感情と身体を消費する労働へ抗うために──シン・ミンが表現する怒りとユーモア
韓国・ソウル出身のアーティスト、シン・ミンは、サービス業に従事する女性たちの労働を手がかりに、現代社会における感情や身体への規範、ジェンダー不平等へ問いを投げかけてきた。彼女のスタジオを訪れ、私たちの感情や身体が資本主義的な社会構造とどう結びついているのか考える。

私たちは日常的に、笑顔で応対するサービス労働者に囲まれている。しかしその笑顔がどのような労働の規範によってつくられているのか意識する機会は少ない。
韓国のアーティスト、シン・ミンは、スターバックスやマクドナルドでのアルバイト経験を出発点に、サービス労働の現場における身体規範と監視構造を可視化してきた。2000年代初頭から活動を始め、2025年にはP21のサポートのもとアートバーゼル香港に参加。さらにMGM ディスカバリーズ・アート・プライズ初代受賞者となった。彼女の作品は、資本主義や相互監視社会、規範と抑圧のなかで賢明に生き抜く女性たちへの敬意と祈りを内包している。
近年の代表作《EW! HAIR IN MY FOOD!》(2025)や《USUAL SUSPECTS》(2025)では、フライドポテトの袋を人型の立体作品へと仕上げている。粘土の原型に十層以上の袋紙を重ねて鋳造するプロセスは、使い捨ての労働力と一枚一枚手で貼り重ねる創作という労働行為そのものを象徴している。作品に描かれた吊り上がった眉は怒りを湛えているが、鉛筆の筆致によってどこかユーモラスにも見える。さらに、従業員の女性たちが長い髪を収めるヘアネットも彼女の作品を象徴するモチーフだ。常に衛生的かつ「女性らしく」あれと要求する社会の二重規範を映し出している。
遡ると初期の《Crying Women》(2006–2010)シリーズでは、充血した目で涙を流す女性たちを描き、個展「Daughters」(2011)では性的虐待の被害に遭った子どもたちを追悼した。そこに一貫しているのは、不条理や不平等、貧困、社会的に疎外された存在へのまなざしである。
一方で、シン・ミンのフェミニズム的な表現は、保守的な美術界に起きた#MeToo運動を通じて変化してきた。グローバルな舞台で脚光を浴びるアーティストとなったいま、時代の変化をどのように捉えているのか。自身のキャリアの変遷、サービス労働の経験、アジア各地での制作、そして目指す方向性について尋ねた。

フェミニズムの言葉を消してきた
──アーティストとして活動を始めたのはいつ頃でしょうか。
2000年代初頭です。私はもともと機械工学科出身で、美術を正式に学んだことがないんです。韓国芸術総合学校のような美術大学に入ろうとしたんですが、デッサンの試験に何度も落ちてしまって。でもどうしても作品を作りたかったので、いろいろな教授に聴講できないかメールを送りました。そうしたら、アメリカから来ていた客員教授だけが「来ていいよ」と言ってくれて授業を受けられることになりました。ある日、その授業の課題で下着姿の自分を怒りに満ちた表情で描いた絵を持っていったんです。フーリガンみたいな顔で(笑)。そうしたらその教授が「アメージング」「ジーニアス!」とすごく褒めてくれて。「私、天才かも」と思って、本格的に作品をつくりはじめました。
──そこからどのようにキャリアを築いていったのでしょうか。
最初は作品を持ってギャラリーを回りました。当時の弘大エリアには「サムジスペース」のようなオルタナティブ・スペースがたくさんあって、ポートフォリオを持ち歩いて交渉していました。でもどこでも断られてしまって。それから4年ほど経って、プレイスマックという場所で初めて展覧会を開催できました。そのギャラリーがインキュベーターのような役割も果たしてくれて、レジデンシーや別の展示につながっていきました。
──作品のテーマとしてフェミニズムを意識するようになったのはいつ頃でしょうか?
明確に意識したのは2014年頃です。ただ、それ以前から私は韓国で体格の大きな長女として生まれて経験する不当なこと、空気のように当たり前に存在している無礼さについてずっと考えていました。ニュースで性暴力事件を見るたびに怒りや悲しみも感じていたし、その感覚が作品の出発点になっていました。そんななか、ある展示の打ち上げで批評家や同世代のアーティストたちと話す機会がありましたそこで自分の作品について議論するなかで、「あなたの作品はフェミニズム的だ」と言われて、本を紹介されたりして。そこで初めて、自分の問題意識がフェミニズムとつながっていることを意識するようになりました。
ただ、助成金や公募展では別の問題にぶつかりました。審査員は社会問題や労働の話は好きな一方で、フェミニズムや女性というワードが忌避されている気がしたんですね。それ以降、作品解説から「フェミニズム」や「女性」という言葉を完全に消しました。「私は工芸が好きです」「ものづくりが得意です」といった、無害な表現を使うようにして。
──その状況はいつ頃から変わってきたのでしょうか。
変化を感じたのは2018年頃ですね。2016年の#MeToo運動で大きな波が起きて、作家たちが性暴力やハラスメントについて声を上げはじめました。「教育が必要だ」「制度を変えるべきだ」といった議論も出てきて。私自身もその頃に初めて制作支援を受けることができて、2019年にはソウル文化財団の「有望芸術家支援」プログラムにも選ばれました。一度審査を通過すると、その後は少しずつ支援が得られるようになりました。

謝る必要がなくても謝るサービス業
──2025年にP21で発表された《EW! HAIR IN MY FOOD!》や《USUAL SUSPECTS》では、サービス労働の現場において、食べものに髪の毛が入っていた場合に「犯人」を探し出す監視構造がテーマになっています。
どちらの作品も私がマクドナルドやスターバックスなどの外資系の飲食店でアルバイトをしていた経験がもとになっています。《USUAL SUSPECTS》は「常に疑われる側」が誰なのか、誰が簡単に犯人にされるのかを問いかける作品です。《EW! HAIR IN MY FOOD!》では、衛生や滅菌という言葉の背後にある階級性や、労働者の扱われ方を考えています。サービス業の女性労働者が経験する日常的で構造的な暴力、そのなかで失われていく尊厳を作品として捉えたいと思いました。
たとえば、料理に髪の毛が入っていたというクレームが来ると、CCTVを巻き戻して誰が髪を落としたのかを調べるんです。だから女性は必ずヘアネットをかぶる。でも同時に、社会は女性に「女性らしいヘアスタイル」を求めるので、髪を剃ることもできない。私にとって、このヘアネットは資本主義の象徴なんです。女性をぞんざいに消耗していい存在として扱いながら、髪の毛一本すら許さない。そういう矛盾を伝えたかったんです。実際にサービス業で働いている人が見ても、共感して少し笑える作品になればと思いました。
──サービス業の現場では、さまざまな形で労働者の感情や身体が管理されていますね。
そうですね。サービス業の本質は、親切や笑顔という形で、感情と身体が同時に消費される空間だと思います。特にその要求は女性に強く求められます。
たとえば、サービス業には「三大禁句」があります。「できません」「わかりません」「ありません」。マニュアルには、これらの言葉を使ってはいけないと書いてあるんです。お客様に「これありますか?」と聞かれたとき、たとえ商品が売り切れていても「申し訳ございません、あいにく品切れでございます。こちらの商品はいかがでしょうか」と言わなければならない。そのとき眉を上げて、相手の話をしっかり聞いている姿勢を見せる。声は「ドレミファソ」の“ソ”の高さで(笑)。
──アメリカの社会学者、アーリー・ホックシールドが提唱する「感情労働(emotional labour)」のように、感情そのものが労働の一部として求められる状態ですね。
はい。クレーム対応には「ラテ(Latte)セオリー」というものもあります。Listen(聞く)、Acknowledge(認識・共感する)、Take action(行動する)、Thank you(感謝する)、Explain(説明する)の頭文字です。クレームを受けたときには「教えてくださってありがとうございます」と言わなければならない。たとえ本当は感謝していなくても(笑)。そうやって、必要なく謝りつづけていると、人の心は少しずつ傷ついていくんです。韓国で起きた「ナッツリターン事件(*)」を覚えてますか? あれは極端な例ですが、サービス業で働く人たちは、「貧乏なチョ・ヒョナ」みたいな客を毎日相手にしているんです。
* 2014年、ファーストクラスに乗っていた大韓航空(元)副社長、チョ・ヒョナが機内提供のマカダミアナッツを発端に客室乗務員に対してクレームを入れ、滑走路を進行していた飛行機を引き返させチーフパーサーを機内から降ろした事件。
──韓国特有の労働環境の要素もあるのでしょうか。
「빨리빨리(パリパリ)」文化(スピードと効率を強く重視する社会的気質)の圧迫感は大きいですね。それからVOC(Voice of Customer)という顧客クレームの制度もあります。例えば「声が高すぎるから不快だ」といったクレームが届くこともあるんです。私の働くときのニックネームはセミ(Semi)なんですが、「セミって人の声が大きすぎる」とか。
CCTVも象徴的です。韓国ではノートパソコンを置いたままトイレに行っても盗まれないと言われますが、それは優しいからではなく監視カメラがあるからです。安全のためと言われますが、常に監視されている感覚に息苦しくなることもあります。時々カメラに向かって中指を立てたくなることもあります(笑)。

「女性」らしさの単純な規範
──先ほどのヘアネットの話にもつながりますが、労働の現場において女性に要求されるものは、社会全体の抑圧的な規範とも言えますね。
そうなんです。私の作品に登場する女性たちは、顎にニキビがあって、お腹に毛が生えていて、脇毛もあって、お腹が出ていて、シミがあって、髪がベタベタしていて、ちょっと汚らしくて、顔が怒っている。女性が必ずきれいで、衛生的で、常に微笑んでいるわけではありません。
韓国でアルバイトを探すとき、女性は「25歳以下」「全身セルカ(自撮り)を送ってください」と書いてあるんですよ。業務の遂行能力に関わらず、お前が綺麗なら採用するし、そうでなければ採用しないから、です。それらは当然視されているし、女性を外見差別することへの制裁もありません。私がアメリカ企業のフランチャイズで働いていたのは、履歴書に写真を入れると違法だから、写真がなくても応募ができるからです。アメリカは最低賃金や雇用の不安定さがある一方で、外見、人種、性別で判断しない法がある点は望ましいと思います。日本でも、「女性はこうあるべき」という規範を強く感じたことがありました。
──どのような時に感じましたか?
無印良品やユニクロに行くと、全部服が小さくて、合うものがないんですよね。全部痩せていて、小柄な体型が想定されているんです。男性服すら小さくて。日本で、太った女性として生きるのは、もっと大変だろうと思いました。
私、『嫌われ松子の一生』(2006)という映画がすごく好きなんです。日本映画といえば、ノスタルジックで、可愛らしかったり、雰囲気のある女性主人公が多いですよね。松子が、作中で寄り目をしてひょっとこの変な顔をして撮るポートレートが出てくるじゃないですか。松子の人生は明るく、綺麗で、純粋な女性の規範からどんどん外れていくものです。ハードコアではあるけれど、同時に痛快だったんです。
──社会がつくった規範から外れていくことに一種の魅力を見出されているわけですね。
私は規範がつくり出す嘘を壊して、枠を外すような感覚がクィア的だとも思うんです。実際に生きている身体、コンディションが崩れた感覚をもった身体を見せられたとき、女性と呼ばれるカテゴリーがどれほど単純で脆い枠組みなのか、その枠組みがどれだけの身体を周縁化しているかを感じられる。

文脈を拡張しながら矛盾に向き合う
──アートバーゼル香港においてMGMディスカバリー・アート・アワードを受賞されたことも、「女性」と「労働」に対する問題意識が世界共通であることを表しているように思います。そもそもアートバーゼルへの出展のきっかけはなんでしょうか?
昨年、それまで付き合いのなかった商業ギャラリーのP21が「一緒にやりませんか」と連絡をくれたことがきっかけでした。正直に言うと、アートフェアに出ることには葛藤がありました。ひとつは、あらゆる美術が資本に吸収されていくことへの抵抗感。もうひとつは、韓国のサービス業や労働の文脈がどう評価されるかという不安でした。ちょうどそのタイミングでMGMディスカバリー・アート・アワードが創設されて。悩みましたが、最終的に一度経験してみようと全部応募したら受賞できたんです。
──実際に参加してみていかがでしたか。
理解されるだろうかと思いながらも、ヘアネットに着目したシリーズを中心に構成しました。ただ実際に香港に行ったら、清掃労働者から飲食労働者、マッサージ労働者、家事労働者に至るまで、みんなあのヘアネットをしていたんです。その後訪れたタイやマカオでもそうでしたし、これはグローバルで共有できる文脈なのだと確信できましたね。欧米圏の審査員の人たちも共感してくれたようでした。展示では、15メートルのドローイングを壁にかけ、大規模なインスタレーションを構成しました。ギャラリーからも商業的に大人しくまとめずに、大胆にやってほしいと言われて。
──香港を訪れて、新たな発見やインスピレーションなどはありましたか?
構造と矛盾について考える機会が多かったです。滞在中はギャラリーの知り合いの家で制作をしていたのですが、フィリピンの労働者の方が掃除もご飯も全部やってくれたんですね。また、散歩した公園にはフィリピンの方がたくさんいました。行く場所がなくて、座ってご飯を食べて時間をつぶしてから、また仕事に戻っていく。そのなかには女性の方々も少なくなく、ここでも貧しい女性がケア労働を担っているのだと気づきました。また、香港のマクドナルドは勉強部屋であり休憩場所であり、昼寝する場所でもありました。広くて、安くて、明るくて、エアコンと照明と机があって、子どもが長時間いられる。巨大フランチャイズでありながら、ある種の「ケアの空間」でもあることを感じました。
私はフィリピン人労働者の安価なサービスのおかげで自炊する必要もなく制作活動に専念できて、ある意味では恥ずかしくもなりました。 女性の労働搾取について語りながら、その構造のなかで利益を得ている。私にとってのアートとは何なのか、そしてその複雑さをどう作品にすればいいか考えることが増えました。
──フランチャイズの飲食店が、家でも学校でもない、ある種の「コモンズ」的な共有空間として存在しているとも考えられますね。今年はマカオでも展示を予定されています。
高級ホテルのMGMマカオで個展をやる予定なんですが、母体がカジノ会社なんです。だから元々は、カジノで働く多様な人種、さまざまな国からお金を稼ぐために来ている労働者について作品をつくろうと思っていました。でも賭博に関わるテーマは難しいことがわかり、「존맛탱(ジョンマッテン)」(「すごく美味しい」という意味のスラング)というタイトルを検討しています。
「시발 비용(シバル費用)」(ストレス解消のために使う無駄遣いや衝動買いの費用)って知ってます? 香港とか台湾、マカオなどアジア圏って、テイクアウトして食べる文化があるじゃないですか。地下鉄に乗ると、ビニール袋を持っていて。だから退勤して横になってお腹を出しながら、Netflixを見つつむしゃむしゃ食べる、空気でできた巨大な立体作品をつくろうと思っています。私たちは労働者であるとともに、消費者でもあるので。
──シン・ミンさんのもっているテーマがさらに拡張されていくようですね。さらに、10月にはバンコク・ビエンナーレの作品も構想中だとか。
バンコクで面白かったのは、トランスジェンダーの人々が社会に溶け込んでいることです。韓国ではトランスジェンダーへの風当たりもまだ強いのですが、バンコクはより日常に混ざっていて羨ましくもありますし、解放感を覚えました。それで現地の学生と協働しながら、ドラァグクィーンをモチーフにした立体作品を構想中です。
タイには国家支援金がなくて、企業から資金提供を受けることが多いんです。今回協働するチームが捕まえているスポンサーが、KFC(笑)。タイではマクドナルドより遥かに店舗数多く、優勢なんです。手帳に「KFCとのミーティング」と書いてあるのを見るたびに興奮してます。美術財団ではなく、こうした形で社会と繋がることが面白くて。

互いを簡単に壊さない連帯
──シン・ミンさんの表現の根底には、「互いにどう力になるか」という問いがあるように感じます。相互監視的な労働の現場では、フェミニズム的な連帯はとても難しい問題ですね。
労働者同士の連帯は本当に簡単ではありません。仕事そのものがとても辛くて、トイレに行く時間もない。そのなかで「髪を落とした犯人は誰?」と互いを疑う。喧嘩も多くて、敵視し合うような関係が形成される。だから私の作品は、せめて同僚を憎まないように、という祈りでもあります。連帯とは「互いに愛し合おう」ということではなく「互いを簡単に壊さないようにすること」。生贄をつくらないことです。
──そう考えるようになったきっかけはあるのでしょうか。
はい。連帯という言葉を聞くと、2016年から2017年頃のことを思い出します。当時、美術界でも多くの性暴力の告発がありました。でも告発した学生たちは、逆に名誉毀損で訴えられることが多かったんです。お金のない学生は500万ウォン(約52万円)の罰金を払って略式起訴で終わらせるしかない。でも罰金を払うと、加害者に有利になってしまう。その状況のなかで、Twitter(現X)を中心に匿名の支援グループがつくられました。被害事例を集めて、警察の取り調べや裁判の練習をするんです。
──取り調べの練習、というのは?
実際に集まって、誰かが尋問する刑事や検事の役をやるんですね。たとえば、TwitterのIDは? その男性に妻と息子がいるのをわかって誘ったんじゃないか? お前がその家庭を壊したんじゃないか? お前も楽しんだんだろう? そう言われたときに動揺したり、泣いたりせず毅然と対応するよう、シミュレーションするんです。そういった二次加害は残酷に思えますが、現実のものなんです。
皮肉なことに、それが私にはパフォーマンス・アートのようにも感じられました。お互いの名前も身元も知らない人たちが集まって、強い怒りを抱えながら「この人が奈落の底で倒れないように」という思いだけで演技をする。
その場でよく聞いた言葉があります。「辛かったら休んでいい。抜けてもいいし、また戻ってきてもいい」。その経験は、私の制作にも影響しました。初期の作品は怒りや悲しみの直接的な表現が多かったんですが、それだとつくる自分自身も辛いんです。だからいまは、少しユーモアを入れるようにしています。
──最後に、これからどのように制作を続けたいか教えてください。
通りすがりの人が滑稽でちょっと笑ってくれるような作品をつくりたいですね。ハンバーガーのパティにブロッコリーをすり潰して混ぜて、野菜が苦手な人も知らずに食べてしまうような。アート関係者だけが見るような作品はつくりたくない。そして何より自分自身が継続できるバランスも大事です。作品は社会と繋がることができる、ひとつの言語でもあるんです。
美術界に足を踏み入れた当初は、とても民主的で開かれた場所だと思っていました。でも現実は、最も保守的でオールドな価値観がいまだに生きている、富や階級が強く影響する世界です。だからアートでは世界を変えられないと分かっています。でも数年かけて認識が変わってきたように、世界は少しずつ前進している。アートにはその可能性を開く力があると信じています。

シン・ミン|1985年、韓国ソウル生まれ。弘益大学で機械システム設計工学の学士号を取得後、アーティストとして活動を開始。近年はサービス業での労働経験をもとに、ヘアネットを被った女性労働者をモチーフとした作品を制作。グループ展や個展で精力的に発表を続け、紙を素材とした大規模なインスタレーション作品やパフォーマンスも手がける。2025年、MGMディスカバリー・アート・アワードを受賞。2026年はマカオやバンコクでも展示を予定。
Text: Ruka Kiyama Edit & Photo: Shunta Ishigami