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人気過熱のフェルメール展が抱える課題。1995年の大回顧展キュレーターが語るフェルメールの魅力と運営の苦労

現存するヨハネス・フェルメールの絵画約35点のうち28点を集めた史上最大の回顧展が、アムステルダム国立美術館で開催されている(6月4日まで)。開幕直後に会期中のチケットが完売するという人気ぶりだが、なぜフェルメール作品はかくも人々を熱狂させるのだろうか。

1995年にナショナル・ギャラリー(ワシントンD.C)でフェルメール展が行われたときの大行列。同美術館は、予算不成立で連邦政府が閉鎖された時期にも開館していた数少ない国立の施設の1つだった。現在は民間からの寄付金も併せて運営されている。Photo: Joyce Naltchayan/AFP via Getty Images

1995年にワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー(以下、NGA)で開催されたフェルメールの大回顧展を企画したキュレーターの1人で、フランドル・オランダ美術の専門家であるアーサー・K・ウィーロックJr.は、フェルメール人気の理由をこう説明する。

「一度見たら忘れられなくなるのがフェルメールの魅力でしょう。単に美しいだけでなく、不思議と人の心の奥底にまで直接語りかけてくる作品は、見る者に心地よさを与えてくれるのです」

ウィーロックがキュレーターとして関わった「ヨハネス・フェルメール展」は、NGAとオランダのマウリッツハイス美術館の共同開催で、21点のフェルメール作品が展示された。この数は、アムステルダム国立美術館の回顧展に破られるまでの最多記録で、NGAが所蔵する《フルートを持つ女》(1664-67)のように、1995年の展覧会前に修復されたばかりの作品も数点含まれていた。

ウィーロックは40年以上勤務したNGAを2018年に退職し、現在はオールドマスターの作品を数多く所有するライデン・コレクション(アメリカ人起業家夫妻の個人コレクション)のシニア・アドバイザーを務めている。同コレクションの《ヴァージナルの前に座る若い女》(1672-75年頃)は、数少ない個人所蔵のフェルメール作品の1つで、今回の回顧展にも貸し出されている。

US版ARTnewsは、3月中旬にTEFAF(欧州ファインアートフェア)が開催されたオランダのマーストリヒトから帰国したばかりのウィーロックに電話取材を行った。NGAでのフェルメール展の思い出、フェルメール熱がますます高まっている理由、そして彼が企画した展覧会から約30年を経て開かれた大回顧展で、アムステルダム国立美術館が直面している運営上の課題について話を聞いた。

準備期間も開催中も難問が相次いだ大規模展のストレス

《真珠の首飾りの女》(1662年頃)。ベルリン美術館蔵。Photo: Fine Art Images/Heritage Images/Getty Images

ウィーロックが1995年11月12日(日)開幕のフェルメール展の企画制作に着手したのは、その約9年前だった。これほどの規模の展覧会を開くためには、学術的調査や作品修復に加え、ほかの美術館から作品貸し出しの承諾を得るのが最大の仕事になる。展覧会が始まるまでに果たして何点の作品を集められるか気が気でなかったという彼は、当時ストレスだったことをこう振り返っている。「問い合わせをして返事がない場合、再度連絡するまでにどれくらい待てばいいのか? 絵を借りるためのルートをどう開拓すればいいのか?」

開幕の前週まで、会場には19点のフェルメール作品しか集まっていなかったが、それでもかなりの数であることは確かだ。そして数日前にやっと、フランクフルトのシュテーデル美術館所蔵の《地理学者》(1669)と、ベルリンの絵画館が所蔵する《真珠の首飾りの女》(1662-64年頃)の2点が到着。シュテーデル美術館は、前週の金曜日にギリギリでドイツ政府から輸出許可が降り、当時ベルリン絵画館館長だったヘニング・ボックが自ら作品を運んできたという。同じ日に設置されたこの2点を前にしたときの気持ちを、ウィーロックはこう述懐する。

「その夜、私は初めて完全な形で展覧会を見ることができたのです。警備の人たちが私をしばらくそこに座らせてくれて、じっくりとその瞬間を味わうことができました。そのときのことは、今でも鮮明に覚えています。実にすばらしい経験でした」

この展覧会の会期は、運悪く2度にわたる連邦政府閉鎖(*1)と重なった。政府閉鎖は下院で多数派を占める共和党が、連邦予算案の承認と引き換えに大幅な歳出削減を要求したことで起きている(*2)。NGAは展覧会の開幕から2日後の11月14日に閉館し、再開後2週間ほど経過した12月16日に再度閉館。民間の資金でフェルメール展のみ12月27日に再開されたが、2度目の閉館は翌年の1月6日まで続いた。


*1 アメリカでは、議会で予算案が成立しなかった場合、運営資金が確保できないため政府機関が閉鎖される。
*2 NGAは国立の学術機関であるスミソニアン協会に属していないが、連邦政府の資金で運営されている。

ウィーロックはこの間、絵を貸し出してくれたヨーロッパ各地の美術館に対し、貴重な名画の安全は確保されており、展覧会はいずれ再開されると説明しなければならなかった。「最も難しかったことの1つは、絵画の安全は確保されているから引き上げなくても大丈夫だと、ヨーロッパの美術館関係者を説得することでした。非常に厳しい交渉になりましたが、全ての絵画を美術館に残せたのは大きな成果だったと誇りに思っています」

予想を超える来場者数が浮き彫りにした時間と空間の問題

《手紙を書く婦人と召使》アイルランド国立美術館蔵。Photo: Fine Art Images/Heritage Images/Getty Images

NGAでフェルメール展が開催された当時は、チケットのオンライン販売もソーシャルメディアもまだ登場していなかったが、開幕すると前評判を超える反響を呼んだ。美術史上最も重要な作家の1人であるフェルメールの傑作を鑑賞できるチャンスを逃すまいと、冬期にもかかわらずアートファンが大行列を作り、NGAによると動員数は30万人を超えたという。

展覧会の広報活動はささやかなものだったため、「人気を集めるとは思っていましたが、実際の反響は私たちの予想をはるかに超えるものでした」とウィーロックは回想する。NGAは前売り券のほか毎日2500枚の当日券を用意したが、日によっては入場まで何時間もかかる長い列ができ、前夜から並ぶ人も出た

また、NGAは北アメリカで最も広い美術館の1つではあるものの、展示室の収容人数には限界があり、1995年の展覧会では混雑が大きな課題となった。「通常の展覧会に比べ、来場者たちの滞在時間がずっと長いことが原因でした。みんな去り難い気持ちだったのでしょう。フェルメール作品に囲まれるという経験は、それほど特別なものだったのです」

現在のフェルメール展は「歓迎すべき状況ではない」

2023年2月9日、アムステルダム国立美術館でのヨハネス・フェルメール展の初日に《婦人と召使》を鑑賞する来場者たち。Photo: Koen Van Weel/ANP/AFP via Getty Images

フェルメール作品に対する熱狂は、今も30年前と変わらず続いている。だが大昔から常にこうだったわけではない。生前のフェルメールは、地元のデルフト以外ではさほど知られておらず、美術史において重要な存在とされたのは19世紀になってからのことだ。

ウィーロックを含め、数えきれないほどの人々がフェルメールの絵の圧倒的な美しさに魅了されてきたが、それは繊細な色使いや光の表現、入念に練られた構図によって生み出されている。それに加え、永続性や時代を超越する力、静謐さという魅力もあるとウィーロックは説明する。フェルメールは、手紙を読んだり窓を開けたりといった日常の何気ない動作を描きながら、微妙な仕草や表情を捉えることで内面世界の重厚さと深みを表現しているというのだ。

「フェルメールの絵の中で、それがいかに美しく重要で特別な意味を持っているかを見てください。フェルメール作品から受けた感動は、時間が経った後も心に直接語りかけてきます」

1995年のフェルメール展と今回の展覧会には、大きな違いがある。95年の展覧会はNGAの後にマウリッツハイス美術館に巡回したため、ヨーロッパの人々はわざわざ大西洋を渡って見に来る必要がなかった。しかし、今回のフェルメール展の会場はアムステルダム国立美術館の1カ所のみ。それが、チケットがこれほど早く売り切れた理由だろうとウィーロックは言う。さらに、今回のフェルメール展の実現のために必要とされた複雑な調整を考えると、今後同じ規模での開催は難しいことが予想され、まさに一生に一度の機会になる可能性もある。「これを逃すと二度とチャンスはないかもしれない」というわけだ。

さらに、アムステルダム国立美術館がフェルメール展を宣伝する大々的なキャンペーンを世界中で展開したため、「おそらく対応が不可能なほど大きな需要を生み出している」というのがウィーロックの推測だ。そして、1995年の展覧会と同様、「来場者はすぐには会場を離れたがらないだろう」と付け加えた。

今回のフェルメール展の前売り券はすでに売り切れているが、いまだに何とか手に入れようとする人が後を絶たない。eBayでは、正規のものかどうか定かでないチケットが、日本円にして数万円で転売されている。

ウィーロックはこう語る。「あまりにチケットが入手困難なため、人々は苛立ちを感じています。これは歓迎すべき状況ではありません。フェルメールの絵画が回顧展のために集められ、その画業を包括的に体験できることをポジティブに受け止めてもらうことが理想なはずです」。

アムステルダム国立美術館は、ジャーナリストや批評家を含め、誰に対しても優先権を与えないと明言し、「非常に反響が大きく、プレス枠の定員も上限に達した」としている。

それでも諦めきれない人は、どうしたらいいのだろうか。ウィーロックいわく、「アムステルダムのホテルが一定数のチケットを確保している可能性もあり、宿泊すればそれが手に入ることも考えられる」。また、アムステルダムまで足を運べば「運よく、現地で電話をしてチケットを入手できるかもしれない」という。

展覧会を訪れる以外の方法でフェルメールの偉業に敬意を表するには、彼が生まれた土地を訪れるのが一番だとウィーロックは勧める。「現在オランダでは、ほかにも素晴らしい展覧会がいくつも開催されています。取りあえずオランダに来てみて、チューリップやほかの展覧会を楽しむのも悪くないでしょう」(翻訳:野澤朋代)

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