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家父長的なアート業界と美術史への反乱──テート・ブリテンの人気企画を読み解く

2024年春にロンドンテート・ブリテンで開催された「Women in Revolt!: Art, Activism and the Women’s movement in the UK 1970–1990」。活況を見せたその展示には、見落とされてきた女性アーティストたちの活躍と歴史、そしていまもなお続くあらゆる差別への示唆が含まれていた。英国でキュレーターとして活動するメイボン尚子が読み解く。

Photo: Naoko Mabon

2024年春、ロンドンテート・ブリテン「Women in Revolt!: Art, Activism and the Women’s movement in the UK 1970–1990(女性たちの反乱!:英国におけるアート、アクティヴィズム、女性運動 1970-1990)」展が開催された。「英国で活動する100人以上の女性アーティストによるフェミニズム・アートを探求し、幅広く紹介する初の展覧会」と銘打たれた同展は、テート・ブリテンの英国現代美術キュレーター、リンゼイ・ヤングによる5年にわたる綿密な調査・研究活動に基づいて企画されたものだ。

美術館内外の空間では、絵画やドローイング、パフォーマンス、映像、版画、彫刻、写真、テキスタイルといった多彩な媒体を用いる630点以上の作品とアーカイブが展示された。さらに前書きを含め12のテキスト・論考や写真も豊富に収まる展覧会カタログ、毎回テーマも聞き手も違う6部構成のポッドキャストシリーズ、外部から招いたキュレーターとともに構成した関連映像プログラムも、作品展示のみだけではこぼれ落ちかねない要素をサポートする。

展示は年代順だ。1970年にオックスフォードのラスキン・カレッジで開かれた「全国女性解放会議」と英国における女性解放運動の始まりから、同一賃金法や機会均等法などの政策変更、女性の家庭内体験や母性体験、人種差別に反対するパンクやロック、「グリーナムコモン女性平和キャンプ」といった反核抗議運動、黒人芸術運動の女性たち、アフリカ系・アジア系女性組織OWAADなどのアクティビストグループの活動、公的な教育現場で同性愛を助長する行為を禁じる悪名高き法律「セクション28」への抗議、エイズの流行まで、女性運動の文化や政治の転換点が時系列に並んでいる。

こうした家父長制との闘いの重要な側面は、同時に人種差別、階級抑圧、同性愛嫌悪、核兵器との闘いでもある。同展はその “絡まり合い” を、個人および集団で活動する女性アーティストたちの作品を通して丁寧に追い、可視化しようとするものだ。タイトルは小説家で評論家のエバ・ファイジズ著『反乱する女性たち:家父長的態度』(1970)に由来する。

見落とされてきた女性の活躍

リンゼイによると本企画のきっかけや意図は大きくふたつある。ひとつはリンゼイの母親だ。

「母のような女性を称えたいと思ったのです。私の母はこの展覧会が開催されることは知っていたけれど、完成を待たず亡くなってしまいました。彼女のような女性が賞賛されないからこそ、私はこの展覧会を作りたかった」。リンゼイの母親はアーティストでこそなかったが、労働者階級の女性で、看護師で、シングルマザー、そして介護者でもあったという。「彼女の人生は、女性が社会で経験する多くのことを包含していた。私はそうした物語を称えたかった。そして彼女を失ったこと、彼女のような労働者階級の女性のアイデンティティが見えないことにとても腹が立ったのです」

もうひとつは、テート・ブリテンで働く英国美術キュレーターのリンゼイ自身が、実は「英国美術」について知らないことに気づいたことだ。「女性の歴史について学ばなかったし、そもそも教わりませんでした。美術史では50~60年代のバーバラ・ヘップワースの後は80年代に台頭したトレイシー・エミンまで一気に飛んでしまう。その隔たりを埋めたかったし、これまで隠されてきたものに触れられるようにしたかったのです」

リンゼイは同時に作品不足にも悩まされる。1970年から1990年にかけてテートが行った344の展示のうち、女性によるものあるいは女性を含むものはわずか17で、1人を除いてすべて白人女性だったという。「国の一般市民が所有する一般市民のためのコレクションなのに、今回の展覧会に出す作品はほとんどコレクションになく、多くの場合作家から直接借りる必要がありました。この状況も変えたかったのです」

展示の骨子となる「個人的な体験」

第2波と呼ばれる1960年代以降のフェミニズム運動におけるスローガンでもあった「個人的なことは政治的なこと(The Personal is Political)」をタイトルに掲げたリンゼイのテキストは、通例展覧会カタログで見かけるような論考らしからぬ始まり方をする。

「1枚の写真がある。私の母であるゲール・スチュアートの写真だ。腫瘍科の予約に出かけるときに撮ったもので、そこで私たちは唐突に、最新の検査の様子がひょっとしたら “非常に悪い知らせ” となるかもしれないと告げられることになる。後にそれは本当に悪い知らせとなった」

そして、フルタイム勤務のナースでシングルマザーだったゲールの計り知れない苦労としかしそれでも周りを慈しみ人生を楽しむことを忘れなかった姿勢、80年代のロンドンの病院で働いていた際にエイズ患者とその人の家族の心身の衛生のため同性愛嫌悪の同僚を一切近づけないようにしたこと、ホスピスのベッドでリンゼイに爪を真っ赤なマニキュアで塗ってと頼んだこと、などが回想される。

自らを「消極的フェミニスト」と呼び、声を張り上げるでもなくただ娘のために身を削って日々を慎ましく営んでいたゲールこそが、リンゼイをいかに女性として、フェミニストとして強くインスパイアしたのかということが、彼女が紡ぐ一語一語から伝わってくる。

「当初からこの展覧会では、個人的で親密な方法でリサーチに取り組みたいと考えていました。人や場所を自分で訪ね、会い、時間が許す限り話をする。わたしの興味の対象は、がんじがらめの退屈な美術史ではなく、一人ひとりの物語です」とリンゼイは振り返る。「ただ、自分自身の人生について話すなんて公的機関の催しとしては極めて異例で、傲慢なことだと思われないか長い間悩みました」

リンゼイはそう語るが、同展でもフォーカスされる第二派フェミニズムが社会・政治構造との関係のなかで明らかにしようとし、公的な議論の場に持ち出そうとした問題は、そうした個人的な体験であった。こうした体験は、美術史や公的機関といった根深く家父長制的なものを批評的に解きほぐし、編み直すための共同体を構築するためのカギでもある。なぜならゲールやリンゼイの経験や物語はわたしやあなたの経験や物語と重なり、共鳴し得るもので、その重なり合い、響き合いは信頼関係を育むことを助けるからだ。

個人の経験や感情といった、カテゴライズしにくくて、数字に換算しづらく、資本にもならない、有機的に他とつながったり、絡まったりしながら拡がっていく類のものは、力で縛り付けて管理したがる家父長制的社会や機関にとっては脅威なのである(脅威であれ!)

赤と黒のコントラストが印象的なリタ・キーガンによるペインティング、《Red Me [赤い私]》(1986年)。ブラック・アーツ・ムーブメントの重要人物であったリタの作品は、歴史的な「ブラック」コミュニティの表現と、「Black women」の経験に基づく自己形成のふるまいを、自画像を通じ考察するものが多い。© Image; Crown Copyright: UK Government Art Collection.
ペニー・スリンガーが1973年に発表した写真シリーズ《Bride's Cake [花嫁のケーキ]》の一作《Bride and Groom – Ceremonial Cutting of the Cake [新郎新婦 – ケーキカット]》。自らが扮したウェディングケーキとしての花嫁をスライスするというプレゼンテーションを通じ、「女性は男性の欲望を満たすために存在する」という考えを批判的に炙り出す。© Penny Slinger; Courtesy of Richard Saltoun Gallery, London, Rome and New York.
ジーナ・バーチの映像作品《3 Minute Scream [3分間の叫び]》(1977年)のスティル。延々と止まないジーナの甲高い叫びと痛ましいほどの表情は、1970年代後半、多くの若い女性が抱えていた声にならない感情を代弁ならぬ代叫し、力強い反抗を表明するものでもある。Courtesy of the artist.
リタ・マクガーンによる等身大のクロシェ(かぎ針編み)の群像とカーペット作品《Untitled Rug and Figures [無題のラグと人物たち]》(1974-1985年)。独学でアートを学んだリタは自宅で制作していたほか多くの女性アーティストたち同様、身近にあるさまざまな素材を用いて作品を制作した。Photography by Keith Hunter.
1974年から90年まで活動したシルクスクリーン制作コレクティブ「See Red Women's Workshop」による抗議ポスターのひとつ《Protest [プロテスト]》(1973)。展覧会では同時期に英国各地で発生し精力的に活動した集団によるポスターやバナー、会報などアーカイブの網羅と展示も充実していた。© See Red Women's Workshop

運営側のジェンダーバランス

ここで、美術館や運営陣のジェンダーバランスにも目を向けたい。デザイナーやカタログを担当したデザイナーは男性だったようだが、同展にかかわった人はほぼ女性だ。キュレーションは、リンゼイを含むテートの4人の女性キュレーターが担当し、映像作品に関してはウェストミンスター・スクール・オブ・アーツで教鞭を取るルーシー・レイノルズが共同キュレーターを務めた。

また、フェミニズム理論への貢献が認められ2019年にホルベア賞を受賞したグリゼルダ・ポロック、アーティストでロンドン芸術大学およびミドルセックス大学の「黒人アーティストとモダニズム」主任研究員を務めるマリーン・スミス、ゴールドスミス大学女性美術図書館キュレーターであるアルテア・グリーナンの3名がアドバイザーとして参加している。そのほか、教育者、活動家でアフリカ系およびアジア系の女性のアクティヴィズム団体OWAADの創設メンバーであるステラ・ダジエ、作家でブリクストン黒人女性グループ(BBW)メンバーのスザンヌ・スケイフ、トランスジェンダーの経験をテーマにした作品で知られる作家・映画監督であるジュリエット・ジャックス、作家で大学在学中にフェミニスト・反ファシストのパンク同人誌『JOLT』創刊したルーシー・ウィットマンの4名が協力者として関わっている。

加えて、同展の「サポーターズサークル」には1980年に英国で設立された女性によるアートのみに特化した初の商業スペースであるジリアン・ジェイソン・ギャラリー、芸術のパトロンでありテートで中東・北アフリカ収集委員会と写真収集委員会の委員を務めるマリア・スッカー、アーティスト、キュレーターで2017年のターナー賞受賞者であるルバイナ・ヒミッドの3組も名を連ねる。ある意味で徹底したこの “漏れのなさ” からは、発生初期から「教育を受けた中流階級の白人女性によるもの」という批判を受け続けているフェミニズムを、今一度白人女性が先導してしまうという構図にリンゼイ自身が非常に自覚的、反省的で、心を砕いていることが伝わる。

「Women in Revolt!」展のリード・キュレーターを務めるリンゼイ・ヤング。同展で2024年度「Association For Art History」のキュレトリアル賞(キュレトリアル・ライティング&パブリケーション部門)を受賞した。Photo:Sophie Davidson

交差するジェンダーと人種の問題

OWAADの創設メンバーであるステラは、同展のカタログに「わたしたちにとって『ブラック』は政治的な言葉であり、人種差別を経験したすべての人を包含していた」と綴る。ここでの「Black Women」は必ずしも肌の色によって定義された女性たちではなく、「英国での経験だけでなく、奴隷制、植民地主義、帝国の遺産に対する理解にも根ざした」政治を目指す女性たちを指しているという。

ステラはまたすべての白人女性が人種差別に無頓着だったわけではないとも語っている。「彼女たちは人種、階級、ジェンダーが交差していることを知っていた。いわゆる西側諸国での出来事が世界の他の地域に与える影響も、その逆も理解していた(中略)白人フェミニストたちとの忠誠や関係は、複雑で繊細なものだった。ある者は理解し、またある者は理解しなかった。しかし、黒人か白人かという単純な問題では決してなかった」

ロンドンのテート・ブリテンはいわば長く選ばれた一部の者たちだけに開かれてきた場所だ。そこで能力や肌の色、民族性、ジェンダー、人種、セクシュアリティ、性別などにおいてマイノリティの立場にある人たちの多種多様な経験に注目し耳を傾けることを目指したのが「Women in Revolt!」だった。

ただ、特に非白人女性である自分は、テートの建物内にいて敏感に気づいてしまうこともあった。筆者の経験の範疇内で言うと、そもそも美術館の企画や運営に関わる方は女性が圧倒的に多いが、決定権を持っていたり、作品に直に触れる立場にいたりする人は白人の方がほとんどの印象だ。一方で、セキュリティーやカフェで働くスタッフは非白人、特にアフリカ系やアジア系と思われる方が大半である。

割合や数字では見えない問題

また、ロンドンに複数の施設を擁するテートグループの姿勢についても考えたい。「テート全体の男女格差をどう見ていますか。課題はありますか」という質問をプレス窓口に投げかけると、下記のような回答があった。

「テート・ギャラリーでは性別に関係なく役割に対して同一賃金を支払うという基本原則に基づき、2022年から2023年までの最新の男女賃金格差報告の結果に反映されています。私たちは毎年、進捗状況を把握するため統計を報告しています。(中略)私たちはこの問題に積極的に取り組み、幅広いバックグラウンドの女性アーティストの作品を獲得してきました。過去2年間で、テートは男性よりも多くの女性アーティストの作品を積極的に購入し、女性を含む、これまで十分に紹介されていなかったアーティストの作品をますます多様な形で購入する努力を続けています」

確かにテートグループの美術館では、2024年春だけでも女性やノンバイナリーのアーティストの展覧会を多く開催していた。加えて、テート・ブリテンは23年5月に10年ぶりの常設展の展示替えも果たしている。第二次世界大戦以前の英国美術を紹介する各展示室では、歴史的な作品に紛れてそれらの作品や時代背景に批評的に応答するような移民や女性作家を含む現代作家の作品が設置され、それらを通じてこれまで見て見ぬふりをしてきた大英帝国の植民地や奴隷制の歴史とその遺産、ひいては砂糖精製で財を成した実業家ヘンリー・テートの資金提供からスタートした美術館自身の関わりや責任をも内部から炙り出すような展示組みとなっていて、見応えがあるし、今後の更なる挑戦は楽しみだ。

しかし、いくら機会や賃金の差が縮まっても、そもそもの女性たちの、そしてひとりひとりの女性の経験には能力、肌の色、民族性、ジェンダー、人種、セクシュアリティ、性別などの交差も相まって違いがあることへの理解、そしてそれらの違いの背景にある差別や抑圧の構造への理解と解決への行動なくしては、あまり意味も進展もなく、変化も期待できないのではないかとも感じる。

展示は始まりに過ぎない

4月7日にテート・ブリテンでの展示を終えた「Women in Revolt!」はリンゼイの故郷で元職場であるエディンバラのスコットランド国立美術館(2024年5月25日~2025年1月26日)とマンチェスター大学附属美術館ウィットワース(2025年3月7日~6月1日)に巡回予定だ。

テートグループの企画のなかで最も入場数の多い展覧会のひとつとなった「Women in Revolt!」。本展出品作家4名による作品が新たにテートに購入されるきっかけにもなった。このテートでの展示について、リンゼイはこう語る。「一体どれだけの人が興味を持ってくれ、展覧会に来てくれるのか不安がありましたが、展示は目標来場者数を150%上回り、一時期はテートで最も来場者数の多い展示となりました。フィリップ・ガストンや草間彌生よりもチケットが売れていたんです」

リンゼイが客数を懸念していたことは気になる。彼女にその心配をさせた組織的な要因やプレッシャー、そして彼女の心労を想像したからだ。とはいえ、「英国における芸術と女性運動の関係に焦点を当てた展覧会、フェミニストあるいは女性主義的な英国美術史の定義をひとつに絞ろうとする展覧会は不可能であり、今回の展覧会は始まりにすぎません」とリンゼイが語るように、まずは一館目の展示が終わり、二館目の展示が始まったばかりだ。ともかくワクワクしながら構え、今後の展開や変化に注目したい。何より同展は、ゲールのような女性たちの、そして今まで無視されてもひたすらに作品を作り続けた女性アーティストたちを祝福する場でもある。

リンゼイは語る。「周縁に追いやられた人々、労働者階級、非白人の女性、クィアやパンクこそがわたしにとっての真実です。プロジェクトではトランス・インクルーシブで、インターセクショナルで、社会主義に焦点を当てたものにしたいと思っています。そうしたプロジェクトを通じて、私たちが先達の女性たちから何を受け継いできたかを示し、また、もし世のなかで主流の物語が女性によって書かれ、視覚化されたものであったなら、社会がどれほど議論的で、公正で、厳格で、共感的で、面白く、破壊的で、危うく、愛に満ちたものになるかを垣間見られたらと思っています」

Profile
メイボン尚子
キュレーター。福岡生まれ、2011年末からスコットランド在住。2014年夏よりフリーのキュレーターとして活動開始。スコットランドで社会的少数者として生きる自身の経験から、さまざまな “違い” のなかに関係を紡ぎ出すべく、分野や背景の異なる協働者と共に学際的・リサーチベースのプロジェクトを各地で展開中。主な企画に「We Move As A Murmuration」(2024、ヘルムズデール、Giulia Gregnaninとのコキュレーション);「イラナ・ハルペリン:ロックサイクル(ヤマグチ)」(2019-2022、山口とオークニー諸島);「ブラジル日本移民110周年記念現代美術展 虚実皮膜」(2018、サンパウロ);「毛利武士郎展」(2016、群馬);「Leaves without Routes: 根も葉も無い」(2016、台北)など。書籍、雑誌、ウェブ媒体等への寄稿といった執筆活動も行う。

Edit: Asuka Kawanabe

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