【部屋とアートと私:第4回】作家への“嫉妬”が決め手。愛と思索に満ちた、クリエイターのコレクション
とあるアートコレクターの部屋と、ともに暮らす作品にまつわるとっておきのストーリーをお届けする。
プロフィール
30代(男性)、広告プロデューサー
東京都品川区の集合住宅(3DK)
祖父母と母と4人暮らし
アートを「使う」と新しい発見がある
臨海地域にある、緑の多い静かな集合住宅の一室。玄関のドアを開けると、名和晃平の作品たちが出迎えた。案内された部屋の壁や棚にも、たくさんのアートが並んでいる。
「よかったら、お茶をどうぞ」
部屋の隅に置かれたデスクの上には、ペットボトルのお茶とともに、造形も色彩も様々な器が用意されていた。飲み口からプラチナ釉がぽってりと流れ落ちるのは桑田卓郎の作品、ポップな色とかたちの物は酒井智也のものだ。
「作家物の器は、来客にもぜひ使ってもらいたいと思いながら購入しています。アートに口で触れるのは不思議な体験です。作品の感じ方もまた変わって、その後に改めて目で楽しむのも至福なんです」
ありがたく桑田の器を使わせてもらうと、なるほど。厚手の縁は滑らかに口に馴染み、想像とは異なる感触を覚えた。
「酒井さんの作品はずっと好きで集めています。造形的にどこか幼少のころの断片的な記憶が呼び起こされる、ノスタルジックな感じがあって。自分は『ファンタスティック・プラネット』(1973年)という、芸術性が高い海外のSFアニメ映画を思い出すんです」
器を指さして「この子」と呼びながら説明する姿に愛情がにじむ。
この集合住宅には、小学生のころからずっと暮らしてきた。アートを飾るのは、自身の目が届く玄関先の飾り棚と5.5畳の自室だけにしていると話す。
寝起きし、在宅仕事をしてと、多くの時間を過ごす自室は“メイン展示室”。その押し入れは“収蔵庫”として、100点ほどのコレクションを保管している。一般的な住居のため、管理には人一倍気を遣う。部屋はカーテンで常に遮光し、カビ対策のためにエアコンと除湿器は24時間つけっぱなし。スマホのアプリと連動させて、外出先からも空調に目を光らせる。
「地震が起きたときは家に電話して、まず作品が無事かを確認します。アートを所有することはとても幸せですが、実はそれに伴って悩み事も多く、結構神経を使うんです」
名和晃平の「舞妓」に感じた、特別な縁
自室の本棚には、2011年に開催された名和晃平の個展「シンセシス」(東京都現代美術館)の図録が飾られていた。この展示こそが、アート作品を収集する上での大きなターニングポイントになったと振り返る。
「いまだにこの展示を超える感動はありません。鹿のはく製などを透明の球体で覆った『PixCell』シリーズが有名ですが、テクノロジーなどを駆使した知覚体験を生み出す名和さんのアプローチに、興味や魅力を感じている自分を認識しました。展示を見てからは、知覚や感覚に訴えてくる作品、なにか違和感を残してくれるコンセプチュアルな作品を好む傾向にあると思います」
そして2021年末には、念願だった「PixCell」シリーズを購入した。舞妓の人形を透明の球体で覆った《PixCell-Maiko_A-1》(2021)だ。
「サラリーマンになり、限られた予算でアートを買うようになっても、名和さんの作品なんてなかなか手が届かなかったわけです。でも仕事を頑張る中で少しずつ貯金もできてきて、ずっと思い続けたものを今こそ買うべきだって」
それまでに名和のエディション(複数制作)のPixCellは購入したことがあったが、1点物は初めて。ギャラリーに通っては名和作品への思いを伝え続けていたところ、購入機会を得ることができたという。作品のモチーフである「舞妓」にも特別な縁を感じている。幼い頃に見た舞妓は、白塗りの顔がどこか無表情に見え、戦隊もののマスクをかぶった悪者の姿と重なって、怖さを覚えた。
「この作品も周りのビーズによって、角度を変えて見ると人形の目の部分が消える時があります。“表情がなくなる”というイメージに、昔の記憶が鮮やかに呼び起こされました」
舞妓の人形は物体として存在しつつも、透明球のレンズを通すことで重力から解放された“情報”に変換される。もしかしたら、中に実在しないかもしれない……そんなことまで考えさせる深さがあるのだという。
美術館で見るアートと所有するアート、どこか違いがあるのだろうか?
「食事をしながらでも歯を磨きながらでも、24時間好きな作品を見ていられるのは所有者の特権です。しかし、作品を預かっているという責任も。一層丁寧に保存しなくてはと、作品に積極的に関わるようになり、距離感が近くなっていくような感覚があります」
長く作品を所持していると、自身の価値観や社会情勢の変化などによって、新しい作品解釈が生まれるという。美術館での短時間の鑑賞では見落としがちなディテールにも気づけ、「見る解像度」が上がるのだと話す。
作品を購入する際には、部屋での配置場所のことはあまり考えない。部屋ありきだと、インテリアとして見てしまう気がするのだという。あくまでも作品の良し悪しで判断し、部屋には大きすぎる作品でも購入対象として見ている。コレクションに系統立てたコンセプトはない。ギャラリーを後にして駅に向かう中で、「頭に残って仕方がない作品」があると戻って購入することも。
そして、自分が“嫉妬”した作品を欲しくなるのだと言う。子どものころから物作りが好きで、美大を目指していたが叶わなかった。自分がやりたかったことや思いつかなかった表現をしている作家を見ると嫉妬するのだと、正直に口にする。
「この部屋にいま展示している作品はどれも嫉妬するものです。特に髙橋銑(せん)さんの《Cast and Rot No.23》(2022)。この作品は、ブロンズ彫刻の保存修復に使われる技法でニンジンをミイラ化して、台座と組み合わせています。美術と密接に関わるのが、保存して残し続けるということ。その重要な部分をニンジンという美術的な価値がないものでダイレクトに提示しているのに驚きました。ニンジンがいつか朽ちて台座だけが佇む時、それは作品と呼べるのか。かつてそこに『存在』していたことを知っている私は『不在』を受け止めるけれど、そうでない人はどうなのか……と考えされられて。そういった知的なことが積み重なっているところに、うわっやられた!と衝撃を受けて嫉妬したのが、購入の決め手になりました」
昔からの物づくりへの思いを胸に、デザインと経営の両方が学べる大学、デザインの専門学校へ進んだ。そして、広告制作会社に就職。自分がプロデューサーとなって、社内のクリエイティブ職の人たちと共に作品を生み出すことで、夢を叶えた。
「広告とアートには通じるところがあると感じています。広告は生活者に対し、半歩先の視点をもってアプローチすることが多い。美術にも同じ側面がある気がして。ちょっとずらした視点で、誰もしてこなかった新しい表現をするんです」
仕事では美術家の人の思考を参考にすることも多いのだと教えてくれた。
作品を解釈し、組み合わせる。それが楽しい
自室は季節や気分で展示替えをし、棚の作品は2、3カ月に1回は総入れ替えをする。好きなアートに囲まれた生活は、なんと贅沢な時間なのだろうか。
「その時の思いや考えを反映させます。自分の思考の中で生活しているみたいな感覚です」
飾る作品について質問を重ねると、幾重にも考えられたキュレーションであることが分かり、驚いた。
「この本棚に置いた岡啓輔さんの《蟻鱒鳶ル(小)》に対して、対角線の位置になる部屋の隅に、Chim↑Pom from Smappa!Groupの《ポータブル道》(2022)を配置しました。《蟻鱒鳶ル(小)》はコンクリート製ですが水分量が少なく、堅牢で200年ほどもつといわれています。片や《ポータブル道》の上に置かれた欠片は、解体された渋谷PARCOのコンクリートの廃材です」
凛とした姿と、道路の上に崩れ落ちた存在を対比させていたわけだが、それだけではない。
《ポータブル道》の上に、アンディ・ウォーホルの絵画がデザインされた空き缶や硬貨なども、自分で置いた。大量生産の象徴としての空き缶と、度々発行し直される硬貨を置くことで、世の中の縮図に思いを至らせる意図があったのだと解説する。
「Chim↑Pomの《道》という作品には、“道を育てる”というキーワードがあり、自分も手を加えてそこに関与したいなと。ポイ捨てして道を汚すような感覚で、毎日違う物を置いています。昨日は、イギリスの現代美術家のライアン・ガンダーの展示でもらった、くしゃくしゃの紙を置きました」
そんな“思考”で満たされた空間にお邪魔していると、無限に広がる解釈の自由さを実感させられる。鑑賞して楽しみ、考え、作品とともに人生を歩む。これこそが、アートを部屋に飾ることの醍醐味なのだろう。