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アジア人差別と非難殺到。画像生成AIツールが故キム・ジョンギを“勝手に復活”

韓国人の人気アーティスト、キム・ジョンギが10月初めに47歳で急逝した。しかし、彼は死後3日目に生き返っている。もちろん生身の人間としてではない。画像生成AIのコードという形でよみがえらされたのだ。

韓国人イラストレーターでアーティストの故キム・ジョンギ(2016年3月16日、パリで撮影)。Photo: Joel Saget/AFP

5Youと名乗るフランスの元ゲーム開発者が、キム・ジョンギの画風で画像を生成するツールを発表したのは、10月3日にキムが死去して3日も経たないうちのことだった。5Youはオープンソースの画像生成AI、Stable Diffusion(ステーブル・ディフュージョン)をベースにしたこのツールを、キムに捧げる「オマージュ」だと説明。「クレジット表記をしてくれれば自由に使っていい」と呼びかけた。

しかし、マンガアニメの作家たちはこれに猛反発。5Youはテック系メディア、レスト・オブ・ワールドの取材に対し、キムの仲間のアーティストやファンから殺害予告を受けたと語っている。

5Youに対しては、「悪趣味な売名行為」という声のほかに、「人が死ぬことを許さず、永遠に働かせ続ける行為」というTikTokコメントに象徴されるように、ディストピア的未来の予兆とする見方もある。さらに、5Youが自分の名をクレジットするよう求めていることについては、白人クリエイターがアジアのアートのスタイルを盗用して利益を得てきた歴史の延長にあたるとして批判する声も多い。

この騒動によって顕在化されたのは、テクノロジーがはらむ倫理問題を懸念する人たちが長年指摘してきたリスクだ。つまり、新しいテクノロジーはイデオロギー的に中立なものではなく、既存の構造的不平等を存続させ、さらに悪化させる危険があるというもの。Stable DiffusionやDALL-E(ダリ)といった画像生成AIツールはそうした状況をもたらし、既存の偏見を増幅するだけではなく、新たな搾取の手段を生み出しかねない。

全てのアーティストがAIによって損失を受ける危険にさらされている中で、とりわけアジア人アーティスト(長い間、ロボットのような「他者」として人種差別されてきた)は、こうしたツールやテクノロジーが生み出す新しい形のオリエンタリズムの被害者になりやすい。キム・ジョンギのボットとしてその画風を模倣する画像生成ツールの出現は、この事実を浮き彫りにしているといえる。

古いオリエンタリズムと新しいオリエンタリズム

1900年代初頭、ニューヨークを拠点としたムラード・シガレット社の広告には、オリエンタリズムのモチーフや中東の衣装をまとった人物の絵柄が多用された。Photo: Pictures from History/Universal Images Group via Getty Images

歴史的に見ると、西洋美術におけるオリエンタリズムは、古風な伝統を受け継ぐ「ヨーロッパの代替物」としてアジアを捉える見方に端を発している。アジアは、野蛮ではあるものの、近代化の中で失われた神秘的な本質を秘める存在、とみなされていたのだ。

オリエンタリズムの初期(通常、18世紀から19世紀とされる)には、アーティストが「エキゾチックな本物らしさ」ともいうべき要素を作品に注入することを目的に、衣服や装飾、版画などの芸術的手法に至るまで、東洋文化のスタイルや記号を取り入れることが珍しくなかった。

しかし第2次世界大戦後、アジアは世界経済やテクノロジー面で、ときに欧米をしのぐまでの競争力を持つようになった。アジア諸国が影響力を増し続ける中で、東洋の後進性という概念は通用しなくなったのだ。そこで、こうした勢力図の再編を都合よく解釈しつつ西洋の優位性を正当化するための新しい神話が生まれる。アジア人は本質的に、きめ細かな任務遂行や調整が得意なオートマタ(機械仕掛けの人形)としてメディアに取り上げられるようになり、「ロボットのような存在」とされた。言い換えれば、西洋の特徴である個人の創造性や精神に欠けた存在とされたわけだ。

デジタルメディアの研究者、ウェンディ・ホイ・キョン・チュンが2019年の論文「High-Tech Orientalism(ハイテク・オリエンタリズム)」で書いているように、こうした描写は、「アジア人/アジア系アメリカ人を(中略)ロボットとして、機械のようなものとして排除する」ことによって、人類全体に対する白人の覇権を守ろうとするものだ。同時に、アジア人がテクノロジーの分野で優れている事実を非人間的だからと説明することによって、アジア人を搾取し続けることを正当化していると解することができる。

こうした偏見は、「テクノ・オリエンタリズム」と呼ばれるようになった。かつてアジアを伝統的・前近代的なものと捉えたステレオタイプ化が、「ハイパー・テクノロジー用語」(「テクノ・オリエンタリズム」に関する論文集の編集者による表現)に置き換えられたというわけだ。この図式では、アジア人は機械の言葉で話す人間として人種差別され、勤勉で努力家で機能的ではあるが、空虚で個性に欠け、生み出す芸術は「魂がなく機械的」と評される。

「テクノ・オリエンタリズム」というステレオタイプは、あちこちに顔を出す。たとえば、ハリウッド映画の名作『ブレードランナー』(1982年)には東京をイメージした街並みやアジア人のホログラムが登場する。また、ミュージシャンのグライムスは、テクノスケープ(科学技術による構造物が生み出す景観)にアジア的要素を加えたビジュアルを取り入れている。今年リリースされたビデオゲーム「Stray(ストレイ)」では、今はなき香港のスラム街、九龍城砦がロボットだけが住む街区として描かれている。

このように白人のクリエイターたちは、さまざまな分野でロボットが君臨する未来の象徴としてアジアを描き、またアジアの象徴としてロボットが君臨する未来を描いているのだ。

テクノ・オリエンタリズムの論理的結末

ビデオゲーム「Stray」プレイ中のディスプレイ。「Stray」はテクノ・オリエンタリズム的なテーマとイメージを含むとして批判されている。Photo: AFP via Getty Images

キム・ジョンギとキムのアートスタイルを模倣する5Youの画像生成ツールは、アジア人をロボット的だとする歪んだ観念の歴史における最新の事例にほかならない。長年にわたって機械的なアーティストという人種差別的なレッテルを貼られていた韓国人アーティストであるキムが、とうとうテクノロジーで再現されたわけだ。

つまり、キムは完全な機械として作り上げられ、利用かつ消費される製品として大衆に差し出されている。盗用されているのは、アジア人のアートだけでなく、アジア人アーティスト自身でもある。盗用され、口を封じられて単なるツールに変えられ、その気になれば誰でも好きなように操作できる存在におとしめられているのだ(当然ながら、ツールの作成者をクレジット表記すればという条件付きだが)。

歴史的に有名な白人アーティストも、画像生成ツールによって模倣されてきたではないかと指摘する人がいるかもしれない。しかし、キムの死後、驚くべきスピードで機械に作り替えられた事実からは、もともとキムを機械のようなアーティストとして見下す姿勢が根底にあったことがうかがわれる。

ノースイースタン大学(ボストン)アート&デザイン学科のジェニファー・グラデッキ教授は、9月に行われたインタビューで、アーティストたちの未来について「創造性こそ、将来も絶対に自動化できないものだ」と語っている。グラデッキはアーティストたちを安心させるつもりでそう言ったのかもしれない。しかし、アジア人はクリエイティビティに欠けると評されることが多く、複製を作ることは得意だと言われることはあっても、何かを生み出す創造者だと見られることはまれだ。そんなアジア人にとってグラデッキ教授の発言は、こうしたツールによってアジア人がますます周縁部に追いやられ、自らのアートから遠ざけられる事態を警告しているように思えるだろう。

こうした事態に対する恐怖を表明したのが、中国出身の俳優ジェット・リーだ。リーは、2018年に『マトリックス』シリーズへの出演を拒否した理由について、「(自分の)全ての動きを記録してデジタルライブラリーにコピーする」ことを求められたからだと説明している。それは、長年のトレーニングで磨かれた身体の動きが、永遠に他人の知的財産にされてしまうことを意味する。そもそも機械のような存在だと思われているため、その身体や芸術を機械で複製することが窃盗行為にはならず、単なる合理的な展開とみなされるのだ。

AIがもたらす未来との戦い

ロンドンのテート・モダンで公開された「ヒュンダイ・コミッション:アニカ・イ」の展示風景(2021年10月11日)。Photo: Getty Images

しかし、私たちはこうした疎外が起きる未来を、ただ甘んじて受け入れてはならない。多くのアーティストたちもそう信じて、それぞれのやり方で人間と機械の創造性の境界を探っている。

たとえば、中国系カナダ人の画家、ソグウェン・チャンは制作過程にロボットアームを取り入れている。ロボットアームとチャンは互いの筆使いを読み取り、反応し合うことで、常に進化し続けるダンスのような動きを見せる。機械とのコラボレーションによって、有機物と無機物の間で繰り広げられるフィジカルなパフォーマンスが強調され、身体はアーティストの存在から切り離されるのではなく、むしろその中心に置かれるのだ。

一方、韓国系アメリカ人アーティスト、アニカ・イは2021年にテート・モダンのタービン・ホールで、巨大な卵型の物体「生物学的マシン」が空中に浮かぶインスタレーションを発表している。クラゲを思わせるこのインスタレーションには、イのトレードマークである香りの要素も取り入れられていた。時間帯によって異なる香りが漂い、それも週替わりで変化するというものだ。中には、恐ろしい感染症のペストを想起させることを意図した香りもあった。

イの作り出す半自律的なロボット生物は、AIを自然の形態に統合することで、実体のない「純粋な認識」としてのAIという冷たく不毛な概念に疑問を投げかける。さらに、鑑賞者の嗅覚を刺激する香りの風景は、身体性を思い出させる要素として機能する。

テクノ・オリエンタリズムのイデオロギーに真っ向から挑戦しているのが、韓国系アメリカ人の映画監督、コゴナダの最新作『アフター・ヤン』だ。コリン・ファレル、ジョディ・ターナー=スミス、ジャスティン・H・ミンが出演するこの映画では、娘の「お兄ちゃん」兼お世話係のAIロボット、ヤンが動かなくなったため、父親がなんとか修理しようと試みる。

この映画は、サイエンス・フィクションの世界におけるアジア系ロボットについて深く考察し、複雑で難解な存在として描くことで新しい何かが生まれる可能性を作り出している。

画像生成AIなどのテクノロジーが、今後どんな影響をもたらすのかは未知数だ。しかし、新しいツールは常に、過去の過ちを改めずそのまま継承してしまう傾向があることを歴史が示している。こうしたツールから人間性を崩壊させるリスクを取り除くためには、私たちが人間と機械、東洋と西洋という抑圧的な二項対立をめぐる枠組みを解体し、新たな枠組みを作り出すことが必要だろう。

それこそが、キム・ジョンギの遺志を継ぐことにつながる。キムは、テクノロジーによって新しい道が切り開かれ、明確な自己表現ができるようになり、突き詰めれば「より多様で面白い人生」がもたらされることを願っていたのだから。(翻訳:清水玲奈)

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