挑戦的で、矛盾に満ち、不可解な存在──トレイシー・エミン回顧展が示す自己表現の軌跡
ロンドンのテート・モダンで、40年にわたるトレイシー・エミンの活動の軌跡を辿る回顧展が開催されている(8月31日まで)。絵画、ビデオ、テキスタイル、ネオン、彫刻、インスタレーションによる代表作から未発表作品までを網羅し、エミン本人が構成に関わった本展をレビューする。

「自分は本当に退屈なアーティストだと思うようになってきました」
トレイシー・エミンは展覧会の図録で、自分の思いをそう吐露している。衝撃的な作品の数々で名を馳せた女性アーティストの口から、こんな自省の弁が語られるのは意外なことだ。
セルフポートレートであり、パフォーマンスアートでもある初期の立体作品《マイ・ベッド》(1998)は、実際にエミンが寝ていたベッドの上や周囲に生活の残骸を散らし、脆弱さと暴力の暗示を対比させる表現で当時のアート界を震撼させた。しかし、近年エミンが制作しているのは、かつてのような使用済みのタンポンや下着ではなく、油絵の具やブロンズによる販売しやすい作品だ。
「第二の人生」で向き合う新たな責任
テート・モダンの回顧展は「A Second Life(第二の人生)」と題されている。2020年に膀胱がんで死の淵をさまよったエミンは、その後「人生の第二幕」を歩み始めたという感覚と、それに伴う新たな責任に向かい合うようになった。「バトンを受け取ったことはないけれど、今はそれを運んでいます」というエミンの言葉は、アーティストとして活動を続ける決意だけでなく、イギリスのアート界の重鎮として次世代を育てることにも力を注ぐ姿勢を表している。
そのために彼女は、かつては賑わっていた海辺のリゾート地で故郷でもあるマーゲイトの活性化や新進アーティストの支援に力を注ぎ、ターナー・コンテンポラリーの創設にも尽力した。ターナー・コンテンポラリーはマーゲイトゆかりの巨匠画家、ジョセフ・マロウド・ウィリアム・ターナーにちなんで名付けられた現代アートの展示スペースだ。さらにエミンの財団は、複数のアーティスト・イン・レジデンス・プログラムに資金援助を行い、アーティストたちに無料でスタジオスペースを提供している。エミンはその活動についてこう語った。
「私にとっての天国は、まさに今、創り上げようとしているものです。私が育ち、よく知っている街のアートとアートスクールは一変しました」
写真やコラージュ、刺繍、映像など多様なメディウム
こうした幅広い活動は美術館の枠には収まりきらないが、開催中の回顧展はいくつかのまとまりで構成され、それぞれの物語が提示されている。その冒頭で見ることができるのは、エミンの初期の作品だ。彼女の最初の展覧会「My Major Retrospective(私の本格的な回顧展)」の全作品を2008年に撮影した小さな記録写真群で、《My Major Retrospective II 1982-1992(私の本格的な回顧展 II 1982-1992)》と題されている。エミンはこれらの作品を破壊し、写真だけを残した。
次に展示されているのは、1990年代後半の「ブランケット」と呼ばれる一連の作品だ。キルトを用いた乱雑なコラージュで、「FUCK SCHOOL WHY GO SOMEWHERE EVERYDAY TO BE TOLD YOU’RE LATE(学校なんてクソくらえ、遅刻だと言われるために毎日通うなんて)」や、「YEAH ILL HAVE YOUR BABY(ええ、あなたの子を産むわ)」といった叫びのような言葉が大きくあしらわれている。

2009年に制作された刺繍のシリーズは、各作品に1つの文を縫い取った、端的だが胸に迫る作品だ。黒糸で描かれたさまざまな場面の下に、「You made me feel like nothing(あなたは私を無価値だと感じさせた)」や、「Is this a joke(これは冗談なの)」といった言葉が刺繍されている。
2本の映像作品はまさに傑作だ。1つは《Why I never became a dancer(なぜ私はダンサーにならなかったか)》(1995)で、夕暮れのマーゲイトの風景にエミンの声が重なり、十代の頃に性交渉を持った男たちのことが語られる。それは、ダンス大会で彼女を野次った下品な男たちだ。その後、映像は大人になったエミンが1人で楽しそうに踊る姿に切り替わる。一方、《Emin & Emin(エミン&エミン)》(1996)では、海で泳ぐエミンと父親の映像が、世代を超えた愛と海の悠久さを描いている。
これらの初期作品の表現には奥深い真実味があり、日記のようでありながら雑な印象を与えない。しかし、ここから近年の絵画への移行を理解するのは難しい。近年の作品は魅力はあるものの、全般に表面的な印象を受ける(明らかに装飾的なネオン作品は言うまでもない)。
妊娠中絶体験が与えた影響
エミンの作品とその人生を切り離すことは不可能だ。どちらにも揺るぎない生々しさがあり、それだけに、作品についても、そして人生についても批判的になるのは難しい。ここ数年、世間の注目を浴びてきたのは、がんを克服した後のエミンの人生だ。しかし今回、エミンが構成に携わった展覧会では、1990年代初頭の人工妊娠中絶の体験を人生とアート制作の進化における重要な出来事と捉え、そのことをめぐる物語を紡ぎ出している。
1996年の映像作品《How it feels(どんな感じ)》で、エミンは中絶手術をした頃に行った場所──かかりつけの診療所、病院、当時の恋人と歩いた公園──を再び訪れる。彼女は中絶を「人生最高の最低な過ち」と呼ぶが、この矛盾に満ちた表現こそが、その後もこの出来事にさいなまれ続けた理由を示唆している。エミンが中絶時に受けた医療は劣悪なものだったが、彼女を本当に苦しめたのは、子どもを産みたかったという後悔にほかならない。中絶は、自分がアーティストとしても人間としても失格だったことの証と考えるエミンは、作品の中で「自分自身を守るためだけにやること」と語る。まるで悪行でもあるかのように。
1990年代から2020年代にかけての妊娠中絶に関する映像や作品群の後には、ポラロイド写真が廊下状の細長い展示スペースの両側に延々と続く。一方の壁に並ぶのは2001年のエミンの姿を捉えたもので、ほとんどが猥褻にも感じるヌードやランジェリー姿のなまめかしい写真だ。もう一方の壁には、2020年から2025年にかけての写真が展示されている。そこに捉えられているのは、がんで手術を受けた後の血が滲む衰弱した身体だ。中絶を題材とした映像作品の中の言葉がまだ耳に残っている状態でこの展示を見ると、エミンは自らの破壊行為の罰を受けているように感じているのだとしか思えない。
そこを抜けたところで目に入るのは、ブロンズ彫刻の《Ascension(昇天)》(2024)だ。壁にかけられたこの像は、十字架上のキリストを思わせる。エミンの喪失体験と医療から受けたトラウマを深く掘り下げたこの作品は心に響く。しかしエミンの個人的なトラウマと、女性が人工妊娠中絶を受ける権利をめぐる政治的課題は非常に複雑に絡み合っているので、それを解きほぐそうとするのはおそらく不可能だ。

フェミニズム・アートという分類への抵抗
フェミニスト・アーティストと見なされてきたエミンだが、本人はそれを望んでいない。美学的な観点からも、また自身の主観性と身体性の追求においても、その作品は明らかにフェミニスト・アートの概念的遺産の中に位置づけられるのだが、彼女はそう分類されることを一貫して拒否してきた。
エミンはリアリズム以外のレンズで作品を解釈されることを拒絶する。そこにはアナロジーも、メタファーも、シンボリズムもなく、私たちの目の前にはただ彼女自身が存在するだけだ。エミンが用いる手段は、言語と、その身体に残された物理的痕跡(血、指紋、汗、汚れ)、そして物語を伝えることで、その作品は児童レイプ、医療現場の女性蔑視、虐待的な関係、貧困といった恐ろしい暴力が次々と刻まれてきた彼女の人生そのものだ。そこに政治性が付きまとわないわけはない。だがそれは、自己を超えた急進的な解放への欲望を表現することを拒むエミンの姿勢と相容れないまま、そこに存在している。
私たちは女性アーティストに対して、男性アーティストに対するよりも、はるかに多くのものを期待する。活動家であり、先駆者であることだけではなく、完璧な犠牲者であることを求めるのだ。エミンはそうした重荷を自覚的に拒絶し、アートにおいて過激さを貫き、完全に自己にのみ焦点を当てる道を選んだ。そして自らへの忠実さによって、誰もが知る存在となった。1990年代から2000年代初頭のアートに、消えることのない独自性を刻んだアーティストとして。
挑戦的で、矛盾に満ちて、不可解な存在──エミンの第二の人生においてもそれが変わる兆しはまったくない。(翻訳:清水玲奈)
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