つくる手つなぐ手:第2回 藤堂「時を重ねた素材は、エネルギーの塊なんだ」

アーティストが次のアーティストを指名し、その「手」でバトンをつないでいく、リレー形式のインタビュー企画。第2回目は、今年の「越後妻有 大地の芸術祭 2022」(7月30日~11月13日)に参加するアーティスト藤堂さん。神奈川県相模原市にあるアトリエで、現在制作中の上海のホテルに設置予定の作品や、過去の作品を紹介してもらいながら、制作にかける思いを聞いた。

一番好きなのは素材の質感。異質と見るか、同質と見るかはその人次第

重厚な佇まいの石。切断面には積層されたガラス板が挟み込まれ、そこだけに光が差し込む。素朴でありながらも神秘的で、異なる素材同士が一体となる姿が見る者を惹きつける。

この石とガラスで出来た代表的なシリーズをはじめ、藤堂さんは「場所・時間・空間・歴史・積層」をテーマに、彫刻家としてさまざまな形態の作品を作り続けてきた。彼は、制作におけるこだわりや面白みについて、こう語る。


《Gernika》(2008) ゲルニカで拾ってきた石を使った作品。自身のコレクションとして大切にしている。

「最近気づいたんですが、私はたぶん、素材とその質感が好きなんです。実際に、素材そのままの形で使うことが多いし、色彩にはほぼ興味がない。そのぶん、素材にはすごくこだわっている。石とガラスの作品を見た人から、『異質な素材の組み合わせが面白い』と言われると、『へえ』って思うんです。私としては、ガラスの原料は石や砂で、石によってはガラスみたいな硬さのものがあるし、ほぼ同質と捉えているから。でもテクスチャーだけ見ると、たしかに異質にも見える。こうやって違いを見るか、共通するところを見るか、人によって全然捉え方が違うから面白いんですよ」

屋外の作業スペースに出ると、13年暮らしたドイツで愛用し、東日本大震災を機に帰国を決めた時に「何がなんでも持って帰る」と船便で運んできた回転式の作業台が。その上には、制作途中の大きな石と積層ガラスの作品が鎮座していた。

「これは宮城県で採れる伊達冠石(だてかんむりいし)を使っています。大きくて丸いでしょ? これは削ったんじゃなくて、元々の形なんですよ。鉄分がたくさん入っているから、さびたような独特の色と質感があるんです。その石を2つに切って、間に積層ガラスを入れて接着してから余分な部分を削っていきます。ガラスのエッジが欠けないように接着面の隙間をこまめに埋めながら進めていく。「水磨き→乾燥→隙間埋め」の工程を毎回やるので時間がかかる。だから複数の作品を同時進行で進める必要があるし、完成まで2ヶ月くらいはかかります。

このシリーズを始めたのは、ドイツにいた頃。アトリエに転がっていた石で作ってみたのがきっかけで、作り方はその頃から基本的に変わっていません。愛用している作業台は、ドイツではよく使われているものですが、日本には同じようなものが売っていないんですよ。これは1トンまで載せられる回転昇降式の作業台なので、ぎっくり腰な私には無くてはならない相棒です。大切な仕事道具だから壊れたら大変なので、鉄工場へ持っていって複製品を作ってもらいました。

藤堂さんは石のシリーズと同様に、本のシリーズにも長年取り組む。ヨーロッパの古本市や日本の古本屋で手に入れた、哲学書や聖書、文学書などを用いて、ページの部分にガラスを入れて作品にしている。また、本や地図を樹脂で固めた作品も同シリーズで展開。藤堂さんは本のどこに惹かれ、どのように作品に落とし込んでいるのだろうか。

「本はフォーマットが決まっていて、そのミニマルな四角い形の中に世界がある。読んでもよし、眺めてもよし、ページの重なりが時間の積み重なりのようにも、木の年輪のようにも思える。本を選ぶ時は、やっぱり装丁が良いものに目が行く。そして新品はほとんど選ばない。朽ちたのが好きなんです。本は10年や20年じゃなかなか朽ちず、100年以上は平気で持つ。馴染み深いけれど、本が書かれた場所や時代を感じさせてくれる、すごい媒体だと思います。作品を作る時は、まず中身のページを抜いて、好きなページの一部を切り取って内側に貼ります。選ぶのは基本的に一番最初か、最後のページが多いかな。あとは、著者や主人公の写真や絵が入っていたら、なるべくそこを使うようにしています。そしてガラスはあえて一番薄い3ミリのものを層にして固めている。作品を小口側から見ると、ガラスの層が本のページみたいに見えるんです。

本1冊分のページを1枚1枚樹脂で貼り合わせて固めた作品では、何枚か重ねると表面が凸凹に波打ってくるので、その都度削って平らにします。たとえばこの日本地図の作品は、削った部分から下のページが出てきて、沖縄と九州が重なっているようにも見えます。和綴の小倉百人一首の本で作った時は、和紙だから大理石みたいな質感になりました」

石や本など、藤堂さんが素材として選ぶものは、本来の形をなるべく残した状態で作品になる。素材自体は、どのような観点で選んでいるのだろうか。

「私が扱う素材は、エネルギーの塊なんだ。石も本も、そのものが発する感じが良いかどうか。人間と近いかもしれない。合うなと思える人って、実際に会えばすぐわかるでしょう? それは背が高いか低いかとかいう見た目の問題だけじゃない、その人が発する何か。会ってみて初めて感じられるものがあるからこそ、素材との一期一会に神経を注いでいます」


アトリエのテーブルには、石やガラスを削る道具たちがズラッと並ぶ

ドローイングをするからアイデアは生まれ、自分が思う「良さ」が見えてくる

藤堂さんは1998年からドイツに渡り、13年間ドイツを拠点にアーティスト活を続けていた。ドイツ語が話せなかった頃は、ドローイングを名刺がわりに見せながら自分の作家性について説明していたという。そして今も、ドローイングは藤堂さんにとって欠かせないライフワークとなっている。

「ドイツの冬は本当に寒くて、外で制作できない時期が長いから、ずっとドローイングをしていました。日本の冬はそこまで寒くないから制作できちゃうし、仕事でアイデアを共有するためにドローイングを見せることも少ないから、描く時間はドイツにいた時ほど多くないけれど」

ドローイング作品の一部。気になる形や色などは何日か繰り返し描いて、そのエッセンスを自分に取り込んでいくのだそう。

そう言いながら、藤堂さんは最近のドローイング作品を見せてくれた。

「彫刻の作品は考えて、考えて、それなりに納得してから時間をかけて作る必要があって、どうしても時間がかかるし、途中で嫌になって投げ出すこともあるからなかなか達成感が得られないんだよね。だからその日の仕事終わりにドローイングを1枚描くんです。空想の世界に浸って、『今日も仕事したな』って充足感を得る。とはいえ私は絵描きじゃないから、勝手にイメージが湧き出ることもない。だからドイツにいた頃は、チラシや雑誌の切り抜きを集めたスクラップブックを作って、それをパラパラめくって気になった写真を基に描いていましたね」

藤堂さんはドローイングをしている時、何を考えているのだろう。そのスクラップブックやドローイングを見ると、意外にも色彩豊かだ。

「彫刻では色を使わないから、その反動なんだろうな。良いと思える作品に出会ったら、ドローイングで真似して描いてみることもある。そうすると自分の中に少しだけその要素を取り入れられるから。それに、ドローイング中は、余計なことは考えない。手を動かしていると勝手に閃くというか、アイデアの電波みたいなものをキャッチできるから。そしたらまたそれをドローイングしていく。そうやって積み重ねていったものを時々俯瞰してみると、自分が作りたいものとか、大切にしたいものが見えてくるんだよね」

藤堂さんのアトリエの壁には、自身のドローイングから他の作家の絵、雑誌の切り抜き、鳩時計、大箱の蓋まで、あらゆる「作品」が壁一面に飾られている。藤堂さんが思う「良い作品」とはどのようなものなのだろうか。

「シンプルだけど、想像が広がる作品が良いと感じます。河原温の日付絵画のように、単なる日付に見る人それぞれがイマジネーションをふくらます、そんな作品が好きです。良いと思った作品を飾ってみると、また別の発見があって、何年そこにあっても飽きないものと、数ヶ月ですぐ飽きるものが出てくるんですよ。なぜかという理由はわからなくて、でもきっと、飽きない作品はどこかで自分の人生とシンクロしているんだと思う。『飽きないから良い作品』なんです」


大地の芸術祭に参加
時を積み重ねた建築に向き合う


大地の芸術祭2022で展示中の《パレス黒倉 - 柱の間》(2022)古い木柱、積層ガラス W20 x D14.5 x H245cm

新潟県で11月13日まで開催される、「越後妻有 大地の芸術祭 2022」に参加している藤堂さん。そこでは古民家を一軒そのまま使い、5つの部屋に作品を設置した。

「越後妻有では、柱の一部を切断して、そこに積層ガラスを入れて作品にしました。他にも時計作品や地元黒倉の田んぼの土で作った陶芸作品、信濃川支流の川石で作った関守石(せきもりいし)などを置いて、時の積み重なりや人の営みの蓄積を感じられる空間にしました」


制作中の藤堂さん

その土地で生きてきたからこそ感じられるもの、何十年も前の人の営みに思いを馳せられるもの、そのように言葉無くして「わかる」と思わせるものに藤堂さんは惹かれ、作品に昇華している。11年前、東日本大震災という出来事を他人事ではなく自分事にするために、ドイツから帰国した藤堂さん。近年は瓦礫を素材として扱い、より強く心に訴える作品を生み出している。

「ヨーロッパは今も、戦争の痕跡がそこら中にあるんです。ベルリンには壁ミュージアムという施設があって、そこで売っていたベルリンの壁のかけらを作品にしたのが瓦礫シリーズの始まりでした。ゲルニカの石もそうですが、ベルリンの壁は多くの人が見ただけで『わかる』。もちろんそうじゃない人も、少しでもその歴史を知れば、想像が広がっていく作品だと思います」


左:《ホテルオークラ東京 - 鱗紋金色タイル》(2016)、右:《ベルリンの壁 #03》(2007)

一方日本では、ホテルオークラの外壁の瓦礫など、やむなく取り壊される近代建築の外壁や床石などを用いて作品を制作している。しかしその素材集めは、日本ならではのハードルもあるという。最後に藤堂さんに、現在取り組んでいる瓦礫シリーズの魅力と、今後の展望を語ってもらった。

ホテルオークラは、建物の内装外装材が全てホテルの為に特注で作られているから、瓦礫になっても歴史の重みや場所の固有性が感じられてすごく良かったです。最近は原美術館が取り壊されましたが、床や階段に良い石が使われていて本当に欲しかったけれど、瓦礫をもらうことはできませんでした。東京の建築物の瓦礫って、解体現場に行って『アーティストが作品にしたいから欲しい』と言っても、廃棄物処理法等の法律があって簡単にはもらえないんですよね。現在は中銀カプセルタワービルが解体されていますね。日本は地震等の問題もあってか良い建築を残さずに解体してしまうから、本当に勿体無いなと思います。2024年~36年にかけて帝国ホテルが取り壊される予定なので、その時はぜひ作品にしたいですね」

文=宇治田エリ
写真=林ユバ
企画・編集=新井まる

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【つなぐ次のアーティスト】
髙田 安規子・政子(たかだ あきこ・まさこ)
1978年東京生まれ、東京在住。一卵性双生児の姉妹でユニットとして活動。2005年ロンドン大学スレード校美術学部修士課程修了。身近なものを素材に、縮尺や時間を自由に組み替え「スケール(尺度)」を主題に制作。また展示される場を読み解き、そこにあるものを活用したり空間を考慮して、場とのつながりのあるインスタレーションを行う。
https://www.amtakada.com/

【藤堂さんから髙田 安規子・政子さんへのコメント】
この姉妹の作品を超絶技巧で語るのは「木を見て森を見ず」だと思う。目につきやすい手わざは作家が仕掛けた罠である。私が面白いなと思うのは、素材の選び方、技術の使い方、空間の捉え方が昭和的価値観の対極にあるところ。小さくて柔らかく緻密で脆くささやかな作品。プロポーション、ボリューム、ムーブマンで見ようとする輩に笑顔で近づいては音もなく刺して去っていく〇〇〇のような……「分身の術に気をつけろ!」(なんちゃって、笑)

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