イギリス政府はパルテノン神殿の大理石彫刻返還に前向き!? 公開された機密文書に見る大英博物館との対立
長年、文化財返還論争の中心となっているパルテノン神殿の大理石彫刻。大英博物館からギリシャに返還するための話し合いは続いているが、その複雑な背景に隠されていた新たな事実が明らかになった。
1983年、ギリシャ対イギリスの議論で劣勢に立たされた大英博物館
1983年、大英博物館はパルテノン神殿の彫刻返還を拒否した。これについて外務省が否定的な考えを持っていたことを示す過去の機密文書を、イギリス政府が最近になって公表したとアートニュースペーパー紙が伝えている。
大理石彫刻をギリシャに返還するべきかという問題は、同年にギリシャのメリナ・メルクーリ文化大臣がロンドンを訪れたことで注目されるようになった。機密扱いを解除された文書には、メルクーリの「華やかな性格と感情を揺さぶるような物言いが関心を集め、メディアで盛んに報道された」と記されている。
文書のそこここに見られるのは、返還論争でイギリス側の主張が劣勢になっていることへの政府の焦燥感だ。特に、ロンドンのインスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アーツで行われたテレビ討論会では、メルクーリが「大きな脚光を浴び、そのせいで議論の相手として登壇した大英博物館のデヴィッド・ウィルソン館長(当時)の存在がすっかりかすんでしまった」という。
メルクーリは、大理石彫刻は「ギリシャの民族精神を象徴する歴史的建造物になくてはならない一部」だと主張。対するウィルソンは、彫刻は世界有数の博物館の一部であり「そこから切り離すべきではない」と反論した。外務省の担当者はイギリス側の敗北を認め、議論は「メルクーリの圧勝」だったとしている。
当時ギリシャに駐在していたイギリス大使、ペレグリン・ローズは、「ウィルソンの主張は(ギリシャの世論に対して)逆効果になりそうだ」とコメント。彼はメルクーリの訪英前に、「この問題をごまかしたら将来に禍根を残す」とし、イギリスはギリシャ側の考えを受け入れるべきだと主張していた。一方、この議論が欧州内の外交関係に緊張をもたらす中、当時大英博物館の理事会長だったバーク・トレンドは、イギリス政府が大英博物館の理事会にギリシャの要求を「受け入れるよう」進言するなら、「非常に難しい状況」になるだろうと外務省に通告した。
返還を可能にするための法改正案に反対した保守党政権
40年以上前にさかのぼるこの文書の中で、外務省の文化交流部長だったジョン・マクレーはこう指摘している。「我われは今後しばらくこの問題につきまとわれるだろう。問題があることを認識したうえで、可能な限り封じ込めなければならない」
また、大英博物館の古典美術部門キュレーターだったブライアン・クックについても、ウィルソン館長と同様、メルクーリに敵わなかったと記されている。メルクーリの訪英中に行われた別の会合で、クックは「(パルテノン神殿の彫刻を剥奪した)エルギン卿に破壊行為の罪はなかったこと、そしてパルテノン神殿はギリシャの自由と民族性ではなくアテネ帝国主義を象徴するものだったことを証明しようと衒学的な弁明を行ったが、がっかりするような出来だった」と評された。
この点についてマクレーは、「BM(大英博物館)が大理石彫刻の所有権について、もっと効果的な弁明をしないのは残念だ」とし、「BMは、議会が与えるものは議会が奪うことを忘れてはならない」という所感を書き残している。
1963年に制定された大英博物館法により、大英博物館の理事会は収蔵品を手放すことを許されていない。この法律が、今日までギリシャの返還請求を拒否する根拠として用いられてきた。
イギリス労働党のヒュー・ジェンキンス元芸術大臣は、メルクーリの訪問に先立つ1983年5月に法律を改正して返還を認めることを提案したが、当時の保守政権の反対で法改正には至らなかった。ポール・シャノン芸術大臣(当時)はこの動きについて、大理石彫刻を返還すれば「大英博物館のコレクションが解体され、散逸しかねない」と外務省の文書に記している。その5カ月後、ギリシャ政府はパルテノン神殿の返還を求める請求を正式に行った。
今のところ、大英博物館がパルテノン神殿の大理石彫刻を返還する計画はないが、ギリシャのほかの美術品の貸し出しと引き換えに、長期間の貸し出しに応じる方針を理事会が示したと報道されている。(翻訳:清水玲奈)
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