宮津大輔連載「アート×経営の時代」第3回「コンテクストを把握し、100年後の常識を見いだす力」~Mistletoe創業者 孫泰蔵(前編)

アートはビジネスに必須だと言われる。だが、CSR(企業の社会的責任)としてのアート支援でもなく、アート的思考でもなく、「経営戦略として」アートを採り入れる企業がどれだけあるだろうか。アートコレクターで、多数の著書もある横浜美術大学教授の宮津大輔氏による連載第3回は、Yahoo! JAPANの立ち上げに参画以来、主にインターネットの世界で新規ビジネスを創設・成長させてきた孫泰蔵氏(49)を取り上げる。

孫泰蔵氏=2022年3月、東京都内で 撮影:北山宏一(以下、提供写真以外は同)

世には近頃、「アート思考」なるものが流布している。それは、あたかもロジカルな戦略で解決できなかった経営課題が、アートから得る「ひらめき」により解決可能であるといった誤解を招きかねない。

優れた現代アート作品が有する真の魅力と、それを理解・消化し自らの経営戦略に生かすことは、そんな安易なことでも、それほど薄っぺらいものでもない。

本連載では、筆者が仕事などを通じ知遇を得たトップマネジメントへのインタビューに基づき、アートが持つ唯一無二のパワーを企業経営へと生かしている実例について紹介する。

今回は『アート×テクノロジーの時代』(光文社新書、2017年)執筆時に、当時の出資先であった企業を取材して以来のお付き合いとなる、Mistletoe創業者 孫泰蔵氏を取り上げたい。(以下、文中敬称略)


ワイン、シャンパン好きでもある孫のコレクションから、ジェフ・クーンズの《ドン・ペリニヨン・バルーンヴィーナス》(2003年)(撮影:孫泰蔵)

包み込むような柔和な笑み

取材のため待ち合わせ場所に現れた孫は、柔らかなニットジャケットを羽織り、柔和な笑みを浮かべながらゆっくりとこちらへと歩み寄って来る。そのいでたちは、シンガポールと日本を拠点にして世界を股にかける現代のジェットセッター(飛行機を日常的に使い、世界を股にかけて活躍する人)そのものでありながら、ゆったりとした立ち居振る舞いは古(いにしえ)の大人(たいじん)を感じさせた。握手を交わした時の温かな掌(てのひら)も、大きく包み込むようで、彼の人並みはずれた包容力を思わせた。

日本を代表する経営者である孫正義(ソフトバンクグループ株式会社 代表取締役 会長兼社長執行役員)を兄に持つ孫泰蔵は、東京大学経済学部在学中の1996年に、Yahoo! JAPANの立ち上げに参画。その後、同社のコンテンツ制作、サービス運営をサポートするインディゴ株式会社を設立し、代表取締役に就任する。しかし、Yahoo!共同創業者のジェリー・ヤン(Jerry Chih-Yuan Yang, 1968年~)の「これを使って、未来のニュートンの前でリンゴを落とすんだ」(1990年代中盤当時、インターネットが普及した未来における検索エンジンの必要性を、彼独特の言い回し)に天啓を感じ自らの起業を決意する。


インタビューに答える孫泰蔵=2022年3月、東京都内で

その後数社の立ち上げに関わりながら、孫は1998年ガンホー・オンライン・エンターテイメント株式会社(以下、ガンホー)の前身となるオンセール株式会社の設立に参画、代表取締役となる。同社は、2012年にRPG(ロールプレイングゲーム)とパズルゲームを融合させた「パズル&ドラゴンズ」(以下、パズドラ)をリリース。瞬く間に日本中を席巻、間もなく同社の時価総額は1兆円を突破したのである。

そして2009年には、「2030年までには、アジアにシリコンバレーのようなベンチャー生態系をつくる」という志を実現すべく、スタートアップ・アクセラレータのMOVIDA JAPAN株式会社を創業。更には、起業家の育成やベンチャー企業への投資、そしてスタートアップ・エコシステムの形成・発展に向けた「一緒に生きていく共同体」であるMistletoe株式会社を2013年に設立している。

現在は、次世代の人材育成に向けて、後述する革新的な教育事業に力を入れている。


孫のコレクションから、荒木経惟の花を写した写真作品

音楽とアートによって培われた思考

自身が企業経営者として大成功を収めながら、多くの起業家を育成してきた孫泰蔵の経営哲学に影響を与えたのは、音楽とビジュアルアート(以下、アート)であった。

中学に進学した彼が、最初に熱中したのはビートルズである。早速仲間とコピーバンドを結成するも、既に4人のプレイヤーが揃(そろ)っていたため、自身は「5人目のビートルズ」とも称された名キーボード奏者ビリー・プレストン(William Everett Preston, 1946~2006年)役を任じていた。バンドの中で音を膨らませるパートを担当していた孫は、キーボードのみならずパーカッションをはじめとする様々な楽器を独学で学んだ。メンバーからは「お前、すごいな! 役に立つな」と感謝されていたが、それは後に、起業してからも彼が果たす役割とも共通していた。

大学生になった孫は、様々な音楽やアートに触れながら、自身の感受性をより豊かにしていった。同時に好きな楽曲や作品のルーツを辿(たど)り、それらが広く受容・歴史化されてきたプロセスをリサーチする自らの「研究者気質」に気づくことにもなったのである。

ビートルズやローリング・ストーンズといったロックンロールのルーツであるブルースや黒人霊歌といったアフロ・アメリカンの音楽や、ジャズにおけるインプロビゼーション(即興演奏)が持つ創造性や偶然が生む旋律の妙にも傾倒したが、最も心を惹(ひ)かれたのがボブ・ディラン(1941年~)の楽曲、殊にその歌詞であった。

「若い米国(筆者注:1776年の建国から250年も経っていない)には、ルーツとなる文化が希薄なところもあります。だから、自らのルーツをアイルランドやスコットランドにまで遡(さかのぼ)るわけです。そこまでいくと文字による作品として残っていないものも少なくない。いわゆる、口頭伝承です。ランボー(Arthur Rimbaud, 1854~1891年)がそれらを詩の創作に生かした先駆者だとしたら、ディランはそれにメロディを付け伝播(でんぱ)している偉大な継承者ですよね」

と、その魅力を語る。正に早熟な孫は研究者気質を発揮し、後にノーベル文学賞を受賞(2016年)するディランの文芸的な価値に早々と注目していたのである。


インタビューに答える孫泰蔵=2022年3月、東京都内で

ディランの『Early Roman Kings(アーリー・ローマン・キングス)』(2012年)※1には、詩人ホメ-ロス(Homerus, 紀元前8世紀末頃)による『オデュッセイア』の一節「命を剥がす、おまえの息を奪い取る/死の館へとおまえを運ぶ」※2がその歌詞に取り入れられている。

彼の歌には、古代から近代まで様々な文学作品や口承文芸が引用されており、表層的ないわゆる言葉通りの解釈では、その全貌(ぜんぼう)を理解することは時として難しい。しかし、一方で孫が「人類が言葉を持たなかった頃からの多様で豊かな表現が、彼の楽曲には詰まっている」と述べる通り、探求するに値する奥深い魅力を有しているといえる。

また、ディラン初期の代表曲である『Masters Of War(戦争の親玉)』(1963年)には、「フォークソングの母」と称(たた)えられたジーン・リッチー(Jean Ritchie, 1922~2015年)による『Nottamun Town(ノッタムン・タウン)』の印象的なメロディが用いられている。それはリッチーの曽祖父によって米国にもたらされたものとされてきたが、起源を遡れば17世紀・英国の清教徒革命時代にまで至ることが判明している。

このように孫は、音楽を通じてコンテクスト(文脈/前後関係や背景)の重要性を学んでいったのである。それは彼が「この世にない新しいサービス」を創出する時に、テクノロジーオリエンテッド(技術優先主義)や、プロダクトアウト(顧客のニーズより開発・販売側の理論を優先すること)な発想に陥りがちであった、IT業界の慣習を逆手に取った数々の戦略にも色濃く反映されていくことになる。


孫が最初に購入したアート作品。ピエール・ルシュール《黄色いティーポットの静物》(1999年)100×81cm、キャンバスに油彩、パステル Courtesy of Galerie Nichido

最初の1点、そしてアートの深淵(しんえん)を探る旅へ

大学時代のアルバイトや、起業直後で苦しい台所事情の中から、なけなしの金をはたき手に入れた孫にとって最初のコレクションは、銀座の老舗画廊で求めたピエール・ルシュール(Pierre Lesieur, 1922年~)による風景画であった。画面から溢(あふ)れ出る色彩の美しさに魅了され、即断即決で購入を決めたという。

後にフランスを旅行する際にプロヴァンスのルシュール邸を訪問する機会を得て、手入れの行き届いた庭や、決して豪奢(ごうしゃ)ではないものの隅々まで独特の美意識で整えられた住まいに圧倒され、彼は「クオリティ・オブ・ライフ」の重要性を強く意識するようになった。

孫の飽くなき探求心は、ビートルズからロック、更にはR&Bへのリサーチと同様に、より嚙(か)み応えがあるコンセプチュアルなアート作品へと、その対象を広げていったのである。マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp, 1887~1968年)の「レディーメイド」(大量生産された既製品から、その機能を剥奪〈はくだつ〉しオブジェとして陳列すること)と機能性や展示場所が有する特権性との関係や、イブ・クライン(Yves Klein, 1928~1962年)による「インターナショナル・クライン・ブルー」(自ら開発、特許を取得した理想的な顔料)と知的財産権に関する問題意識は、自身の起業や事業運営においても参考になったと述懐している。

何よりも孫が刮目(かつもく)したのは、デュシャンの「レディーメイド」やポロック(Jackson Pollock, 1912~1956年)らの「アクションペインティング」と呼ばれる身体性を伴った激しい抽象表現が、当時としては「はぁ? 何これ?」でありながら、「50年いや100年後も色褪(いろあ)せないどころか、現在は当たり前になりつつある斬新でありながらも長命な思考」という点であった。学生時代から「この世にない新しいサービス」創出を模索し続けていた彼は、「100年後にそれが常識となるような考え方を生み出すアーティストの存在に対し、非常に強い刺激を受けました」と当時受けた衝撃の大きさについて述べている。


インタビューに答える孫泰蔵=2022年3月、東京都内で

社会現象となった大ヒットゲームや全ての事業に通底する点

1998年ガンホーの前身となるオンセール株式会社の設立に参画した孫は、代表取締役へと就任する。同社は、2012年にRPG(ロールプレイングゲーム)とパズルゲームを融合させた「パズル&ドラゴンズ」(以下、パズドラ)をリリース。それは、瞬く間に日本中を席巻、社会現象になったのである。

しかし現在、同社の経営から離れている孫は、当時のことを自らの手柄の如(ごと)く語ることを潔しとはしない。そこには彼独特の奥ゆかしさや、美学を感じさせる。しかし、一方でヒットの秘密に関心を持つ読者も少なからずおられよう。そうした向きには、サービス開発における核心をついた「ゲームに限らずあらゆるサービスは、コンテンツ単体でではなく、メディアと一緒に考えることこそが重要です。これは、マクルーハンからの影響ですね」という孫の発言が参考になるであろう。

マーシャル・マクルーハン(Herbert Marshall McLuhan, 1911~1980年)は、1960年代以降本格化したテレビの時代を、フロイト(Sigmund Freud, 1856~1939年)の無意識に代わり、「メディアこそが社会支配の原理である」と看破した文明批評家である。今やスマホなしては成り立たない我々の生活を、マクルーハンの論を援用することで、10年以上も前に見抜いていた彼の慧眼(けいがん)に改めて驚かされる。

"ありふれた"存在と誤解されがちなコンテンツや既存サービスを組み合わせ、それらをメディア/デバイスの特徴に合わせ最適なUX(ユーザーエクスペリエンス:操作性を中心としたユーザー体験)を生み出す。そこには、敬愛してやまないディランとの共通点を見いだすこともできよう。

時に"盗作"と揶揄(やゆ)されるディランによる既存創作物からの引用は、「間テキスト性」(自らのテキストが有する意味を、他から引用したテキストとの関連により新たに見いだすこと)という文芸や音楽表現における方法論である。また、それはアートにおけるアプロプリエーション(既に広く流通・認知されているイメージを、時に引用の範疇〈はんちゅう〉を超え自らの作品に取り込むことで文脈を書き換える手法)といった表現手法においても同様である。これらと、孫独自のサービス開発に関する考え方は非常に相似していることが理解いただけたものと思う。


孫のコレクションから。敬愛する黒田泰三による陶作品

事業計画は邪魔

また、「起業家の使命は、今あるもののちょっとした改善ではなく、今までになかった新しい商品やサービスを生み出すことです。そのためには創造的な思考や閃(ひらめ)きが求められますが、それは計画を立てて、その通りに達成できるようなものではありません」※3などと過去のインタビューでも語っているように、時に孫自身は「事業計画は邪魔」であるとまで言い切っている。

製品やサービスのコアなコンセプトを決める初期段階において、計画や締め切りにとらわれ過ぎることは、創造性やセレンディピティ(偶発的な幸運や予想外の発見)を阻害すると考えているからである。

これこそ、孫が大学時代に聴き惚(ほ)れ、時に東大ジャズ研でプレイした、マイルス・デイビス(Miles Dewey Davis III, 1926~1991年)をはじめとするジャズメンたちによるインプロビゼーションの極意そのものといえないであろうか。

誤解のないように言い添えておくが、彼は「事業をスケールさせていく段階では、逆に事業計画が最も重要になってきます」とも力説している。こうした思考は、学生時代から音楽にのめり込み、アート作品をコレクションし続けてきた孫だからこそ到達し得た考え方であろう。

(以下、後編につづく)


※1:原詩は”I’ll(can) strip you of life/Strip you of breath/Ship you down/To the house of death”で、『オデュッセイア』第9歌から引用している。なお古代ギリシャ語からの英訳は、ロバート・フェイグルズ(Robert Fagles, 1933~2008年)による。

※2:邦訳歌詞出典元:ボブ・ディラン『THE LYRICS 1974-2012』佐藤良明訳、岩波書店、2020年、549~551ページ

※3:「孫泰蔵が『事業計画は起業の害』と考える深い訳」東洋経済ONLINE、2021年9月27日
ボブ・ディランに関する本稿の記述は『ハーバード大学のボブ・ディラン講義』(リチャード・F・トーマス著、萩原健太監修、森本美樹訳、ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス、2021年)を、彼の楽曲タイトルや歌詞については『THE LYRICS 1961-1973』『THE LYRICS 1974-2012』(佐藤良明訳、岩波書店、2020年)を参考にした。

参考情報:ボブ・ディランの楽曲
Early Roman Kings
©2012 by Special Rider Music

Masters Of War
©1963 by Warner Bros. Inc.; renewed 1991 by Special Rider Music

※ 宮津大輔連載「アート×経営の時代」第4回「コンテクストを把握し、100年後の常識を見出す力」~Mistletoe創業者 孫泰蔵(後編)はこちら

  • ARTnews
  • ECONOMY
  • 宮津大輔連載「アート×経営の時代」第3回「コンテクストを把握し、100年後の常識を見いだす力」~Mistletoe創業者 孫泰蔵(前編)