「ここにあるのはちょっと変わった作品です」
コゼット・ゼノは自身が手がけた《Let’s Go Higher》(1952)を指差しながらそう語った。プエルトリコ大学在学中に制作したこの作品には、霞がかった風景のなかに無数の立方体が描かれ、その表面を小さな人物たちがよじ登っている。立方体には窓がなく、何に使われるものなのかもわからない。
「常に上を目指せ」
ゼノに会ったのは、リチャード・ソルトーンのニューヨーク拠点だ。同ギャラリーでは10月30日まで、1950年代の作品を集めた小規模な回顧展が開催されている。そこでゼノが注目を促したのは、《Let’s Go Higher》に描かれた立方体のうち、唯一出入り口が設けられたものだった。その緑色の構造物は、内部から光を放つコンテナのように見える。立方体の上には1人の人物が立ち、誇らしげに周囲を指し示している。「彼は『常に上を目指せ。決して下がるな』と言っているんです」と、ゼノは笑顔で語った。
この言葉は、1950年代に創作活動を始め、近年になってようやく世界的な評価を得たゼノの歩みとも重なる。
96歳のゼノは、近年開催された2つの大規模なシュルレアリスム 展でも強い存在感を示した。ひとつは、2021年から2022年にかけてメトロポリタン美術館 (MET)とテート・モダン で開催された、シュルレアリスムの世界的な広がりを紹介する展覧会。もうひとつは、2024年にテキサス州のフォートワース近代美術館で開催された、カリブ海地域におけるシュルレアリスムの展開を探る展覧会 だ。
1950年代、ゼノはシュルレアリスムの創始者の1人であるアンドレ・ブルトン と交流を深めた。ヨーロッパではシュルレアリスムの作家たちとともに展覧会に参加したものの、長らく美術史のなかで正当な評価を得ることはなかった。その背景には、ゼノが女性だったことに加え、欧米中心の美術史研究がカリブ海地域の作家に十分目を向けてこなかったこともあるのかもしれない。
また、美術史家のホイットニー・チャドウィックが指摘するように、女性のシュルレアリスム作家の多くは、自らをこの運動の一員とは考えていなかった。その理由のひとつに、男性作家たちから疎外されていると感じていたことが挙げられる。メレット・オッペンハイム 、レオノーラ・キャリントン 、レメディオス・バロといった画家たちも、美術史のなかで長らく周縁的な存在として扱われてきた が、現在ではシュルレアリスムの歴史を語るうえで欠かせない作家とみなされている。そこで、ゼノ自身にシュルレアリスム作家を自認しているか尋ねると、彼女はこう答えた。
「私は自分のことをシュルレアリスム作家だと思っています。かれらと同じ自由の精神を持っていますから。自分に制限を設けることはありません。今も新しいことに挑戦し続けていますよ」
夢と現実のあいだで生まれる作品
ゼノのシュルレアリスム的な発想は、前述の展覧会にも出品された《Ni hablar del peluquín(小さなかつらについて語っても仕方がない)》(1952)に色濃く表れている。この作品には、肉体がグロテスクに絡み合ったような塊が描かれ、ところどころから毛がのぞいている。それが作品名にあるかつらの毛なのか、それとも陰毛なのかは判然としない。
「これは男性を表しているんです」とゼノは語った。そして、作品の性的なニュアンスにも触れ、こう続けた。「彼はいろいろなことを考えています。何を考えているのかは、見る人が自由に想像していいんです。かつらをかぶっているので、若い男性ではありませんね」
コゼット・ゼノ《Ni hablar del peluquín(小さなかつらについて語っても仕方がない)》 1952年。 Photo: Courtesy Richard Saltoun
サルバドール・ダリ やマックス・エルンスト 、ルネ・マグリット といった男性のシュルレアリスム作家たちは、欲望や好奇心の対象として女性の裸体を描くことで知られていた。対照的にゼノは、これまでに裸の女性を描いたのは1度だけだと振り返る。その理由を尋ねると、彼女は「男性が好きですから」と冗談めかして答えた。
ビールを口にしながら、ゼノはこうした作品を深夜に制作していたことを明かした。現在もその習慣は変わらず、夜11時に制作を始め、朝7時に就寝するという。「私の邪魔をするような人は、みんな眠っていますから。料理をする必要もなければ、家を掃除する必要もありません」
多くのシュルレアリスム作家は、自らの作品を夢になぞらえてきた。ほかの人々が眠っている時間帯に制作するゼノの習慣も、こうした夢との関わりを連想させる。キューバのシュルレアリスム作家、ウィフレド・ラムがかつて語った「眠っていないとき、私は夢を見る」という言葉も思い起こされる。しかし、深夜の制作についてゼノは、「自分が何をしているのか、はっきりと意識している」と語った。
プエルトリコで芽生えた創作の原点
ゼノは1930年、ドミニカ共和国に生まれた。当時の同国は政情不安が続いた末、独裁者ラファエル・トルヒーヨが権力を握ったばかりだった。ゼノはまだ幼い頃、家族とともにプエルトリコへ亡命した。「サントドミンゴのことはまったく知らないんです。だから私は自分をプエルトリコ人だと言っています」と彼女は言う。
プエルトリコのオールド・サンフアンで育ったゼノは、周囲に広がる山々や海に親しむようになった。「プエルトリコでは、どこにいても海が見えます。水中の泡に紛れた小さな魚を見るために、祖母はよく朝6時に海へ連れて行ってくれました。いつもシュノーケリングをしていましたね」。そして、ゼノは「私にとって、自然はとても身近な存在なんです」と付け加えた。
コゼット・ゼノ《Tropical Haze》1954年。 Photo: Charles Roussel
幼い頃から親しんできた自然は、ゼノの初期作品にも表れている。油性クレヨンで描かれた《Reunion 1》と《Reunion 2》(ともに1952)には、渦を巻くような白い形が入り交じり、水の流れに翻弄される貝殻を思わせる。これらは、ゼノが父親の仕事を通じて手に入れたクラフト紙に描かれたものだ。また、《Tropical Haze》(1954)では、緑がかった背景につるのような線が走り、身近な植物から着想を得たことがうかがえる。
ゼノが大学に入学した頃、プエルトリコは大きな変革期を迎えていた。1950年にはアメリカの統治に反発する武装蜂起が各地で起こり、独立を求める機運が高まった。芸術家たちも、民族自決を求める動きを後押しする役割を担うようになった。
ゼノが師事したのは、スペイン出身のシュルレアリスム作家エウヘニオ・グラネルだ。グラネルはスペイン内戦で共和派に加わり、敗戦後に亡命を余儀なくされ、カリブ海地域へと渡った人物だ。独立を求める機運が高まるなか、ゼノはその思いをシュルレアリスムの表現に織り込んだ。その一例としてゼノが挙げたのが、1951年の絵画《Safe Journey》だ。この作品には、ダイヤモンドでできたアーチの下を船が進む様子が描かれている。ゼノによれば、このアーチは「プエルトリコは貧しい国だが、決して貧しいわけではない」ということを表している。また、船に襲いかかろうとする恐ろしげな怪物も描かれているが、この怪物は目が見えない。ゼノは「脅威にはなりません。何の力ももっていないんです」と説明した。
Cossette Zeno《Safe Journey》 1951年。Photo: Charles Roussel
1953年にプエルトリコ大学を卒業したゼノは、大学院の奨学金を得てパリのエコール・デュ・ルーブルに留学した。そこでシュルレアリスムの創始者の1人であるブルトンと出会った。ゼノはブルトンに強く傾倒し、のちに自身の娘に彼が1928年に発表した著書『ナジャ』にちなんだ名前を付けた。
96歳になっても衰えない創作意欲
リチャード・ソルトーンで開催された個展でのコゼット・ゼノ。Photo: Courtesy Richard Saltoun
当時、ゼノの両親はキューバで暮らしており、1954年には父親の病気をきっかけに、彼女もカリブ海地域へ戻ることになった。しかし、その後も政情不安に翻弄され、キューバから二度、出国を余儀なくされたという。最初のきっかけは、路上で大量に血を流している男性を目撃したことだった。繊維会社で働いていたゼノは急いで職場に戻り、フルヘンシオ・バティスタ(*1)政権による弾圧の危険性を同僚に訴えた。ところが、その同僚は実は諜報員で、すぐにキューバを離れるよう彼女に促したという。その後、アメリカで結婚したゼノは、カストロ政権下のキューバに暮らす両親を訪ねた。だが1961年、カストロによる通貨改革で手持ちの金が価値を失い、再びキューバを離れざるを得なくなった。
*1 キューバ革命以前に同国を支配していた独裁者。
ゼノはこれまで何度も住まいを移してきたが、現在は孫娘が暮らすミズーリ州ジャクソンを拠点に活動している。本人によれば、これまで専用のアトリエを構えたことはなく、制作を完全に中断した時期もあったという。そのひとつが、夫のロバート・ベイツを亡くした年だった。
コゼット・ゼノ《Let’s Go Higher》1952年。Photo: Courtesy Richard Saltoun
それでもゼノは現在も制作を続けており、実物大のドア4枚にまたがる新作について生き生きと語った。制作のきっかけは、アトランタにホテルを開業する予定の孫息子から、壁画を依頼されたことだった。しかし、ゼノはそこから構想を変え、ドアを使った作品に取り組むことにした。現在はドアを床に置き、本人が「海の要素」と表現するモチーフを描いている。この作品は12月、アートフェア「Untitled Art, Miami Beach」に出展するリチャード・ソルトーンのブースで披露される予定だ。
ドアを使ったこの作品は、独特な色彩の立方体が描かれた《Let’s Go Higher》の出入り口を思い起こさせる。ゼノはインタビューのなかで、同作に込めた意味を改めてこう語った。「決して下がらず、常に上を目指すんです」
フリーダ・カーロやマグリットなど、シュルレアリスムの代表作から見過ごされてきた作品を一挙紹介!
2024年は
シュルレアリスム 誕生100周年にあたる。これを祝うとともに、これまでこの運動について語るときに見過ごされてきたヨーロッパ以外の地域や女性アーティストにも光を当て、ベスト作品32点を紹介する。
ブリジット・ベイト・ティチェナー《Untitled (Egg Figures)》(1966) Photo: Private Collection. Digital image courtesy of Di Donna Galleries, New York.
ヴィクトル・ブローネル《Stable, Instable, Plain of Theus》(1942) Photo: Collection of the Musée National d'Art Moderne/Centre Georges Pompidou, Paris. Digital Image copyright © CNAC/MNAM, Dist. RMN-Grand Palais/Art Resource, New York. Artwork copyright © 2024 Artists Rights Society (ARS), New York / ADAGP, Paris.
ラムセス・ユナン《Woman》(1942) Photo: Collection of Mathaf: Arab Museum of Modern Art, Doha. digital image ourtesy Mathaf. Artwork copyright © Estate of Ramses Younan.
ヴィフレド・ラム《Zambezia, Zambezia》(1930) Photo : Collection of the The Solomon R. Guggenheim Museum, New York. Digital image: The Solomon R. Guggenheim Foundation/Art Resource, New York. Artwork copyright © 2024 Wifredo Lam Estate, ADAGP, Paris/Artists Rights Society (ARS), New York.
マルセル・ジャン《The Specter of Gardenia》(1936) Photo: Collection of the Museum of Modern Art, New York. Digital Image copyright © CNAC/MNAM, Dist. RMN-Grand Palais/Art Resource, New York.
インジ・エフラトゥーン《La Jeune Fille et le montstre》(1942) Photo: Collection of Mathaf: Arab Museum of Modern Art, Doha. Digital image courtesy Mathaf: Arab Museum of Modern Art, Doha. Artwork copyright © Estate of Ramses Younan.
アリス・ラホン《Frida Kahlo’s Ballad》(1956-66) Photo: Collection of the Acervo de Museo de Arte Moderno, INBA-CONACULTA/Museo de Art. Digital image: Schalkwijk / Art Resource, New York.
アンドレ・マッソン《Automatic Drawing》(1924) Photo: Collection of the Museum of Modern Art, New York. Digital image copyright © The Museum of Modern Art/Licensed by SCALA/Art Resource, New York. Artwork copyright © 2024 Artists Rights Society (ARS), New York / ADAGP, Paris.
リタ・カーン=ラーセン《Self-Portrait (Know Thyself)》(1937) Photo Peggy Guggenheim Collection, Venice. Digital image Simone Bottazzin, courtesy of the Solomon R. Guggenheim Foundation, New York. Artwork copyright © 2024 Artists Rights Society (ARS), New York/VISDA.
マックス・エルンスト《The Robing of the Bride(花嫁の着衣)》(1939) Photo: Peggy Guggenheim Collection, Venice. Digital image courtesy of the Peggy Guggenheim Collection, Venice. Artwork copyright © 2024 Artists Rights Society (ARS), New York/ADAGP, Paris.
クロード・カアン《Que me veux-tu?》(1928) Photo : Collection of the Musée National d'Art Moderne/Centre Georges Pompidou, Paris. Digital image copyright © Paris Musées, musée d'Art moderne, Dist. RMN-Grand Palais/image ville de Paris/Art Resource, New York. Artwork copyright © The Estate of Claude Cahun.
マヤ・デレン『午後の網目』(1943)の一場面。Photo: Wikimedia Commons.
マン・レイ《エロティックなヴェールをまとう》(1933) Photo: Telimage, Paris. Artwork copyright © Man Ray 2015 Trust/Artists Rights Society (ARS), New York/ADAGP, Paris 2024.
マリア・マルティンス《The Impossible III》(1946) Photo: Collection of the Museum of Modern Art, New York. Digital image copyright © The Museum of Modern Art/Licensed by SCALA/Art Resource, New York.
ジェルメーヌ・デュラック『貝殻と僧侶』(1928)の一場面。Photo: Wikimedia Commons.
アイリーン・エイガー《Angel of Anarchy》(1936-40) Photo: Collection of Tate, London. Digital image copyright © Tate, London. Artwork copyright © Estate of Eileen Agar. All rights reserved 2024/Bridgeman Copyright Service.
ロベルト・マッタ《The Earth Is a Man》(1942) Photo : Collection of the Art Institute of Chicago. Digital image: The Art Institute of Chicago/Art Resource, New York. Artwork copyright © 2024 Artists Rights Society (ARS), New York/ADAGP, Paris.
サルバドール・ダリ《茹でた隠元豆のある柔らかい構造(内乱の予感)》(1936) Photo: Collection of the Philadelphia Museum of Art. Digital image: The Philadelphia Museum of Art/Art Resource, New York. Artwork copyright © 2024 Salvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, Artists Rights Society.
古賀春江《海》(1929) Photo: Collection of the National Museum of Modern Art, Tokyo
メレット・オッペンハイム《Objet》(1936) Photo: Collection of the Museum of Modern Art, New York. Digital image copyright © The Museum of Modern Art/Licensed by SCALA/Art Resource, New York. Arwork copyright © 2024 Artists Rights Society (ARS), New York/ProLitteris, Zurich.
レオノーラ・キャリントン《自画像》(1937-38年頃) Photo: Collection of the Metropolitan Museum of Art. Digital image copyright © The Metropolitan Museum of Art/Licensed by Art Resource, New York. Artwork copyright © 2024 Estate of Leonora Carrington/Artists Rights Society (ARS), New York.
レメディオス・バロ《Armonía》(1950) Photo : Colección Eduardo F. Costantini. Digital image courtesy of Colección Eduardo F. Costantini. Artwork copyright © 2024 Remedios Varo, Artists Rights Society (ARS), New York/VEGAP, Madrid.
トワイヤン《Poselstvi Lesa》(1936) Photo: Collection of the National Galleries of Scotland. Digital image: Jessie Maucor/National Galleries of Scotland. Artwork copyright © 2024 Artists Rights Society (ARS), New York/ADAGP, Paris.
エメ・セゼール『帰郷ノート/植民地主義論』(1942) Photo: Amazon.
ケイ・セージ《In the Third Sleep》(1944) Photo: Collection of the Art Institute of Chicago. Digital image: The Art Institute of Chicago/Art Resource, New York. Artwork copyright © 2024 Estate of Kay Sage/Artists Rights Society (ARS), New York.
サルバドール・ダリとルイス・ブニュエル『アンダルシアの犬』(1928) Photo: Collection of the Philadelphia Museum of Art. Digital image: The Philadelphia Museum of Art/Art Resource, New York. Artwork copyright © 2024 Salvador Dalí, Fundació Gala-Salvador Dalí, Artists Rights Society.
イセル・コフーン《Scylla》(1938) Photo : Collection of Tate, London. Digital image copyright © Tate. Artwork copyright © Estate of Ithell Colquhoun c/o Samaritans, Noise Abatement Society, & Spire Healthcare.
ドラ・マール《Père Ubu》(1936) Photo : Collection of the Metropolitan Museum of Art, New York. Digital image copyright © The Metropolitan Museum of Art. Licensed by Art Resource, New York. Artwork copyright © 2024 Artists Rights Society (ARS), New York/ADAGP, Paris.
レオノール・フィニ《Le Bout du Monde》(1949) Photo : Private collection. Photo: Johansen Krause, courtesy of Galerie Minsky, Paris. Artwork copyright © 2024 Artists Rights Society (ARS), New York/ADAGP, Paris.
フリーダ・カーロ《Lo que el agua me dio》(1938) Photo: Private Collection. Digital image: Schalkwijk/Art Resource, New York. Artowrk copyright © 2024 Banco de México Diego Rivera Frida Kahlo Museums Trust, Mexico, D.F./Artists Rights Society (ARS), New York.
ルネ・マグリット《イメージの裏切り》(1929) Photo: Collection of the Los Angeles County Museum of Art. Digital image copyright © 2024 Museum Associates/LACMA. Licensed by Art Resource, New York. Artwork copyright © 2024 C. Herscovici/Artists Rights Society (ARS), New York.
ドロテア・タニング《誕生日》(1942) Photo : Collection of the Philadelphia Museum of Art. Digital image: The Philadelphia Museum of Art/Art Resource, New York. Artwork copyright © 2024 Artists Rights Society (ARS), New York/ADAGP, Paris.
(翻訳:編集部)
from ARTnews
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