画面の前で立ち位置を探る──「没後20年 ナムジュン・パイク|じゅげむ展」【EDITOR’S NOTES】

ワタリウム美術館で開催中の「没後20年 ナムジュン・パイク|じゅげむ展」では、1960年代から1990年代までの作品を紹介している。木々の間を歩き、作品を体感していくうちに、当たり前のように使っているテクノロジーとの関係が、少し違って見えてくる。

会場風景。左奥:《時は三角形》(1993)、右奥:《ボイス》(1988)。Photo: Shuji Goto

ワタリウム美術館で現在開催されている「没後20年 ナムジュン・パイク|じゅげむ展」には、いたるところにテレビがある(当たり前だが)。しかし、展示を見終えて振り返ると、画面の中で流れていた内容以上に、それを見ていた場所や姿勢の方が強く記憶に残っていた。

本展は、ワタリウム美術館が所蔵する1960年代から1990年代までのパイク作品を紹介する展覧会だ。パイクと同館の関係は、前身の「ギャルリー・ワタリ」の時代から半世紀に及び、展示作品の中には両者の交流から生まれたものもある。2階から4階までを使った会場は、「森」「縁」「心」の3章で構成されている。

2階でエレベーターを降り、展示室へ通じるドアを開けると、木々や茂みが広がる「森」が現れる。その間からはTVモニターが、まるで植物の一部であるかのように顔を覗かせる。モニターは木々の間に点在しているため、真正面からではなく、見上げたり、首をかしげたり、覗き込んだりしてその画面を見ることになる。このように、自分のベストポジションを探すことになる空間が、《ケージの森/森の啓示》(1993)だ。作品はジョン・ケージが1992年に世を去った翌年、同館で開催された個展「パイク地球論」のために制作された。偶然性を作曲に取り入れ、熱心なキノコ愛好家でもあったケージに捧げた作品だと考えると、造花ではなく生きた植物を使った空間にも、彼への敬意が感じられる。

森の中を進むと、木魚や大梵鐘の低い音、僧侶の読経とともに、パイクが福井の永平寺で参禅した経験をもとに制作した《永平寺讃歌》(1986)を映した複数のモニターが目に入る。さらに奥には、テレビモニターを人の形に組んだ《ボイス》(1988)が置かれている。1986年に亡くなったヨーゼフ・ボイスへの追悼として制作された作品には、彼を象徴する帽子、ニューヨークで行われたパフォーマンス作品にちなんだコヨーテ、さまざまな漢字が当てられた「ボイス」の名が組み込まれている。

会場風景、左:《ケージの森/森の啓示》(1993)、右:《時は三角形 》(1993)。Photo: Shuji Goto
会場風景、《ケージの森/森の啓示》(1993)。Photo: Shuji Goto
会場風景、《ボイス》(1988)。Photo: Shuji Goto

3階に上がると、2階とは打って変わって静かな空間が広がる。この階のテーマは「縁」。会場には《TVフィッシュ》(1975)をはじめ、異なるもの同士の関係や、人と作品との接点を意識させる作品が並んでいる。その中で、この日の記憶にもっとも強く残ったのが《〈ランダム・アクセス〉の再現》だった。

白いボードには、あみだくじのように何本もの音声テープの断片が貼られている。観客は、テープレコーダーから外した再生ヘッドを手に取り、その上を自由になぞる。何が鳴るのか探るように、動かす速度を変えたり、途中で別のテープにヘッドを当てたりするたびに、聞こえてくる音も変わっていく。

この体験の原型は、1963年、パイクがヴッパータールのパルナス画廊で開いた最初の個展「音楽の展覧会―エレクトロニック・テレビジョン」にある。壁に貼られたテープを観客自身が再生ヘッドでなぞり、音を鳴らす《ランダム・アクセス》が披露された。

パイクは1980年、ニューヨーク近代美術館での公演で、時間軸に沿ってしか辿れない情報と、どのページにも直接飛べる本のような「ランダムアクセス」の情報を分けて語っている。テレビやビデオでは通常、観客は送り手が決めた順序に沿って情報を受け取る。一方、《ランダム・アクセス》では、どこから始め、どこへ移り、どんな速度で音を鳴らすかを観客自身が決める。

会場風景、《ランダム・アクセス》の再現 2026(原型は1963年)。Photo: Shuji Goto
会場風景、《ランダム・アクセス》の再現 2026(原型は1963年)。Photo: Shuji Goto

順路の最後、4階の「心」に上がると、展示室の奥には《ニュー・キャンドル》(1993)が設置されている。この作品では、カメラが捉えた蝋燭の炎を、三原色に対応するプロジェクターがそれぞれリアルタイムで壁面に投影する。投影角度をわずかにずらすことで、3色が重なる部分には本来の色が現れ、その周囲には赤・緑・青の光だけで蝋燭のシルエットが浮かび上がる。さらに、その像を再びカメラが捉えることで、炎は壁の上で増殖していく。暗い室内で、椅子に座ったり、蝋燭に近づいたり、壁際まで寄ったりしながら、その映像を眺めた。服の上に蝋燭の映像が映ると、自分の身体まで投影面の一部になった。

会場風景、《ニュー・キャンドル》(1993)。Photo: Shuji Goto

こうして会場を巡っていると、パイクの作品は映像そのものよりも、それを人がどう観るか、どう触れるかを何度も問い直しているように感じられる。テレビやビデオを積極的に使い、その可能性を誰より早く追いかける一方で、既存の使い方をそのまま受け入れることもしなかった。モニターを植物の中に置き、観客自身に装置を触らせ、ときには《キャンドルTV》(1968)や《TV植物》(1980)のように、テレビから映像そのものを取り除いた。

《ランダム・アクセス》でパイクが観客に示したのは、どこから始め、どこへ進むかを自分で決める余地だった。半世紀後のいま、画面を通して私たちが選べるものは圧倒的に増えている。その一方で、日常的に使うデジタルサービスの多くは、ユーザーが受け取るべきものを先回りして提示するようにもなった。次に見るものは勧められ、必要な情報は順位づけされ、生成AIに尋ねれば答えまで返ってくる。選択肢が増えることと、自分で選ぶことは、必ずしも同じではない。

テレビという当時の最先端技術を何度も別のものへ変えてみせたパイクの作品を見ていると、テクノロジーとの関係はもっと自由につくり変えられるのだと思えてくる。その余地を、私たちはどこまで自分の手元に残しているのだろうか。

「没後20年 ナムジュン・パイク|じゅげむ展」
会期:2026年7月19日(日)~11月23日(月・祝)
場所:ワタリウム美術館(東京都渋谷区神宮前3-7-6)
時間:11:00~19:00
入場:大人 1,500円、学生(25歳以下)1,300円 
休館日:月曜日(9/21、10/12、11/23は開館)

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