今後20年で富の大移動が発生? 最新のアート市場調査から学ぶべき3つのポイント
世界のアートコレクターを対象とした「アート・バーゼルとUBSによるグローバル・アート収集動向調査」が、10月24日に発表された。その中から、ハイエンド層の不振が示す変化、始まりつつある「富の大移動」の影響、アートフェア参加や購入チャネルにおける行動様式という3つの主要ポイントについてお伝えする。
2023年はアート市場にとって、近年にない波乱の年となった。2008年と2016年にも厳しい状況に見舞われたが(1990年は言うまでもない)、今回の「調整」局面はコロナ禍後の低金利による若手・新進アーティストへの投機ブームが一巡したのちに始まり、今も続いている。バブルは弾けたのだ。
10月24日に2024年版が発表された「アート・バーゼルとUBSによるグローバル・アート収集動向調査(Art Basel and UBS Survey of Global Collecting)」の中で、アート・バーゼルのノア・ホロウィッツCEOは、現在の市場背景を「高金利、そして長引く地政学的緊張や貿易の分断が継続し、買い手と売り手双方の心理に重くのしかかっている」と見ている。
アートの買い手が何を考えているかを知るのに、今ほど良い機会はそうないだろう。買い手がいなければアート市場は成り立たず、もし近いうちに変化が起きるとすれば、それを牽引するのはコレクター層だからだ。以下、同調査から読み取れる3つの主な動きをまとめる。
なお、調査は2023年から2024年前半にかけ、14の主要市場で3600人あまりの富裕層を対象に行われた。
1. 裾野は広がったが、ハイエンド層の売上が減少
アート市場全体の売上高は650億ドル(直近の為替レートで約9兆7500億円、以下同)で、2022年から4%減となった。この市場縮小は、主にハイエンド(最高価格帯)での取引減少が原因となっている。しかし調査レポートによると、価格が数百万ドル(数億円)レベルのハイエンド作品こそ、「2020年の落ち込み後に売上げが回復する上で重要な役割を果たした」とされる。そのセグメントが不振を示した今回の調査では、低価格帯作品の販売数が増加したにもかかわらず、市場の成長は停滞している。
報告書を執筆した文化経済学者のクレア・マッキャンドルーは、US版ARTnewsの取材にこう答えた。
「通常は、(市場の)ハイエンドが牽引して危機を克服し、状況が改善するものですが、ここ1年半は低価格帯作品の売れ行きのほうが勝るという逆転現象が続いています。ただし、高価格帯全体が低迷しているというわけではありません。最高価格帯での販売が弱含みになっているのです」
この変化により、底辺は拡大し、頂点部分は狭まった。マッキャンドルーは、市場はより安定したものになるだろうが、ダイナミックな魅力は削がれるかもしれないと述べている。
また、全ての層で、以前より購入検討に時間をかけるようになっていること、そして複数の情報筋によると、公開オークションではなく、積極的な値切り交渉ができるプライベートセールが好まれる傾向にあることも重要な点だ。これは、超高額落札を連発するオークションや、アートフェアのVIPデーに通い慣れた買い手の心理に起きつつある変化の反映かもしれない。数年前までアートフェアのVIPプレビューは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)でのアート鑑賞よりも、スーパーマーケットを舞台に一攫千金を狙うテレビのゲーム番組「スーパーマーケット・スウィープ」に近いものだった。
10月23日、ニューヨークのトライベッカにあるシックなレストランで行われた調査レポートの発表イベントで、ホロウィッツはこう言った。
「アートフェア開幕前のプレセールで大量に作品が売れ、VIPプレビューが華やかに盛り上がる時代は終わったのかもしれません」
このイベントでは、ホロウィッツのほかにもマッキャンドルーやUBSグローバル・ウェルス・マネジメントのチーフエコノミスト、ポール・ドノバンが講演。厳しい表情の聴衆たちは、大理石のテーブルで脇目も振らずノートを取っていた。
「最近、アートフェアでの販売には時間がかかります。5日間のフェア会期を通して、継続的に取引が行われるようになったのです。顧客獲得は以前よりも難しくなり、ギャラリーのビジネスコストが上昇するなど、市場環境には厳しいものがあります」
2. 「富の大移動」による市場への美術品大量流入の可能性
このところ主流になっている見方によると、今、アメリカでは史上最大の富の移転が始まりつつあるという。今後20年ほどの間に、戦前生まれのサイレント世代や第一次ベビーブーム世代の銀行口座、保有資産、コレクションが、X世代、ミレニアル世代、Z世代などの若い親族へと移動し、ゆっくりとではあるが、84兆ドル(約1京2600兆円)もの富が受け継がれることになる。
保有資産が10億ドル(約1500億円)を超える超富裕層(ビリオネア)だけでも、6兆ドル(約900兆円)が配偶者や子ども、慈善団体や美術館に渡ることが予想されている。それは市場にどんな影響を与えるのだろうか? 留意が必要なのは、若い世代の好みは年配の親族の好みと必ずしも一致しないという点だ。
それでも、若い富裕層が相続した美術品の保存に関心を持っていることが調査から明らかになった。回答者の91%はすでに相続した美術品を所有し、そのうち72%はそれらの作品を自らのコレクションとして保管していると回答した。相続した美術品を売却または寄付する理由としては、既に所有しているコレクションとの相性が悪いことを挙げた人は少数派で、全体の3分の1にも満たなかった。
では、若い富裕層が受け継いだ美術品を手放す動機は何だろうか? 調査レポートによると、理由のほとんどは現実的なものだった。回答者の55パーセントが作品を手放した理由を保管スペースの問題とし、47パーセントは相続税を支払うためと答えている。発表イベントでUBSのエコノミストであるドノバンは、富裕層が相続税や所得税を支払うために作品を売却している(すなわち美術品が市場に出回る)という事実は、このレポートの最も興味深い部分の1つだとし、こう説明した。
「今後20年間で84兆ドルの資産が移転される見通しである一方、公的資金は不足しています。そのような環境では何が起こるでしょうか? 富裕税や相続税が引き上げられる可能性が高く、美術品のコレクションを所有する人が少なくとも一部の売却を迫られる状況が、今後さらに加速する可能性があります。今後数年間、財政政策がこの方向に向かうことが確実だからです」
3. 調査対象によるアートフェア参加や購買行動の違い
ポストコロナの今、富裕層がアート関連のイベント出席に積極的なのは不思議ではない。反面、コロナ禍で身につけた行動様式──オンライン・ビューイングルームやウェブサイト、さらにはインスタグラムからのアート購入──に適応し、それを習慣化していることも見逃せない。
2019年に富裕層は、年間平均41件のアート関連イベントに出席。内訳にはギャラリーの展覧会6件とアートフェア5件が含まれていた。2020年にこの件数は激減したが、今回のレポートでは、2023年は平均49件のアート関連イベントに参加し、2024年には約46件のアート関連イベントへの参加を計画するなど、対面式イベントへの参加件数が顕著に回復しているという歓迎すべき結果が出ている。
しかし、アートフェアやギャラリーの展覧会への来場者数は回復したものの、スタジオ訪問やライブオークション、ビエンナーレや大規模芸術祭などのイベントでは、2019年の来場者数を下回っている。また、アート関連イベントへの参加を国内外でバランスよく調整するようになり、2024年には参加イベントの54%が居住国で開催されるものだった。
「コレクターは、これはというイベントに的を絞り、はっきりした意図を持って参加するようになってきています」
ホロウィッツはUS版ARTnewsの取材でこう述べ、コロナ禍以降、世界各地で行われるアート・バーゼルで地域性が若干高まっていることを指摘した。富裕層が地元のフェアを選んで訪れる傾向が強まった結果、マイアミビーチはよりラテンアメリカ色が濃くなり、スイス・バーゼルのフェアはヨーロッパ色を強く打ち出すようになっている。そして、最も国際色豊かなのがアート・バーゼル・パリだという。
今回のレポートに示された最も興味深い結果の1つが、市場全体の調査と、アート・バーゼルのVIPに対象を絞り込んだ調査との間に差があることだ。マッキャンドルーによると、アートへの関心が高いアート・バーゼルのVIPゲスト(資産額でのスクリーニングなし)を対象とした調査では、メインレポートの富裕層一般とは行動パターンが異なることが明らかになった。
富裕層一般では、コロナ禍以前に比べて参加するアート関連イベント数が増え、リアルなアート体験への関心の高まりが示されている。しかし、こうしたコレクターたちには、ギャラリーを訪れて購入するよりも、オンラインやメールなど、リモートで買うのを好む人が多く、ギャラリーを通じて購入する人のうち、対面での取引を好むという回答は約20%にとどまっている。一方、アート・バーゼルを訪れる熱心なVIPゲストに限ると、対面でのコミュニケーションを優先する傾向があり、コロナ禍以前よりも参加するイベントの数は減ったものの、購入には依然として対面の場が重要な位置を占めている。
つまり、富裕層一般は活発にアートイベントに参加しながらオンラインでの購入を好み、少数の熱心なコレクターはイベントへの参加は減っているものの対面での購入体験をより重視するという対照的な結果となっている。(翻訳:清水玲奈)
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