『出エジプト記』の「3日間の闇」は巨大火山噴火だった? ファラオの最新調査が歴史覆す仮説を導く

イスラエルとオランダの研究チームが、古代エジプト新王朝の創始者アモセ1世の治世が、サントリーニ島のティラ火山噴火から数十年後の紀元前16世紀後半に位置づけられることを明らかにした。さらに研究者らは、『出エジプト記』に描かれる災い「三日間の暗闇」が、この巨大噴火に結びつく可能性を指摘し、同書の成立時期を読み解く新たな手がかりになるとみている。

アモセ1世の頭部像。ニューヨーク・メトロポリタン美術館蔵。Photo: Metropolitan Museum of Art

ベングリオン大学のヘンドリック・J・ブルーインス教授とフローニンゲン大学のヨハネス・ファン・デル・プリヒトによる最新の調査で、これまで不明とされていた古代エジプト第18王朝(新王朝)のファラオ、アモセ1世の統治時期は、サントリーニ島のティラ火山噴火の数十年後、紀元前16世紀後半と特定。調査結果の論文をPlos One誌に発表した。

クレタ島の北約120キロに位置するサントリーニ島のティラ火山は、紀元前1500年頃に大規模噴火が起こったと考えられており、その時に飛んだ軽石は、現代のイスラエルとエジプトの両方で発見されている。一方でアモセ1世は、古代エジプトの数世紀にわたる混迷期を統一し再び繫栄を取り戻し、新王朝(紀元前1570頃-紀元前1070頃)を拓いた王として知られる。彼の治世下の遺物である「嵐の石碑」には、火山噴火を指す可能性がある気候変動現象が記されていた。

アモセ1世時代にティラ火山は噴火したのか。これらの関連性を解明するため、研究チームは大英博物館とロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ、ペトリー博物館(エジプト・スーダン考古学)に所蔵されているアモセ1世の関連遺物、そしてティラ火山噴火により炭化した種子や枝に対して放射性炭素年代測定を実施し、結果を比較した。

今回の調査で最も役立った遺物は、1900年頃にイギリス人考古学者たちがエジプト南部のアビドスにあるアモセ神殿で発掘した泥レンガだった。レンガについて、論文の筆頭著者であるヘンドリック・J・ブルーインスは、タイムズ・オブ・イスラエル紙の取材に対して、次のように話した。

「このレンガにはアモセという名のほかに、アモセ1世の即位名である『ネブペティレ王』の刻印が記されていました。古代エジプトにおいて、アモセは非常に一般的な名前であり、他のファラオもこの名を使っていましたが、この即位名のおかげで、アモセ1世と特定することができたのです」

研究者らは、煉瓦の中から、補強剤として加えられた藁の断片を採取した。この断片を放射性炭素年代測定にかけたところ、紀元前1517年または1502年頃のものと判明した。

アモセ神殿には、エジプトが再統一され、第18王朝が興る前に起こったアモセ1世とヒクソス王朝との戦いを描いた場面が刻まれている。したがって、この煉瓦は彼の治世の初期に遡るものだ。

研究チームはまた、アモセ1世とその息子アメンホテプ1世の治世下でテーベ市長を務めた人物の墓から見つかった木彫りのシャブティ(人間像)6体を調査した。すると、泥レンガの年代とほぼ一致した。

それらの調査結果と噴火関係の炭化物の年代を比較した結果、アモセ1世の治世は紀元前16世紀後半で、ティラ火山噴火はアモセ1世の治世よりも60〜90年早く発生していたことがわかり、「嵐の石碑」が指す現象は別の気候変動である可能性が高いと結論づけられた。

さらに研究者たちは、一説には紀元前13世紀頃に書かれたと言われる『出エジプト記』に登場する災害「3日間の暗闇」を地質学的に説明できるのは巨大火山噴火のみであり、年代的に考えるとティラ火山噴火が該当すると主張している。もしそれが事実であれば、歴史的大発見となる。これについてブルーインスはTHE ARCHAEOLOGISTの取材に対し、「確固たる事実として証明しなければならず、現在その発表に向けて取り組んでいます」と述べた。(翻訳:編集部)

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