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ヴェネチア・ビエンナーレ 金獅子賞生涯功労賞を受賞したセシリア・ビクーニャ。代表的な7作品で活動をおさらい

50年以上にわたってアーティスト、詩人、アクティビストとして常に時代を先取りしてきたチリ生まれのセシリア・ビクーニャ。2022年のヴェネチア・ビエンナーレで 金獅子賞生涯功労賞を受賞し、今、さらに注目を集めている。1960年代の半ばから、まだ誰も意識していなかった環境問題や社会正義をテーマ走り続けてきたビクーニャの作品に見られる特徴、そこに込められたメッセージについて、改めて振り返ってみよう。

セシリア・ビクーニャ WIKIMEDIA

パフォーマンスやインスタレーション、彫刻、近年再び取り組むようになった絵画など、ビクーニャの表現手段は幅広い。また、20冊以上の詩集を出版している著述家としても知られる。そして何より、彼女はエコフェミニスト(*1)の先駆的存在だ。


*1 エコフェミニズムとは、エコロジー運動とフェミニズム運動を結びつけた社会的・経済的な思想や活動の総称。家父長制社会の中で支配・搾取されているという点で「自然」と「女性」に共通点を見いだしている。

現在進行形のプロジェクトでは、肉体的な感覚と環境保護というテーマを、女性の権利や人権に結びつけて問題提起している。執筆活動、アート制作、街頭での抗議行動は全て、彼女の言葉を借りれば、地球の「女性的」な生命力に世界の目を向けさせることを目指しているという。

しかし、長い間、ビクーニャの展覧会を訪れる人は少なかった。「昔は、気候変動の問題に誰も関心を持っていませんでしたから」と、彼女は2019年のアートニュースペーパー紙のインタビューで語っている。だが、地球温暖化が加速し、世界中で所得格差が広がっている今、改めて彼女の作品の先見性が浮き彫りになっていると言えるだろう。

4月に開幕した2022年のヴェネチア・ビエンナーレで、ビクーニャはドイツ人彫刻家のカタリーナ・フリッチュとともに、栄えある金獅子賞の生涯功労賞を授与された。5月には、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で大規模回顧展「Cecilia Vicuña: Spin Spin Triangulene(セシリア・ビクーニャ:スピン スピン トリアンギュレン)」(*2)が開幕している(会期は9月5日まで)。


*2 トリアンギュレンとは、6つの六角形が三角形状につながったような図で表される炭化水素分子で、2個の電子スピンの向きが大きな力によってそろうことが計算科学で予想されていたもの。

また、ロンドンのテート・モダンが毎年行うヒョンデ・コミッションの2022年度の制作アーティストにも選ばれており、この秋から同美術館の巨大なタービン・ホールを丸ごと使った展示を行う予定だ(会期:2022年10月13日〜2023年4月16日)。

今、各方面から注目が集まっているビクーニャの創作の原点や意図、特徴がよく分かる代表的な7作品を見ていこう。


1. 《Casa Espiral(螺旋の家)》(1966)


《Casa Espiral(螺旋の家)》(1966) Photo: Courtesy the artist and Lehmann Maupin, New York, Hong Kong, Seoul, and London.

1966年、ビクーニャはチリの海岸部にあるコンコン市の浜辺で、《Casa Espiral(螺旋の家)》を制作。これは、彼女が今も作り続けている「プレカリオ(不安定な)」と呼ばれるシリーズの第1作目となる作品だ。砂の上に螺旋を描き、あたりに落ちていた棒や羽、植物などでその周りを囲んだこの壊れやすい作品を、彼女は満ち潮で波にさらわれるままにしている。

《Casa Espiral》以降、ビクーニャは何度もこの海岸に足を運び、同様の作品をいくつも制作した。そして、美術館の中に「プレカリオ」を展示することもある。

「プレカリオ」は儀式を思わせるエフェメラル(*3)な作品で、ヨーロッパ人と接触する前の先住民文化や自然界への敬意を示すものだ。このシリーズを作るようになったきっかけは、10代の頃に家族の別荘があったコンコンの砂浜に棒を突き立てたことだったとビクーニャは語っている。近くにあったアンデス先住民の聖地には、製油所が建てられていた。そこから出た汚染物質で足の裏が黒くなったのを見て、世の中の全ての行為とモノが結びついているのを感じたという。


*3  ephemeralは「はかない」「つかの間の」の意。長く保存することを想定していないものを指す。

ヨーロッパ人と先住民、両方の血を引くビクーニャは、自然との共生関係を受け入れる先住民の考え方から、長い間インスピレーションを受けてきた。そして、土着文化の破壊と環境破壊の間に見られる類似性を作品の中で表現している。グッゲンハイム美術館のキュレーター、パブロ・レオン・デ・ラ・バラによる最近のインタビューで、ビクーニャはこう述べている。「全てはあらゆる事象や文化の関係性と相互作用で成り立っているというのが、先住民の考え方の核心です。これこそ、現在の世界を支配する強欲、獲得、搾取の文化が、ないがしろにしてきたことなんです」


2.《Janis Joe (Janis Joplin and Joe Cocker)(ジャニス ジョー〈ジャニス・ジョップリンとジョー・コッカー〉)》(1971)


《Janis Joe (Janis Joplin and Joe Cocker)(ジャニス ジョー〈ジャニス・ジョップリンとジョー・コッカー〉)》(1971)キャンバスに油彩、約200 × 220cm Photo: Courtesy the artist and Lehmann Maupin, New York, Hong Kong, Seoul, and London.

数多くの作品を手掛けてきたビクーニャだが、その絵画はこれまで数十年間、あまり知られていなかった。10代の頃は抽象画を描いていたが、やがてシュールな具象画へと移行。その画風は、チリの女性が社会や個人に起きた出来事をパッチワークで描く、伝統的な手工芸「アルピレラ」を思わせる。

あえて民俗画風のスタイルを採っているのには意味がある。他の作品で選択する素材や手法と同じように、既存の制度に対する彼女の抵抗の姿勢を表しているのだ。この作品の場合には、ヨーロッパの油彩の伝統を捨て、地域社会や先住民が持つ独自のコミュニケーション方法や表現形式を取り入れた。

現在グッゲンハイム美術館で開催中の回顧展に展示されている《Janis Joe (Janis Joplin and Joe Cocker)(ジャニス ジョー〈ジャニス・ジョップリンとジョー・コッカー〉)》には、1970年代の政治と大衆文化に関するイメージがたくさん盛り込まれている。絵の中心にいるのは、腰から下が裸のジャニス・ジョプリン。その周りを取り囲むように、イギリスのロックスター、ジョー・コッカー、脱獄しようとする活動家・著述家のアンジェラ・デイビス、初潮を迎えた10代のビクーニャ、トイレでエロティックに絡み合う2人の女性などが描かれている。


3. 《Karl Marx(カール・マルクス)》(1972)


《Karl Marx(カール・マルクス)》(1972)キャンバスに油彩、約92 × 72cm Photo : Courtesy the artist, Solomon R. Guggenheim Museum, New York and Lehmann Maupin, New York, Hong Kong, Seoul, and London.

ビクーニャは1972年にイギリスに渡り、ロンドンのスレード美術学校の大学院で学んだ。そこで制作した絵画作品は、1960年代から取り組み続けてきた抵抗と解放というテーマを、さらに掘り下げようとするものだった。

《Karl Marx(カール・マルクス)》(1972)は、ビクーニャが1970年代に描いていた社会主義の有名政治家の肖像画シリーズ「革命の英雄たち」の第1作目だ。この絵では、『共産党宣言』の共著者であるマルクスが花咲く木々の間に立ち、片側にはストッキングとガーター姿の女性が、もう片側には仲睦まじいカップルが描かれている。

この絵についてビクーニャは、次のように書いている。「私は、エロティシズム、詩学、ブルース、ジャズ、ロック、女性や同性愛の解放というテーマをマルクスと関連付けることで、彼を称えたいと思いました。こうしたテーマを、教条主義的なマルクス主義者はマルクスの思想とはかけ離れたものと考えますが、実は革命と本質的な関わりがあると私は思います」


4. 《Angel de la menstruacion(月経の天使)》(1973)


《Angel de la menstruacion(月経の天使)》(1973)キャンバスに油彩、約57 × 48cm Photo : Courtesy the artist and Lehmann Maupin, New York, Hong Kong, Seoul, and London.

ビクーニャの作品に繰り返し登場するモチーフである月経は、種の繁栄や女性的な力の象徴であると同時に、家父長制社会ではしばしばタブー視される生理現象だ。1973年に発表された自画像《Angel de la menstruacion(月経の天使)》は、生理中のビクーニャが奇跡のように(彼女の言葉によると、素粒子のように)空中で回転する様子を描き、タブーとされた事象を抵抗のシンボルに変換している。

チリでアジェンデ大統領の社会主義政権が軍事クーデターによって倒された1973年9月以降、ビクーニャは絵を描くことをやめてしまった。その40年後、英国の美術史家ドーン・エイズが保存されていた彼女の絵を発見。それらの作品は、2017年のドクメンタ14で展示された。反響があったことに背中を押され、ビクーニャは再び絵を描き始め、数十年の間に失われてしまった作品を記憶や記録写真を頼りに再現している。


5. 《Quipu Womb(The Story of the Red Thread, Athens)(キープの子宮〈赤い糸の物語、アテネ〉)》(2017)


《Quipu Womb(The Story of the Red Thread, Athens)(キープの子宮〈赤い糸の物語、アテネ〉)》(2017)。染めた原毛、約600 × 800cm。ドクメンタ14での展示風景(会場はアテネの国立現代美術館) Photo: Mathias Voelzke. Courtesy the artist and Lehmann Maupin, New York, Hong Kong, Seoul, and London.

ビクーニャは、1975年にロンドンからコロンビアのボゴタに居を移した。さらに、80年にはニューヨークに移り、現在はサンティアゴとニューヨークを行き来している。

人工物のゴミを素材にした「プレカリオ」や「バスリータ(小さなゴミ)」に加え、ビクーニャがよく作るのが、天井から糸や紐などを何本もつり下げた作品だ。これは、ヨーロッパ人がやって来る以前のアンデス社会で、記録媒体として使われていたキープ(水平に取り付けられた棒や紐から複数の結び目がある紐の束をつるしたもの)を参考にしている。

彼女の現代版キープは、立場の弱い共同体や壊れやすい生態系の破壊に対する抗議の声や行動を示している。その一例が、現在グッゲンハイム美術館で展示されている黒、赤、白の《Extermination Quipu(抹殺のキープ)》(2022)だ。ワイヤーや髪の毛などが編み込まれたこの作品は、先住民文化の消滅を暗示しているのだろう。また、2018年に作られた灰色とオレンジの《Burnt Quipu(燃えたキープ)》は、同年にカリフォルニアで起きた大規模な山火事の記録だ。

《Quipu Womb(キープの子宮)》は、2017年に開催されたドクメンタ14で初公開され、アテネの美術館に展示された。展示室の天井からつるされた高さ約6メートルの巨大インスタレーションで、結び目のある、血のように赤い羊毛の紐が何本も垂れている。アンデスと古代ギリシャの神話をつなぐことを意図して制作され、《Angel de la menstruacion(月経の天使)》のように生命の連続性を称える作品になっている。


6. 《Balsa Snake Raft to Escape the Flood(洪水を逃れるためのヘビ筏〈いかだ〉)》(2017)


《Balsa Snake Raft to Escape the Flood(洪水を逃れるためのヘビ筏)》(2017)ミクストメディア(ニューオーリンズ、チリ、ニューヨークで拾い集められた素材)、約335 × 183 × 1280cm。ニューオーリンズのコンテンポラリー・アーツ・センターで2017年に開かれた展覧会「Cecilia Vicuña: About to Happen(セシリア・ビクーニャ:これから起きること)」の展示風景 Photo: Alex Marks. Courtesy the artist and Lehmann Maupin, New York, Hong Kong, Seoul, and London.

発泡スチロール、プラスチック、釣り糸、羽、小枝など、ルイジアナ州の海岸で拾った漂流物で作られた全長約13メートルの彫刻は、気候変動と海面上昇に対するビクーニャの危機感を表している。タイトルにある「筏(いかだ)」は、ハリケーン・カトリーナの記憶を呼び起こし、喫緊の課題に関する問いを投げかける。「人類は一体どのようにして、水没を逃れるつもりなのか?」と。


7. 《Living Quipu(生きたキープ)》(2021年1月9日)


シアトルのヘンリー・アート・ギャラリーでの《Living Quipu(生きたキープ)》(2019)のパフォーマンス Photo: Chona Kasinger. Courtesy of the Henry Art Gallery, and Lehmann Maupin, New York, Hong Kong, Seoul, and London.

アーティストとして活動を始めた当初から、パフォーマンスはビクーニャにとって抗議の手段としても集団的な経験の場としても重要なものだった。コロンビアのボゴタに住んでいた1979年には、《El Vaso de Leche(コップ1杯のミルク)》という作品を発表。ラテンアメリカ諸国の独立を指導した19世紀の英雄、シモン・ボリバルの家の前に観客を集めた彼女は、白い絵の具の入ったグラスに赤い糸を結び、それを引いてグラスをひっくり返した。業者が儲けを増やそうと水と絵の具を混ぜた牛乳を売り、それを飲んだ2000人近い子供が亡くなったことに人々の目を向けさせるためのパフォーマンスだった。

ビクーニャのキープは、2019年にボストン美術館で行われた《Living Quipu(生きたキープ)》のように、観客参加型パフォーマンスに使われることもある。この彫刻的なインスタレーションで、ビクーニャは観客を羊毛や布で包んだり、覆ったりして、彼らの経験や記憶を現代版キープの一部に取り込むことを試みている。(翻訳:野澤朋代)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年6月29日に掲載されました。元記事はこちら

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