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菅原伸也評:戦後日本美術史のブラインド・スポット──「彫刻刀が刻む戦後日本」展をめぐって

町田市立国際版画美術館で開催中の「彫刻刀が刻む戦後日本 2つの民衆版画運動」展は、「戦後版画運動」と「教育版画運動」という戦後日本で展開された2つの民衆版画運動に焦点を当てた展覧会だ(会期は7月3日まで)。同展の「工場で、田んぼで、教室で、みんな、かつては版画家だった」というキャッチフレーズの通り、民衆版画運動の中で市井の人々によって生まれた作品には、平和への願い、社会へのまなざし、工場や農家の仕事、各地の生活の様子が実感をもって刻まれている。美術批評家・菅原伸也氏は同展をもとに、この2つの版画運動における「ブラインド・スポット(死角)」に着目する。西欧美術の影響を汲んだ日本美術と対比させながら、民衆版画運動が美術史から見過ごされてきた理由をひもとき、社会の中で働きかける「版画」について考察する。

※文中の*マークは編集部註。文末にまとめて記しています。

東京都府中市立府中第八小学校6年生20名(指導:前島茂雄)《新宿西口駅前》1970年、木版、900×1800mm、府中市立府中第八小学校蔵

文:菅原伸也(美術批評・理論)

戦後日本美術における「正史」の不在が嘆かれることがしばしばあるとはいえ、たとえば1950年代の日本美術史に関して言うならば、実験工房(*1) や具体美術協会(*2) からアンフォルメル旋風(*3)、そして反芸術(*4)へという流れが現在なんとなくその「正史」を形づくっていると言えるだろう。そのとき、池田龍雄(1928-2020)や山下菊二(1919-86)などのルポルタージュ絵画(*5)は基本的に、戦後の混乱期における例外的なエピソードとして軽く触れられるのみであることが多い1。ルポルタージュ絵画以上に一般的な戦後日本美術史から排除されてきたのが、1949年に設立された日本版画運動協会を中心に活動が行われた「戦後版画運動」である2。そして、戦後版画運動から発展したかたちで展開された「教育版画運動」が取り上げられる機会は、戦後版画運動よりもさらに少ない。町田市立国際版画美術館では2019年に「彫刻刀で刻む社会と暮らし——戦後版画運動の広がり」というミニ企画展ですでに戦後版画運動をテーマにしていることからすれば、おそらく長年にわたるリサーチの末に結実したのであろう「彫刻刀が刻む戦後日本 2つの民衆版画運動」展は、戦後版画運動と教育版画運動という戦後日本美術史における二つのブラインド・スポットをライトアップし新しい戦後美術像を提示したという点において非常に大きな意義を持つと言えるだろう。


1 たとえば、最近ちくま学芸文庫から増補版として再刊された千葉成夫『増補 現代美術逸脱史』では、ルポルタージュ絵画などの戦後のリアリズム美術は冒頭で簡単に触れられてはいるものの、その重要性は否定され、本格的な記述は具体美術協会から開始されている。展覧会に関して言えば、1996年に目黒区美術館で開催された「1953年ライトアップ 新しい戦後美術像が見えてきた」展では、ルポルタージュ絵画がまったく取り上げられなかったため、峯村敏明と池田龍雄を中心に論争が起こった。千葉成夫『増補 現代美術逸脱史1945~1985』筑摩書房、2019年、高澤なごみ「ルポルタージュ絵画再考 : ライトアップ展論争の争点をめぐって」『Core Ethics : コア・エシックス』第15巻、立命館大学大学院先端総合学術研究科、2019年

2 もちろん戦後版画運動を取り上げた少数の例外はあり、そのいくつかを挙げるならば、2000年に栃木県立美術館で開催された「野に叫ぶ人々 北関東の戦後版画運動」や2018年から19年にかけて開かれた「闇に刻む光 アジアの木版画運動 1930s-2010s」(福岡アジア美術館とアーツ前橋)などがある。2012年に東京国立近代美術館で開催された「美術にぶるっ! ベストセレクション 日本近代美術の100年」の「第2部 1950s」でも日本版画運動協会などが扱われていた。戦後版画運動についての論考は多く存在するとは言えないものの、友常勉「中国木刻から版画へ——戦後日本の民衆版画運動・序説」『東京外国語大学論集』第80号、東京外国語大学編、2010年などいくつかある。


新潟県柏崎市立枇杷島小学校(指導:藤巻金一)《はんがの指導 作品・実践・計画》1956年3月1日、木版・謄写版、253×180mm、志賀町蔵


戦後リアリズム美術と50年代美術「正史」に見る“冷戦”

そもそもなぜルポルタージュ絵画や2つの民衆版画運動といった戦後リアリズム美術が50年代美術史から軽視されてきたのかといえば、展覧会カタログでも幾度か言及されているように、おそらくそこに「文化冷戦」が作用していたということが大きいであろう3。戦後リアリズム美術に関わっていた作家は、そのほとんどがいわゆる左派の人々であり、当時多大な影響力を持っていた日本共産党の党員やシンパが多くいた上に、その作品の題材も同時代的な出来事を扱った政治的・社会的なものばかりであった。それに対して、50年代美術の「正史」を形づくると言える実験工房や具体美術協会、アンフォルメルでは、政治的なテーマを取り上げた作品は非常に少なく、当時欧米の美術においてスタンダードであった抽象的な作品が多い。すなわち、ソ連を中心とした東側と米国を中心とした西側が対立した冷戦構造の文化版をリアリズム美術と50年代美術「正史」との関係に読み取ることができるのである。したがって、米国とソ連との対立が深まっていくなかで「逆コース」と呼ばれる政策(*6) をGHQと日本政府が実行し日本が西側へと徐々に取り込まれていったことと呼応して、次第にリアリズム美術がヘゲモニー(*7) を失っていき、その後に戦後美術史においてもその存在が軽視されるようになっていったと考えることができる4


3 本展担当学芸員の町村悠香はカタログの論考において「文化冷戦」に言及し、それが与えた影響に関する研究を今後の課題としている。町村悠香「『生活を、もっと生活を』 戦後版画運動・教育版画運動から再考する戦後リアリズム美術の系譜」『彫刻刀が刻む戦後日本––––2つの民衆版画運動』(展覧会カタログ)、町田市立国際版画美術館、2022年、p.185-186.

4 政治性の強い戦後版画運動が56年に活動を休止し、子どもたちに版画制作を教える教育版画運動へと版画運動の中心が移っていったのもこのことと関連しているだろう。

冷戦が終焉を迎えてすでに30年以上経つ現在、もはやこのような文化冷戦的な思考に囚われて50年代美術史を見る必要はない。実験工房や具体が今に至るまで展覧会や研究において数多く取り上げられてきたとするならば、見えない場所へと追いやられてきたリアリズム美術、そしてその一部である二つの版画運動もまた、現代において新たな光を当てることによって再検討されてしかるべきである。もちろん、実験工房や具体は米国を中心とした西側の政治的な論理に還元されてしまうわけではないと主張する人々もいるだろう。確かにそうかもしれない。だが、もしそうであるとするならば、本展で取り上げられている二つの戦後民衆版画運動も、政治的なテーマを扱っていながらも、必ずしもソ連や日本共産党のイデオロギーに還元されることなくそれを超えた次元を持っていると考えることができるのではないだろうか。
 
このような文化冷戦的な構造は、それぞれの国際的なネットワークにも反映している。日本の近代美術が一貫して主に西洋との強い結びつきにおいて発展してきたのに対して、そもそも戦後版画運動は中国の木刻画(木版画)から強い影響を受けたことを契機として始動したというのが特徴的である。まさにその「中国木刻のインパクト」を扱っているのが本展の第一章である。1947年に神戸と東京において中国木刻画の展覧会が開かれたことがきっかけで1947年10月に茨城県大子町で「全日本新木刻運動会議」と「木刻まつり」が開催され、それが1949年における日本版画運動協会の結成へとつながっていく。さらに、本展第四章「ローカルへ グローバルへ 版画がつなぐネットワーク」では、中国との継続的な交流と、1961年にソ連各地で開催された現代日本版画展に加えて、米国で日系二世の左派グループ「2世プログレッシブ」が主催した「第1回日本人民版画展覧会」が取り上げられている。すなわち、戦後版画運動は従来の日本近代美術とは違って、東側諸国や左派グループと強い結びつきを持っていたのであり5、このような国際的ネットワークの存在は、版画運動自体の存在と同様に、冷戦構造が固定化していくなかで、欧米との関係に偏った美術史において見えにくくなっていったのである。


5 こうした東側諸国や左派グループとの国際的ネットワークの存在は、丸木位里・俊の《原爆の図》に関しても指摘することができるだろう。したがって、50年代においてこうしたネットワークは必ずしも稀であったわけではない。欧米偏重ではない国際的ネットワークの可能性を現在において模索する際、このようなネットワークは一つの参考となるのではないだろうか。《原爆の図》については以下の文献を参照。小沢節子『「原爆の図」 描かれた〈記憶〉、語られた〈絵画〉』岩波書店、2002年


京浜絵の会『版画集』第二集表紙、1955年8月、木版・謄写版、260×180mm、個人蔵


美術と社会のあいだにある二つの方向性

戦後リアリズム美術には社会において生じている出来事を題材とした作品が多い。そこでまず、美術と社会との関係性のあり方を簡単に整理・分類してみることとしよう。美術と日常との関係について美術史家のクレア・ビショップによる議論6を参考にしながら、美術と社会とのあいだに存在する二つの方向性を区別してみたい。すなわち、ひとつは社会を美術作品へともたらすという方向であり、もうひとつはその逆、つまり美術を社会へともたらすという方向である。たとえば、前者には、現実社会に存在している日用品を美術の領域に持ち込んでいるという意味においてデュシャンによるレディメイドや、社会における出来事を題材とし美術作品化しているという意味において社会的・政治的な絵画などが当てはまり、後者には、美術という領域自体を問いに付し美術的なものを現実社会において実現しようとしたシチュアシオニスト(*8) が該当するであろう。単に社会的な美術という大雑把なカテゴリーを適用してその両者を混同してしまうならば、真逆の方向性を同じようなものとして扱ってしまうこととなりかねないため、この区別は重要である。ここまで戦後リアリズム美術というかたちでさまざまな動きを一緒くたにして取り上げてきたが、この分類にしたがってそれらを差異化することによって、戦後版画運動と教育版画運動という二つの版画運動の特徴を明確にすることができるのではないだろうか。


6 Claire Bishop, Artificial Hells : Participatory Art and the Politics of Spectatorship,  London :Verso, 2012, p.101. ビショップを参照しているが、ここでの議論のために必要な変更を多少加えている。

まず、それらと同時代の動向であり政治的にも近接しているルポルタージュ絵画は、実際に事件の現場に赴いて取材し、その「ルポルタージュ」を絵画というかたちで美術の展示空間へともたらしているという意味において、先ほどの分類でいう前者、つまり社会から美術へという方向性を体現していると考えることができるだろう。それでは、本展のテーマである二つの戦後民衆版画運動はどうだろうか。ルポルタージュ絵画は基本的に、一点もののタブローとして美術の展示空間という限定された場所で見られることが想定されているのに対して、版画は、容易に複製可能であるという点に特徴があり、したがって、展示空間を超えて社会のさまざまな場所へと拡散されることが可能である。それは、まさに社会のなかにおいて機能することが意図されたイメージなのである。さらに、これらの版画運動では、ただ社会的事件を描写する版画を制作するだけでなく、美術と普段あまり関わりを持たないであろう一般の人々に対して木版画の制作指導を行っていることも特徴的である。日本版画運動協会が結成されるきっかけともなった、先述の「木刻まつり」でもすでに実技指導が行われており、以後の活動のなかで継続されていたことからも、これらの版画運動において多くの人々へと木版画制作を広めることがすでに重視されていたことがわかる。

日本版画運動協会に参加していた版画家・滝平二郎は次のように述べている。「作家が大量生産したものをばらまくと人民は受け取る側になるだけだけれども、そういう形ではなく、やはり作ることも進めひろめなければならないということをスローガンにしていた」7 。これらの活動は、ある出来事に関する批判的認識や自己の思想を広めるために、ある一部の人々が制作したイメージをトップダウン的に大量に拡散するのではなく、市井の人々が自ら考え創造力を発揮して木版画を制作することを大きな目標としていたのである。そもそも木版画という形態が選択されたのも、特別な技術や材料を必要とせず、多少の指導と訓練を経ることで誰にでも比較的簡単につくることができるからであった。このようにして二つの民衆版画運動は、美術と社会との関係についての先述の分類で言えば、ルポルタージュ絵画とは反対に、美術を社会へともたらすという方向性を示しているのである。


7 『彫刻刀が刻む戦後日本––––2つの民衆版画運動』(展覧会カタログ)、町田市立国際版画美術館、2022年、p.193.(「形象」No.6〈1962年6月25日〉再録記事)

滝平二郎が初めて手がけた絵本『裸の王様』より。多くの被害を出した戦争指導者を風刺する意図で作られた。1951年、木版・謄写版、352×253mm、町田市立国際版画美術館蔵 ⓒJIRO TAKIDAIRA OFFICE Inc. 


民衆版画運動は、ハイパーリアリズムである

したがって、それらの二つの版画運動において制作された作品は、通常それが分類されるであろう「リアリズム」というカテゴリーというよりも、むしろ「ハイパーリアリズム」であると考えたほうがよいのではないだろうか。ハイパーリアリズムと言っても、もちろんチャック・クロースやリチャード・エステスのようにフォトリアル(*9)な作品のことではなく、ここではキューバのアーティストであるタニア・ブルゲラがその語に与えた意味において用いている。ブルゲラによれば、ハイパーリアリズムとは「現実を表象するのではなく、現実のなかに挿入されようとする」8あり方を表している。すなわち、絵画といった形式によって社会的な事件を表象するのではなく、社会的な現実のなかに直接入って活動することが、ブルゲラの言うハイパーリアリズムなのである。版画運動における木版画は、複製された上で、展示空間を超えて現実のなかに入っていき、日常空間において美術にあまり縁のない人々によって見られることとなる。さらに、社会のなかで生きるそうした人々は、たんに木版画を見て終わりではなく、(理想的には)制作方法を教わって自分たち自身で木版画をつくるようになる。このように、リアリズムよりもハイパーリアリズムという観点から二つの版画運動を考察することで、トップダウンな政治的プロパガンダに還元されない独自の特徴を見いだすことができるのではないだろうか。


8  RoseLee Goldberg, “Interview I: Regarding Ana.” In Tania Bruguera, La Bienale di Venezia, Prince Claus Fund, Chicago: Lowitz and Son, 2004, p.10.

このように考えていくと、二つの民衆版画運動は二つの前衛、つまり芸術的前衛と政治的前衛に対抗する動向であったと考えることもできるだろう。版画運動では、芸術的に優れた能力と技術を持った一部の特別な人が作品をつくり、その他大多数の人々がそれを鑑賞して一方的に影響を受けるのではなく、専門家以外の一般の人々も版画を制作し自らの創造性を発揮するようになることを目指すという点において決して芸術的前衛の運動ではない。そして、当時、政治的前衛と言えば、前衛党、つまり日本共産党のことであるが、版画運動は必ずしも、共産党のプロパガンダを民衆に伝達することを目的としていたわけではない。実際、日本版画運動協会に参加していた三井寿雄は、日本共産党と協会との関係について「版運(日本版画運動協会のこと:菅原註)は共産党の指導のもとには絶対に動いていなかった。これはあくまでも絵かきの自主的な集まりであったわけだ」9、一般の人々がそれぞれの位置から自分自身の表現活動を行えるようになることを志向していたし、教育版画運動では、まさに子どもたちの版画制作を促進するということこそが活動のメインであった。


9 『彫刻刀が刻む戦後日本––––2つの民衆版画運動』、p.196.(「形象」No.7〈1963年2月1日〉再録記事)

本展で取り上げられている戦後版画運動と教育版画運動という二つの戦後民衆版画運動は、ここまで述べてきたように、主に美術館の外部において展開されてきた活動である。これらの運動を展覧会というかたちで提示することは、再び美術館という場、美術という領域のなかへそれらを囲い込んでしまうことになると考える人ももしかしたらいるかもしれない。だが、このように美術史だけでなく社会においても忘れられてきた活動に改めて焦点を当て人々へ提示することこそ、美術館がいま持ちうる最も重大な意義のひとつではないだろうか。そうした意味で、町田市立国際版画美術館による「彫刻刀が刻む戦後日本」展は、新自由主義による攻撃に晒されているなか、美術館が存在することの意義を明白に示していると言えるだろう。


(編集部註)
*1 詩人の瀧口修造の下にさまざまな分野の若手芸術家14人が集まって結成した総合芸術グループ。1951年から57年にかけて活動。
*2 前衛画家、吉原治良を中心に54年に兵庫県芦屋市で結成された団体。おもなメンバーは白髪一雄、嶋本昭三 、田中敦子ほか。72年解散。現在はもの派と並んで日本の現代美術の代表として語られる。
*3 40年代半ばから50年代にかけてフランスをはじめとしたヨーロッパ各地に出現した、激しい抽象絵画を中心としたムーブメント。日本では56年に開催された展覧会をきっかけに一大ブームが巻き起こる。
*4 既存の芸術を批判し、新しい表現や様式を生み出そうとする思考や運動の総称。1960年代初頭に若手アーティストが個性を競った「読売アンデパンダン展」をめぐるエネルギッシュな動きを指す場合が多い。工藤哲巳やハイレッド・センターの活動が有名。
*5 50年代前半に登場した、庶民に関する社会的事件を「事実」として描き、それを「報告・記録」することを目的とした絵画のこと。
*6 第2次世界大戦後に起こった「日本の民主化・非軍事化」に逆行する政策路線のことを指す。具体的には50年代の警察予備隊の創設など。
*7 特定の集団や人物が、権力を長期間持つこと。
*8 50年代末から70年代初頭にかけて、ヨーロッパを舞台に社会、文化、政治、芸術等の実践を呼びかけた理論・運動をシチュアショニスムと呼ぶ。資本主義社会における大量消費型の表現を批判し、社会の諸領域おける実践を通じて、権力に対抗する「状況(situation)」を構築することが目的であった。
*9 写真のように写実的なこと。
展覧会情報

展覧会名:「彫刻刀が刻む戦後日本 2つの民衆版画運動
会場:町田市立国際版画美術館 (〒194-0013 東京都町田市原町田4-28-1)
会期:2022年4月23日(土)~7月3日(日)
開廊時間:10:00~17:00、土日祝~17:30(入場は30分前まで) 休廊日:月曜
電話 : 042-726-2771

なお、同展についての山本浩貴氏(アーティスト、文化研究者)の批評はこちら

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