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インドの“旅する図書館” 貴重な写真集を人々へ

2022年2月、毎週土曜日にデリー(インド)のアートラバーたちは、北インドに訪れる短い春を最大限に利用し、16世紀の遺産を復元した公園・樹木園「Sunder Nursery(サンダー・ナーサリー)」を訪れた。

オフセット・プロジェクトの創設者で写真家のアンシカ・ヴァルマ氏(右)は、イベントで参加者に写真集を紹介した Photo: Anshika Varma

世界遺産と300種以上の樹木の中に、異色の“保管庫”であるトランクケースは佇んでいた。そこには、写真、アート、本作りに一般の人々が関わることを目的とした団体Offset Projects(オフセット・プロジェクト)の創設者で写真家のアンシカ・ヴァルマが収集し、愛情を込めて保存した貴重で美しい数々の写真集が並んでいる。

晴天に恵まれたある日。地元の人々がヴァルマのトランクをあさっては、写真集を眺めたり、写真を撮ったり、他の人と議論したりして、ケースに戻す。次々に人が訪れ、代わるがわる写真集を手に取る。ヒンディー語で「トランク」を意味する「Offset Pitara」と名付けられたこのプロジェクトは、ヴァルマが毎週末、ニューデリーやゴア、ジャイプール、香港などで数時間だけ公開する、巡回型の写真集図書館なのだ。

デリーにあるサンダー・ナーサリーで開かれたプロジェクト「Offset Pitara」。緑の中にトランクケースが設置された Photo: Anshika Varma

ヴァルマがプロとして携わる「写真」と、大学で学んだ「文学」という、彼女が最も情熱を注ぐ2つの要素を融合させて2018年に誕生したプロジェクト。きっかけは、仕事を通じて多くの写真集に出合い、魅了されたこと。ヴァルマは、幅広い人々に届けることができる写真集のいわば民主的な性質を感じていたのだという。しかしながらインドでは、写真集は入手困難な上に値段は法外に高い。そこで、1冊になるべく多くの人が触れられる「旅する図書館」を思いついた。

ヴァルマと写真家のアディル・ハサンは最近、初の写真集を出版し、ニューデリーで開催されたインド・アート・フェア2022で発表。ウルドゥー語で「会話」を意味する「Guftgu」と題されたこの本は、南アジアの現代写真家10人の作品を収録した、一風変わった写真集だ。写真とテキストで構成するZINE(ジン)というカテゴリーのもので、パンフレットやアコーディオン式のアルバムといった形式を横断し、かつ、形式に囚われないものに仕上がっている。ヴァルマはここに、新型コロナ禍で抑圧されたアーティストたちの対話を記録した。

豊かなビジュアルで表現する写真集の民主的な可能性を追求するインド人アーティストは、ヴァルマだけではない。アーティストで写真家でもあるダヤニータ・シンは、長年にわたって写真集を手掛けてきた。1986年に初の写真集『Zakir Hussain』を刊行して以来、多くの写真集を発表し、写真集という“メディア”が持つ様々な芸術性を探求する展覧会を開催している。今年初めには、写真の最高賞として知られるハッセルブラッド国際賞を受賞。かつてシンは、「本をつくるために写真をつくり、展覧会をつくるために本をつくった。そして今は本をつくるために展覧会をつくっている」と言った。

昨年、シンはヴァルマと共に本の構想をテーマにしたオンライン対談を行い、その中で、「普及」と「イメージ」の関係をさらに深める方法として、出版社とアートギャラリーを融合させた空間づくりを提案した。

4月末に開催されたインド・アート・フェアでの、オフセット・プロジェクの展示ブース Photo: Anshika Varma

これまで、写真集はインドのアート界ではほぼ見過ごされてきた。だが、ダヤニータ・シンの働きかけや、アンシカ・ヴァルマのプロジェクトによって変わりつつあるのだという。今年のインド・アート・フェアでは、13年の歴史の中で初めて、写真集のためのブースが誕生した。これは、インド・アート・フェアがより幅広い現代アートを紹介することで、若い観客を惹きつけ、未来のコレクターを育てることを目的とした取り組みの一環だといえる。

さて、その結果はどうだったかというと。デリーの猛暑にもかかわらず、かつてないほどの来場者数を記録した。もちろん、フェアの主役は写真集だ。

この7月、フランスのアルル国際写真フェスティバルで写真集『Guftgu』の発表を控えたヴァルマは、作品への大きな反響に驚いているという。しかし、写真の普遍性や、視覚的にも豊かなテキストが人々に与える大きな影響を知っていれば、ヴァルマのユニークな活動の成功は当然のことにも思える。(翻訳:編集部)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年7月8日に掲載されました。元記事はこちら

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