砂糖菓子は甘いだけじゃない──美醜のはざまに広がる川井雄仁の作品世界

砂糖菓子のような甘く軽やかな仮面を被った川井雄仁の作品は、しかし「グロテスク」と表現されることも多い。茨城県笠間市を拠点に、国内外で精力的に発表している川井作品の二律背反性はどこから来るのか。作品の背景にあるコンセプトやこれからの挑戦について話を聞いた。

ガンモとかポルノスター、ドラゴンボール、浜崎あゆみ、西武新宿ライン、ユニクロ、ナイキ、Make America great again、ガチャピン in ムック、Space Oddity、Yoji Yamamoto in the 90s、佐内正史&セブンスター、マルジェラ、Can You Keep a Secret、アナベル・チョンのこと、Kamikaze、シネマライズ……。

例えばこれが連想ゲームだとして、こうした言葉の連なりから、あなたはなにを思い浮かべるだろう? 

川井雄仁の作品タイトルを眺めるのは、少なくとも私にとって、決して完全には美化されることのない、思い出すには居心地が悪すぎる、けれど自分にとって重要な意味を持つことは自覚している記憶の蓋を開けるような行為に似ている。未熟で、早熟で、内気で、頑固で、有り余る体力と時間を持て余していて、焦燥し、破壊的で、繊細で、煩悶し、享楽的で、怖がりで、無知で、頭でっかちで……それは「矛盾に満ちた、しかしキラキラ輝くユース時代の思い出」ということになるのかもしれないし、「モラトリアム」という言葉がうまく説明してくれるのかもしれない。

そしてその感覚は、砂糖菓子のようなかわいさと、タブーに触れたときのようななんとも言い難い居心地の悪さが同居する川井雄仁の作品に出会うという経験そのもの、とも言える。

茨城県笠間市で生まれ育った川井は、巨大なラグジュアリーコングロマリットに飲み込まれる前の創意と刺激に満ちた90年代のファッションに大きな影響を受けた。ファッションへの憧れからアートの世界に導かれ、イギリスのチェルシーカレッジオブアーツでファインアートを学んだが、当時を振り返って川井はこう語る。

「地元茨城のコミュニティには幼い頃から馴染めないと感じるところがあって、都会的な何かに対する憧れが大きくなっていきました。でも、ロンドンに行ったら行ったで、ぼくはあくまでアジア人でマイノリティで、やはりヨーロッパの輪には入れない感覚があった。どこに行っても『属せない感じ』は消えませんでした」

そして帰国後は、ものづくりから遠ざかった。そんな彼を再び創造する行為へと向かわせたのが、地元笠間の陶芸であり、土の「融通の効かない」面白さだった。

「自分が作りたいと思ったものがすぐできちゃうと、すぐに飽きてしまう性分。思い通りにいかないと悔しいけれど、だからこそ続けていられる」

アーティストとして本格的に活動しはじめたのは2018年だが、その作品はロエベ財団のコレクションにも収蔵され、アート・バーゼル・マイアミビーチをはじめ国内外のアートフェアや企画展で精力的に作品を発表している。現在は、東京のKOTARO NUKAGAでのグループ展を終え、ローマのギャラリー、アンドレア・フェスタで二人展に参加している川井に、創作の背景にあるストーリーを聞いた。

制作はスケッチから始まるという川井。人工的でポップな色合いを用いることが多いが、「最初からこの色を使うぞ、というのは決まっています」。

土には別の人格が宿っている

──イギリスのチェルシー・カレッジ・オブ・アーツでファインアートを学ばれたあと、どんなふうに陶芸と出合ったのでしょうか。

ほぼ偶然と言ってもいいかもしれません。チェルシーを卒業して帰国した後は、東京でサラリーマンとして生活していました。でも、そういった生活を送っていても満たされないものがあり、一度、地元の茨城県に帰ることにしたんです。帰った当初は作品を制作するつもりはなく、地元が陶芸で知られる町だったこともあって器屋さんを開こうと考えていたのですが、それには陶芸の知識も必要だということで、無料で学べる茨城県立陶芸大学校に通ってみることにしたんです。

──陶芸大学校では、いわゆる器づくりを教わったのですか。

実はちょうどぼくが入学した時に学校側の方針が変わり、陶器というよりアートとしての陶芸に重きを置くことになったんです。でも、当時は自分のなかでアートと陶芸のつながりを見いだすことができず困惑しました。

でも、単に自分の思い描いたコンセプトを再現するためだけの材料としてしか捉えていなかった土を扱っていく中で、次第に、土には別の人格が宿っているような感覚になったんです。自分の思い通りに造作できず苛立つこともありましたが、その融通の利かなさに魅せられた。コンセプトを具現化することだけに執着していたら気づかなかった、土そのものの面白さを発見したんです。思い通りにいかないから、完成するたびに悔しさを感じることもありますが、ぼくは性格的に、自分が作りたいと思ったものがすぐできちゃうと飽きてしまう。思い通りにならないというところに、中毒性があると言えるかもしれません。

《In the Closet》(部分)には、オルゴールの人形部分がくっつけられている。「平凡な日常に彩りを添えるオルゴールは、その意味で、所有者とウィンウィンの関係。この人形をくっつけたのは、自分の作品とそれを見る人との上下関係をフラットにしたいという思いもあった」と語る。

──作品のタイトルを見ると、1990年代を題材にした作品が多いですね。90年代は私にとってもまさに青春で、高校生の頃の自分の感覚や体験が、川井さんの作品のタイトルを通じて蘇ってくるのは、すごくエモい経験です。

例えば、ベルギーのアントワープで最初に展示した《Tonight Tonight》という作品は、ファッションデザイナーのラフ・シモンズ(現プラダのクリエイティブディレクター)が初めて開催したショーに使用したスマッシングパンプキンズの楽曲からタイトルを拝借しています。

──ラフ・シモンズといえば、「アントワープ6」の一人ですね。

ラフを知ったのは、ぼくが中学生の頃によく見ていたテレビ番組「ファッション通信」がきっかけでした。当時、デビューしたばかりの若きシモンズが、自らの気持ちを服というメディウムを用いて独創的な世界観として表現していることに衝撃を受けたんです。アントワープはぼくの青春時代そのもの。「アントワープ6」でいうと、ラフ以外にもベルンハルト・ウィルヘルムやマルタン・マルジェラに影響を受けた作品も制作しています。

──ファッションをきっかけに、アートへの興味が深まっていったんでしょうか?

きっかけはファッションだったんですが、例えば「アントワープ6」のメンバーはそれぞれに表現は違っても、非常にコンセプチュアルなアプローチをとっていました。そんなファッションの背景にある様々な文化や思想などを深掘りしていくうちに、現代アートに対する興味がどんどん膨れていったんです。だから、《Tonight Tonight》などもそうですが、制作しながら過去の自分の精神の回収作業をやっているような感覚があります。

「古着のスウェットにプリントされたドナルドダック」が手を振る《Tonight Tonight》。

──川井さんの作品の多くは、細かいドットや渦巻き状のパーツなどで装飾されています。それらの一部は体液を彷彿させるドロッとした釉薬で覆われていたり、塊が無秩序に融合したり溶けている。装飾は、まるでケーキのデコレーションに使われる砂糖菓子みたいな雰囲気もありますが、可愛いだけでは済まされない毒々しさも感じます。

例えば写真をコピーすると、急にクオリティが下がって、安っぽさというか週刊誌っぽい感じが出るじゃないですか。そういうフィルターがかかることによって、何て言うんだろうな、どこか大衆化されていくというか、実体からちょっと距離が出るというか。装飾を施すのには、そういう感覚があるような気がします。

でも、装飾を加えていく過程で、過度に没入してしまう瞬間があるんです。手を動かしてるうちに、意図していなくても勝手に規則性が生まれてくる。あくまで装飾的なアクセントとして加えはじめたものが、作品全体を支配してしまうような、主従が逆転してしまう瞬間がある。それでふと我にかえって、慌ててその規則性から脱出するというようなことを繰り返している感じです。

──装飾という点では、ドナルドダックやアリエルといった、誰もが知るキャラクターが上部に乗っている作品も多いですね。川井さんの作品は総じて「とっつきやすい」ものではない。そこに大衆的なアイコンを「トッピング」するのは、どうしてなのでしょうか?

キャラクターを乗せるアプローチを何がきっかけで始めたのかは自分でも定かではないのですが、多分、90年代から2000年代のジョン・ガリアーノのクレイジーな作品世界に影響を受けたのもきっかけの一つとしてあるかもしれません。デカダンでゴージャスな世界観だけど、わざとどこかにキッチュな要素が追加されていたりする。

そのキッチュな要素としてぼくがキャラクターを選択するのは、みんなが知っているアイコンを付け加えることで、より多くの人に受け入れてもらえるんじゃないか、という期待の表れなのかもしれません。本物のクマはどう見ても怖いけど、キャラクターになれば超可愛いって言ってもらえる、みたいな。バンクシーの、動物のぬいぐるみをトラックに詰めて街を走る作品があるじゃないですか。あれがもしリアルな動物だったら、すごく怖いし目を背けたくなるだろうけど、ぬいぐるみであるからこそ動物が暗示するものに感情移入したり共感することができる。むしろ人工的なものの方が共感できるのかもしれないし、デフォルメされていると心を開きやすいのかもしれません。

《Heart on Wave》と題された作品(一部)。アリエルとともに日本の国旗を加えたのは、「社会とのつながりを持たせたかった」から。

──2023年に金沢で開催された「Go for Kogei」にも出品されていました。展示方法にもこだわったのことですが、どういう展示だったのでしょうか。

会場の2階を全て使わせて頂いたんです。ぼくのことを知らない人も多数いらっしゃるだろうと思ったので、作品ができあがるまでの制作過程、自分の脳や精神の内側で何が起きているのかを見てもらおうと考えました。具体的には、暗い部屋の中心にこの作品を置いて、背景にはインスピレーションとなった雑誌の切り抜きやデッサンを貼って自分のスタジオを再現したんです。鑑賞者にはペンライトを渡して、ぼくの脳内を覗き見するような感じで見てもらうようにしました。制作現場を再現するって、ある種、セルフパロディ的な行為だと思うんですが、同時にそこにはナルシシズム的な要素も強くあると思います。

──脳内を覗き見されるのは、あまり心地いい経験とは言えなさそうですね。

もちろん嫌です(笑)。でも、ぼくの作品は表面のテクスチャーや色から「お菓子みたい」と言われることが多くて。もちろん、受け手の印象をコントロールすることはできないので、それはそれでいいのですが、例えば「神風」がテーマの作品を「お菓子みたいでかわいい!」と言われると、正直ちょっと複雑な気持ちになります。だから表面に惑わされず、もう少しぼくの内面を知ってほしいという気持ちがあったのだと思います。

──知ってほしいけど、本当の意味では知って欲しくない、というような複雑な感情のせめぎ合いのようにも感じました。大衆的でキャッチーなモチーフを作品に取り込みつつ、そして砂糖菓子的なポップな色をまとわせつつも、どこかいつもメインストリームに対するアンチテーゼのような意図を感じるのは考えすぎでしょうか?

ぼくは純粋なコンセプチュアル・アーティストではありませんし、高尚な思想や哲学を参照しながら作品を作っているわけでもない。ファインアートのなかでもインディーズなのかな、とは思います。邦楽に例えると、Glayや宇多田ヒカルに憧れるけど、決してそうはなれないというか。浜崎あゆみの「SURREAL」に、「背負う覚悟のぶんだけ可能性を手にしている」という歌詞があるのですが、それに照らすと、ぼくは覚悟を背負い切れていないんだな、といつも思ってしまうんです(笑)。メジャーに対する憧れやそこに近づきたいという気持ちはあるけれど、自分は少し違うんだろうな、とも感じてしまう。

幼い頃から、地元のコミュニティに属せていない感覚があって、東京やロンドンという都会に憧れました。でも、ロンドンに行ってもイギリス人の輪には入れないし、東京でも同じ疎外感を感じました。どこに行っても「属せない感覚」はつきまとう。そういう感じが表れているのかもしれません。

溶けていくアイスクリームに飲み込まれるようにキティちゃんが配された作品《シネマライズ》(部分)。

──ご自身の作品はよく「グロテスク」と表現されますが、それに対してどう思ってらっしゃるのでしょうか。

きれいなものとグロテスクなものの境界って、結局わからないですよね。例えば、外見を美しくするためにどれだけスキンケアやメイクを頑張っても、皮膚を剥いでしまうと人間すべて不気味です。美に対する社会規範や理性を超えてグロテスクなものに惹かれ、それに意味を見出して美しいと感じることができるのは、人間のすごい能力だと思います。

──川井さんは、「美しい」ものを作りたいという思いはあるのですか?

美しさにもいろいろありますが、ベースの部分では、外見的に美しい作品を作ることに興味はまったくありません。でも、一応美術を作っているので、ものとして美しくないものは嫌いなんだと思います。ただ、皆が共通して「美しい」と呼ぶものでなくてもいい。

──その言語化し難い「美しさ」を具現化する中で、美醜の境界というか、作品として成立するか否かの境界はどこにあるのでしょう?

作品を制作するときは、もちろん「目指したいもの」を思い描きながらつくっているのですが、それが必ずしも正しいわけでもない。だからいつも、作品が完成したら少し距離を置くようにしています。最初は失敗だと思った作品でも、半年ぐらい経って改めて見たら「これはこれで美しいかもしれない」と思うことも少なくありません。なので「作品」として成立しないかもしれないと思ったものでも、捨てずに残しておくことが多いですし、焼成してみて修復不可能なほどに崩れてしまった場合は、そのパーツを他の作品に用いることもあります。

──これから挑戦してみたいことはありますか?

陶芸には、一つの作品が完成されるまでにたくさんの製作のプロセスがあり、時間がかかります。アイデアが浮かぶスピードと実際に作品制作にかかる時間の乖離は、時々もどかしく感じますが、そういった時差にも意味があると思う一方で、もっとタイムリーに、より多く、今の社会問題に呼応する作品を作りたいという焦燥感に駆られることがあります。その意味で、制作における様々なフラストレーションや欲求に瞬発的に反応できるような表現方法も模索していきたいと考えています。

とはいえ、本格的に作品を作るようになったのは2018年以降なので、今は何より制作活動を続けて自分をどんどんアップデートする必要があるとも感じています。今後は、樹脂を繊維で強化した複合材のFRPなど樹脂を用いた3Dプリントなど、異なる素材や技術にも挑戦しながら、さまざまな可能性を模索したいと思っています。

Photos: Tohru Yuasa Text & Edit: Maya Nago, Naoya Raita

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