って偏見に立ち向かうことが、コミュニティを形成し、連帯を実現する第一歩となることを、ゴールディンの事例は明確に示している。
*1 サックラー家が創業したパーデュー・ファーマ社は、中毒性のある鎮痛剤「オキシコンチン」の販売でオピオイド中毒の蔓延を招いたとして訴訟の対象となった。サックラー家は大手美術館に多額の寄付をしていたため、その名が展示室などに掲示されていた経緯がある。
「For Dear Life」展は、障がいが現代アートの創造的な原動力として果たしてきた大きな役割を浮き彫りにしている点で意義深い企画と言えるだろう。一方で、方法論的なブレという欠点もある。この展覧会では、現代の政治的な障がい者アート運動を生み出した歴史的系譜を物語ると同時に、障がいは必ずしも政治的な経験ではなく、身体的な経験としてどこにでも存在するという理論的根拠を示そうとしているようだ。しかし、歴史と理論の両方を扱うことが、どっちつかずに終わっている。また、展覧会を見た人に、参加アーティストが皆、同じ言語や信念を共有しているという誤った印象を抱かせる可能性もある。それでも、この展覧会に示された障がい者アートの系譜は、見る者を謙虚な気持ちにさせると同時に、行動を呼び起こす力を持っている。(翻訳:清水玲奈)
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