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  • 2022.12.15

アート好き必見! ティモシー・シャラメの新作『Bones and All』はアヴァンギャルド・アートの宝庫!

2023年2月17日に日本公開予定の『ボーンズ・アンド・オール』は、『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノ監督と俳優ティモシー・シャラメが再びタッグを組んだ話題作。実は本作は、ウィリアム・エグルストンからヨーゼフ・ボイスまで、アヴァンギャルド・アートからの引用がそこそこに見られるアート好き必見の映画なのだ。

「Bones and All」(2022)の1シーン。Photo: United Artists

いかにもアメリカ的な風景を鮮やかな色彩で捉えたフォトグラファーウィリアム・エグルストンの作品を見て、運命に翻弄される、血に飢えた若いカップルの姿が思い浮かぶ人は多くないだろう。しかし、映画監督のルカ・グァダニーノがイメージしたのは、まさにそれだった。エグルストンは、グァダニーノが激しい恋に落ちた若い男女二人によるアメリカ各地をめぐる放浪の旅を描いた最新作『ボーンズ・アンド・オール(原題:Bones and All)』のインスピレーション源として挙げるアーティストのひとりだ。

マレン(テイラー・ラッセル)は父親に捨てられ、はるか以前に自らのもとを去った母親を探す旅に出かける。対するリー(ティモシー・シャラメ)は家族のもとを離れ、自分探しの旅を始めた青年。偶然に導かれて出会った2人は、固い絆で結ばれていく。

だが、マレンとリーは人に言えない秘密を共有している。実は二人は、人肉食という嗜癖を抱えており、「イーター」(2人が属する地下コミュニティでの、この嗜癖を持つ者の呼び名)となっていたのだ。二人は旅の途中で出会った無防備な赤の他人に容赦なく牙を向ける。そこには熱い欲望とともに、自身が抱える欲求を満さなくては、というやむにやまれぬ思いがある。人肉を食べざるを得ない自分たちの状況に、強い自責の念を抱いている──ここは意外なポイントだ。

エグルストンが切り取った崩壊に向かうアメリカ

監督のグァダニーノは、『i-D』誌のインタビューで『Bones and All』の製作にとりかかった時、「真っ先に、手元にあったウィリアム・エグルストンの作品集を見直した」と語っている。「崩壊に向かうアメリカ中部が内と外に見せる顔を捉えている」というのが、その理由だ。

エグルストンの写真には、どこか奇妙な味を持つ景色が頻繁に登場する。そこに映されているのは、何もない荒野に立つうらびれたアイスクリームショップ、ずたずたになったGEの広告の前に停められた、広告と同じ色のボンネットを持つ車、さびついたディーゼル燃料用のポンプがあるガソリンスタンドなど(完全未公開作を含む類似のイメージは、12月17日までニューヨークのデヴィッド・ツヴィルナーのギャラリーで開催の展覧会でも展示されている)。人が映っているものもあるが、これらの写真は住民がはるか前に去ったゴーストタウンを想起させる。

それでも、エグルストンは自身のカメラの前にあるものに対して、判断を下すことは決してない。ダイナーのボックス席のレザーシートで見かけたパステルカラーであれ、友人の家の天井の派手派手しい赤色の天井であれ、光景そのものに喜びを見出し、あらゆるものに好奇心を向ける。彼は60年代から、このような光景を鮮やかな色合いでカラー写真のフィルムに収めてきた。だが当時は、こうした作風は真面目さが足りない、アーティストとしての品格に欠けると批判された。それでもエグルストンは、ウィリアム・クリステンベリーやスティーブン・ショアといった同年代のフォトグラファーと共に、既成概念を変えていったのだった。

撮影監督のアルセニ・ハチャトゥランが35ミリフィルムに焼き付けた『Bones and All』の映像は、このエグルストン特有のビジュアルセンスにオマージュを捧げている。作中では、がらんとした駐車場や古びたダイナーが、エグルストンの写真と同様の鮮やかな色彩で描かれる。監督のグァダニーノは、マレンとリーが日々直面する疎外感を、こうしたスタイルを用いて的確に描き出している。

常識を破壊するヘルマン・ニッチュからの影響

だが、単なるエグルストンの引用よりはるかに深いレベルで、この映画はアートと結びついている。グァダニーノの監督作には、これまでもこうした例があった。イタリアン・ホラーのクラシックである映画『サスペリア』を2018年リメイクした際にも、アヴァンギャルド・アートへのオマージュをふんだんに盛り込んでいた(その一部に関しては、既存の作品からの盗用だとしてアーティスト側から訴えられたが、その後ほどなく和解している)。

さらに『Bones and All』全編の描写には、あるアーティストの存在が見え隠れする。それはリメイク版『サスペリア』の製作中もグァダニーノの精神的な導き手になった、ヘルマン・ニッチュだ。ウィーン・アクショニストの1人で、2022年4月に亡くなったばかりのニッチュは、儀式のような手順を経て動物を屠り、血を撒き散らすパフォーマンスで知られる。これはブルジョワ層が多い観客に強烈な衝撃を与えることを狙ったショック戦術で、アニマル・ライツの活動家をたびたび激怒させてきた。

そう聞いて怖気付いた人もいるだろうが、『Bones and All』では殺される動物は1匹もいない──血祭りにあげられるのは人間だけだ。それでも、ぱっくりと開いた傷口に指が突っ込まれたり、皮膚が食いちぎられたりするシーンは、明らかにニッチュのアートパフォーマンスを下敷きにしているようだ。グァダニーノは英『ガーディアン』紙にこう明かしている。

「彼(=ニッチュ)の作品は、容赦なく残忍ではあるものの、これはアーティストのあるべき立ち位置を示す、非常に美しい実例と言えます。ここまで過激なことをしなければならないという、抑えられない思いを抱えているのです──それも既存の常識を完全に破壊するようなやり方で」

ニッチュへのオマージュがより直接的に表出しているのは、気味の悪い年長のイーター、サリー(マーク・ライアンス)の人物設定だ。サリーは当初はマレンの師としてふるまうが、次第に陰惨な裏の顔があることがわかってくる。フィッシングベストに羽根つきのフェードラ帽というそのいでたちも、ぱっと見はオフタイムに見えても、彼が「狩り」の最中であることをありありと示すものだ。

ヨーゼフ・ボイスとの共通点

実はこの服装は、アーティストのヨーゼフ・ボイスが好んだスタイルでもある。ボイスは彫刻やパフォーマンスを通じて、教育の名のもとに、アートと政治、日常生活を融合させる試みを行っていた。サリーのマレンに対する接し方にも、ボイスの活動と通じるものがある。サリーはマレンがイーターであることを、はるか遠くから匂いを嗅ぐだけで察知する。そしてマレンをとある家屋に連れて行き、まずはちょうどオーブンに入れるところだったコーニッシュ種の鶏肉を見せ、調理方法を教える。次に彼が手ほどきするのは、脳卒中の発作を起こしたとみられるこの家の持ち主の女性の体から内臓を取り出す方法だ。マレンはディナー(ただしメニューは鶏のローストではなく、人間の臓物だ)を食べるが、次の日、恐怖を覚えて家から逃亡する。

ここまでに挙げた以外の直接的なアートとの接点としては、画家のエリザベス・ペイトンが製作した映画のポスターがある。この絵はマレンとリーがキスをしている姿を描いているが、二人の顔は血を思わせる、赤黒くべとべとした絵の具で表現されている。クライマックスを明かすわけにはいかないので、ここで描かれているものの意味を詳細に説明することはできないが、映画の結末をビジュアルで表現したもの、とだけは言っておこう。

from ARTnews

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