宮津大輔連載「アート×経営の時代」第4回「コンテクストを把握し、100年後の常識を見出す力」~Mistletoe創業者 孫泰蔵(後編)

アートコレクターで、多数の著書もある横浜美術大学教授の宮津大輔氏による連載第4回。前回に引き続き、Yahoo! JAPANの立ち上げに参画以来、主にインターネットの世界で新規ビジネスを創設・成長させてきた孫泰蔵氏(49)を取り上げる。(本文中敬称略)

アートコレクターでもあるIT業界のカリスマ、孫泰蔵氏=2022年3月、東京都内で 撮影:北山宏一(以下、提供写真以外は同)

時間の概念を覆す杉本作品と最新テクノロジー

前編からつづく、文中敬称略)

事業が軌道に乗り経営者として多忙になっても、孫泰蔵のアート作品に対する情熱は高まりこそすれ決して収まることはなかった。中でも特に彼を魅了してやまなかったのが、杉本博司による《劇場》 (1976年~)と《海景》(1980年~)のシリーズであった。

《劇場》シリーズ撮影のため、米国各地の映画館やドライブインシアターを訪れた杉本は、映画が上映されている間、常に露光(=シャッターを開いたまま)することにより、映画1本を丸ごと1枚の写真に収めんと試みたのである。真っ白に輝く画面には、そこに映し出されていた物語の全てが包含されている。同シリーズは、本来"瞬間"を切り取るはずの写真が、"時間の経過"や"映画というコンテンツ"を捉えた革新的な作品であった。


孫のコレクションから、彼に多大な影響を与えた杉本博司の《海景》シリーズ作品

一方の《海景》シリーズは、水平線によって上下均等に分かれている構図が印象的な写真作品である。画面上半分の空気と下半分の水によって、生命誕生に不可欠な根源的要素が極めてシンボリックに描出されている。それは、(最初の生命誕生から)36億年という気が遠くなるような年月、つまり地球の歴史を捉えているといっても過言ではなかろう。

ところで、孫はビジネスパートナーと共に、新たな技術・サービス開発へ向けた実験を行っている。それは250台以上の高解像度カメラを円形に配置して、中の人物を0.5秒で360度捉える3Dスキャンである。この機材で、パートナーの娘さんを4歳から10年間記録し続けてきた二人は、スタティックな(静的な、動きのない)3Dデータにボーンを埋め込み(各ジョイント間を接続する骨構造によって3Dモデルを追従させ、3DCGアニメーションを動かす技術)、更に幼少期からAlexa(Amazon.comのスマートスピーカー:音声対話型AIアシスタント)に話しかけてきた娘さんの膨大な音声データの蓄積を利用することで、4歳と6歳と10歳の彼女3人が対話可能なシステムを作り上げたという。

こうした試みはAIを活用することで、かなり高度なディスカッションまで可能となり、網膜照射型HMD(網膜に投影する眼鏡型のウェアラブルデバイス)と組み合わせることにより「AR(拡張現実)」や「VR(仮想現実)」の先にある、リアルとバーチャルをシームレスに融合した「XR(クロスリアリティ)」を実現することも可能である。こうした試みが次々と実現すれば、人類は過去-現在-未来といった不可逆的かつリニア(単線)時間軸から解放される日も遠くないであろう。


孫泰蔵=2022年3月、東京都内で

「そのうちに、矢印が一方向だけの時間に対する概念は無意味になります。技術進化は無限のパラレルワールド(ある世界/時空から分岐し、それと並行して存在する別の世界/時空)を可能にするはずですから。『2度とない"この瞬間"』が貴重といった考え方は、早晩古臭くなると確信しています」

と孫は語る。また、杉本の《劇場》を「私たちの肉眼には、白く輝く平面的なスクリーンしか見えないけれど、印画紙に写り込んでいるのは2時間分の映画そのものですよね。現在の感覚では理解しづらいかもしれないけれど、22世紀の感覚からすれば当たり前なんじゃないかな」と評している。更には「だから、同業者からヒントを得ることはほとんどなくて、専ら"100年後の当たり前"を創造する優れたアーティストたちの作品にインスパイアされています」と述べているのである。

VIVITAで提供している21世紀の文房具、工作道具であるVIVIWARE(同社提供)

IT、教育におけるコンテクストの重要性

アートコレクター、そして起業家として「直感を信じながらも、徹底的なリサーチを重要視する」孫が、現在、最も力を入れて取り組んでいるのが子供の教育事業である。

「未だに暗記中心のプログラムで構成される、義務教育を子供たちに受けさせるのは忍びない。わざわざAIにとって代わられる知識を身に着け、いざ社会に出たら役立たずではあまりにも無責任でしょう」と考えた彼は、200社以上を起業に導いたMOVIDA JAPANで蓄積した起業家育成ノウハウをフル活用するVIVITA株式会社を、2014年に立ち上げたのである。

同社のVIVISTOPは、「ノーカリキュラム&ノーティーチャー」を標榜(ひょうぼう)する同社の教育施設である。PCやタブレットはもちろんのこと、工具類や各種の材料から3Dプリンターやレーザーカッターといった最新機器までが揃(そろ)っており、小学生以上の児童・生徒であれば誰でも無料で利用可能である(会員登録が必要)。今では、世界8カ国に展開中である。


子どもたちが自由に創造性を発揮できるVIVISTOP(VIVITA提供)

「小学生でも簡単にプログラミングできるScratch(米国のMITが開発したプログラミング言語)はあっても、ハードウェア設計まで含んだものはない。だったら、作っちゃおうよと考えたわけです。あるいは、簡便に操れるCAD(コンピュータによる設計支援ツール)とレーザーカッターの機能を融合したものなど、オリジナルのツール類を数多く開発中です。それらは20世紀におけるハサミやのりといった工作道具、あるいは幼児教育の祖フリードリッヒ・フレーベル(Friedrich Wilhelm August Frobel, 1782~1852年)による教具のアップデート版といえるかもしれません。歴史があるなら、今と接続したい。文脈を読み、継承・発展させていくことが重要ですから」

と語る彼は目前の課題解決のみに力点を置いたマーケティング至上主義ともいうべきe-ラーニングではなく、「100年のスパンで生き続ける仕組みを構築したい」と考えている。そして一言、「フォークミュージックでディランがやったことを、教育で行う。それがVIVITAですから」と破顔一笑した。


IT教育の未来について語る孫泰蔵=2022年3月、東京都内で

孫泰蔵にとってアートとは?

アートと経営の関係性について、孫は以下のような持論を語っている。

「ビジョナリー・アントレプレナー(ビジョンを持った起業家)と、コンセプチュアルなアーティストは非常に近いですよね。つまり、社会を他人と違った新しい視点から見られる人たちです。古いことを知らなければ、何が新しいかはわからない。美術史を理解していなければ、新しい作品を創造することはできません。それは、先ほどのIT業界におけるコンテクスト欠如にもつながっている問題点です。これからは、アートと経営の境界はますます近づいていくんじゃないかな」

彼の唱える意見には筆者も諸手を挙げて賛成するし、多くの読者も我が意を得たりと思っていることであろう。美術史の深い理解に立脚し、時に過去を引用しながらも同時代性を帯びたものだけが、真の現代アートと呼ぶに相応(ふさわ)しい作品であろう。それ以外は、単に現在制作されただけの作品に過ぎまい。


孫泰蔵=2022年3月、東京都内で

孫泰蔵にとってアートとは何か? という最後の問いに対し、しばらく考えた後に彼は、「音楽は、ストレートでエモーショナル。アートは、人生で最も深い感動と刺激を与えてくれる存在」と答えた。そして、以下のようにも述べている。

「事業やサービス・製品の寿命は長くても数十年である一方、優れたアート作品は数百年経っても決して色あせることはありません。ボイス(Joseph Beuys, 1921~1986年)の『社会彫刻』(あらゆる人間の意識的な営みは、未来へ向かって社会を彫刻する活動という考え方)やディランの楽曲は、当時はやや過激、あるいは反体制的に捉えられていたかもしれないけれど、今なら絶対に必要な思考ですよね。私も100年後の常識を生み出せるよう、これからも挑戦し続けます」

遥(はる)か未来まで見据えた教育事業を、自らの課題として解決すべく奮闘する孫の姿勢には、敬愛する音楽やアート作品からの影響が色濃く反映されているのである。 (了)



聞き手の宮津大輔(左)と、孫泰蔵=2022年3月、東京都内で

※ 宮津大輔連載「アート×経営の時代」第3回「コンテクストを把握し、100年後の常識を見いだす力」~Mistletoe創業者 孫泰蔵(前編)はこちら

※ 宮津大輔連載の過去掲載分は以下。

宮津大輔連載「アート×経営の時代」第2回「混沌や矛盾を受容する力」~GMOインターネット株式会社 代表取締役グループ代表 熊谷正寿

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