ARTnewsJAPAN

アジアのアートシーンは香港一強から覇権争いの時代へ。ローカルシフトが進む香港のアート市場

英国の植民地という歴史を持つ香港は、長い間アジアの金融の中心地として、またアートビジネスの中心地として君臨してきた。しかし、中国の特別行政区となって以降は数々の激動に見舞われている。そんな中、香港のアートコミュニティは、ローカルシーンの強化に力を注ぎ始めているという。香港のアート市場で起きている変化をリポートする。

7月の香港 Photo: Vernon Yuen/NurPhoto via Getty Images

香港では、2020年の国家安全維持法施行、それに対して起きた激しい抗議運動、今も継続されるゼロコロナ政策などで国外からの観光客が激減。アジアにおけるグローバルビジネスの中心都市としての地位が揺らぐ一方で、ソウルやシンガポール、東京などのアート市場が台頭してきている。

金融都市としての地盤沈下を食い止めようと、香港では11月に金融サミットが開催される。しかし、ブルームバーグが8月に報じたところによると、モルガン・スタンレーやゴールドマン・サックスなどウォール街の大手投資銀行が出席を予定しているものの、その参加条件として隔離措置なしの入国を許可するよう特別行政区政府に求めているという。

また、このところ大手から中小まで企業の転出が続いていることも相まって、陳茂波(ポール・チャン)財政長官は8月初旬、サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙に、22年のGDP成長率見通しを下方修正する可能性を示唆。その要因は、新型コロナ第5波からの経済回復が鈍いためとしている。

大手オークションハウス、フィリップスのアジア地区チェアマンを務めるジョナサン・クロケットは、ゼロコロナ政策の影響についてARTnewsの取材にこう答えている。「ここ数カ月、かなりの数のアートコレクターが香港を離れるのを見てきた。非居住者の香港訪問は依然として困難な状況が続いていて、オークション市場にも影響が出ている。現行の隔離措置によって、オークションの対面プレビューなどへの参加者が減少しているからだ」

とはいえ、香港のオークション市場はコロナ禍が始まってからも莫大な利益を上げている。クリスティーズは21年、アジア本社を24年に香港で新設・拡張する計画を発表。フィリップスも、西九龍文化区の現代美術館M+に隣接する場所へのアジア本社移転を22年秋に予定している。また、今年7月には、古代中国の美術品を展示する巨大な香港故宮文化博物館(HKPM)が西九龍にオープン。8月にはニューヨークに本社がある美術品専門の物流会社クロウジアが、アジア進出の一環として、香港を拠点とするインテグレーテッド・ファイン・アーツ・ソリューション社を買収している。

香港のオークションハウスの多くも、21年、22年は記録的な売り上げ高になっていることを公表している。セールス好調の一因には、マルチカメラによるオークションのライブストリーミングや、出品作品の360度動画、バーチャルツアーなどを駆使したリモート販売が挙げられる。サザビーズ・東南アジアのマネージングディレクター、ジャスミン・プラセティオは、「渡航制限は課題ではありますが、緩和の兆しは見えています。それに、我われも様々な手法で状況に適応してきていますから」と話す。

フィリップスのクロケットも、デジタル技術の進歩がオークション市場成長の一助となっていると指摘する。コロナ禍以前から、オンライン経由でオークションに参加することに抵抗のない人々が急増しているからだ。たとえば、フィリップスの場合、アジアの顧客の35%がインターネットと共に育ったミレニアル世代のコレクターなので、デジタル経由での作品購入を苦にしないのは当然だという。

香港で存在感を増し、利益を上げているのはオークションハウスだけではない。ここ数年で、スクエア・ストリート・ギャラリー、ザ・ショップハウス、ダブルQギャラリー、プロパティ・ホールディングス・ディベロップメント・グループ(PHD Group)、オッズ・アンド・エンズなど、いくつもの新しいギャラリーや独立系のアートスペースがオープンしている。


香港のギャラリー、ビルパンに展示されたフランシス・ベーコンの《Studies for a Portrait of John Edwards(ジョン・エドワーズの肖像画のための習作)》(1984)。「The Loss of Human Face?(人間の顔の喪失?)」展より Photo: Amanda Kho/Courtesy Villepin

その1つに、フランスの元首相、ドミニク・ド・ビルパンと息子のアーサーが19年に開設したギャラリー、ビルパンがある。ロックダウンが始まる数カ月前にオープンしたこのギャラリーについて、ビルパンのディレクター、アニー・クォックはあるインタビューでこう語っている。

「アジアのアート市場におけるニューノーマルへの対応を素早く進めなければなりませんでした。香港は、これまでずっと国際的なアートの中心地の役割を果たしてきましたが、このところ台湾やシンガポール、韓国などで新しいアートフェアやギャラリーが設立されるなど、アジアの各都市でアート市場のグローバル化が進んでいます。この動きは香港にも影響を与えていて、結果として地元のアートコミュニティやアーティストに、今までよりも重きを置く傾向に変化していると思います」

また、新たにM+や香港故宮文化博物館などが開館したことで「現在のアートビジネス環境は、コロナ禍以前よりもずっと洗練され、健全で、多様性のあるものになった」とクォックは付け加えている。

クォックが言うように、香港は国際的なアートの中心地で中国本土への入口でもあるという従来の評価に依存するだけでなく、地元のアーティストやアートファンとのつながりを重視する方向へとシフトしているようだ。

こうした新しい流れの中でオープンしたギャラリー、オッズ・アンド・エンズはこの夏、地元のアーティストでキュレーターでもあるエリック・コットを迎え「Cookout: Contemporary Condensation(野外パーティ:現代の凝縮)」と題したグループ展を開催。展覧会には、長い歴史のある香港の職人技や、公営住宅が生み出した独特の文化をテーマにしているアーティストとデザイナー20人あまりが参加した。

オッズ・アンド・エンズの共同創設者で、以前はデビッド・ツヴィルナーや現在は閉廊しているギャラリー、HZでセールスを担当していたナタリー・ウンはこう説明する。「この展覧会は地元の文化に焦点を当てたものなので、香港に住んでいる外国人の顧客(夏の間はバケーションでいなくなる)にはあまり興味のないものだと思います。結果として、このプロジェクトを夏に開催するという絶妙なタイミングは、地元のアートファンとの新しい関係を育む機会になったんです」


2022年に香港のPHDグループで行われた「Village Porn(ビレッジポルノ)」展のインスタレーション Courtesy the artists and PHD Group

また、PHDグループは香港を拠点とするアーティストデュオ、バーチュービレッジ(ジョセフ・チェンとキャス・ウォンが20年に結成)の初個展、「ビレッジポルノ」を開催。会期の最後には、様々なバックグラウンドを持つLGBTQ+パフォーマーによるダンスやサウンドアート、演劇などのパフォーマンスプロジェクトも実施された。このパフォーマンス「In God's Body(神の体の中に)」は、香港ではめったに公の場に出ることのないクィアの人々(既存の性のカテゴリに当てはまらない人々)の美意識に焦点を当てたこともあり、地元のアートコミュニティの間で大きな反響を呼んだ。

アーティストデュオのチェンとウォンは、ARTnewsにこう語った。「ここまでの反響は予想していませんでした。このパフォーマンスは従来のアート関係者だけではでなく、パフォーミングアートのファンからクィアのコミュニティ、さらには異性愛者まで、幅広い人々の心に響いたようです」

もう1つ、香港でこの夏注目を集めた展覧会に、ビルパンの「The Loss of Human Face?(人間の顔の喪失?)」がある。この企画展は、肖像画の歴史と進化をテーマに、フランシス・ベーコンやエイドリアン・ゲニー、曾梵志(ゾン・ファンジ)、ジョージ・コンド、井田幸昌などの作品を展示。マスクのために人々の表情がよく分からない今の時代を表すような内容だった。

しかしクォックの話によると、入国制限のために現地に来れなかった海外のコレクターなどは、この展覧会をフルに体験できなかったという。「私たちはキュレーションと展示空間の構築、そして展覧会全体のストーリー作りに注力しました。バーチャルや写真では、こうした要素を十分に味わうのは難しいと思います」

香港ではここ数年、展覧会来場者の減少が続き、香港での展覧会延期を決めたアーティストも少なくない。しかし、7月に就任した李家超(ジョン・リー)行政長官の率いる新政権が、香港来訪者に対するホテル隔離を7日間から3日間に緩和したこともあり、アートディーラーの多くは楽観的な見方をしている。

メガギャラリー、ハウザー&ワースのアジア事業マネージングパートナー、エレイン・クォックはこう述べた。「いろんな都市がかなりのスピードで渡航制限を緩和してきています。香港はまだそこまで進んでいませんが、今年の下半期にはきっと大きく変化し、国際都市香港が復活するでしょう」

こうして香港のアートシーンが気概を示す一方で、シンガポールは屋内でのマスク着用義務を撤廃、日本でも段階的に入国者制限の緩和が進められている。アジアにおけるグローバルなアート都市の覇権争いが激しさを増す中、香港はその地位復活を果たすことができるだろうか。(翻訳:山越紀子)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年9月12日に掲載されました。元記事はこちら

あわせて読みたい