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「Borrowed Landscapes」──フェイイ ウェンとパン カー、二人の女性作家がひらく多様な世界

日本語で「借景」と訳される「Borrowed Landscapes」と題されたフェイイ ウェンとパン カーという二人の女性作家による展覧会が、東京・銀座のシャネル ネクサスホールで開催されている(7月15日まで)。会場の中央に置かれたソファに座り、文化の違いやそれが創作に与える影響について、二人に話を聞いた。

シャネル ネクサスホールで開催中の「Borrowed Landscapes」展示風景

「Borrowed Landscapes」(日本語で「借景」の意味)と題された、フェイイ ウェン(Feiyi Wen)とパン カー(Peng Ke)による二人展の会場をぐるりと見渡すと、壁に掛けられたり自立型のスタンドに掲げられたスクエアの作品群が、実際に「いま、ここに生きている」世界とは異なる空間に誘う「窓」のように見えてくる。それらは、ライスペーパーという繊細な素材にプリントされた身近な自然を捉えた写真だったり、どこにでもあるような日常の風景をステンドグラスや木材、ペインティングなどをミックスして再現したアッサンブラージュだったりするのだが、共通するのは、見たことのない、なのに自分の身体が「知っている」と囁くような心地いい違和感や不思議な親密さにあふれているということ。

そのあまりに調和の取れた空間に身を置くと、今回の展覧会がフェイイとカーの二人が共同で企画したものに思えてならないが、実は彼女たちがコラボレーションをしたのは今回が初めて。二人の共通点といえば、ともに近代化が急ピッチで進んだ90年代の中国(とはいえフェイイは首都・北京、カーは長閑な風景が広がる湖南省で生まれ、工業地帯の深圳で育った)出身の30代の女性アーティストであるということぐらいだ。フェイイはその後、イギリス・ロンドンのスレード美術大学で2020年に博士号を取得し、現在もロンドンを拠点に研究と制作を続けており、一方のカーは2015年にアメリカ・カリフォルニアのロードアイランド・スクール・オブ・デザインを卒業後、北米と中国を行き来しながら自身の表現を探求している。そんな二人に、話を聞いた。

左:パン カー(Peng Ke)、右:フェイイ ウェン(Feiyi Wen)

──展覧会を拝見すると、「Borrowed Landscapes」というタイトルはお二人が考案したものと思えるくらい調和しているように感じました。それぞれ、このタイトルについての印象を教えてください。

パン カー(以下、カー):今回私は、写真をベースに、ステンドグラスやペインティング、木材やファブリックなど、様々な素材やメディウムをアッサンブラージュした大型の作品6点を制作したのですが、アーティストとしてのターニングポイントになるような経験でした。異質なものや、異なるパターンや視覚的なシステムを組み合わせることで、新しいある種の風景、調和を描き出すことに挑戦したんです。新しい表現への入り口に立てたという意味でも、このタイトルはぴったりだと思いますし、フェイイと私の異なる作品を結びつける上でも、「借景」という言葉はとても上手く機能していると感じます。

フェイイ ウェン(以下、フェイイ):私が今回展示しているのは「Seeing a pine tree from your bedroom window」というシリーズの作品なのですが、厳密には、全て異なる場所、異なる風景を切り取った作品なんです。フィルムで撮影して暗室でプリントしたものもあれば、デジタルとアナログをミックスしたものもあります。でも、フレーミングを工夫したり、写真を素材として用いて発展させることで、異なるものに共通点やつながりが生まれるようにしているんです。私にとって非常に興味深いのは、風景という概念。自分の博士論文でも考察したのですが、私たちは誰もがそれぞれに異なる文化的背景を持っていて、そうした文化的観点の中でも特に美的観点から風景というものをどう解釈しているのかということに興味があります。例えば中国庭園の概念では、窓というものは、内部空間と外部の自然景観をつなげる役割を持ちます。私は自分の作品にもこの概念を取り入れたりしているので、今回のタイトルはとてもしっくりきています。

──お二人はともに、90年代の中国という非常に刺激的な環境で生まれ育ちました。その環境がご自身の作品制作に何らかの影響を与えていると感じますか?

フェイイ:私も最近、90年代の北京で育ったことが自分の制作活動にどう関係しているのかについてよく考えるんですが、実のところ、今まではあまり意識していなかったと思います。でも、自分の表現を探求すればするほど、自分が生まれ育った背景が少なからず影響していることを実感せずにいられないんです。私は北京という都市で生まれ育ったので、大自然に触れた記憶はほとんどありません。だからなのか、公園や庭という、人間が人工的に作り出した美しい自然の中に身を置くのが好きなんです。つまり人の手でコントロールされた装飾的な自然と言うことができると思うのですが、操作された自然ではあっても、自然的な美しさを維持していることに興味があります。私の作品も、自然をとらえてはいるけれど、もとの写真に何重にも手を加えているのでもはや本物の「自然」ではない。そうしたアプローチには間違いなく、北京での経験がベースになっていると感じます。

カー:私が育った深圳は、急速に近代化が進んだ工業都市です。深圳の都市化、生産性、工場などのサプライチェーン、テクノロジーの発達といった要素は、幼少期の私に強烈なインパクトを残しましたし、街が目まぐるしく変わっていく光景を目の当たりにしてワクワクしたのを覚えています。そうした体験が、私の視覚表現に影響を与えているのは確かで、街の風景を描きながらも、いつもどこかでもっと自然に近づきたいという欲求が鬩ぎ合っているんです。自然というのは、私たちよりも大きな存在で、とても崇高なもの。そこには、人間が作った人工的なエネルギーとは性質の異なる「生きたエネルギー」が宿っています。いわゆる大自然に行かなくても、小さな落ち葉やプランターで育てる植物からも、そうしたものを感じ取ることはできますし、私はそれを制作を通じて探求したいんだと思います。

──ご自身のアジア人としてのアイデンティティ、さらに言えば女性であるということが、白人の男性が中心となって紡がれてきた美術史や美術業界で仕事をする上で、どんなふうに作用していますか? 

フェイイ:中国にいたときには気づかなかったけれど、ロンドンで暮らし、学ぶようになってはじめて、自分のマイノリティ性を意識するようになりました。母国語とは異なる言語環境に身を置くという体験そのものもそうですが、もっと深い部分、哲学的なレベルで、自分のアイデンティティを形成した中国的なもの、あるいは必ずしも中国でなくとも東アジアの文化と向き合うようになりました。それが、私が博士号を取得しようと思った理由の一つでもあります。今も大陸哲学を支持する層は一定数いますが、ヨーロッパにおいて支配的な考え方や人々に対して、なぜ私は違和感を覚えるのかといったことを掘り下げていくと、自分の文化的ルーツに立ち戻ることを余儀なくされます。でも、かつては中国の伝統文化にもあまり興味がなかったのですが、文化的マイノリティであるという葛藤があるからこそ、今は自分の背景をもっと理解したいと思うようになりましたし、自分の芸術的実践を通じて、「平等」を実現したいというよりも異なる見方や考え方、選択肢を提示したいと考えるようになりました。私たちは皆、違いを認める必要があると思います。概念としての風景を見る、という行為においても、背景が違えは、それぞれに異なる見方をするはずです。それが興味深いし、ビジュアルアートは、そうした違いをよりよく理解するツールにもなり得ます。

──フェイイさんは中国で伝統的に書道や水墨画などで用いられるライスペーパー(宣紙)を取り入れてもいますね。

フェイイ:そうですね。ライスペーパーを用いるのも、そうした実践の一環かもしれません。この紙はとても薄くて繊細なので、写真をプリントするのにすごく適しているわけではありませんが、その軽さがとても気にっているんです。繊維が透けて見えるのも面白いですよね。

──カーさんは今、アメリカと中国の2拠点で生活していますが、いかがですか?

カー:私は国際政治に高い関心を持っていて、とりわけアメリカと中国の間に横たわる政治状況や文化的な事情について、いつもとても注意深く観察しています。だから、制作活動だけでなく日常生活においても、常に自分自身のアイデンティティを強く意識することになるんです。アメリカに来たばかりの頃は、両国間の違いや軋轢に困惑することも多々ありましたし、自分が中国で受けてきた教育が、他国のシステムでは役に立たないのかもしれないと感じて、大きな無力感に苛まれました。白人の男性たちが持つ特権性、資源や知識へのアクセスは、私にはありません。でも、むしろそのことに気づいたことで、ある意味、解放された気がします。それが私の現実なのだとしたら、その中で私にできることは何だろうと考えるようになったんです。中国にいた方が楽なことも多数あるし、アメリカだからこそ実現できることもある。それならば、あえて2つの国の間で制作しようと決めたんです。そうすることで私自身、物事をより客観的に捉えることができるようになりましたし、新たな知識を得ることに貪欲になれました。今は、自分のインターセクショナリティから得た知識をより実践に生かせることに喜びを感じています。

加えて、自分が支配的なグループに属していないからこそ、自分と同じような経験を持つ仲間と容易に繋がることができ、支え合えるというメリットもあります。フェイイと私が10年ほど前に、アメリカとイギリスという異なる場所にいたにもかかわらず出会えることができたのも、そのおかげだと思います。

フェイイ:私も本当にそう思います! 自分のマイノリティ性に自覚的であれたからこそ、互いに支え合えるコミュニティを見つけることができる。それは私にとってもとても重要なことだと感じます。

Borrowed Landscapes フェイイ ウェン|パン カー 二人展
会期:開催中〜7月15日(月)
時間:11:00~19:00(入場は閉館30分前まで)
会場:シャネル・ネクサス・ホール(東京都中央区銀座3-5-3 シャネル銀座ビルディング4階)
入場料:無料

Photos: Kaori Nishida Text & Edit: Maya Nago

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