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オランダのフェルメール大回顧展がチケット即完売。大注目される理由とは?

オランダアムステルダム国立美術館で、2月10日に史上最大規模のフェルメール展が開幕。その2日後、6月4日まで行われる同展のチケットが完売したと発表された。世界中から大きな関心が集まっているこの展覧会のキュレーターに、最新のフェルメール研究での発見や展示構成について聞いた。

アムステルダム国立美術館で開催中のフェルメール展の様子。Photo: Courtesy the Rijksmuseum, Amsterdam

フェルメールの現存37点から28点が集結

ヨハネス・フェルメール(1632-75)は、17世紀のオランダ絵画黄金期の中でも傑出した画家として知られ、特に中産階級の暮らしを描いた室内画が高く評価されている。しかし、有名な《真珠の耳飾りの少女》(1665)や《牛乳を注ぐ女》(1658-59)など、現存する作品は37点しかないため、まだまだ分かっていないことも多い。

こうした謎に取り組んだのが、アムステルダム国立美術館で開催中のフェルメール展だ。史上最大規模と言われる同展では、オランダで200年以上も公開されていなかった7点を含む28点の作品が展示されている。これらの作品は、ニューヨークのフリック・コレクションやワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーなど、世界各地の美術館から貸し出されたものだ。

画商の息子だったフェルメールは、デルフトに暮らしながら画家や画商として活動し、画家たちのギルドである聖ルカ組合の理事を務めたこともあった。彼はカルヴァン派(改革派プロテスタント)信徒として育ったが、結婚を機にカトリックに改宗。多くの子をもうけ、夭折せずに成長した子が11人あった。今回の展覧会では、家庭内の情景や日常生活の一コマ、宗教、恋愛を仄めかすような音楽のシーンなど、フェルメールが扱ったさまざまなテーマの絵が展示されている。

フェルメールは生前からオランダのデルフトやハーグで実力を認められ、それなりの成功を収めた。しかし、一度は忘れられていた彼の作品が再び注目され、高く評価されるようになったのは19世紀になってからのことだった。写真技術が大きく進展したこの時代、フェルメールの光の使い方や、絵をリアルに見せる独自の技法が評価されたのだ。

今回の展覧会に先駆けて、アムステルダム国立美術館はデン・ハーグのマウリッツハイス王立美術館やアントワープ大学と共同で、マクロXRF、RISなど高度なスキャニングや分析技術を用いたフェルメール作品の詳細な調査を行っている(レンブラントの《夜警》の調査にも同じ手法が使われた)。

こうした分析で明らかになったのは、フェルメール自身や後世の修復によって彼の作品に加えられた変更だ。そこからは、彼のアプローチや制作方法全般、そして作品そのものが辿ってきた変遷をうかがい知ることができる。

調査研究は展覧会終了後も続けられ、その成果は2025年のフェルメール没後350周年に合わせたシンポジウムで発表される予定だ。なお、アムステルダム国立美術館は昨年、《牛乳を注ぐ女》の下絵に関する新たな発見を明らかにしている。

US版ARTnewsは、この大回顧展の開幕直前に、アムステルダム国立美術館の美術部門のトップで、同展の共同キュレーターでもあるグレゴール・ウェーバーにインタビューを行った。以下、その内容を紹介しよう。

──史上最大規模のフェルメール展を企画するに至った理由やきっかけを教えてください。

フェルメール1人に焦点を当てた大規模な展覧会は、1995年から96年にかけてワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーとデン・ハーグのマウリッツハイス王立美術館で開催されたものが最後でした。それから30年近く経った今、改めてフェルメールやレンブラント、ピーテル・デ・ホーホといったオランダを代表する作家を包括的に取り上げる必要性が出てきたのです。

アムステルダム国立美術館は、これまでフェルメール単独の展覧会を開催したことがありません。前回の大規模展以降、彼とその作品に関する研究が進展していますし、現在改修中のフリック・コレクションから貸与されているフェルメールの絵画を展示する良い機会でもありました。今回の展覧会では、フリック・コレクションから3点、アムステルダム国立美術館から4点、マウリッツハイス王立美術館から3点、そのほかワシントンD.C.、ロンドン、ベルリン、ドレスデン、フランクフルトの協力美術館の作品が展示されています。

──グローバルな協力体制が実現したのはすばらしいことです。展覧会の構成はどのように考えたのでしょうか?

フェルメールの絵画28点を展示できるのは喜ばしいことでした。私たちに課せられたのは、それをどのように展示し、来場者にどのような角度で見てもらうかという工夫です。そこで、フェルメールがキャリアを通じて取り組んだテーマ、特に内の世界と外の世界の相互作用というテーマに基づいて展覧会を組み立てることにしました。たとえば、フェルメールは家の内部を描きながら、絵に描かれた情景の外や、開け放たれた窓の向こう側に向けられた女性の視線によって、作品の世界を外界に向けて広げています。そして、こうした特徴に加え、窓や手紙などのディテールが、このコンセプトを後押ししています。また、音楽の演奏を通して愛を伝え合う男女を描いた絵では、見る者を作品の中に誘い込むような表現をしています。

制作の過程に秘めた物語

ヨハネス・フェルメール《天秤を持つ女》(1662-64年頃)カンバスに油彩 Photo: Courtesy the Rijksmuseum, Amsterdam, and National Gallery of Art, Washington, D.C.

──カトリックへの改宗がフェルメールに与えた影響についても研究されていますが、それは今回の展覧会にどう反映されていますか?

カタログでも展覧会の構成でも、カトリックについてはさほど重点を置いていません。とはいえ、フェルメールには《信仰の寓意》(1670-74)、《マルタとマリアの家のキリスト》(1654-55)、《天秤を持つ女》(1662-64頃)など、カトリックのテーマを扱った絵があります。今回の展覧会では、外の世界ではなく内面世界に語りかけるような、この3つの絵が揃いました。彼は、こうした宗教的なテーマやモチーフを通して魂に語りかける一方で、カトリック的な主題とは全く逆の、当時の流行を扱った題材も取り上げています。たとえば、若者が集まって音楽を奏でたりワインを飲んだりする場面を描いた作品です。

──アムステルダム国立美術館がマウリッツハイス王立美術館と進めている共同研究プロジェクトについて教えてください。

11点のフェルメール作品について、さまざまな技術的分析を行いました。私たちのスタジオには、レンブラントの《夜警》の調査のために揃えた機材が豊富に揃っています。一部の作品は展覧会終了後もアムステルダム国立美術館に残し、引き続き調査を行います。今後もこうした分析を継続し、研究成果については2、3年後に発表する予定です。

今回の展覧会では、いくつかの絵にフェルメールが加えた変更についても紹介しています。これはとても興味深いもので、制作の過程で彼がどんな意思決定をしたのか、理解を深めるのに役立ちます。コンセプト面だけでなく、実践面でもフェルメールに少し近づけたと言えるでしょう。

──フェルメールがそうした変更を加えたのはなぜでしょうか?

修復家などによる変更もあるので、それぞれの作品で状況は異なります。たとえば《窓辺で手紙を読む女》(1657-58)では、壁にキューピッドの絵が掛けられていましたが、後に誰かの手で塗りつぶされました。

光を描く、革新的な手法

ヨハネス・フェルメール《牛乳を注ぐ女》(1658-59)カンバスに油彩 Photo: Courtesy the Rijksmuseum, Amsterdam

──保存修復プロジェクトでの発見は、展示にどう影響しましたか?

調査結果は展覧会全体に影響したわけではありませんが、新しい知見が得られた作品もいくつかあります。たとえば、《牛乳を注ぐ女》には当初、水差しをぶら下げる板や火籠が描かれていました。そこで、元の絵の図版を展示することで、フェルメールがどのように考えを発展させ、制作を進めていったのかを来場者に感じてもらえるようにしました。構図や光、色彩について、彼がとことん考え抜いていたことが分かると思います。

──この展覧会で最も重要なポイントは何でしょうか?

フェルメールは光を描く達人で、光の法則を熟知していました。たとえば、暖かみのある黄色い光は青みがかった影を作ります。鋭い観察眼を持っていたフェルメールは、こうした知識を作品に活かしていました。当時、それをやっていたのは彼だけだったのです。

また、カメラ・オブスキュラ(*1)の使用は、ディテールや遠近の描写にも影響を与えています。彼の絵には、シャープな輪郭があるところと、ぼやけてピントが合っていないように見える部分があります。この時代、彼以外の画家たちは、全てにピントが合ったような絵を描いていました。


*1 Camera Obscura(「暗い部屋」の意)は、部屋や箱の片側に開けた小さな穴から入った光が向かい側に像を結ぶ装置。その原理は古くから世界各地で知られていたが、15世紀ごろからヨーロッパで画家たちに利用されるようになった。

フェルメールが扱ったカトリック的な主題に関する私の研究では、カメラ・オブスキュラについても取り上げています。なぜかというと、神の光が信者の魂に差し込むさまを、カメラ・オブスキュラに例えたイエズス会士たちの記述がたくさんあるからです。

フェルメールは、近所に住んでいたイエズス会士たちが神学や教育、信心のための道具としてカメラ・オブスキュラを使っているのを見て興味を持ち、自分の絵に取り入れたのではないかと思います。感光材料を使った撮影が実現した19世紀にフェルメールの作品に再び注目が集まったのは、彼が写真のように細部を描くことができたからだと言えるでしょう。(翻訳:野澤朋代)

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