キング牧師夫妻の像はなぜ炎上したのか? パブリックアート作品をめぐる毀誉褒貶をハンク・ウィリス・トーマスが語る
アメリカ公民権運動の巨星、キング牧師とその妻を記念した銅像や、アメリカンフットボールの一大イベント、スーパーボウルの会場を飾る作品を手がけたアーティスト、ハンク・ウィリス・トーマス。最近起きたキング牧師夫妻像をめぐる炎上事件など、パブリックアートを取り巻く問題について自身の思いを語った。
SNSで炎上したキング牧師夫妻像
去る2月12日、NFLのチャンピオンチームを決める第57回スーパーボウルが行われた。その観客席にはニューヨーク・ブルックリン在住のアーティスト、ハンク・ウィリス・トーマスの姿があった。会場のアリゾナ州ステートファーム・スタジアムには、トーマスが制作したステンレス製の大型彫刻《Opportunity (reflection)》が設置されていた。
フットボールをつかむ選手の手をかたどった高さ3メートルの彫刻作品は、NFLの委託により、アメリカ文化の重要な一部であるフットボールを称える作品として、トーマスが半年近くかけて制作したものだ。指定席からフィラデルフィア・イーグルスを応援したトーマスにとって、試合観戦は久しぶりにほっとできるひとときだったに違いない。
US版ARTnewsの取材に対して、この作品には「メタファーが込められている」と語ったトーマス。彫刻の表面を鏡面加工にしたのは、スーパーボウルの優勝チームに贈られるヴィンス・ロンバルディ・トロフィーの特徴を取り入れたという。「トロフィーは、リーグにおける成功の最高峰を象徴するものだからだ」
その数週間前にも、トーマスは栄誉に包まれていた。穏やかな陽気の1月のある日、公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(キング牧師)と妻のコレッタ・スコット・キングを記念して彼が制作したモニュメント《The Embrace》の除幕式が行われた。おそらくアメリカ最大であろう17トン近いブロンズ像を、ワシントン州ワラワラの鋳造所から設置場所のボストン・コモンまで輸送する方法について、まるで迷宮のように入り組んだ承認プロセスと何百もの注文をクリアしながら、5年の歳月をかけて実現したプロジェクトだった。
ボストンでは、観光名所にある彫像や植民地時代にまつわるモニュメントに白人像が多く、黒人の歴史的人物をもっと登場させるべきだという議論が長年にわたり展開されていた。式典には、ボストン市長のミシェル・ウーをはじめ、当局関係者やキング夫妻の親族のほか、モニュメントの実現を訴えてきた歴史学者や活動家も数多く参加していた。1950年代から70年代に活躍した公民権運動のリーダー64人を記念して1965年に造成されたフリーダム・プラザに、この新しいモニュメントを設置するため、非営利団体のボストン財団が1050万ドルの資金提供を含め、全面的な協力を行っている。
トーマスによれば、キング牧師夫妻のモニュメントは愛をテーマにしたもので、具象的な作品の多い従来のパブリックアートの境界を押し広げることを目指したという。建築事務所マス・デザイン・グループの協力を得て、1964年にキング牧師がノーベル平和賞を受賞した直後に撮影された、抱き合う夫妻の写真をもとに制作が行われた。
609個のブロンズを溶接した高さ6メートルのこの彫刻に、公民権運動の象徴である夫妻の顔はなく、腕だけで愛情あふれるしぐさを表現している。訪れた人は巨大なモニュメントのアーチ状の腕の下をくぐることができる。これは、よく知られたキング牧師とコレッタ・スコットの抱擁の瞬間を体験することで、彫像が生きたメモリアルになり、愛に満ちた公正な社会の実現を目指したキング牧師のビジョンを称えたいというトーマスの思いを具現化したものだ。
「見る人が作品の中に入り、キング牧師と妻の抱擁の中心にいるような感覚を味わうことができる」と、トーマスは語る。
しかし、SNSに投稿されたモニュメントの写真の多くは、別の種類の「愛」の行為に見えるものだった。除幕式でウー市長が演説する間にもモニュメントの写真はTikTokやツイッターで次々と拡散されたが、そこには、「自慰的金属製オマージュ」、「ムラムラするようなロールシャッハテスト」と揶揄する投稿も少なくなかった。モニュメントはあらゆる角度から性行為を表現しているという声が次第に大きくなり、トーマスがアメリカの歴史上最も愛されている2人の人物を意図的に侮辱したという陰謀論も出るほどだった。
こうした事実無根のうわさは、瞬く間に広まった。除幕式に出席している最中に、「キング牧師のモニュメントが巨大な陰茎のように見えるというのは本当か?」と友人から質問のメッセージを受け取った人もいる。
除幕式に出席したボストンのあるギャラリー関係者は、US版ARTnewsに「インターネットはインターネットでしかない」としてSNS上での反響に反意を示し、現地で実物を見た体験からこうした反応は理解しがたく、「自分はこのモニュメントを大いに楽しめた」と答えている。
ハンク・ウィリス・トーマスのような多作なアーティストが手がけた中でも、とりわけ輝かしい業績となるはずの作品がなぜ炎上する事態に陥ったのか、アート界には困惑が広がった。トーマスほどパブリックアートと深く関わっているアーティストは少なく、彼は誰よりもその表現やモニュメント制作における問題解決に精通しているからだ。
トーマスとパブリックアートとの長い関係
2015年から2020年にかけて、トーマスはニューヨーク市パブリック・デザイン・コミッションの委員を務めている。その役割は、市のパーマネント(恒久的)・モニュメントを管理運営し、新しいモニュメントを承認するかどうかの決定を行うことだったが、彼の任期は、同組織の歴史の中で最も大きな波乱に見舞われた時期と重なった。デブラシオ市長(当時)は、10点ほどのモニュメント設置を認可したものの、実際には1つも実現しなかったからだ。そのため、一部の活動家からは、同組織がニューヨーク市に少数しかない女性や有色人種を称えるモニュメントの数を増やす活動を怠っていると批判された。
当時トーマスは、論争の的となったこうしたテーマにも臆することなく発言した。2019年の公聴会では、銅像の多様性を広げることについて、「(男性の)銅像のうち、女性の銅像に簡単に置き換えられるものが5、6点はあると思う」と意見を述べた。すると、ニューヨーク・ポスト紙がその発言を取り上げ、市が所有する男性モニュメントが危険にさらされていると避難。しかし、同僚の委員たちは、トーマスは自分の役割を真摯に果たそうとしていたと評価する。
トーマスと同時期に委員だったメアリー・バルベルデは、US版ARTnewsにこう語った。「ニューヨーク市に奉仕・貢献するため、委員は自分の専門知識や経験を提供します。元同僚として私が知る限り、ハンクはとても感じがよく、オープンで寛大な人物だったとしか言いようがありません」
トーマスは委員を務めていたこの時期にも、自らのパブリックアート制作を拡大していった。
2016年には、アーティスト仲間のエリック・ゴッテスマン、ミシェル・ウー、ワイアット・ギャラリーとともに、市民参加型の芸術プラットフォーム、Super PAC For Freedomsを設立。これはトーマスの構想に基づくコレクティブ(集団)で、選挙用ビルボードの制作をアーティストに依頼したり、イラン政府の女性差別などに関する啓発キャンペーンを実施したりした。コレクティブには約30人のメンバーが所属しているが、その多くがトーマスのアーティストとしての個人的なプロジェクトにも携わっている。トーマスは、「スタジオとの明確な境界は設けていない」と説明する。
パブリック・デザイン・コミッションの任期中にトーマスが制作したパーマネント・モニュメントが、ニューヨークのブルックリン橋近くにある。空を指差す手と腕をかたどった、高さ約7メートルのブロンズ彫刻《Unity》だ。この作品は、ニューヨーク市のパーセント・フォー・アート・プラグラムという機関の委託で制作されたが、やはりパブリック・デザイン・コミッションの承認が必要とされた(トーマスはその審議への参加を辞退した)。
2019年にこの彫刻が公開されたとき、ニューヨーク・タイムズ紙は「伝統的で、かなり保守的な作品」と評したが、トーマスは、これを過激だと批判した人たちのことを今でも思い出すという。景観保存の活動家と共和党の政治家の数人が、《Unity》はテロ組織ISISの象徴だと主張したのだ。
ニューヨーク市の広報担当者は、「この非難はまったくばかげている。ナンバーワンを示す人差し指を立てた形の応援グッズを掲げるスポーツファンは皆、ISISのシンパなのか?」とトーマスを弁護。文化事業部職員のライアン・マックスも、「彫刻の示している仕草は、高揚と願望を表す普遍的なサインだ」と反論した。
トーマスは、《Unity》を発表したときの経験から、パブリックアート作品が引き起こしがちな「異質で予想外の反応」に対応する覚悟ができたという。さらに、キング牧師夫妻を描いた《The Embrace》は、インカ・ショニバレ、バーバラ・チェイス=リボウなど有名アーティストの抽象作品を含む5点の最終候補の中で、最も幅広い意見を代表する選択肢だったと語る。100件を超えるアーティストの提案から選ばれた最終候補のデザインは、2018年に一般公開され、1000件を超えるコメントが寄せられた。そのうえで2019年に、ボストン市のパブリックアートを統括するボストン・アート・コミッションがトーマスの《The Embrace》を選んだのだ。
逆風が強い時こそ対話のチャンス
《The Embrace》への賛否を「論争」と見る人々がいる一方、トーマス自身は公共の場での「対話」と捉えている。
「我われは、公の場で批判的な議論をする方法を学びつつあるところだが、その手の議論は気の弱い人には向いていない。ネットで反響を呼ぶ前からこのモニュメントを知る人は多かったが、今ではその10倍を超える数の人たちに知られるようになった。キム・カーダシアンですら、ハーバード・ビジネス・スクールに行く途中に車で立ち寄って、SNSにこの作品を投稿したほどだ」
カーダシアンについて話していると、トーマスのインスタグラムに新しいポストが通知された。アーティストのニナ・シャネル・アブニーが投稿した《The Embrace》を支持するコメントだ。
トーマスは言う。「私の作品は、それを見る人との対話だと伝えたい。逆風がどんなに強かろうと、それは私にとっては対話のチャンスでもある。共同体の愛を示す作品が、これほど好意的に受け入れられているのに、動揺したり、失望したりするわけにはいかない」
トーマスは、《The Embrace》を特定のアングルから撮影した写真がSNSで拡散し、それによって作品に対する反応が方向づけられていく様子が「とても興味深かった」という。そして、ウェブメディアがキング牧師の遺したものではなく、そうした人々の反応ばかりを取り上げたことは「現実を突きつけられたようで、驚きだった」と語る。
トーマスの説明によれば、作品を実現する過程で複数の模型を作成し、スタジオのスタッフや資金提供者、公的機関に、モニュメントのデザインを精査してもらった。彼が知る限りでは、モニュメントがさまざまな角度からどのように見えるかについて、誰も問題を提起することはなかったという。
「メディアがビジネスであり、セックスが金もうけになるということを、すっかり忘れていた。言ってみれば、子どもっぽい冷やかしに邪魔されずに社会正義を語ることができると思い込んでいたとは、なんて世間知らずだったんだろう、ということだ」
この騒動は単にメディアの客寄せになっただけという見方に、誰もが同意しているわけではない。事実、キング牧師の遺族からも、モニュメントに不快感を抱いたという声が出ている。たとえばコレッタ・スコット・キングの従兄弟、セネカ・スコットは、「自分の家族が利用されたショックから、まだ立ち直れない」とツイートし、ウェブマガジンに発表したエッセイの中で、この彫刻は「とても侮辱的」だと述べた。
しかし、その数日後、英ガーディアン紙の取材に応じた際には当初の発言を修正している。彼は「そう書いたとき、私は悲しみの中で怒りを覚えていたが、今では悲しみを受け入れている」と述べ、モニュメントが私財を投じて作られたものであることから「怒りはかなりおさまった」と付け加えた。
しかし、あまりの騒動の大きさに、モニュメント支持派はその後の処理に追われることになった。ボストン市長のミッシェル・ウーまでもが、アメリカの各都市の市長たちに対してモニュメントの擁護を行うことを余儀なくされたのだ。最近のインタビューでウーはこう語っている。「(除幕式の)翌週には全米市長会議に出席し、これは私たちのモニュメントであり、誇りに思っていて、とても気に入っているとみんなに伝えました」
パブリックアートはすべての人を喜ばせることなどできない
過去に自らのパブリックアートをめぐる騒動を経験しているアーティストたちは、トーマスに同情的な意見を寄せている。
造形作家のラーヴァ・トーマス(ハンク・ウィリス・トーマスと同姓だが血縁関係はない)は、「彫刻を特定の角度での見え方だけで文脈から切り離して批判することは、絵画の一部のディテールだけを見て批判するようなもので、限定的な視点でしかありません」と訴える。
ラーヴァは2019年、サンフランシスコ市に提出したマヤ・アンジェロウ(女性詩人)のモニュメント案が採用されたものの、その後、市がこの決定を撤回したと知らされた。高さ3メートル弱のブロンズのモニュメントは、本の表紙にアンジェロウの肖像を、裏表紙に彼女の詩を配したデザインになる予定だった。しかし、非具象的な要素があったために、ある役人の好みに合わなかったというのが撤回の理由だった。その後、ラーヴァは官僚主義と戦い、支援体制を組織して、1年がかりでモニュメントの実現を再決定させた。しかし、まだ完成には至っていない。
パブリックアートを実現するにあたり、アーティストにはどのような心構えが必要かという質問に、ラーヴァは「面の皮が厚いと言われるくらい強い心を持って、全ての人を喜ばせることなどできないという事実を受け入れる」ことが必要だと述べた。
ハンク・ウィリス・トーマスも、どうやら「面の皮を厚くした」ようだ。彼は現在、ハーバード・ビジネス・スクールに通っているが、その教室は彼の作品《Ernest and Ruth》(2015)がかつて置かれていたキャンパスの広場から近いところにある(このエディションの作品は、ワシントンのデューク・エリントン・スクール・オブ・ジ・アーツに移設された)。そして、本拠地ニューヨークからボストンまで通いながら、シアトル、シカゴ、マイアミ、オースティン、サンアントニオなどで、パブリックアートの制作計画を進めている。その数は近い将来に予定されているものだけで、少なくとも6作品に上る。
スーパーボウルの会場で、スタジアムに向かう6万人のスポーツファンに囲まれた《Opportunity (reflection)》を見て、トーマスは多少安堵できたに違いない。この彫刻は、見る人が通り過ぎるたびにカメレオンのように色が変わる以前の作品《Opportunity》(個人蔵)をベースに制作されている。《Opportunity (reflection)》は、多くのパブリックアート作品と同様、屋外に設置され、ステートファーム・スタジアムを囲む芝生の上で展示されたのち、アリゾナ州大学美術館の前に1年間展示される予定だ。
NFLのスポークスマン、ピーター・オライリーは声明を発表し、「スーパーボウルで展示されたハンクの力強い彫刻は、私たちの試合の核にある情熱、強さ、そして希望を見事に表現しています。この彫刻が、スーパーボウル期間中だけでなく、その後もずっと、何千人もの人々にインスピレーションを与えることを願っています」と述べた。
トーマスは相変わらず注目される存在だが、スーパーボウルで作品が詮索の対象になることはないだろう。そこで厳しい目にさらされるのは、トーマスの作品よりもフィールドのコーチや選手たちだから。
トーマスは言った。「この場の一員になれたことを、ただ光栄に思う」(翻訳:清水玲奈)
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