いま、東京で見るべき展覧会6選。終了間近のブランクーシから内藤礼まで
第2回Tokyo Gendaiが開催中の東京ではいま、世界のアートファンにも見てもらいたい展覧会がいくつも開催されている。US版ARTnews編集長のサラ・ダグラスが6つの展覧会を紹介する。
いま、ニューヨーク、ロンドン、パリといった世界のアートハブからTokyo Gendai目指して日本を訪れている人は幸運だ。なぜなら、近代から現代アートまで幅広い作品の数々を紹介する展覧会が都内随所で開催中だからだ。ここでは、それらの中でも特に見応えのある展覧会を厳選したのだが、結果的に、力強い立体作品を中心としたセレクションとなった。
「ブランクーシ本質を象る」/アーティゾン美術館
まずは、アーティゾン美術館で開かれているコンスタンティン・ブランクーシの個展「ブランクーシ本質を象る」(7月7日まで)。ルーマニア生まれの作家、ブランクーシの日本における初の包括的な展覧会だ。
キュートで、ロマンチックで、とてもインスタ映えするブランクーシの《接吻》は、20世紀初頭に制作され、近代彫刻の嚆矢となった作品。主題のエッセンスだけを抽出したこの作品をブランクーシが発表してから彫刻表現の進化は一気に加速し、パブロ・ピカソ、ヘンリー・ムーア、アルベルト・ジャコメッティ、そしてエヴァ・ヘスやレイチェル・ホワイトリードが新しい道を駆け抜けていった。それを考えると、アーティゾン美術館の展覧会で《接吻》が前面に打ち出されているのも納得できる。
ブランクーシがロダンの影響下から脱し、飛翔していく過程を丁寧に辿るこの展覧会は、鳥のフォルムに焦点を当てたセクションでクライマックスを迎える。このセクションの核となるのが、空へと伸びるエレガントなブロンズ彫刻《空間の鳥》だ。そのほか、ブランクーシの写真や彼のモンパルナスのアトリエを再現したセクションもある。こだわりの強い純粋主義者は、作家の死後に鋳造された展示品が多いことを不満に思うかもしれない。だが一般の観客にとって、それなりの点数の美しい作品が並ぶこの展覧会は、近代彫刻の巨人を知る入門編としては十分に満足できるものだろう。
「カルダー:そよぐ、感じる、日本」/麻布台ヒルズギャラリー
もしブランクーシが新しい鳥の形を発明したのだとすれば、アレクサンダー・カルダーはそれに飛ぶことを教えたと言えるかもしれない。麻布台ヒルズギャラリーでは、モビールの巨匠、カルダーの展覧会が開かれている(9月6日まで)。同展はペース・ギャラリー(同じ建物の上階に新しく広大なギャラリーをオープンする)の協力の下、カルダーの孫でカルダー財団の理事長であるアレクサンダー・ロウワーによってキュレーションされた。カルダーの作品は、これまでにアルベルト・ジャコメッティやジョアン・ミロ、ペーター・フィッシュリ&ダヴッド・ヴァイスなどさまざまなアーティストたちの作品と組み合わされて提示されきたが、今回の展覧会は「カルダー:そよぐ、感じる、日本」というタイトルが示すように、彼が日本の文化から受けた影響をテーマとしたものだ。ロウワーが過去20年にわたって示し続けてきたように、今回もカルダーは新鮮な側面を私たちに見せてくれる。
この展覧会には名品がいくつもある。中でも思いがけなかったのは動物の動きを捉えたドローイングのシリーズだが、これは完璧というほかない。特に唸らされたのは猫たちの絵で、ほんの数ストロークで生き生きとその動きを捉えている。また今回の展覧会の立役者として、展示デザインを担当した建築家のステファニー後藤を称えたい。普通ならば黒い天井から黒いモビールを吊ることはしないが、意外にもそれが素晴らしい効果を上げている。大きな黒い紙で覆われた壁を背景とした展示も、色や形を際立たせるなど作品の良さを引き出している。
トーマス・ハウセゴ「MOON」/BLUM東京
BLUM(旧Blum & Poe)では、またブランクーシに出会ったと思うかもしれない。しかし、このギャラリーで開かれているのは、ロサンゼルスを拠点に活動するイギリス人アーティスト、トーマス・ハウセゴの個展「MOON」だ(9月7日まで)。主に彫刻を制作しているハウセゴだが、この展覧会ではブランクーシを彷彿とさせる作品がいくつか展示されている。その1つは、荒削りな木製の台座に置かれた抽象的な卵のような形のもので、もう1つは、石膏に形を描くというこのアーティスト独自の技法で作られたフクロウだ。
大きな窓の前に置かれたフクロウは、私見では今回の展示でベスト。アン・クレイヴンの鳥の絵のように、この作品はフクロウの本質を見事に捉えている。ハウセゴは最近、ペインティングも手掛けており、簡潔な表現が際立つ立体作品ほどのインパクトはないかもしれないが、ドラマチックで色彩豊かな作品を発表している。
「内藤礼:生まれておいで 生きておいで」/東京国立博物館
上に挙げた3人の男性彫刻家の作品を見た後で内藤礼の作品を体験するには、気持ちを切り替えなければいけない。彼女の展覧会「内藤礼:生まれておいで 生きておいで」を鑑賞する際には、「何ひとつ見逃さない人間になるよう努めること」という作家ヘンリー・ジェイムズの有名な格言に従うことをお勧めする。というのも、作品が広大な東京国立博物館のあちこちに散りばめられているので、よく注意していなければかなりのものを見逃しかねないからだ。
1961年に広島で生まれ、1997年のヴェネチア・ビエンナーレに日本代表として参加した内藤は、ミニマリズム的な作品を制作している。だがそれは、たとえばドナルド・ジャッドのようなミニマリズムではない。彼女の作品には重々しさがなく、飾り玉や風船、小石のような吹きガラスの泡、動物の置物、骨、小さな鏡、水の入った瓶など、小さいものから極小サイズのものまでさまざまなオブジェが瞑想を誘うような形で配置されている。
ある細長い展示室では照明が落とされ、灰色の石壁を背景にオブジェが並んでいたが、そこにいると、まるでこのアーティストの頭の中に入り込んだ気持ちになる。壁際のガラスケースには白い布が入っていて、雪が積もっているかのようだ。内藤の作品は、完璧さを追求しつつも完璧すぎない。それが驚かされるところだ。
森万里子「古事記」/SCAI THE BATHHOUSE
1980年代、内藤礼はある作品について「自分自身の精神的な場所を作ろうとしている」と語っていた。その内藤と同世代のアーティストで、まったく異なる方法で作品を制作している森万里子にも同じことが言えるのではないだろうか。森は1990年代に自分自身をモデルにした写真作品で知られるようになった。その作品で彼女は、日本人女性のさまざまなステレオタイプに扮した自分を日本の都市風景の中に置いていた。その後は作風を変え、この20年間はスピリチュアルな作品を制作。宮古島ではアートと自らの住居を融合させた壮大な作品も作っている。
現在SCAI THE BATHHOUSEで開かれている「古事記」の展示(7月27日まで)は、水晶のようなアクリルの立体作品とスピリチュアルな絵画を組み合わせた複雑なもので、今年のヴェネチア・ビエンナーレの期間中にパラッツォ・コルネル・デラ・カ・グランデの外で展示されている森の《Peace Crystal》(2016-2024)に関連した作品などを見ることができる。また、古代の日本や未来的なビデオゲームを参照した衣装に身を包んだ森が、巫女として登場するAR(拡張現実)作品もある(要予約)。内藤と同様、森は没入感のある別世界を作り上げ、鑑賞者はその別世界を自ら体験することになる。
「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」/森美術館
森美術館では、シカゴ出身のアーティスト、シアスター・ゲイツの日本での初個展「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」が開催中だ(9月1日まで)。会場の解説文に書かれているように、アートの制作はゲイツにとってもまた精神的な営みだという。ゲイツは陶芸を学ぶため2004年に初めて日本を訪れており、今回の展覧会はそのときに滞在していた愛知県常滑市の陶芸家たちの協力を得ている。彼が考案した「アフロ民藝」というコンセプトは、19世紀に西洋美術が日本に紹介されてから影が薄くなっていた日本独自の美学を見直そうとする民藝運動に基づくものだ。それについてゲイツは、展覧会の解説文の中でこう説明している。
「民藝は地域の作り手に敬意をはらい、外部からの文化的アイデンティティの押し付けに抵抗しています。そこが私にとって重要なのです」
終盤のアフロ民藝のセクションは、この展覧会で最も見応えのある展示だ。ゲイツと日本とのつながりをたどる詳細な年表の後には、2022年に死去した常滑の陶芸家、小出芳弘の作品を並べた巨大な展示ケースと、巨大な木の板で作られたバーカウンターのインスタレーション《みんなで酒を飲もう》がある。これは日本の陶芸家、谷穹とのコラボレーションで制作されたもので、バーの前にはスツールが置かれ、奥の棚には「貧乏徳利」が並んでいる。この空間を満たしている音も最高で、私がいたときはバスタ・ライムスの曲が流れる中、氷山の形をしたミラーボールが回転していた。(翻訳:野澤朋代)
US版ARTnews編集部注:本記事の内容は、アート界の動向をデイリーでお届けするUS版ARTnewsのニュースレター「Breakfast With ARTnews」から転載したもの。登録はこちらから。
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