「ことば」とアートについての考察──ジェニー・ホルツァーの最新展示に覚える違和感を紐解く
ジェニー・ホルツァーは、1970年代から格言のような自作の短文を用いた表現で高く評価されてきた。現在ニューヨークのグッゲンハイム美術館で開催されている彼女の個展「Jenny Holzer: Light Line」から、ソーシャルメディアで言葉の暴力や歪曲が横行する今の時代における、「ことば」を用いた表現について考える。
35年前の「格言」はいま、どう響くのか
今、グッゲンハイム美術館の吹き抜けにあるらせん状のスロープに設置された全長270メートルのLED電光掲示板には、さまざまな短文が流れている。その中の1つが、「OUR TIMES ARE INTOLERABLE(私たちの時代は耐え難い)」というもの。40年前のジェニー・ホルツァーの作品にも登場したこのことばに異議を唱えるものはいないだろうが、それは同時に、当時から状況はほとんど変わっていないことを示している。少なくともホルツァーにとって、21世紀になっても社会は一向に良くなっていないというわけだ。
1989年にグッゲンハイムで行われた回顧展でも、ホルツァーは、らせん状スロープに取り付けた電光掲示板と短文を用いた作品を展示し、評論家たちは美術館の壁を新しいコミュニケーションツールに変えた彼女を称賛した。それから35年経った今回の展覧会で、ホルツァーは同じ作品をAI(人工知能)や新しいデジタル効果を活用してアップデートしている。
作品タイトルは、《Installation for the Solomon R. Guggenheim Museum(グッゲンハイム美術館のためのインスタレーション)》(1989/2024)。1989年当時は、証券取引所を思わせる電光掲示板に、緑、赤、黄色の短文が流れていた。新作でも複数の色でことばが表示されるが、たとえば青い文字列が一瞬分解されて青い画素のゆらめきになったように見え、また元に戻るというような効果が加えられている。しかし残念ながら、テクノロジーは新しくなったものの、昔とほとんど変わらないそのことばは、かつてないほど時代遅れに感じられるのだ。
ホルツァーの提示する「格言」は、奇妙な助言のようにも、陰湿な指令のようにも感じられる。「STARVATION IS NATURE’S WAY(飢餓とは自然の摂理)」、「THE BEGINNING OF THE WAR WILL BE SECRET(戦争は秘密裏にはじまる)」、そして有名な「PROTECT ME FROM WHAT I WANT(私の欲から私を守って)」など、1970年代に制作を開始した「自明の理(Truisms)」シリーズの文章から感じたのは、欲望は退屈で、戦争は絶え間なく続き、誰も信用できないという疲弊だ。
50年前に「自明の理」シリーズに取り組んだホルツァーは、広告によく使われる書体で自作の短文をポスターに印刷して街頭に貼り出したり、Tシャツにプリントしたりして耳目を集めた。それは、街角の掲示板やメディアで目にする権力者の言語を用いて、中身のない言葉の裏に隠された不正を白日の下に晒そうという試みだった。「ABUSE OF POWER COMES AS NO SURPRISE(権力の乱用は驚くべきことではない)」という文章がプリントされたタンクトップ姿の小柄な女性の写真が話題になったのは、それが的を射ていたからだろう。
しかし、ホルツァー作品の特徴であるクールさ──冷ややかな内容と見た目の美しさ──は、今となってはあまりに表層的で、不適切にさえ感じられる。彼女が提示するたぐいの言葉はソーシャルメディアにあふれ、日々流れ続けている。ホルツァーのアートを見るまでもなく、権力の仕組みを理解するにはX(旧ツイッター)かTikTokで十分だ。グッゲンハイム美術館を埋め尽くす今回の大規模な展覧会では、かつては確かに偉大なアーティストだったホルツァーが方向を見失い、その冷ややかなメッセージを新しい時代に向けて進化させられなかったことが露わになっている。
SNS投稿の「切り取り」を再生産すべきでない
とはいえ、ホルツァーはインターネットが言語に何をもたらしたかは理解しているようだ。近年の作品の1つ《Cursed(いまいましい)》(2022)では、不揃いな形の劣化した金属板が壁に並べられたり、床に山積みに置かれたりしている。板に刻まれているのは、ドナルド・トランプ前大統領がツイッター(当時)に投稿した様々な内容で、中には大統領選へのロシアの介入から2021年1月6日に起きた議事堂襲撃事件時のものもある。ツイッターのシンプルな見た目とは対照的な錆びた金属板は、文明が滅びた後の遺物を思わせる。
ホルツァーの意図は、「自明の理」シリーズと大文字だけで書かれたトランプの大げさな投稿内容は地続きだと示すことにあるのかもしれない。しかし、だからといってどんな意味があるのだろう? 2016年と2020年の大統領選挙を実際に体験した人なら、トランプの暴言の非情さをわざわざ思い出させてもらう必要などないのだから。
性差別や人種差別、外国人嫌悪に満ちた言葉を撒き散らし、多くの人を傷つけたトランプは、《Cursed》が制作されたのと同じ年に、一時ツイッターを凍結されている。皮肉なことに、ホルツァーが2022年にこの作品をハウザー&ワースで展示した期間は、トランプアカウントの凍結時期と重なっていた。つまり、ツイッター側が危険すぎると判断して凍結措置を取ったときにも、この作品のおかげでトランプの投稿を見ることができたのだ。
しかしホルツァーは、トランプ自身の言葉を用いるだけで、批評的なアプローチを取ることはない。5月17日から開催されているグッゲンハイム美術館のホルツァー展が大統領選投票日のかなり前、9月29日に終了するのはある意味ラッキーだと言える。
グッゲンハイムの展覧会でトランプ政権に言及している作品はほかにもある。たとえば、金箔が貼られた大型の絵画シリーズ「stake in the heart(心臓に杭を)」(2024)では、それぞれの作品にトランプ政権の首席補佐官だったマーク・メドウズとトランプとの1月6日(議事堂襲撃事件の当日)のやりとりの一部が書かれている。また、襲撃事件の前に側近がトランプに渡したメモを基にした《READY FOR YOU(準備完了)》(2023)は、作品タイトルを含む文が書き込まれたホワイトハウスのメモを模したもので、全体に金箔が貼られた上にメッセージが書き込まれている。
これらの作品では、宗教画を思わせる金箔と忌まわしい文言とのミスマッチが、暗く不穏な雰囲気を醸し出している。そういう意味では目を引くが、同時に大きな問題をはらんでいるとも言える。なぜならホルツァーは、こうした危うい言葉を文脈から切り離して独り歩きさせてしまっているからだ。
ことばについての「言葉足らず」
この問題の責任の一端は、美術館側にもある。キュレーターのローレン・ヒンクソンは、展示解説をほとんど掲示していない。解説文は──おそらく意図的に──見つけにくいところに設置され、展示作品についての解説はまったく書かれてないので、作品について詳しく知りたい場合はQRコードを読み取ってデジタルガイドのアプリ、ブルームバーグ・コネクトにアクセスしなければならない。しかも、美術館は分厚いコンクリートの壁で囲まれているので電波が届きにくく、館内でこのアプリをダウンロードすることは事実上不可能と言っていい。
オフィスに戻って自分のデスクでようやくアプリを開き、ホルツァーがリー・キニョネスと共同で制作した新作《the beginning(始まり)》(2024)の解説をじっくり読んだ。これは、短い文章が書かれたポスターを床から天井まで壁一面に貼り付けたホルツァーの《Inflammatory Wall(扇動的な壁)》(1979-82)の上に、あらたに複数の引用文を選んでペイントした作品だが、ホルツァーが選択したことばの中には、怒りを覚えずにいられないものもあった。グッゲンハイムの展示室の解説文では、《the beginning》には2人のウクライナ人と3人のパレスチナ人、イラン人、イスラエル人、アメリカ人それぞれ1人ずつの「証言」が含まれていることが示されている。しかし、何についての証言なのかと疑問に思っても、美術館からの回答は見当たらない。
ブルームバーグのアプリで証言の詳細を読むと、出典が多岐にわたることが分かる。たとえば、イスラエルの作家イェフダ・アミハイの言葉「MY CHILD WAFTS PEACE / WHEN I LEAN OVER HIM(私の子には平和の香りが漂う/彼の上にかがむと)」は、1994年発行の書籍から引用されたアミハイの詩だ。一方、パレスチナ人アブ・シェイカーの言葉「I JUST STOOD THERE FOR AN HOUR SCREAMING MY CHILDREN'S NAMES(子どもたちの名前を叫びながら1時間そこに立ちつくしていた)」は、人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチが2023年に発表したガザの障がい者に関する報告書からの引用だった。
また、ウクライナの作家アンドレイ・クルコフの言葉「NOW THE CITY IS IN RUINS / ON THE STREETS LIE THE CORPSES OF RESIDENTS(都市は廃墟と化した/路上には住民の死体が転がっている)」は、ロシアのウクライナ侵攻後、2022年にクルコフが書いた『侵略日記』からの引用。なお、グッゲンハイム美術館によれば、ホルツァーはそれぞれの出版社から引用文の使用許可を得ているという。
「ことば」をめぐる時代や社会環境の変化に無頓着
ホルツァーは、ガザやウクライナなどで起きた戦争を十把一絡げに扱っている。それにより、それぞれがなぜ起きたのか、ニュアンスの違いを無視しているように思えるし、引用の仕方も無節操としか言いようがない。各文章は異なる年代のものだが、それはアプリを見ないと分からない。しかも、そのアプリを提供しているのは、信頼できるとは言い難い、元ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグが設立した慈善団体だ。さらにホルツァーは、引用元の人物たちそれぞれの事情にも無関心なようだ。
たとえば、アミハイの詩とアブ・シェイカーの証言を並べるのは奇妙に思える。アミハイはイスラエルに批判的だが、知識人から批判されることもある。しかし、ホルツァーもグッゲンハイムもそのことには一切触れない。引用された言葉を読んで、戦争は悪だということを示す証拠として認識すればそれでいいとでも言っているかのようだ。ちなみにニューヨーク・タイムズ紙の記事によると、アミハイを批判する知識人の1人で、パレスチナの作家・教育者のレファアト・アラリールは、アミハイの詩を学生に教え、その詩を「美しい」とも「危険だ」とも評していたという。残念なことに、彼は12月にガザでの空爆で亡くなった。
そのほかにも、アーティストのアリス・ニールに関するFBIの調書の一部(ニールは共産党との関わりを理由に捜査対象になったことがある)、AIに関するアメリカ政府の文書、ベトナム戦争時の戦略に関するリチャード・ニクソン元大統領と側近のヘンリー・キッシンジャーによる会話など、さまざまな歴史的資料からの引用が行われている。かなり後になってから公開されたこうした機密文書は、内容を読みやすくするため、標準的なものより大きめのサイズの紙を使って示されている。
これらの歴史的証言はまだ納得できる。ホルツァーが解説を加えなくてもその背景が明らかだからだ。しかし、《the beginning》をはじめ、この展覧会には理解しにくい作品が多い。皮肉なことに、ことばをテーマとしていながら、ことばが足りていないのだ。
ホルツァーの行いは、引用とは正反対だ。多くの情報を隠し、政治的主張を単なる名詞、動詞、形容詞の集合体として扱い、もてあそんでいる。もしかするとこのアプローチは、ことばが当てにならないことを暴き出す必要があった1980年代には有効だったかもしれない。しかし、ことばの使い方ひとつでクビになったりキャンセルされたりする現代には通用しない。
こうした批判にホルツァーはどう答えるだろう? 肩をすくめるか、あるいはクスクス笑うだけかもしれない。「LAUGH HARD AT THE ABSURDLY EVIL(不条理な悪には大笑いしよう)」と書かれた1984年の作品は、絵画を展示する通常の壁ではなく、ゴミ箱の上、消毒液のディスペンサーの隣に展示されているのだが、それ自体が意地悪なギャグのように感じられる。
ここに、この展覧会の問題が示されている。ホルツァーは自分が提示する文章で見る人をニヤリとさせるつもりなのかもしれないが、今という時代においては、そうした言葉をかつてないほど慎重に読み解くことが求められているのだ。ホルツァーはその事実について、もう少し真剣に考えるべきだったのではないだろうか。(翻訳:清水玲奈)
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