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なぜ環境活動家はアートを狙うのか。4人の有名美術館館長が問い直す、美術館の社会的意義

モネの絵にドイツの環境活動家がマッシュポテトを投げつける事件が起きた数日後、カタールで4人の世界的美術館の館長がパネルディスカッションに登壇。なぜ美術館が抗議活動の格好の舞台となるのかについて議論が交わされた。

ドーハのイスラム美術館で開かれたパネルディスカッション「Museum of the Future: Between Aesthetics and Social Responsibility(未来の美術館:美意識と社会的責任の間で)」 Tessa Solomon/Artnews

4人の美術館館長が参加したのは、カタールの首都ドーハにあるイスラム美術館で開催されたパネルディスカッション「Museum of the Future: Between Aesthetics and Social Responsibility(未来の美術館:美意識と社会的責任の間で)」だ。主催はカタールの国営団体カタール・クリエイツ。

ホイットニー美術館(ニューヨーク)のアダム・ワインバーグ館長、ビクトリア&アルバート博物館(ロンドン)のトリストラム・ハント館長、パラッツォ・ストロッツィ財団(フィレンツェ)のアルトゥーロ・ガランシーノ館長、マトハフ・アラブ近代美術館(カタール)のゼイナ・アリダ館長という面々がパネリストとして壇上に並んだ。

未来の美術館をテーマに掲げていたものの、1時間にわたるディスカッションでは、美術館が今まさに直面している喫緊の課題に関する意見が多く出された。たとえば、どのような時に社会問題についての立場をソーシャルメディアで表明するべきか(あるいは、しないべきか)、「ウォークネス=wokeness(*1)」への評価、モネ作品に食べ物を投げつけることの意義などだ。


*1 社会的不公正や差別などに対する高い意識を持っていること。

さらに、議論の中でたびたび持ち上がったのが、美術館はエスタブリッシュメント(establishment=権力層)のために存在するのか、それとも一般市民のための施設なのか、本当のところどちらなのだろうという問いだ。

ディスカッションのモデレーターを務めたのは、カタール美術館庁の学術・文化担当アドバイザーを務めるイェレナ・トルクリャ。冒頭で彼女はパネリストたちにこう問いかけた。

「今の時代、社会変革を推進する役割を美術館が担うことを、市民から期待されていると感じますか? 最近、主に環境団体による抗議行動の場としてたびたび美術館が選ばれています。彼らの目には、美術館は非常に保守的な組織、現状を維持しようとするエスタブリッシュメントだと映っているようです。だからこそ、美術館を標的にするのでは?」

ホイットニー美術館のワインバーグ館長はこれに対し、ホイットニーはゲリラ的なアクティビズムと捉えられる作品を展示してきた長い歴史があるものの、エスタブリッシュメントの側だろうと答えた。「我われに運営資金を提供しているのは、財力のある企業や個人。その一方で、そうした資金提供者や支援者に物申すようなアートを展示しているのも事実だ」

ワインバーグはまた、あるイラン人アーティストから、イラン各地で現在起きている歴史的な反政府デモについて、なぜホイットニーは声明を出さないのかと問われたことに触れた。彼は自らの考えをこう説明している。

「美術館の役割は、こうした事象に対する見解を述べることではない。問題を指摘し、声を上げたいと考えるアーティストたちに発表の場を提供することだ。そうでなければ、毎週のように、これは賛成、あれは反対と言わなければならなくなり、完全に政治的な存在になってしまう」。アートには、あからさまではない形での批評を提示する機能があるというのがワインバーグの意見だ。

ビクトリア&アルバート博物館のハント館長は、次のように述べている。「我われは政治的な抗議のための道具であってはならないし、直接的に政治を動かすための道具であってもならない。私は美術館を市民のための施設であると考えている。その社会的役割とは、人々から高い信頼を得ながら、政治的・社会的議論に枠組みと文脈を提供することだ」

とはいえ、ホイットニー美術館は米国のほかの有名美術館と同様、たびたび世界の時事問題に対して意見を表明してきた。たとえば2020年の夏には、ブラック・ライブズ・マター(BLM)運動を支持する声明を出している。ワインバーグは、ジョージ・フロイドが警察に拘束、殺害された事件は「米国文化の核心」に触れる問題なので、声明の発表は不可欠だったと強調した。

「時事問題に対して美術館が意見を表明すべきか否かは、問題の規模、つまり個人や限られたグループではなく、どれだけ多くの人々が影響を受けているかで決まるのかもしれない」。そう語ったワインバーグにハントも賛成し、ビクトリア&アルバート博物館が現在進めている、英国による東南アジアの植民地支配の歴史に関する企画を、その一例として紹介した。

パラッツォ・ストロッツィ財団のガランシーノ館長もこれに同意。最近、同美術館は、移民とナショナル・アイデンティティをテーマにいくつかの展覧会を開催しているが、ネオファシズムを源流とする極右政党が政権を握った現在、こうしたテーマは非常にタイムリーなものだと語った。

「我われは、自らの文化に直結する問題について話し合うべきだ」。そう述べた上でガランシーノは、パラッツォ・ストロッツィ財団はエスタブリッシュメントではないと断言した。また、イタリアで表現の自由が脅かされるかもしれないリスクについて問われ、彼は「世間から注目されている問題について議論することを恐れてはいない」と答えている。

一方、マトハフ・アラブ近代美術館のアリダ館長の考え方は、鷹揚な印象を与えるものだった。彼女は、美術館も「立場を鮮明にする必要がある」と言う。なぜなら、本当の意味でのインクルーシブ(包摂的)な社会とは、さまざまな意見を受け入れる場を作ることだからだ。しかし、その立場というのは「それぞれが置かれた政治的状況によって変わる」ものだとも述べている。

パネリストの中で、唯一カタールに拠点を置く彼女が最も前向きな見方をしているのはある意味当然かもしれない。他のパネリストの国と比べてカタールは若い国で(少なくとも現代の国境という概念において)、文化産業はまだ発展段階にあり、今後も新しいアートプロジェクトが次々とスタートする。

モデレーターのトルクリャも、カタールの美術館は「過去の歴史に縛られていない」と発言したが、中東の産油国に共通する出稼ぎ労働者の搾取の問題を考えると、この言葉は割り引いて聞く必要がありそうだ。

全員が同意したのは、美術館が「さまざまな考え方が出会う場」であるというワインバーグの言葉だ。彼はさらに、美術館の幹部や来館者の多様化が進むなど、「ウォークネスがもたらした良い変化」を高く評価。抗議活動の場として選ばれなくなったとき、美術館は既に社会に存在する意義を失っているのかもしれないとパネリストたちは語り合った。

だが、そのような理想は理想として、今後も貴重な絵画が環境活動家の標的になるかもしれない危険と、どう向き合うべきなのだろう? トルクリャがそう尋ねると、それまでの論調はトーンダウン。ワインバーグはこう言った。

「世間の関心を集めるためなのだろうが、これで本当に何かが変わるのかよく考えることも必要だ。問題を提起するための方法として適切なのか、果たして芸術の機能を理解した上でのことなのか」

さらに、こんな懸念を口にした。「芸術はそもそも疑問を投げかけるものであり、反体制的なものでもある。それ自体が抗議の表れであるアートを攻撃することは矛盾しているし、最近の一連の出来事は危険な前例を作ってしまった。今のところ攻撃対象となったのはガラスで守られた作品だったが、いずれは必ず誰かが無防備な作品を標的にするだろう」

ハントはこう語る。「私が心配しているのは、抗議行動に関わる活動家たちのニヒリスティックな発言だ。彼らは、危機が迫っているのだから芸術どころではないだろうと言うが、それには賛同できない」

そしてこう続けた。「彼らの言葉から透けて見える危険な兆候には懸念を覚える。今は壁にかけられた絵より重要なことがあり、美しいものや、アートを通した気候変動への批判はムダだというような考え方には」(翻訳:野澤朋代)

*from ARTnews

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