ARTnewsJAPAN

ウォーホル作品に米最高裁が著作権侵害の判断。「裁判官は美術評論家ではない」

フェアユースをめぐる注目の裁判で、アンディ・ウォーホルの作品はリン・ゴールドスミスが撮影した写真の著作権を侵害しているとの判断を米連邦最高裁判所が下した。これまでの経緯と裁判の背景をまとめた。

ホイットニー美術館(ニューヨーク)で開催された回顧展でのアンディ・ウォーホル(1971年4月28日撮影)。Photo: Jack Mitchell/Getty Images

いったんはウォーホル財団に有利な判決が出されるも、控訴審で覆える

写真家のリン・ゴールドスミスが、自分の写真を作品に流用したアンディ・ウォーホルに疑問を呈したことに対し、アンディ・ウォーホル美術財団(以下、ウォーホル財団)がゴールドスミスを提訴。その司法判断は、著作権の適用除外となるフェアユースの原則に関わる先例となる可能性があるため、多方面から注視されていた。

判決は5月18日に言い渡され、7対2でゴールドスミスに有利な判断が下された。ソニア・ソトマイヨール判事は、「この写真家のオリジナル作品には、他の写真家の作品と同様、有名アーティストに対しても著作権保護の権利がある」という点が多数派の意見だったとしている。

これに対し、ジョン・G・ロバーツ・ジュニア裁判長とともに反対の立場を取るエレナ・ケーガン判事は、「この決定は、新しい芸術や音楽、文学が生まれるのを阻害するだろう。新しいアイデアの表現や新しい知識の獲得を妨げ、それによって我われの世界は貧しいものになる」との見解を示した。

この裁判は、ウォーホルによる写真使用を疑問視したゴールドスミスに対し、ウォーホル財団が先手を打って2017年に訴訟を起こしたことから始まった。問題の写真は、ゴールドスミスが1981年にポップスターのプリンスを撮影したポートレートだ。これは米ニューズウィーク誌の依頼で撮影されたもので、結局その写真は掲載されなかったが、ゴールドスミスは将来の使用のために同写真のライセンスを保持していた。

その後、米ヴァニティ・フェア誌の依頼を受けたウォーホルが、ゴールドスミスの写真を参照して表紙用の作品を制作。同誌は、ウォーホルがゴールドスミスの写真を参照するにあたり、この目的に限定して使用するという条件でゴールドスミスにライセンス料を支払っている。しかしウォーホルは同じ写真を使い、合意にはない別の作品も制作した。ゴールドスミスはそのことを知らされていなかったとされる。このシルクスクリーン作品はウォーホルの著作物として、のちに数億ドルで販売され、1987年にウォーホルが亡くなった後も複製されている。これに対し、ゴールドスミスは著作権侵害に当たると主張していた。

訴訟は下級審を経てニューヨーク南部地区連邦地裁に至り、2019年にウォーホル財団を支持する判決が下された。2022年に控訴審で審理が行われたが、通常ほとんどのケースで最後判断とみなされる控訴審の判断は、地裁の判決を覆すものだった。ウォーホル財団はこれを不服として連邦最高裁判所に上告していた。

フェアユースは「表現の自由を促進する」ものとされているが…

最高裁の判断は、ウォーホル財団が主張してきたように、ウォーホルによるゴールドスミスの画像の使用を「フェアユース(公正使用)」とするかどうかにかかっていると見られていた。

フェアユースとは、学術、報道、解説などについては知的財産を限定的に流用することを認める規定で、米著作権局はその目的を「表現の自由を促進する」ことにあるとしている。

ここ10年ほど、ジェフ・クーンズやリチャード・プリンスなど、借用した画像を用いて作品を制作するアーティストは、それが引用の範囲を超えたと批判された場合、防衛手段としてフェアユースの原則を主張するようになっている

トーマス・デラートの作品を見るアンディ・ウォーホル。1980年撮影。Photo: Bruno Ehrs/Wikimedea commons

この問題については、5月11日にニューヨーク地区連邦地裁の判事が、リチャード・プリンスの「New Portraits」シリーズはフェアユースに当たらないとの判断を示したばかりだ。同シリーズは、他人のインスタグラム画像のスクリーンショットを拡大してカンバスに再現し、プリンスの短いコメントと組み合わせたものだが、判事は「アプロプリエーション(*1)と著作権侵害の境界がどこにあるかを試そうとしたものだ」との見解を示した。


*1 「流用」「盗用」の意。過去の著名な作品、広く流通している写真や広告の画像などを作品の中に文脈を変えて取り込むこと。

リチャード・プリンスは過去にも、写真家のパトリック・カリウとドナルド・グラハムから作品を無断で使用されたとして訴えられたことがある。ウォーホル財団と同様、プリンスはどちらの訴訟でも、自らの制作活動はフェアユースによるものだと主張。カリウの訴訟は、下級裁判所の判決が繰り返し上級裁判所から差し戻される状態が数年間続いた。このときの審理は、プリンスの作品が元の素材を十分に変容した(トランスフォーマティブな)ものであると「合理的な観察者」によって認められるかどうか、特に「新しい表現、意味、メッセージ」が込められていると判断できるかどうかで争われている。

アプロプリエーションについては、アート界でも賛否両論がある。アーティストのバーバラ・クルーガーとキュレーターのロバート・ストーは、ウォーホル財団を支持する立場から、共同でアミカス・キュリエ(法的助言者制度)の趣意書を提出。クルーガー自身の作品を例として挙げながら、美術の歴史において作家は常に他の作家の作品を参照し、手本にしてきたと主張している。

クルーガーとストーは、フェアユースの適用基準が厳しくなるのは創作活動にとってマイナスだと考えている。実際、アーティストやコンテンツ制作者が、高額な費用のかかる訴訟を恐れて著作物の使用や参照を控えるようになり、文化交流や言論が制限されてしまう可能性もある。

裁判官がフェアユースにあたるかどうか判断するのは妥当か?

評論家からは、作品が「変容的(トランスフォーマティブ)」であるかどうか、それを判断する裁判官によって先例が作られることへの懸念の声が上がっている。

ジェラルド・E・リンチ判事は、「問題となっている作品の背後にある意図や意味を連邦裁判官が判断することによって、美術評論家の役割を担うような事態は避けるべきだ。裁判官は一般的に美的判断をするのに適しておらず、また、そのような判断は本質的に主観的なものであるからだ」とする意見を書いている。

裁判所の判決について、ウォーホル財団は次のような声明を発表した。

「作品《Orange Prince》の2016年のライセンスが、フェアユースの原則によって保護されないという裁判所の判断には同意しかねます。一方、裁判所の判断はその単一のライセンスに限定され、アンディ・ウォーホルが1984年にプリンスのシリーズを制作したことについての合法性を問うものではないと明らかにしたのは喜ばしいことです。著作権法および合衆国憲法修正第1条のもとでアーティストが変容的な作品を創作する権利を守るため、財団は今後も声を上げ続けていきます」(翻訳:清水玲奈)

from ARTnews

あわせて読みたい