ナン・ゴールディン『性的依存のバラード』とは何だったのか? 刊行40周年を迎える代表作を振り返る
写真家ナン・ゴールディンの代表作『性的依存のバラード』の刊行40周年を記念し、ガゴシアン・ロンドンで展覧会が開催中だ。1980年代のニューヨークを生きた人々の姿を収めた本作は、なぜ今も見る者の心を揺さぶり続けるのか。
「自分の歴史を他者に解釈されたくない」──1986年刊行の写真集『The Ballad of Sexual Dependency(性的依存のバラード)』の末尾で、写真家ナン・ゴールディンはそう記した。デビュー作にして最高傑作と称される本作は、版を重ねてもなお序文が書き換えられていない(後書きのみが時代ごとに補われている)。11歳で自ら命を絶った姉バーバラに捧げられたこの写真集の序文には、次のような言葉が綴られている。
「姉の本当の記憶はもうない。あるのは私自身の記憶だけ。私の目に映った姉の姿や彼女が言ったこと、彼女が私にとってどれほど大切だったか。そういった個人的な記憶だけだ。姉がどんな人間だったかという実感はもうない。二度と誰かの実感としての記憶は失いたくないのだ」
身近な人々の姿を記録し、ともに過ごした最も親密で日常的な瞬間を永遠に残したいというゴールディンの飽くなき欲求が、彼女を代表するドキュメンタリー写真の核となっている。
本作の刊行40周年を記念し、ガゴシアンのロンドン拠点では、写真集に収録された全126点が展示されている。これまでにもニューヨーク近代美術館(MoMA)やテート・モダンで展覧会が開催されてきたが、今回の展示はその全貌をあらためて提示する機会となっている。
欲望と人間関係の記録
本作のタイトルは、ベルトルト・ブレヒトとクルト・ヴァイルによる『三文オペラ』(1928)の楽曲「Ballad of Dependency」に由来する。収録作品の多くは1973〜1986年に撮影された。被写体となったのは、ゴールディンと彼女の周りにいた友人や恋人、ドラァグクイーン、そして薬物依存者たち。いずれもさまざまな欲望や人間関係と格闘し、ときには自分と向き合う姿も写真に収められている。
撮影地はニューヨーク、ボストン、プロヴィンスタウン、ベルリン、メキシコに及ぶ。バーや寝室、車内、ビーチ、売春宿──それらは彼女と仲間たちが実際に身を置いた場所だった。マサチューセッツ州郊外の息苦しい家庭環境から14歳で離れ、寄宿学校や里親家庭、コミューンを転々としながら生活してきたゴールディンにとって、これらの空間は自らの人生を切り開く現場でもあった。
戯曲のようなタイトル通り、本作は当初、音楽を伴うスライドショーとして発表された。750枚の写真と40曲で構成された約45分の映像作品を携え、ゴールディンはニューヨークのナイトクラブや小規模会場を巡り、自らプロジェクターを操作した。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやスクリーミン・ジェイ・ホーキンズ、ディーン・マーティン、さらにはマリア・カラスまで、多様な楽曲が写真と呼応した。
本作は1980年に開催された「Times Square Show」と題されたグループ展の一部として発表された。その後、1985年のホイットニー・ビエンナーレに出品されたことで広く知られるようになり、翌年にはApertureから写真集として出版された。展覧会の構成を踏襲して、写真集の目次には楽曲のタイトルが使用され、楽曲と作品を組み合わせて楽むことができる。
本作の構成もまた特異だった。ゴールディンは被写体と同じ生活圏に身を置きながら、同時に観察者としての視点も保っている。女性作家がこうした立場を明確に取ることは当時としては異例だった。また、モノクロが主流だった時代にカラー写真を前面に押し出し、日記、家族写真、ファッション、報道的視線を横断させることで、私的な写真を芸術の領域へと押し広げた。批評家のヒルトン・アルスは、このシリーズについて次のように記している。
「ゴールディンが撮影したのは、いわゆる日常と呼ばれるものではない。彼女が写真に収めたのは、人生をショービジネスとして生きる、差異がまず表層に現れる世界だ。女性らしい服を着れば女性になれる。あるいは、自分という観念を着込むこともできる。反骨精神に満ちた女性として、社会の作法を破るために、禁じられたことをあえてやってみる。人前で泣き、子宮外妊娠の傷痕をさらし、便器を外しそうになりながら小便をし、ばらばらになり、そして自分を貼り合わせ直す」
「1980年代を体現する作品」
このシリーズを象徴する作品が、あざだらけの自画像《Nan one month after being battered(1カ月前に暴行されたナン)》(1984)だ。元海兵隊員で薬物依存者だった当時の交際相手ブライアンに殴られた直後の顔を写している。暴行から一カ月が過ぎても傷は生々しく、腫れ上がった鼻、黒ずんだ眼(片目は眼球が飛び出さないよう縫合が必要だった)、そして彼女の象徴でもある赤いリップスティックが強烈な対比をなしている。この事件をきっかけにゴールディンは深刻な薬物依存に陥り、1989年にはリハビリ施設に入った。
ゴールディンの写真は、極私的な記録でありながら、不思議な普遍性を帯びている。『The Ballad of Sexual Dependency』は、1980年代のダウンタウン・ニューヨークの文化を象徴する作品となった。だが、被写体たちが放つ若さゆえの無敵感は、エイズ危機によって断ち切られ、ゴールディンの友人や被写体の多くが命を落とした。写真集が刊行された当時、ニューヨーク・タイムズ紙の主任写真評論家、アンディ・グランドバーグは、「ロバート・フランクの『The Americans』が1950年代を定義したように、ナン・ゴールディンの『The Ballad of Sexual Dependency』は1980年代を体現する作品となった」と記している。
こうして生まれた『The Ballad of Sexual Dependency』について、ゴールディンは後年あらためて次のように述べている。
「『The Ballad of Sexual Dependency』は人に読ませるための日記です。日記とは、私が自分の人生をコントロールするための手段で、とりつかれたように細かくその日の出来事を記録でき、記憶することを可能にしてくれるのです」
(翻訳:編集部)
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