「文化制裁は魂の殺人」──イタリア人アート関係者がロシアで活動を続ける理由
ロシアのウクライナ侵攻以降、アート界でも各国の関係者がロシアと距離を置くようになった。その中で特異な存在なのがイタリアだ。同国のキュレーターやアーティストがロシアの文化施設で活動する理由と、それに対するさまざまな立場からの見解をまとめた。
制裁下のロシアで活動する著名イタリア人キュレーター
2022年2月に始まったウクライナ戦争で、ロシアのアートシーンからは人材流出が相次いだ。ロシア人アーティスト、キュレーター、映画制作者、作家たちが抗議のために国を去り、美術館の要職を辞した関係者もいる。ロシア人以外にも、ニュージーランド人キュレーターのサイモン・リースがコスモスコウ・アートフェアのディレクターを辞任。イタリア人キュレーターのフランチェスコ・マナコルダは、アートの国際非営利団体、V-A-C財団の芸術監督から退いた。
その時期、イギリスのナディーン・ドリス文化相(当時)は、文化は戦争の「第3の戦線」だとし、芸術の分野でロシアを孤立させることは経済制裁と同等の効果があると主張した。しかし、戦争が3年目に近づきつつある中、ルカ・トミオやアレッサンドロ・ロマニーニなど、イタリアのキュレーターやアーティスト、美術史家の一部に、ロシアを孤立させる流れに逆らい、同地の展覧会に参加したり、キュレーションを行ったりする動きが出ている。
現在ロシアで活動しているイタリア人アート関係者のうち、最もよく知られているのがフランチェスコ・ボナミだ。2003年の第50回ヴェネチア・ビエンナーレや2010年ホイットニー・ビエンナーレのディレクターを務めるなど、キュレーターとして、美術評論家として、輝かしい経歴を持つボナミは今年、モスクワのGES-2ハウス・オブ・カルチャーで、「Square and Space. From Malevich to GES-2(正方形と空間、マレーヴィチからGES-2まで)」展の共同キュレーターを務めた。
古い発電所を改築したGES-2ハウス・オブ・カルチャーは、V-A-C財団が2021年にオープンした民間の巨大文化複合施設。同財団の創設者は、推定純資産が241億ドル(3兆6000億円)にのぼるロシア有数の大富豪、レオニード・ミケルソンだ。ウラジーミル・プーチン大統領の盟友として知られるミケルソンは、2022年にイギリス政府から制裁を受けている。アメリカからの個人制裁はないが、ミケルソン所有の天然ガス大手、ノバテクと取引のある複数の企業や船舶は制裁対象とされた。彼はアメリカの間接的な制裁を受けている石油化学大手シブールの大株主でもあり、ロシアの独立系メディア、プロジェクトによると、シブールは現在ウクライナに配備されているロシア軍に資材を供給している。また、ノバテクがガスを供給し、軍用爆発物や弾薬を製造するYa・M・スヴェルドロフ工場も2023年にアメリカから制裁を受けた。
これまで14年にわたりV-A-C財団で仕事をしてきたボナミは、最近WhatsAppで取材したUS版ARTnewsに対し、ミケルソンとロシア軍との関係を理由にGES-2でキュレーターをするべきではないとの考えに意義を唱えた。ボナミはこう言う。
「申し訳ないが、キュレーションの倫理などというたわ言に私はまどわされません。控えめに言って『倫理的に問題のある』人物と協働しているキュレーターの名前を挙げることもできますが、問題はそこではありません……制裁は経済的なものであり、文化的なものではないのです。文化を制裁するのはホワイトカラー犯罪(*1)で、魂の殺人です」
*1 企業の上層部や政府関係者などが、政治的・経済的地位を利用して行う主に金銭目的の非暴力的犯罪。
ボナミはこう続ける。
「私は(GES-2の)来館者に対して道義的責任を感じています。一部の特権的な(ロシアの)アート関係者と違い、彼らは気の向くままに外国旅行をすることはできません。GES-2で私が仕事を続けなければ、彼らは行くところも見るものもなくなってしまいます。ですから、展覧会を続けることが私の義務なのです」
さらに、1980年代のフォークランド紛争では、誰もイギリスの芸術をボイコットしなかったと指摘し、こう言った。
「アートの世界では、私たちは皆、多かれ少なかれ悪者なのです」
ボナミは現在、中国・杭州の現代美術館、バイ・アート・マターズ(By Art Matters)の責任者でもある。
ロシアと袂を分かった関係者やウクライナ側の厳しい見方
一方、ウクライナ侵攻以降、GES-2との関係を断ち、作品の撤去を要請したアーティストも少なくない。その中には、国外コレクターからの人気も高いロシア人作家、エフゲニー・アントゥフィエフもいる。また、アイスランド人アーティストのラグナル・キャルタンソンが米露関係を題材に制作した演劇《Santa Barbara – A Living Sculpture(サンタバーバラ - 生きている彫刻)》は、GES-2のオープニングを飾った作品だが、現在キャルタンソンはGES-2と距離を置いている。
前出のニュージーランド人キュレーター、サイモン・リースはフェイスブックへの投稿でプーチンとその「取り巻き」を「旧式の冷戦戦士」と呼び、現代アートフェア、コスモスコウのアートディレクターを辞した。リースはUS版ARTnewsの取材に対し、プーチンが政権を退かない限りモスクワに戻ることはないと言明する一方、GES-2のキュレーターとして残ると決めたボナミが評判を落とすことはないだろうと述べている。
「率直に言って、1人のキュレーター、1人のアーティストが、現在のロシア国内の政治情勢を変えるほどの影響力や権力を持っているとは思えません。あるシニアキュレーターがV-A-Cでプロジェクトを行ったところで、体制全体には何の変化も起きないでしょう。中でも、ボナミは年配でそろそろリタイアする時期にありますし、ヴェネチアにも支部のあるV-A-Cはイタリアに深く根付いているので、彼が批判にさらされるとは思いません」
フランチェスコ・マナコルダも、ロシアによるウクライナへ侵攻の直後にV-A-Cのアーティスティックディレクターを辞め、現在はトリノのカステッロ・ディ・リヴォリ現代美術館(トリノ)で館長を務めている。彼は、ロシア政府の行為を理由にロシア人を疎外することについて慎重な姿勢を示し、次のような見解を述べた。
「ロシア国民すなわちロシア国家というわけではありません。しかも、戦争解決は対話によってのみ可能ですが、外交を長期的視野で捉えたとき、中心的な役割を果たせるのが文化的対話です。しかし今、ロシア国民を孤立させてはならないという緊急性のある問題と、ウクライナとロシアの間で起きている戦争に対する倫理的な立場との間で、一人一人が選択を迫られています」
US版ARTnewsは、キーウにあるピンチューク・アート・センターのディレクター、ビョルン・ゲルドホフにも取材。ボナミがGES-2から「Square and Space. From Malevich to GES-2」展のキュレーションの仕事を引き受けたと聞いて、どう思ったか尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「私が言うのも失礼ですが、プーチン政権を支持し、戦争を直接支持して制裁を受けているロシア人と意図的に仕事をするなら、それは間違いなく戦争を支持していることになります。(ボナミのGES-2への関与は)深刻な問題です……死に瀕しているウクライナ人に対する冒涜と言わざるを得ません」
ヘルシンキのアートギャラリー、コフタ(Kohta)でディレクターを務めるスウェーデン人キュレーター、アンダース・クルーガーもゲルドホフと同意見だ。
「それが誰であっても、ロシアの文化施設で働くのは極めて利己的なことです。その施設が反体制的なら既に閉鎖されているはずですから、現在もウクライナ戦争を公然と進めている体制に忠実であることは明らかです。今、ロシアの施設と協力する正当な理由など一切ありません」
また、ウクライナ系アメリカ人のキュレーターで作家のコンスタンティン・アキンシャは、ボナミがGES-2で展覧会を企画することを「プロパガンダ・クーデター」という辛辣な表現で非難している。
「ロシアにおける現代アーティストへの組織的な弾圧を、ボナミが知らないとは思えません。作家たちは集団起訴されることもあれば、刑務所に送られることもある。国を離れざるを得ない場合もあります。プーチンのロシアは、(ボナミのような人物がいることで)自分たちがまだ国際的に通用することを証明したがっているのです」
ロシアの文化施設との仕事を続けることを選んだイタリアのアート関係者は、ボナミだけではない。今年初め、美術史家のルカ・トミオはサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館で開催された企画展「New Mysteries of the Paintings of Leonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ絵画の新たな謎)」の企画に協力。公式ウェブサイトには「学術コンサルタント」として名前が記されている。
この展覧会には、実業家のコンスタンティン・ゴロシチャポフが一部資金を提供している。ゴロシチャポフもプーチンの側近で、宗教美術のコレクターでもあり、数多くの所蔵作品がこの展覧会で展示された。さらに、やはりプーチンの友人であるエルミタージュ美術館のミハイル・ピオトロフスキー館長もウクライナ戦争支持を表明し、カナダから制裁を受けている。ピオトロフスキーの息子、ボリスはサンクトペテルブルクの副知事で、2022年には爆撃で壊滅的な被害を受け、ロシア占領下に置かれたウクライナ東部の港湾都市、マリウポリを訪れている。
展覧会が開幕した2月、ピオトロフスキー館長は、この企画展がエルミタージュ美術館による「時代の課題への対応」だと発言した。展示にはルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチ作とされる《アンギアーリの戦い》と《岩窟の聖母》が含まれていたが、5月に3人の専門家がBBCロシアに語ったところによると、レオナルドの真作である可能性は低いという。ドイツの美術史家でライプツィヒ大学教授のフランク・ツェルナーは、「本格的な研究者、つまりレオナルドの作品に詳しい専門家で、これらが彼の作品であるとの見方を支持する人は誰もいません」と答えている。
ウクライナ戦争勃発後、ロシアでの仕事を引き受けたイタリア人キュレーターには、アフリカ美術を専門とするアレッサンドロ・ロマニーニもいる。彼は、第2回ロシア・アフリカ経済人道フォーラムの一環として2023年にサンクトペテルブルクで開催された展覧会、「Reversed Safari: Contemporary Art from Africa(反転されたサファリ:アフリカの現代アート)」のキュレーションを担当した。
なお、トミオもロマニーニもコメントの要請に応じなかった。
戦争に反対するロシア人作家が「倫理的な基本ルール」を提言
ロシアでのプロジェクトを進めるかどうか、選択を迫られているのはアーティストも同様だ。今年初め、イタリアの写真家エドアルド・デリレとジュリア・ピエルマルティリの2人は、モスクワ市所有のモスクワ・マルチメディア美術館(MAMM)からの招待を受け、共同展「Atlas of the New World(新しい世界の地図)」を、4月13日から8月18日までの会期で開催した。
この展覧会は、世界各地で気候変動がもたらす影響を探求するもので、深刻な危機にさらされている地域に暮らす人々の写真と、それらの地域が今世紀末にどのような姿になっているかのビジョンを重ね合わせて展示した。皮肉なことに、同展のスポンサー、ロシアのノリリスク・ニッケル社は、さまざまな環境汚染を引き起こしている世界最大級の非鉄金属製造会社で、2021年の北極圏での燃料流出事故では、ロシアの裁判所から20億ドル(約3000億円)という記録的な額の罰金を科せられている。
同社の主要株主は、ロシア第2の富豪でプーチンの盟友でもあるウラジーミル・ポターニン。2022年にアメリカとイギリスから制裁を受けたポターニンは、貿易会社のノルメティンペクスも所有しており、独立系メディアのプロジェクトが報じるところによると、ロシア軍用機のエンジンに使われるニッケルや、ロシア最大の原子力施設で用いられるコバルトを供給している。
デリレはUS版ARTnewsの取材に対し、ノリリスク・ニッケルがMAMMの展覧会のスポンサーだとは知らなかったと回答。また、ウクライナ戦争のためにロシアの一般市民が芸術に触れる機会を奪われるべきではないとの考えを示した。さらに、自分もピエルマルティリも(侵攻前の)2019年から展覧会の準備を進め、旅費を除けば2人ともMAMMから報酬を受け取っていないと弁明した。
「ロシアの政治にはまったく賛同できませんし、もちろん戦争には絶対に反対です。それに、私たちがモスクワに招かれたのは気候変動について伝えるためです。ロシアの子どもたちと話しましたが、彼らは自分の国の政府が(ウクライナで)行っていることを恥ずかしいと感じていました。子どもたちに責任はないのです。私はイタリア人ですが、イタリア政府とは違ってファシストではありませんし、残念ながらイタリア政府のやることには賛同できません。だから、自分のプロジェクトについて話すためにモスクワに行くことにしたのです」
ノリリスク・ニッケルの関与を知っていたらMAMMに協力しただろうか? そう聞くと、デリレは分からないと答えた。
2013年の第55回ヴェネチア・ビエンナーレにロシア代表として参加したヴァディム・ザハロフも、侵攻開始以来、強硬な反対運動を続け、2022年のヴェネチア・ビエンナーレでは「ウクライナの女性、子ども、市民の殺害はロシアの恥だ」と書かれた横断幕を掲げて抗議した。
最近US版ARTnewsが行ったインタビューで、ザハロフは欧米のアート関係者がロシアの芸術団体と倫理的に仕事をするための2つの基本ルールを示している。1つは「人道的・教育的目標」を追求するプロジェクトに限ること、もう1つはウクライナとの戦争に直接的・間接的に関連する団体からの資金提供を受けないことだ。しかし、ロシアにおいて欧米のキュレーターやアーティストが活動する場合、それが「最小限の活動」であっても、「問題は何もなく、戦争など行われていないという誤った感覚」を生み出すことになると釘を刺したうえで、こう語った。
「一定の教育を受けた人々の心の中にもこうした分裂した思いが生じることが、戦争そのものより悪い事態なのかもしれません」 (翻訳:清水玲奈)
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