危機に直面するポーランドの美術館。右派政権から数々の圧力
美術館の管理・運営に完璧なシステムは存在しない。米国の場合、ほとんどの美術館が政府の監督を受けることなく理事会によって管理されているため、民間からの資金提供に起因するさまざまな圧力を受ける。一方、ヨーロッパでは公的な資金と管理の下に運営される美術館が多いことから、政治的な思惑での人事や、最悪の場合はイデオロギーの押し付けというリスクにさらされがちだ。
実際、憂慮すべき事態がポーランドで繰り広げられている。2015年11月に右派政党「法と正義」(PiS)が政権を取って以来、三権分立の議会制民主主義が社会のさまざまな分野で脅かされているのだ。芸術・文化の分野では、この3年間、著名な美術館の館長人事が相次いで行われ、公立美術館が崩壊の危機に瀕している。最近の例では、ザヘンタ国立美術館(ワルシャワ)で2010年から館長を務めていたハンナ・ウロブレウスカが退任し、ヤヌシュ・ヤノフスキが新館長に指名された。
文化面での人選として、これほどお粗末な例は珍しいかもしれない。ヤノフスキは、グダニスク出身の無名のアーティスト兼ミュージシャンで、組織運営の経験はほとんどない。ZPAP(ポーランド芸術家・造形家連盟)で昇進を重ね、現政権を後ろ盾に右派メディアで脚光を浴びるようになった。ヤノフスキは、アートに関して保守的な意見をたびたび表明し、与党政権が推し進めている文化闘争の路線が正しいものであると擁護している。
3500点以上の美術品を所蔵するザヘンタ国立美術館は、約60人の館員(契約スタッフを除く)を抱え、三つの建物(ヴェネチア・ビエンナーレのジャルディーニ会場にあるポーランド館を含む)を管理している。年間約30の展覧会を充実した教育的プログラムとともに開催し、控えめに見積もっても毎回2万〜4万人の入場者数を集める大規模美術館だ。
ザヘンタとは「奨励」を意味し、1860年に「美術奨励協会」として設立された。美術品の収集と展示に加えて、ポーランド国内外のアーティストによる最先端のプロジェクトにも力を入れており、ヴェネチア・ビエンナーレのポーランド館のための委託制作では、クシシュトフ・ウォディチコ(2009年)、ヤエル・バルタナ(2011年)、シャロン・ロックハート(2017年)を始め、数多くのアーティストの作品を世に送り出してきた。
ヤノフスキがザヘンタ国立美術館の館長に任命されたことは、ポーランドのアートシーンへの冒涜といえる。ヤノフスキは目も当てられないほどひどい画家だが、そうであっても館長として成功する可能性はある。問題は、彼にザヘンタのような規模の施設を運営した経験がなく、現代アートの専門知識もないことだ。つまり、作品購入や新しいプロジェクト企画などの任務を遂行し、活発なプログラムを維持するために必要な素養に欠けていると言わざるを得ない。たとえば、2018年にポーランドを代表する現代アート誌、SzumからZPAPの歴史と現在の活動についてのインタビューを受けた際、ヤノフスキはそれまで同誌の存在を知らなかったと認めている。
また、ヤノフスキは公の場で、歴史的な巨匠たちへの敬意(その図像やスタイルを自分の絵で踏襲しようとしてみじめに失敗している)と、ユダヤ・キリスト教の伝統を信奉する姿勢を表明してきた。特に宗教的伝統の強調は、欧州のナショナリスト思想の根幹にあるものだ。カトリックの肯定ならまだしも、最悪の場合はイスラム排斥、外国人排斥、人種差別につながりかねない。加えて、アートの文脈では二重の意味で現代アートの批評性を攻撃する武器にもなる。アートの新しい様式と、「不敬」と見なされ得る現代的なテーマの双方を排除しようとするからだ。
2022年1月1日にヤノフスキがザヘンタ国立美術館館長に就任したことは、一つの時代の終わりを意味する。1989年の東欧革命以降の30年間に、同美術館は4人の優れた女性館長を輩出してきた。バーバラ・マエフスカ(1990〜93年)は、美術館を共産主義時代のシステムから脱却させ、現代にふさわしい形に生まれ変わらせた。アンダ・ロッテンベルク(1993〜2001年)は、批判的で論争を呼ぶ可能性のあるアート作品にも揺るぎない支持を与え、ポーランドにおける現代キュレーターの原型となった。美術史家のアニエスカ・モラヴィンスカ(2001〜10年)は、外交官としても活躍した経歴の持ち主で、国際的なシーンにおける同美術館の地位を確立した。ハンナ・ウロブレウスカ前館長は、ザヘンタがオープンで包摂的、かつアクセシビリティに優れた美術館のモデルになることに尽力。多くの家族連れや高齢者、障害者が訪れるようになり、文化の発信地として愛されているザヘンタの影響力は、アート関係者だけでなく、広く一般の人々に及んだ。
2021年7月、同年末に満了するハンナ・ウロブレウスカ館長(当時)との契約が更新されないことが発表されると、同館長の続投を求める声が高まった。また、美術評論家連盟(AICA)のポーランド支部を始め、文化・国家遺産省が意見を求めたさまざまな専門機関が、ヤノフスキに否定的な評価を下している(ただしポーランドの法律では、これらの意見に拘束力はない)。
また、一般人によるオンライン署名は4000人を超えた。アーティストや文化人も、公の場やネット上で様々なアクションを起こし、反対の意思を表明している。12月16日には、1900年に建てられたザヘンタの周囲に美術館スタッフや関係者が集まり、館長交代に反対して手を繋いで美術館を取り囲むというイベントも行われた。
しかし、ポーランド政府は、ピョトル・グリンスキ文化・国家遺産大臣も含め、館長交代に対する批判をあからさまに無視している。ポーランドでは、ヤノフスキ氏が起用される前から、各分野で優れた専門家が与党に忠実な人物に取って代わられる交代劇が続いている。また、最近4件の文化・国家遺産大臣による美術館人事では、女性館長の退任後に男性が就任している。ワルシャワ国立博物館アニエスカ・モラヴィンスカ前館長の退任(2018年半ば)、ウジャズドフスキ城現代アートセンター(ワルシャワ)のマウゴジャータ・ラドヴィシェク前館長の退任(2019年後半)、ポーランド彫刻センター(オロンスコ)のエウラリア・ドマノフスカ前館長の退任(2019年後半)、そしてザヘンタ国立美術館での館長交代だ。
2021年12月初旬には、世界初の前衛芸術の公的コレクションとして知られるウッチ美術館のヤロスワフ・スハン館長(2006年から現職)の契約が更新されず、同館の暫定館長に降格し、1年以内に新館長が任命されるという計画を国内メディアが関係筋の情報として伝えた。公立美術館の運営を政府の文化政策に従わせることを目的に、イデオロギーによって館長人事を行う動きが進行中であることが浮き彫りになっている。
ポーランドでは、国家予算で運営される文化施設の責任者は、専門機関との協議のうえ文化・国家遺産大臣が任命することになっている。その意味では、今回の人事に法的な問題はない。しかし、だからと言って正当化は許されない。長年にわたり、ポーランドの文化芸術関係者は政府に対し、オープンかつ透明性のある選考プロセスで、有能で先見性のある適任者が選ばれるような人事の実現を働きかけてきた。
歴代の文化・国家遺産大臣はこれを受け入れることもあったが、「法と正義」党政権のグリンスキ大臣はそうではない。ポーランド・ユダヤ人歴史博物館のダリウス・ストーラ館長が最初の5年間の任期を2019年に終えた時、15人からなる委員会は再任を選択したが、当初はこれに同意していたグリンスキ大臣は署名を拒否している。
拒否の理由は、博物館の展示内容に見られるポーランド系ユダヤ人と非ユダヤ系ポーランド人の歴史的関係で、「法と正義」側は、非ユダヤ系ポーランド人に罪がなかったとする表現を望んでいることにある。ほぼ1年にわたり膠着状態が続いた後、グリンスキ大臣は副館長だったジグムント・ステピンスキを館長に昇格させた。その数年前にも、グリンスキ大臣は、マウゴジャータ・オミラノフスカ前文化・国家遺産大臣をワルシャワ王宮の館長に任命することを拒否している。
ヤノフスキのような人物がザヘンタ国立美術館館長に指名された理由としては、二つの可能性が考えられる。一つは、現代アートにおける専門性とファシズム支持は両立しにくいことから、極右政権支持者で多少なりとも館長に適任である人物が底をついてしまったという可能性。もう一つは、極右政権が現代アート界を「腐った左翼」の巣窟と見なし、そこに無能な人物を送り込むことで現代アート界を統制するのみならず、懲罰を与えようとした可能性だ。
ヤノフスキは、その無能さが語り尽くされている一方で、政権を支持する発言にかけては非の打ちどころがない。たとえば、ポーランドでいま行われている文化闘争で、右派はカトリックの道徳観と異なるジェンダーやセクシュアリティに対する考え方を攻撃する時に「LGBTイデオロギー」という言葉をよく使うが、ヤノフスキもLGBTイデオロギーを公然と侮蔑している。さらには、与党が約束している文化分野での変化が「十分に進んでいない」と発言して意欲を見せたこともある。
最も懸念されるのは、1989年以降のポーランドの文化政策に新たな転機が訪れる兆しがあることだ。ザヘンタ国立美術館は、共産主義時代にはZPAPの公式展示場として使われていたが、その頃の体制に逆戻りしつつあるのだろうか。共産圏だった頃のポーランドで、ザヘンタは美術展覧会中央事務局(Central Bureau of Art Exhibitions、CBWA)と呼ばれ、ZPAP管理下にある地方美術館のネットワークを統括する機関であると同時に、唯一のプロフェッショナルアーティスト組織でもあった。
ZPAPは、画材の管理から国家による委託制作の割り当てまでを一手に行っていた。作品の質に関係なく、メンバー全員が時々個展を開くことができるシステムにより、長年にわたって凡庸な作品が量産されるという結果を招いた。共産主義政権の崩壊後、1989年にCBWAザヘンタをこのネットワークから切り離し、各自治体に美術展覧会事務局を置いたことは、文化分野における民主化の大きな柱だった。ZPAPの総裁をザヘンタの館長に任命して両者を再び結びつければ、美術館の展示内容に深刻な質の低下を招くかもしれない。
現在、ZPAPの支部の一部は地方美術館を運営している。ヤノフスキのキュレーター経験のほとんどは、ZPAPグダニスク支部の美術館で得たものだ。しかし、ZPAPの意義と評価は下がり続けており、その実態は少数の保守派がポストにしがみついているだけの空虚な機関だ。ZPAPの会員数は公式には5000人とされているが、NN6T誌の最近の記事によると、実質的には300人程度だという。新卒者の加入はほとんどなく、文化芸術界の端に追いやられた組織となっていたZPAPは、現政権がポーランドの新秩序を実現するために動員しようとしている、いわゆる文化的エリートに対する憤りを抱えた人たちの集まりになっている。
ZPAPは代わりになる専門組織がなく、依然として専門的な諮問機関として維持されているため、数百人の会員が国内の芸術機関に対して不釣り合いな影響力を持っている。現政権は、「良い変化」をモットーに掲げ、「疎外されている」と自称する人々に新たな地位を与えることを約束しているが、ZPAPはその対象としてうってつけなのだ。
ヤノフスキ館長指揮下でのザヘンタの将来を予想するには、最近の事例が参考になる。ワルシャワ国立博物館のように、館長のやることが無能さと混乱の見世物のような事態になるかもしれないのだ。ワルシャワ国立博物館で尊敬を集めていたアニエスカ・モラヴィンスカ前館長が、関係官庁とのコミュニケーションの問題を理由に辞任した後、2018年11月に館長職に就いたのはイエジー・ミジオウェクだ。
考古学教授でマネジメント経験はほとんどないミジオウェクは、常設展示のナタリア・LLとカタリナ・コジラの作品は「若者の気を散らす作品だ」として検閲を加えたほか、20世紀と21世紀の作品展示室を閉鎖したことで、市民の大きな怒りを買った。さらに、ミジオウェクは複数のベテラン学芸員を解雇し、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品をデジタルプリントした展覧会を開催して部下から抗議を受けた。結局、彼は1年で辞任している。
二つ目のシナリオでは、ヤノフスキの在任中、ヘイトスピーチ、人種差別、反ユダヤ主義、性差別、同性愛嫌悪といった右翼的な過激主義に陥る恐れもある。ワルシャワのウヤズドフスキ城現代アートセンターで選考プロセスなしに2020年1月に任命された現館長が、こうした前例を作っているのだ。この2年間、同センターでは「ジェンダーイデオロギー」に警告を発するセミナーの開催や書籍の出版、スウェーデンで人種差別を扇動したとして有罪になったアーティストの不快な作品の展示、ジョージ・フロイドの死をあざけるような黒塗りのパフォーマンスといった民族主義的なプログラムが、「ポリティカルコレクトネス」と闘い、「芸術の自由」を追求するという名目で実施されている(なお、こうした恥ずべきイベントが宣伝行為かもしれないことを考慮し、ここで館長やアーティストの名前を挙げることはしない)。
さらに三つ目のシナリオとして(悲しいことに最も可能性が高いが)、ザヘンタ国立美術館が、無意味な展覧会を開催し、標準以下の作品を購入し、研究プロジェクトを減少させ、イデオロギー化した教育プログラムを行うことにより、ポーランドの文化シーンにおいてマイナーな存在に成り下がる恐れもある。このままでは、せっかく確立した国際的な評価を徐々に失い、美術館の生命線でもある現代アート作家や市民との接点も失われてしまう。しかし、そうなってはいけないのだ。
マグダレーナ・モスカレヴィッチ(本記事の寄稿者)
ワルシャワ生まれ。旧東欧の美術を専門とする美術史家、キュレーター、編集者。シカゴ美術館付属美術大学助教授。2015年の第56回ヴェネチア・ビエンナーレでは、ザヘンタ国立美術館のハンナ・ウロブレウスカ前館長からの依頼で、ポーランド館のキュレーションを務めた。2016年にはザヘンタ国立美術館で「The Travellers: Voyage and Migration in New Art from Central and Eastern Europe(旅人たち:中欧・東欧の新しいアートにおける旅と移住)」展をゲストキュレーターとして手がけた。
※本記事は、米国版ARTnewsに2021年12月17日に掲載されました。元記事はこちら。