江戸時代の脇差が大戦時に破壊されたドイツの住宅から出土! 日本の使節団の贈り物か
ドイツ・ベルリンのモルケンマルクト地区にある、第2次世界大戦中に破壊された住宅の地下室で、ベルリン国立モニュメント局の考古学者が発掘調査を行った。地下室は戦争中の瓦礫で埋まっており、そこから大戦末期に急いで処分されたらしいあぶみや手綱など様々な砲兵の軍用品が見つかった。その中に激しく腐食した短刀があり、当時考古学者らは軍のパレード用サーベルだと考えたという。出土品は全てベルリン国立博物館で保存される事となった。
ところが、遺物の修復作業中に驚くべきことが判明した。腐食の激しい短刀は日本の脇差であることが判明したのだ。刀の柄の片側は熱でひどく損傷していた。しかし、木製の構造部分は残っており、織物とエイの皮が巻かれていた。そして柄の腐食した部分を修復したところ、日本の七福神のひとり、大黒天の姿が浮かび上がった。刀身を調べると、菊と水引のモチーフも確認できた。このモチーフと様式から、刀は江戸時代(17世紀から19世紀)のものだという。
さらに、短刀のX線検査を行ったところ、刀身はもともと長かったものが短くされていたことがわかった。これは何かの理由で短くなった刀が脇差として再利用されていたことを示している。刀自体の歴史で言えば16世紀にまで遡る可能性さえある。
なぜ江戸時代の上流階級にだけ許された豊かな装飾の刀が、ドイツの地下室から見つかったのか。ベルリン国立博物館は、おそらくこの脇差は、文久元年(1862年)に江戸幕府がヨーロッパに派遣した最初の使節団、文久遣欧使節か、その11年後の明治4年に日本からアメリカ合衆国、ヨーロッパ諸国の12ヶ国に派遣された岩倉使節団からの贈り物だったのだろうと推測する。
脇差が見つかったモルケンマルクト地区が、これらの使節団がドイツ国王のヴィルヘルム1世に迎えられたベルリン王宮に近いということがこの説を裏付けている。だがこれらも推測の域を出ず、新たな事実の解明が待たれるばかりだ。