ARTnewsJAPAN

Netflixの話題作「BEEF/ビーフ〜逆上〜」がアートを通じて描く、競争と格差のリアル

Netflixで4月6日に配信が始まったドラマシリーズ「BEEF/ビーフ〜逆上〜」は、業績不振に悩む工事請負業者と、観葉植物ショップで成功しながらもストレスを抱える起業家の壮絶な復讐劇。そこで重要な役割を果たしているのが、現代社会の闇を暗示するアートの存在だ。

「BEEF/ビーフ〜逆上〜」で有名な芸術家を父に持つ彫刻家を演じるジョセフ・チョー。Photo: Courtesy Netflix

アートを絡めたドラマの伏線

主人公のダニー・チョウ(スティーヴン・ユァン)とエイミー・ラウ・ナカイ(アリ・ウォン)の、ホームセンター駐車場でのちょっとしたトラブルは互いにあおり運転をけしかけるほどヒートアップし、カーチェイスにまで発展する。路上で生まれたこの確執は回を追うごとにエスカレートしていき、アート界における格差の視点も絡めながら、彼らの周りにいるあらゆる人々を巻き込んでいく。

シリーズ序盤、アートは単なる背景として登場する。エイミーが経営するロサンゼルスの観葉植物ショップのミニマルでシックな飾り棚の上には、きれいに刈り込まれた植物に並んで、夫のジョージ(ジョセフ・リー)が制作した、斑点や畝のような模様のある陶器が置かれている。ジョージは、アート界に大きな影響力を持っていた作家の息子、いわば「2世作家」だ。

ケン・プライス(*1)を思わせるジョージの作品は、最初のうちはセットデザインの一部のように見えるが(ネットフリックスの美術部門が作ったもの)、シリーズが中盤に差しかかる頃、このボテッとした陶器にスポットライトが当たることになる。


*1 主に陶器の抽象立体作品で知られるアメリカのアーティスト。

ある2人組がジョージの陶器を盗もうとするのだが、実は彼らは、エイミーのベンツのSUVに接触しそうになった末にカーチェイスを繰り広げた工事業者、ダニーの従兄弟の友人だった。2人組はエイミーの家に忍び込み、赤っぽいナメクジが絡み合ったようなジョージの作品を見つける。一人が「ビートルジュースっぽいな」と言うと、もう1人は「ヘルペスがウンチしたみたいだ」と返す。

この現場を、ジョージの母親フミ(パティ・ヤスタケ)が偶然目撃する。彼女も、亡き夫が作った高価な緑色の椅子を持ち去るため、息子夫婦が留守の間に忍び込んでいたのだ。「タマゴ」と呼ばれるそのスタイリッシュな椅子は、フミの臀部をもとにデザインされたもので、彼女はそれを売って夫の借金を返そうとしていた。しかし、どちらの盗みも計画通りにはいかない。

アート作品が象徴する「格差」

「BEEF/ビーフ〜逆上〜」の核心にあるテーマの1つは、アメリカで成功することがいかに難しいか、そして、たとえ成功したとしても、それはほんの些細なことで簡単に崩れ去るほどに脆いということ。イ・サンジン制作の本作において、アート作品、つまりしばしば法外な値段で取引される希少な物体は、安定した生活への渇望と社会階層をめぐる不安を映し出すシンボルになっている。

たとえば、こんなシーンがある。グウィネス・パルトロウを思わせる大物起業家のジョルダン(マリア・ベロ)と店の買収について交渉を重ねてきたエイミーは、取引成立まであと一歩というところまで来ている。ところが夫のジョージは、父の作品を見にギャラリーに足を運んでくれたジョルダンに向かって、妻の営業努力を台無しにしかねない失言をしてしまう。

65脚のデザイナーズチェアが整然と並ぶ、くまなく照らされた真っ白いギャラリーで、夫婦はひそひそ声で口論を始める。

「君は金に執着し過ぎだ。最近、その話ばかりじゃないか」とジョージが言うと、「私はあなたみたいな育ちじゃないから」とエイミーは言い返し、こう続ける。「お金が全てではないと思ってるのは金持ちだけってことに気づいてる? お釈迦さまが仏陀になったのは、もともと王子だったから。彼には捨てられるものがあったってこと!」

さらに彼女はこうたたみかける。「あなたのお父さんが遺してくれたのはテーブルと椅子だけ。私たちに捨てられるものはない」

口論で気力を使い切ったエイミーが思わずそばにあった椅子に腰を下ろすと、白人の警備員が飛んできて、「作品の上に座らないで!」と注意する。彼女はすぐに立ち上がって謝る。人を支えるために作られたはずのものでさえ、彼女に安らぎを与えることはできないのだ。

「BEEF/ビーフ〜逆上〜」のアリ・ウォンとスティーヴン・ユァン。Photo: Courtesy Netflix

アートを楽しめるのはどんな人々なのか?

一般に芸術は、美的快楽をもたらすと考えられている。だが、「BEEF/ビーフ」の登場人物たちがアートを見て心が満たされることはない。生きていくのに必死で、抽象的な彫刻をじっくり鑑賞する余裕などないのだ。

これは、ポン・ジュノ監督の2019年の映画、『パラサイト 半地下の家族』に出てくる詐欺師の家族と鑑賞用の石の関係を思い起こさせる。最初のうち、彼らはその石をうやうやしく扱い、ある種の象徴として眺めている。だが映画の終盤では、その石は人間の頭に振り下ろされ、階級闘争の武器として使われるようになる。

「BEEF/ビーフ」のある場面で、ダニーはエイミーに復讐する方法を探ろうと、彼女がジョージと住む家に偵察に行く。まずはサイクリング中のジョージに声をかけて仲良くなり、彼を訪ねるという具合だ。もちろんジョージはダニーの素性を知らない。彼はダニーに自分の作品を見せて感想を聞く。

「正しい見方かどうかは分からないけど、なんだか悲しくなってくる。自分の中のドロドロした感情が胸や脚にへばりつく感じ。思いつくままに言っただけで、よくわからないけど」。とつとつと感想を伝えるダニーは、気の利いたことを言うよりもその場を切り抜けることで頭がいっぱいだ。

実はこのドラマには、アートに関するちょっとした秘密がある。出演者の中に本物のアーティストがいるのだ。それはダニーの従兄弟で、ジョージの作品を盗む計画の黒幕、アイザックを演じるデヴィッド・チョーだ。

チョーはフェイスブック(現メタ)本社の壁画を手がけた作家で、有料チャンネルのFXで「ザ・デヴィッド・チョー・ショウ」という番組を持っていたこともある。ニューヨーク・タイムズ紙はこの番組を、「インタビューやパフォーマンスアートを楽しめるだけでなく、セラピーのように感情を揺さぶられる」と評した。

各エピソードのタイトルバックには、毎回異なるチョーの絵が使われている。押しつぶされた人のようなものが描かれた抽象的な絵は、それぞれのエピソードとどんな関係があるのだろう? しかし、目を凝らしてそれを理解しようとする前に、絵は消えてしまう。アートについて考えたり愛したりできるのは、ある特別な立場の人々だけなのか、それとも? ──チョーのアートを視聴者に見せたかと思うと、すぐに奪い去ってしまう本作は、そんなことを考えさせるのだ。(翻訳:野澤朋代)

from ARTnews

あわせて読みたい