訃報:ポップ・アートを論じ、マグリットの伝記を書いた美術評論家、スージー・ガブリクが死去
美術評論家でアーティストのスージー・ガブリクが、長い闘病生活の末、米国バージニア州ブラックスバーグの自宅で亡くなった。享年87歳。ガブリクは、モダニズムの終焉と、より精神的で新しいスタイルのアートという両極端のテーマに取り組んだことで知られ、ポップ・アートに関する重要な書籍を世に出している。
ニューヨーク・タイムズ紙で美術評論を執筆し、ガブリクの親しい友人でもあったデボラ・ソロモンは、その逝去にあたってメールで次のようなコメントを寄せた。
「スージーは褒めることに関しては天才的で、多くのアーティストの精神的な支えになった。見返りを求めず、カルチャーから吸収したアイデアをとことん突き詰めて考えていた。著書の『Has Modernism Failed?(モダニズムは失敗だったか?)』で、アートは社会変革や環境保護に貢献するべきだと主張したが、これは驚くべき先見性だと言える。アーティスト仲間の多くから嫌われもしたが、後悔せずに自分の道を歩んだ人だった」
米国版ARTnewsやアート・イン・アメリカ(Art in America)誌に掲載された論評で早くから名声を得たガブリクは、1960年代後半からさまざまなテーマに関する本を執筆。著書の多くは、ニューヨークのアート界で広く話題となり、時にはアート界以外でも論争の的になった。70年代から90年代にかけてもアート・イン・アメリカ誌で批評を続けている。
50年代から60年代には、アーティストのロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズ、レイ・ジョンソンなどと親交を深め、急激に成長し変化するニューヨークのアートシーンの中心的存在になっていった。彼女の交友関係は長く続くものが多い。
ラウシェンバーグとジョーンズを引き合わせ、恋人関係になるきっかけを作ったのはガブリクだと一部で言われているが、「アート・イン・アメリカ 2016アーカイブ」のインタビューで、本人は記憶がないと言っている。
ガブリクの処女作『Pop Art Redefined(ポップ・アートの再定義)』(1969)は、ポップ・アートを取り上げた初期の解説書の1つだ。彼女が6年間恋愛関係にあった評論家のジョン・ラッセルとの共著で、ロンドンのヘイワード・ギャラリーでの展覧会と同時に出版された。
ガブリクは上述のインタビューで、ポップ・アートのムーブメントについてこう語っている。「それまで見たこともないようなものだったし、楽しくて、ちょっと変わっていて、面白い時代だった」
今では美術史上の重要な著作とされているが、刊行当時の『Pop Art Redefined』は万人に賞賛されたわけではない。映画に関する著作で知られる学者のアネット・マイケルソンは、ニューヨーク・タイムズ紙の書評欄でガブリクを批判。美術様式の「境界のあいまいさ」がガブリクの手抜きを招き、ジョーンズなどポップ・アートと関係ないアーティストまで取り上げていると書いている。
ガブリクは1934年9月1日生まれ。ニューヨークで育った幼い頃、父親に連れられて美術館に行き、早くから美術に興味を持つようになった。10代になるとノースカロライナ州の有名なブラック・マウンテン・カレッジに入学。アバンギャルドな教育を行い、アートをそれまでとは違う新しい方向へと押し進めた学校だ。ガブリクはブラック・マウンテンで抽象表現主義の画家、ロバート・マザーウェルの講義を受けている。
「カレッジには2カ月しかいなかったけれど、あの普通ではない環境の中で、自分の家ではなかなか受け入れられなかった破天荒な自分が表に出るようになった」と、ガブリクは回想している。その後、ニューヨーク市立大学ハンター校で美術と文筆を学ぶ。そこで再びマザーウェルに師事し、卒業後も親交は続いた。
そして、当時ルネ・マグリットの作品を数多く所有していた既婚のコレクター、ハリー・トルツィナーと不倫関係になる。トルツィナーがマグリットにガブリクと会うことを打診したところ、マグリットは彼女に手紙を書き、2人は文通という形で親交を深め、ついにはガブリクが英語では初めてのマグリットの伝記を書くことになった(彼女は取材の間、ベルギーでマグリットと9カ月も生活を共にしている)。伝記が出版されたのは、『Pop Art Redefined』から1年後の1970年のことだった。
著作活動の間にも、ガブリクは雑誌の切り抜きを使ったコラージュ作品を作り続けていた。70年代の作品には、虎が唸り、羊があてもなく歩き回るエデンの園のような風景を描いたものもある。また、アーサー・ダヴやジェイコブ・ローレンスといったアーティストを有名にしたニューヨークのディーラー、テリー・ディンテンファスと展覧会を開くこともあった。
マグリットの伝記や『Pop Art Redefined』に続いてガブリクが取り上げたのは、人によっては時代遅れに映るテーマだった。77年の『Progress and Art(進歩とアート)』は古い様式が新しい様式に移り変わる理由を理解しようとする深い思索の論考、84年の『Has Modernism Failed?(モダニズムは失敗だったか?)』は、20世紀前半の美術がどこに行き着いたかを突きとめようとする挑発的な評論だった。
後者は、ますます商品化が進むアート界を嘆き、美術における精神性の欠如を懸念するものだったが、これには異議が噴出した。
ディーラーのユージン・V・ソーは、ニューヨーク・タイムズで「歴史上最も豊かな時代の1つが生み出した、視覚的で知的な内容への言及が欠けている」と激しく批判。また、作家のフレデリック・トゥーテンはアートフォーラム誌で「だから何だというのか?」と酷評している。
それでもガブリクは自分の考えに忠実だった。その後、『The Reenchantment of Art(アートの再魔術化)』(1991)や『Conversations Before the End of Time(終末の前の対話)』(1995)などの著書でも繰り返し持論を述べている。
ガブリクがアート・イン・アメリカで執筆していた当時の編集者、エリザベス・C・ベイカーは、メールでこう述べている。「彼女は世間一般における美術の道徳と倫理を根気強く分析し、その情熱は生涯にわたって続いた」(翻訳:岩本恵美)
※本記事は、米国版ARTnewsに2022年5月12日に掲載されました。元記事はこちら。