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サメ映画と白人の騎士道ロマン、そこに隠された人種差別の記憶

世界中で大ヒットした『ジョーズ』に影響を与えたドキュメンタリー映画、『青い海と白い鮫(Blue Water, White Death)』。しかしこの作品には、スティーブン・スピルバーグ以降のサメ映画とは決定的な違いがある。気鋭の評論家、ジョー・リビングストンによる論評を紹介する。

ドキュメンタリー映画『青い海と白い鮫』(1971)に登場するホホジロザメ。Photo: Courtesy Cinema Center Films via Getty Images

『ジョーズ』と大きく異なる設定

2人の男が、船のデッキで水を滴らせながらダイビング器材を外している。彼らは血に染まった海から上がったばかり。つい数分前まで海中にロープで吊るされながら、狂ったように群がってくるネムリブカに餌をやっていたのだ。電気棒を持った仲間以外に彼らを守るものはない。1人の男がもう1人に向かってこう言った。「俺の言っていた通りだろう、スタン? 満たされている感覚が不可欠なんだ!」

声をかけたのは、ピーター・ギンベル。ホホジロザメを見つけ出し、世界初の水中カラー映像を撮影しようと、1969年にプロジェクトを開始したクルーのリーダーであり出資者だ。話しかけられたのは、このドキュメンタリー映画のプロデューサーで水中カメラマンのスタントン・ウォーターマンだが、彼はギンベルの言葉が今ひとつピンときていない様子だ。目当てのホホジロザメではないのに、サメの群れの中で満たされた感覚を持てたと思うのはなぜなのだろうか。「だって、君にはそれがあるからさ」とギンベルは不思議そうに首を振って言った。「俺たち2人は、それを積み重ねてきたじゃないか。そうでなければ耐えられなかっただろう」

彼らの冒険を伝える映画『青い海と白い鮫』が公開されたのは、世界を席巻した名作『ジョーズ』の4年前にあたる1971年。スティーブン・スピルバーグ以降の多くの作家に大きな影響を与えたこの映画は、数々の象徴的なイメージをスクリーンに初めて登場させた。たとえば、大きく口を開けて歯をむいた、黒いエラが見えるサメのショットもそうだ。また、サメ映画によくある展開(のちに体系化されることになるサメ映画の「お約束」)が断片的に出てくる。ただし、今の私たちには馴染みのない順序と文脈で。

『青い海と白い鮫』のストーリーは、人間がサメに追われる『ジョーズ』とは逆で、人間のギンベルがサメを狩る設定になっている。大手百貨店ギンベルズの御曹司である彼は、投資銀行でのキャリアを捨て、戦後アメリカのエンタメ界におけるジャック・クストー(*1)のような存在になることを目指した。1969年の撮影当時、彼は中年後期にさしかかっていたが、それなりにハンサムで、劇中では頻繁に上半身裸で登場する。撮影クルーが捉えた彼を見ていると、大げさな言動とせっかちな態度が印象的だ。サメが現れると、ギンベルは他の誰よりも先に海に入りたがる。自分の内にある幸福感を積み重ねる感覚、つまり怪物を前にしても動じることのない圧倒的な自信を持つ自分こそが、この仕事にふさわしいと信じていることが見て取れる。


*1 フランスの著名な海洋探検家(1910-1997)。数多くの海洋ドキュメンタリー映画を制作したほか、ダイビング器材を発明したことでも知られる。
『青い海と白い鮫』(1971)のダイバーたち。Photo: Courtesy Cinema Center Films via Getty Images

サメを追う冒険と騎士道物語の共通項

映画の中で繰り返し出てくるのは、「崇高な探求」という考え方だ。サメに詳しいダイバーで水中カメラマンのロン・テイラーは、このチームに加わった動機や、世間一般の仕事の動機について、「究極の仕事を成し遂げようとするのは人間の性だ」と語っている。確かに、ギンベルだけでなくクルー全員が、自分は恐ろしい海の捕食者を追う探求者だと考えているように見える。彼らは、この怪物が持つ得体の知れない超自然的なオーラを剥ぎ取ろうとしているのだろう。

乗組員の中には、若きフォーク歌手のトム・チェイピンもいる。カメラに映る彼は、たいてい波と自由についてのロマンチックなバラードを口ずさんでいて、映画の最後には「The Chivalrous Shark(サメの騎士道)」という名のオリジナル曲を演奏している。歌詞はこんな感じだ。

「悪名高い人喰いザメは恐ろしいやつだが、女子どもは食べない」

ギンベル自身、水面から飛び上がるサメを「フランスの騎士のようだ」と表現していることからも分かるように、『青い海と白い鮫』は、中世の騎士道物語をなぞった構成になっている。アーサー王とガウェイン卿やランスロット卿などの円卓の騎士たちが、「究極」の目的である聖杯を求めて旅する冒険譚だ。

檻に入って潜水するダイバーたち。周囲をサメが取り囲んでいる。Photo: Courtesy Cinema Center Films via Getty Images

南アフリカの港での強烈な光景

サメを探す途中、クルーは捕鯨船を追ってインド洋を航海し、南アフリカの港に入る。ここからは、目をそむけたくなるような場面が続く。捕鯨船が港に曳航したクジラの死骸は、列車で加工工場に運ばれる。作業場の床には煙が吹き出る穴が空いていて、クジラの解体作業員たちがその中に次々と肉塊を落とし、さらにオールのような器具で皮から脂肪を削り取る。血まみれの現場で、タバコをくわえた男があっちへ行けと身振りで合図し、肉や脂を取り去った残骸を機械が引き裂いていく。実に凄惨なシーンだ。

この工場で働いているのは皆、黒人だ。撮影された1969年当時、南アフリカのダーバンの海辺にある屠殺場で働く労働者は、1人残らず白人至上主義国家に服従させられていた。アフリカーナー(*2)の白人たちが支配する南アフリカ政府は、アパルトヘイト政策を敷いており、世界でも類を見ないほど露骨で複雑な人種隔離政策のもとで少数派の白人が黒人に自由に暴力を振るうことができたのだ。


*2 17世紀に喜望峰に上陸したオランダ人をはじめ、アフリカ南部に植民地を築いたヨーロッパ人の末裔。後からやってきたイギリス系白人とは区別される。

ギンベルが鯨の加工場を訪れた理由は、彼が「ホワイティ」と呼ぶホホジロザメを見つける手がかりを得るためだ。床に落ちた肉片の周りを歩き回る彼は珍しく無口だが、チェイピンは無邪気な調子で「冷たい風の吹かないところへ行こう」と歌っている。

ギンベルとクルーたちは、周囲の人間には一切興味がないようだ。まだ見ぬホホジロザメに対する異常な執着と、この無関心さとのギャップは、映画が進むにつれてどんどん異様さを増していく。そして、映画の最後20分で、ついにホホホジロザメが登場する。パステルブルーの海から、白く太った体躯がぬっと出現する様子は確かに恐ろしい。だが、その暴力性は、黒人労働者たちが血の海の中で作業するシーンの後では、取るに足らないものに感じられる。

『青い海と白い鮫』(1971)より。南オーストラリアのデンジャラス・リーフで発見されたホホジロザメ。Photo: Courtesy Cinema Center Films via Getty Images

サメと黒人の子どもと人種差別の記憶

私が初めてケープタウンに旅行したのは、確か7歳頃のことだったと思う。母が生まれ育った街の路上では物乞いの子どもたちが走り回っていたが、彼らはみな黒人だった。ロンドン生まれの白人の子どもだった私は、人種差別について漠然と頭では理解していた。1993年当時、テレビのニュースでは、スティーブン・ローレンスというロンドン南東部に住む10代の黒人青年が殺害された事件が盛んに報じられていた。しかしこれは、警察の「制度的人種差別」のため未解決のままだ。

身の回りでは、バスの中で酔っぱらいが差別的な言葉を喚き散らしていたり、学校に転入してきたクルド人の生徒たちについて変な話を聞いたりすることはあった。だが、そうしたことを除くと、人種差別主義者と見られても構わないと思う人は、私の周りには1人もいなかった。だから、ケープタウンにいたときも、そこで起きていることを理解していなかったのだ。

今ではそんな記憶と、海に行ったときの記憶がごちゃ混ぜになっている。大きな岩、熱い石の上を横切っていくカニ、海水浴、ペンギンやアザラシ。家には大きなバインダーがあって、動物に関する教育用パンフレットがたくさん入れられていた。ホホジロザメのパンフレットには白人の男性を横から撮った写真があり、肘を上げている彼の脇の下から腰骨まで、ぐるりと胴体を取り囲むように歯形がついていた。

ある日ビーチに行くと、サメを見つけるのが道端にいる子どもと同じ黒人ばかりであることに気づいた。なぜなのかと聞いても、誰も説明してくれない。サメに襲われるのは大概の場合、観光客のいない夜明けや夕暮れ時に泳ぐ「地元の人」だから、心配しなくても大丈夫だと、私より年上の誰かが言っていた。どういう意味なのか不思議だった。私の母はケープタウン生まれだが、「地元の人」って何だろう?

もし自分の身にそれが起きたら……と怖がる私をなだめようとして発せられたその言葉には、サメは襲う相手を人種で選んでいるという奇妙な考えが含まれていた。

恐れが増幅していく論理とは?

もう少し大きくなってうまく質問ができるようになると、もっとゾッとするような、はっきりとした答えが返って来るようになった。私は父に、年老いた祖母がなぜ人種差別的なことを言うのか単刀直入に尋ねてみた。父は、祖母が若い頃の植民地に暮らす白人は怖い思いをしているのが普通で、人は恐怖を感じると頭がおかしくなるものなんだ、と説明してくれた。

父ははっきり言わなかったが、そこには明らかに暗示されていることがある。それは、恐れを抱く少数派は、自分たちが悪いことをして、それをやめずに続けているのをわかっている。だからますます恐怖が募っていくのだ。

自分が怖いと感じる人々に暴力を加えることでさらに恐れが増す──狩ることと狩られること──という振り子のような論理は、植民地的な暴力の論理であり、また、怪物が出てくるストーリーの論理でもある。

『白鯨』の大クジラと同様、『青い海と白い鮫』のホホジロザメは一種の象徴だ。不安な気持ちを、怪物に打ち勝とうとする象徴的な戦いに向けることで、身の回りの人種差別的暴力を組織的に無視しようとする。そんな人々が探し求めるのがサメなのだ。この種の儀式の対象となるのは、動物であることが多い。たとえば、ペルシャやインドに遠征したアレクサンダー大王が象と戦ったというエピソードは、中世ヨーロッパの人々を魅了した。

ダミアン・ハースト《生者の心における死の物理的不可能性》(1991) Photo: ©2023 Damien Hirst and Science Ltd./DACS, London/Artists Rights Society (ARS), New York

サメ映画から失われたもの

遠く離れた場所を舞台とした怪物の物語が、身近にある未解決の対立関係を表しているというのは、現代のSF作品でも定番の構図だ。宇宙の彼方や深海の奥底から恐ろしく危険な存在が出現するというストーリーは、サメ映画に通じるものがある。騎士道ロマンやSFと同じように、ギンベルのホホジロザメ狩りでも、主人公たちは冒険心を満たすために遠いところまで出かけていく。そして、自分たちが暮らす場所では絶対にできない行為や体験をするのだ。

映像メディアにおけるホホジロザメのイメージを『ジョーズ』が再定義して以来、この生き物に重ねられていた騎士道精神は消えてしまった。その後何十年もの間、それはずっと続いている。今では『ロボシャーク vs. ネイビーシールズ』(2015)のようなB級映画や、ディスカバリーチャンネルの「シャーク・ウィーク」のような当たり障りのないエンタメ番組があるばかりだ。

とはいえ、今もサメは視覚文化の中で強い他者性を保っている。サメの得体の知れなさを受け継いだのは、ダミアン・ハーストの《The Physical Impossibility of Death in the Mind of Someone Living(生者の心における死の物理的不可能性)》(1991)だろう。人間と海の捕食者の出会いを彫刻的に再現しているこの作品は、『青い海と白い鮫』と陰鬱な並行関係にある。

常に泳ぎ続けて前進しなければ死んでしまうサメの画期的な動画を撮ろうとしたギンベルに対し、ハーストは本物のサメをホルムアルデヒドの中で強制的に停止させ、ある種の死のイメージとして固定させた。艶やかだったその瞳は曇っている。ロマンは失われてしまったのだ。(翻訳:野澤朋代)

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