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なぜ我々はアートを破壊するのか──その歴史と動機を26作品から紐解く

現在、環境活動家によるアートの破壊行動が取り沙汰されているが、過去にも実にさまざまな理由で、美術品に対する破壊行為が行われてきた。歴史的な26の事例とその背景にある政治的理由を紹介しよう。

2022年7月5日、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで抗議行動をするジャスト・ストップ・オイルのメンバー。Photo: Wikimedia Commons

美術品の破壊行為に政治的背景があることは少なくない。今年、美術館で頻発した環境活動家の抗議行動がまさにそうだ。もちろん、個人的利害が動機になることもある。たとえば、若いアーティストが自分の創作活動のために、他人の作品を標的にする場合など。しかし、どのケースにも共通しているのは、有名な美術品の外観を傷つけたり評判を貶めたりすることで、注目を集めようというのが目的であることだ。

つい最近も、この手の事件が起きた。ロンドンのナショナル・ギャラリーがX(旧ツイッター)に投稿したところによると、11月6日に2人の環境活動家がディエゴ・ベラスケスの《鏡のヴィーナス》を「緊急救助用のハンマーと思われるもの」で攻撃し、逮捕されている。

以下、歴史的な偶像破壊から、現在激しさを増している気候変動危機を訴える抗議行動まで、美術品に対する破壊・荒らし行為を振り返る。

1. 偶像崇拝を禁止せよ! ビザンチン帝国による聖画像破壊運動(726年〜787年、814年〜842年)

ビザンチン帝国(東ローマ帝国)の第1次聖画像破壊運動(イコノクラスム)を描いた絵(1888)。Photo: Leemage/Corbis via Getty Images

破壊行為と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、美術館に飾られている作品に対する攻撃かもしれない。しかし実際には、破壊行為の歴史は西洋の美術館の起源よりも古く、また国家公認で行われたケースもあった。その一例がビザンチン帝国(東ローマ帝国)の聖画像破壊運動(イコノクラスム)で、厳密には2回にわたって破壊行為が行われた。

偶像崇拝禁止を目論んだビザンチン帝国イサウリア朝の皇帝レオ3世は、聖画像(イコン)の破壊を命じる勅令を次々と発布した。レオ3世が意図したのは、神の図像を一掃することで皇帝こそが至高の権力を体現するという考えを人民に植え付け、自らの支配を強固なものにすることだった。その結果、ビザンチン帝国の支配下にあった地域では、モザイク、彫刻、コインや芸術作品が攻撃され、部分的に、あるいは完全に破壊された。レオ3世に続く歴代の皇帝たちも同様の破壊を行っている。

2. 女性に参政権を! サフラジェットによるベラスケス《鏡のヴィーナス》襲撃(1914年)

1914年にベラスケスの絵が襲撃された後、休館になったロンドンのナショナル・ギャラリーで状況の告知を読む人たち。Photo: Topical Press Agency/Getty Images

破壊行為が重要な政治闘争と結びついていることもある。たとえば、英国の急進的女性参政権運動の活動家メアリー・リチャードソンが、ロンドンナショナル・ギャラリーが所蔵するディエゴ・ベラスケスの《鏡のヴィーナス》(1647-51頃)を刃物で切りつけた事件だ。リチャードソンが行動を起こすきっかけとなったのは、バッキンガム宮殿前で女性参政権を求める抗議を行っていた活動家仲間のエメリン・パンクハーストが逮捕されたことだった。

リチャードソンは、「私の狙いは、現代史における最も美しい人物であるパンクハーストを虐げる政府への抗議として、神話の歴史における最も美しい女性の絵を破壊することだった」と語っている。ヴィーナスの腰と背中が切り付けられた作品を修復する間、ナショナル・ギャラリーは2週間の休館を余儀なくされた。リチャードソンは6カ月の実刑を言い渡されたが、服役中にハンガーストライキを行い、数週間後に釈放されている。

3. 破壊行為という名のアート。ロバート・ラウシェンバーグがデ・クーニングの作品を抹消(1953年)

ロバート・ラウシェンバーグ(1966年) Photo: Photo Larry Ellis/Express/Getty Images

ロバート・ラウシェンバーグは、画家であり彫刻家であっただけではなく、一種の破壊者になったこともある。1953年、既存のアート作品を消去するプロジェクトを開始した彼は、まず自分のドローイングで試したものの思ったようなインパクトを得ることができなかった。そこで、抽象表現主義の著名な画家、ウィレム・デ・クーニングにアプローチし、消されるための作品を制作するよう依頼した。

デ・クーニングは若手作家だったラウシェンバーグの願いを渋々受け入れ、忘れ去られる運命のドローイングを制作。これを受け取ったラウシェンバーグは、元のドローイングの痕跡をかすかに残すように消しゴムで消した。こうして生まれたのが《消されたデ・クーニングのドローイング》(1953)で、作品を破壊する行為自体が1つの作品となる例を示している。

4. 失業の腹いせ? ミケランジェロ《ピエタ》のハンマー襲撃事件(1972年)

破損した《ピエタ》の修復作業の様子。Photo: Corbis via Getty Images

ルネサンス期の傑作に深刻な損傷を与えるには、ハンマーで何回叩けばいいのだろうか。ミケランジェロの《ピエタ》の例で言えば、ちょうど12回だった。1972年、失業中の地質学者ラズロ・トートが12回にわたって《ピエタ》の聖母マリアにハンマーを振り下ろした結果、鼻が折れ、頭部にくぼみができてしまった。

その後、バチカン美術館では10カ月におよぶ修復作業で、3つの鼻の破片と、打撃で飛び散った100あまりの破片を丹念につなぎ合わせて復元を行った。現在の専門家によると、もしトートが叩いた角度が少しずれていたら、聖母マリアの頭ごと折れていたかもしれないという。最終的に作品は元通りになり、防弾ガラスに覆われて展示されることになった。ローマの裁判所はトートを社会的に危険な人物としてイタリアの精神病院に2年間収容したのち、オーストラリアへ強制送還している。

5. 健常者優位主義への抗議。東京でレオナルド・ダ・ヴィンチ《モナリザ》にスプレー噴射(1974年)

1974年、東京国立博物館で《モナリザ》に見入る人たち。Photo : Getty Images

レオナルド・ダ・ヴィンチの《モナリザ》ほど、何度も攻撃対象になった作品はないだろう。過去110年間だけでも、盗難に遭い、ティーカップをぶつけられ、切り付けられそうになり、最近はケーキをこすりつけられた。その中で最も印象的なのが、日本で米津知子がスプレー塗料を吹きつけようとした事件だ。

1974年、この作品はパリルーブル美術館から貸し出されて東京の国立博物館に展示されていた。国立博物館では会場の混雑緩和を目的として障害者の入場制限を行ったが、障害者運動の活動家だった米津はこれを健常者優位主義だとして抗議。《モナリザ》に向けてスプレー塗料を噴射したが、被害はほとんどなかった。米津は拘留されたのち、軽犯罪法違反で罰金3000円の判決を受けている。

6. ベトナム反戦運動とピカソ《ゲルニカ》(1974年)

トニー・シャフラジの破壊行為を伝えるデイリー・ニュース紙の一面 Photo: NY Daily News via Getty Images

トニー・シャフラジは、今ではキース・ヘリングジャン=ミシェル・バスキアの初期作品を扱ったディーラーとして知られているが、1974年にはまったく別の理由でアート界の話題をさらった。その年、近代美術の傑作であるピカソの《ゲルニカ》が長期貸与されていたニューヨーク近代美術館(MoMA)に乗り込み、スプレーで「KILL LIES ALL(ウソはやめろ)」という言葉を書き込んだのだ。

これは、ベトナム戦争のソンミ村虐殺事件で有罪判決を受けたウィリアム・カリー中尉の恩赦に対する抗議行動に言及したものだ。アート・ワーカーズ・コーリション(*1)が主導する反戦運動にも参加していたシャフラジは、この一件で起訴された。当時MoMAの館長だったウィリアム・ルービンは、絵は表面のニスの厚い層が「見えない盾の役割を果たした」ために助かったと『ニューヨーク・タイムズ』紙に語っている。


*1 1969年にニューヨークで結成された活動家グループで、アーティストの権利向上やアート界の改革を求める活動を行った。

7. 「主につかわされた男」によるレンブラント《夜警》の切りつけ(1975年)

損傷を受けた後の《夜警》(1975) Photo: Sepia Times/Universal Images Group via Getty Images

1975年、レンブラント作品の中で最大の絵画《夜警》(1642)が、パン切りナイフを振り回す男に襲われた。この男は、「主」によってアムステルダム国立美術館につかわされ、この作品を切り刻むように命じられたと主張した。警備員が阻止しようとしたものの、絵から長さ30センチほどの部分を切り取るという劇的な光景が繰り広げられたという。当時、館長代理だったP・J・ファン・ティールは『ニューヨーク・タイムズ』紙に、「作品はひどく損傷していると言わざるを得ない」と語っている。

この作品は、切り付けられる前の状態が良好だったことから、アムステルダム国立美術館の修復士の手で4年後には元の姿に戻った。しかし、90年には正体不明の化学物質をかけられて損傷を受ける事件が再び発生している。

8. 破壊行為というアート? デビッド・ハモンズ、リチャード・セラの彫刻に放尿(1981年)

写真はリチャード・セラの《傾いた孤》。ハモンズがセラの《T.W.U.》に放尿したとき、ちょうど設営中だった。Photo: Frank Martin/BIPs/Getty Images

あるアーティストが、他のアーティストの作品を無許可で利用した珍しいケースもある。1981年、デビッド・ハモンズはニューヨークのトライベッカに設置されたリチャード・セラの彫刻《T.W.U.》(1980)を見に行った。コールテン鋼でできた巨大な《T.W.U.》はすでに落書きされていたが、ハモンズは自分も何か痕跡を残そうとズボンのファスナーを開けて放尿し、その様子を写真家のダウード・ベイが撮影。写真には、ぼんやりとした様子の警察官も写っている。

これは反社会的行為ではなく、ハモンズのパフォーマンス作品で、現在では《Pissed Off(ピスト・オフ)》として知られている。ハモンズのパフォーマンスには、この彫刻に何十足ものスニーカーを投げつけた《Shoe Tree(シュー・ツリー)》もある。

9. 動機不明? レンブラント《ダナエ》が切り裂かれ、異臭のする液体をかけられる(1985年)

レンブラント《ダナエ》(1636) Photo: Via Wikimeda Commons

「名画を完全に破壊できなかったら、もう一度やればいい」。1985年にロシアのサンクトペテルブルクにあるエルミタージュ美術館でレンブラントの絵画《ダナエ》(1636)を襲った男(当時の報道によれば「変質者」)は、そう考えたらしい。男は同美術館の至宝の1つである《ダナエ》を刃物で刺し、ダナエのお腹の部分を切り裂いた。それでは不十分と思ったか、さらに異臭のする液体(当時は硫酸と考えられた)を浴びせている。この液体は絵の具を変質させてしまったため、もう元には戻らないのではないかとの懸念も聞かれた。しかし、《ダナエ》は12年の歳月をかけて奇跡的に修復され、再び公開されている。

10. 人種差別への問い。黒人を白人として描いたデビッド・ハモンズの作品が大型ハンマーで叩かれる(1989年)

ハモンズは作品を傷つけるのに使われたハンマーを、修復後に作品の一部として追加した。Photo: Calla Kessler/The Washington Post via Getty Images

他人のアート作品を尿で汚したことのあるデビッド・ハモンズだが、1989年には自らのパブリックアート作品《How Ya Like Me Now?(今は私をどう思う?)》が傷つけられた。これは、黒人政治家ジェシー・ジャクソンを金髪に白い肌の人物として描いた大型絵画で(*2)、今でもハモンズ作品の中で最も賛否両論あるものの1つだ。


*2 430×490cm、人物が切り抜かれた形になっている。

この絵は、ワシントンで屋外に展示された際、ハンマーで叩かれるという破壊行為を受けている。ハモンズ作品に詳しい何人かのキュレーターは、この行為は作品が誤解されていることを示していると指摘。作品の意図は、政治家に対する認識が人種によって影響されるのかを試すというものだったからだ。修復後、ハモンズは新たな要素として、破壊行為に使われたハンマーを作品に加えている。

11. デュシャンへの敬意? 小便器作品にブライアン・イーノが排尿(1993年)

テート・モダン(ロンドン)の展覧会で展示されたマルセル・デュシャンの《泉》(2008年) Photo: Tim Ireland/PA Images via Getty Images

マルセル・デュシャンの《泉》(1917)は、使用されなくなった磁器の小便器を横向きにした有名なレディメイド(*3)作品で、もちろん実際に使うことを意図していない。しかし、このダダイズム作品のアナーキーな感性に敬意を表するべく、少なくとも2人のアーティストが作品を便器として使用することに挑戦した。そのうちの1人は有名なミュージシャンのブライアン・イーノだ。彼は最近になって、秘密裏に行われた行為を告白している。


*3 大量生産された既製品をオブジェとして展示するもの(マルセル・デュシャンが考案した概念)。

一方、フランスのパフォーマンスアーティスト、ピエール・ピノンチェリは公然とそれを行った。1993年、フランスのニームに作品が貸出展示されたとき、ピノンチェリは作品に放尿したのちにハンマーで叩いている。ピノンチェリは1カ月間服役し、罰金を科されたが、それでも再度犯行におよび、2006年にパリのポンピドゥー・センターで開催されていたダダイズム展で《泉》を叩いて破損させた。作品は欠けてしまったが、その後修復されている。

12. ブルジョワ文化への抗議。2枚の名画に色の付いた吐瀉物(1996年)

ピエト・モンドリアンの《赤、青、黄のコンポジション》(1937-42)。ニューヨーク近代美術館(MoMA)での展示風景(2015年) Photo: Getty Images

1996年、カナダの美大生ジュバル・ブラウンが、ニューヨーク近代美術館(MoMA)でピエト・モンドリアンの抽象画に青い吐瀉物を吐き出した事件は、当初「不幸な事故」(MoMAの説明)とみなされた。しかしその後、数カ月前にも似たような事件を起こしていたことが判明。オンタリオ美術館で、ラウル・デュフィの絵に赤い吐瀉物を吐きかけていたのだ。

両美術館はブラウンに対する法的措置を検討したが、ブラウンは「ブルジョワ文化」の破壊を意図した自分の抗議行動に誇りを感じているようだった。ブラウンは当初、行動を3部作として計画し、3作目では黄色の吐瀉物をかけるつもりだったという。しかし、計画は未完のまま終わり、吐瀉物をかけられた2つの作品も損傷を受けずに済んでいる。

13. 資本主義への警告? カジミール・マレーヴィチの抽象画にドル記号の落書き(1997年)

アムステルダム市立美術館の外観。Photo: Dean Mouhtaropoulos/Getty Images

カジミール・マレーヴィチの作品は、抑えた表現による超越的な抽象画で、現実世界を超えた存在を想像させる。ところが1997年のある時期、ロシア人アーティスト、アレクサンダー・ブレナーの手によって、マレーヴィチ作品の1つが資本主義の行き過ぎを警告するものになった。

アムステルダム市立美術館で、オフホワイトの背景に白い十字架を描いたマレーヴィチの抽象画の前に立ったブレナーは、鮮やかな緑色のスプレーペンキでドルマークを落書きした。オランダの警察は、ブレナーが当時約860万ドルの評価が付いたマレーヴィチの絵画を通して「芸術的主張」を試みたと発表。ブレナーは、この破壊行為は「アート界の腐敗と商業主義」を浮き彫りにするための抗議であると述べている。この一件でブレナーは、数カ月間の禁固刑を言い渡され

14. トレーシー・エミンのベッドで、上半身裸の中国人アーティストが飛び跳ねる(1999年)

トレーシー・エミンの作品の上で飛び跳ねるアーティストの蔡元(ツァイ・ユワン)。Photo: PA Images via Getty Images

挑発的な表現に満ちていた90年代後半のイギリスのアートシーン。その代表的アーティストの1人がトレーシー・エミンだ。エミンが4日間にわたって実際に寝た本物のベッドと、使用済みのコンドーム、ウォッカのボトルなどで構成された作品《My Bed(私のベッド)》(1998)は、この時代に作られた中でもとりわけ記憶に残る作品と言える。大きな物議を醸した作品だったことが、中国のパフォーマンスアーティスト、蔡元(ツァイ・ユワン)と奚建軍の(シー・ジャン・ジュン)のターゲットになった理由かもしれない。

事件が起きたとき、エミンがターナー賞にノミネートされていたことから、作品はテート・ギャラリー(ロンドン)のターナー賞展に展示されていた。『ガーディアン』紙によると、アーティストの2人は《Two Naked Men Jump on Tracey's Bed(2人の裸の男がトレイシーのベッドの上で飛び跳ねる)》と題したパフォーマンスとして、上半身裸で作品の上を跳ね回り、「中国語で何か理解できないことを」叫びながら、15分間枕投げをした。計画では1人がズボンを脱いで作品の一部であるエミンの下着を身につけるつもりだったが、実行前に警備員に止められたという。テートは告発しない判断を下し、2人は直後に釈放された。作品も、すぐに元の状態に戻されている。

15. 「異教徒のための神」として巨大石仏をタリバンが全壊(2001年)

かつて巨大石仏があったバーミヤン渓谷の山肌に開いた穴 Photo: Photo Nava Jamshidi/Getty Images

6世紀に作られたバーミヤン渓谷の2体の巨大石仏は、アフガニスタンの美術史を代表する重要な作品だった。小さいほうでも高さ30メートルを超える石仏が渓谷の山肌に彫られ、石窟には壁画が描かれていた。しかし、2001年にタリバンがこの像を攻撃し、全壊させている。タリバンは「異教徒のための神」である「偶像」を取り除くために爆破を行い、巨大石仏をがれきの山にしてしまったのだ。タリバンの情報大臣は報道陣にこう言ったという。「建てるより壊す方が簡単だ」

16. 愛の行為? サイ・トゥオンブリーの抽象画に熱いキス(2007年)

リンディ・サム Photo: Photo Boris Horvat/AFP via Getty Images

キスしたくなるほどアート作品に恋してしまったことはあるだろうか? そんな理由で起きたのが、フランスのアヴィニョンにある現代アートの美術館、コレクション・ランベールでの事件だ。フランスのコスメブランド、ブルジョワの口紅をつけて展覧会を訪れたリンディ・サムは、サイ・トゥオンブリーの絵にあふれるほどの情熱を感じた。そして彼女は白いカンバスに血のようなものがこすりつけられた《Phaedrus(パイドロス)》(1977)に近づき、当時200万ユーロと評価されていたこの絵に赤いキスマークをつけたのだ。サムは法廷で「愛の行為だった。キスしたときは何も考えていなかった。画家はわかってくれると思った」と供述したとされる。裁判官は、1ユーロの象徴的な賠償金をトゥオンブリーに支払うようサムに命じている。

17. 暴虐の歴史に対する抗議か。ピカソの絵に政治的落書き(2012年)

ランデロスが破壊行為を撮影し、ユーチューブに投稿した動画の静止画。Photo: Via YouTube

2012年、ヒューストンの美大生だったユリエル・ランデロスは、メニル・コレクション美術館が所蔵するパブロ・ピカソの《赤い肘掛け椅子の女》(1929)に、雄牛の絵とスペイン語の「conquista」という言葉をスプレーで書き込んだ。「征服」を意味するこの言葉は、当時の報道には出ていない。事件直後からランデロスがメキシコに逃亡し、6か月間身を隠していたため、メディアが取材できなかったからだ。なお、被害にあったピカソの絵は、彼の逃亡中に修復されている。

最終的に拘束されたランデロスは、2年の実刑に処された。そのため、彼がメッセージの政治的な意味を語ったのは、14年に仮釈放で出所してからのことだった。その説明によると、書き込んだ言葉は16世紀にラテンアメリカへの遠征で暴虐の限りを尽くしたスペインやポルトガルの征服者、入植者を指しているという。ランデロスはテキサスのライフスタイルメディア、カルチャーマップにこう語っている。「あの絵とメッセージは、自分の生い立ちと、スペインからメキシコに伝わった闘牛の伝統を表している。それに、雄牛はオキュパイ・ウォール・ストリート運動にも通じると考えていた(*4)」


*4 ウォール街近くに「チャージング・ブル(突進する雄牛)」と呼ばれる巨大な銅像がある。雄牛は上昇相場や相場に対する強気な見方の象徴。

18. 反芸術主義者がマーク・ロスコの絵画を襲撃(2012年)

マーク・ロスコ《Black on Maroon(黒字にえび茶色)》(1958)が、破壊行為にあった2年後の2014年にテート・モダンで再び展示される様子。Photo: Ben Stansall/AFP via Getty Images

「シーグラム壁画」は、マーク・ロスコ作品の中でも最も愛されているものの1つだ。元は、マンハッタンのパークアベニューにあるシーグラムビルディングで営業していたレストラン、フォーシーズンズのために制作され、現在はロンドンのテート・ブリテンに収蔵されている。

2012年、アーティストのウラジミール・ウマネツは、テート・モダンに展示されていたこの壁画に、彼が共鳴していた反芸術運動「イエローイズム」を示唆するメッセージをインクで書き込んだ。当初ウマネツは芸術的行為だと主張していたが、2年の実刑判決が言い渡されると態度を変え、謝罪している。テートの専門家たちはロスコのキャンバスに染み込んだ落書きを消せないのではないかと懸念したが、2年後には修復が完了して再び展示された。現在、ウマネツの書き込みの跡はほとんど分からなくなっている。

19. パリにふさわしくない? 大人のオモチャを想起させる彫刻が撤去に追い込まれる(2014年)

ポール・マッカーシー《クリスマスツリー》(2014)空気が抜ける前の状態。Photo: Photo Bertrand Guay/AFP via Getty Images

2014年、パリのアートフェア、FIACに合わせて公開されたポール・マッカーシーの《クリスマスツリー》(2014)はメディアから笑いものにされたが、パリにふさわしくないという批判も浴びている。空気で膨らませる巨大な作品のタイトルはクリスマスを謳っているが、形は緑色のアナルプラグ(大人のオモチャの一種)に似ていたからだ。そのためか、作品が突然撤去されたときも大して驚かれなかった。

というのも、ある日、何者かが作品を固定していたケーブルを切断し、空気が抜けてしまうようにしたのだ。パリ当局は、それがしぼんでいくのを(あるメディアの表現によれば「萎えていく」のを)見ているほかなかったようだ。しかし、当時のパリ市長アンネ・イダルゴは、「アートは我々の街に存在する意義があり、誰もそれを排除することはできない」と述べている。そのコメントを聞く限り、撤去を喜んでいるわけではなかったようだ。

20. アニッシュ・カプーアが自身の巨大彫刻に施された落書きを擁護(2015年)

反ユダヤ的な内容の落書きをされたアニッシュ・カプーアの《Dirty Corner(汚れた一角)》(2011-15)。Photo: Raphael Gaillarde/Gamma-Rapho via Getty Images

アニッシュ・カプーアによる壮大な鉄の彫刻《Dirty Corner(汚れた一角)》(2011-15)がフランスのベルサイユ宮殿の庭園で展示されたとき、批評家たちは作品を巨大なヴァギナに例えて酷評した(カプーア自身は性的な意味合いはないと述べている)。

この作品は何度も破壊行為に遭っており、反ユダヤ的なメッセージを落書きされたこともある。ユダヤ人の母親を持つカプーアは、スプレーで書かれた落書きをそのまま残したいと発言したが、フランスの裁判所は落書きを隠すため、ベルサイユ宮殿に作品の一部を覆うよう命じた。これに対してカプーアは、「フランスの人種差別主義者の勝利だ」と述べ、後に破壊行為は内部によるものだと主張している。

21. 逮捕者続出。リチャード・セラの巨大作品が政治問題に発展?(2018–20年)

リチャード・セラ《East-West/West-East (東-西/西-東)》(2014)。Photo: Qatar Museums/AFP via Getty Images

カタールの砂漠に設置されたリチャード・セラの《East-West/West-East (東-西/西-東)》(2014)は、4枚の巨大な鋼板で構成される作品だ。しかし、ここを訪れるのはミニマリズムアートのファンだけではない。この作品は完成以来、繰り返し落書きの被害に遭っている。

カタール政府はスプレーで書かれたメッセージの詳細を発表していないが、2018年のCNNの報道で紹介された写真を見ると、カタールの民族主義的な誇り示すもののようだ。17年にペルシャ湾岸諸国などがカタールに国交断絶措置を取っていることを考えると、政治問題に発展することも危惧された。20年末に再び作品を荒らされたカタールは、犯人に対する法的起訴の意図を明らかにし、21年初めにはこの破壊行為に関連して6人が逮捕されている。

22. アートの価値とは? バンクシー作品がオークション会場でシュレッダーに(2018年)

バンクシー《Love Is in the Bin(愛はごみ箱の中に)》(2018)。Photo: Alexander Scheuber/Getty Images

謎に包まれたストリートアーティスト、バンクシーは予期せぬ場所で予期せぬ作品を見せることで知られている。中でも最も挑発的だったのは、自ら作品を破壊したことだろう。その作品は、《Girl with Baloon(赤い風船に手を伸ばす少女)》(2006)で、2018年にロンドンのサザビーズオークションに出品され、110万ポンド(約140万ドル)の値がついた。

しかし、落札を告げるハンマーが振り下ろされて何秒も経たないうちに、作品は額縁をすり抜けて下に落ち始め、一部が細断されてしまった。サザビーズの関係者は驚きだったと発言しているが、事前にこの仕掛けを知っていたかどうかは不明だ。当時、欧州現代アート部門責任者のアレックス・ブランシックは、「我われがバンクシー化したようだ」と語っている。シュレッダーで部分的に細断された《Girl with Baloon》は現在、まったく違う作品として存在している。タイトルはバンクシーに自身によって《Love Is in the Bin(愛はごみ箱の中に)》と付け直された。

23. 組織的暴力行為の証。移民危機がテーマの作品を破壊されたまま展示(2018年)

バヌ・センネトグル作《The List (ザ・リスト)》(2007~)。被害に遭う前の写真。Photo: Courtesy Liverpool Biennial

それぞれの時代の社会問題は破壊行為を誘発するようだ。たとえば、2018年のリバプール・ビエンナーレでは、ヨーロッパの移民危機をテーマにしたバヌ・センネトグルの《The List (ザ・リスト)》(2007-)が激しく破られている。この作品は、1993年以降にヨーロッパに移住しようとして亡くなった中で名前が分かっている3万4361人をリストアップし、屋外の壁に約280メートルにわたって貼り出したものだ。

センネトグルはこの作品を修復せず、一部が破れたままで展示を続けた。「組織的な暴力行為を明確に示し、それを忘れないためにこの『状態』のままにしておくことにした」と彼女は語っている。

24. ロシアの美術館警備員が、のっぺらぼうの人物画に目を描き足す(2021年)

アンナ・レポルスカヤ《Three Figures (3人の人物)》(1932-34)。Photo: State Tretyakov Gallery

美術館の職員による美術品損壊はそうあることではないが、2021年にロシアで珍妙な事件が起きている。エカテリンブルグのエリツィン・センターで、モダニスト画家アンナ・レポルスカヤの作品に描かれたのっぺらぼうの人物に、警備員が2つの目をボールペンで描き入れたのだ。美術館が警察に届け出たのが2週間も経ってからだったため、事件の経緯には謎が多かった。警備員のアレクサンドル・ワシリーエフは当初起訴されなかったものの、22年に破壊行為で起訴され、罰金が科せられている。

さらに、ワシリーエフがロシアのニュースサイト『E1』に語った内容は、話をより複雑なものにした。アフガニスタン紛争とチェチェン紛争に従軍したワシリーエフは、心身ともに多大なダメージを受けたという。また、彼は美術館に来ていた10代の若者グループに、目を描くように仕向けられたと主張している。「その子たちが目を描いてくれと頼むんだ。『この絵は君たちが描いたの?』と聞くと、『そうよ』と答えてペンを差し出したから、それで目を描いた。その子が小さい頃に描いた絵だと思ったんだ!」

25. 人気の高いゴッホの《ひまわり》、トマトスープを浴びせられる(2022年)

ゴッホの絵にトマトスープをかけたジャスト・ストップ・オイル。Photo: Just Stop Oil/Anadolu Agency via Getty Images

2022年、欧州各地で美術品を標的にした環境活動家の抗議行動が広まった。彼らは、気候変動危機を食い止めるため、政府に迅速な行動を取るよう主張している。当初は有名な美術品の額に接着剤で手のひらを貼り付けていたが、次第にその行動はエスカレート。アートフェア「フリーズ」の開催中には、環境団体ジャスト・ストップ・オイルの活動家2人が、ロンドンのナショナル・ギャラリーでフィンセント・ファン・ゴッホの《ひまわり》(1888)にトマトスープを浴びせかけるという事件を起こした。

活動家たちは作品そのものを傷つけないような方法を取っているとし、実際ガラスケースに入っていた絵に損傷はなかった。しかし、ゴッホ作品が破損する可能性はあったという見方もあり、保守的な識者を中心に批判の声が大きくなっている。一方、ドイツのポツダムではモネ作品にマッシュポテトが投げつけられ、ウィーンではクリムト作品に黒い油が撒き散らされるなど、同様の事件が続いている。

26. ベラスケスの《鏡のヴィーナス》に再び災難。環境活動家にハンマーで殴打される(2023年)

ディエゴ・ベラスケス《鏡のヴィーナス》。英語圏では《The Rokeby Venus(ロークビーのヴィーナス)》という名で知られる。Photo: De Agostini via Getty Images

2023年11月初旬にも、環境団体ジャスト・ストップ・オイルの活動家2人が気候変動危機への対策を求め、ロンドンのナショナル・ギャラリーでディエゴ・ベラスケスの傑作《鏡のヴィーナス(The Toilet of Venus)》(1647-1651)を襲撃する事件が起きた。同団体がXに投稿した動画によると、2人は「政治は私たちを失望させています。1914年、政治は女性を失望させました」と来場者に語りかけ、かつて女性参政権運動家のメアリー・リチャードソンがこの絵を襲撃したことに言及した。リチャードソンは、1914年3月にナショナル・ギャラリーに入り、肉切り包丁でヴィーナスに7つの深い傷を残している。なお、抗議行動の数時間後、美術館は2人の活動家が逮捕され、保存修復師が検査するため展示から外されたことを発表した。(翻訳:清水玲奈、平林まき、石井佳子)

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