ARTnewsJAPAN

プーチン大統領の命令で聖像画の世界的名作が美術館から正教会へ。専門家は損傷の恐れがあると警鐘

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が、同国で最も貴重なイコン(聖画像)の1つ、アンドレイ・ルブリョフが15世紀に描いた《至三聖者》をロシア正教会に返還するようトレチャコフ美術館(モスクワ)に命じた。専門家からは、文化財の損傷につながる可能性があるとして懸念の声が出ている。

アンドレイ・ルブリョフのイコン《至三聖者》(1410年頃) Photo: Public domain via Wikimedia Commons

この返還命令については、「《至三聖者》のイコンは状態が非常に悪く、たとえ短い距離であっても動かすと損傷する恐れがある。プロの修復家たちはこぞって警鐘を鳴らしている」と、ロシアの美術史家アレクセイ・リドフがメディアに語ったことをアートニュースペーパー紙が伝えた。その1週間前には、サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館が、聖アレクサンドル・ネフスキーの銀の棺を正教会に返還することに同意している。

この動きは、プーチン大統領がウクライナ侵攻を長引かせるため、影響力の大きいロシア正教会からの支持を維持しようとする見え透いた策略だと批判されている。英エコノミスト誌は「クレムリンは戦争プロパガンダのために、人々に長く愛されてきたアイコンを徴兵するらしい」と評している。

アメリカの国土安全保障省によると、ロシアの対ウクライナ戦争でロシア側は少なくとも10万人の犠牲者を出したとされる。これまでロシア正教会はこの戦争を支持し、ロシア兵への神の加護を祈るとともに、任務中に死亡した者は天国での栄光を約束されているとしてきた。

返還命令が出されたルブリョフのイコンは、モスクワ近郊セルギエフポサドのトロイツェセルギエフ大修道院で制作されたもので、創世記に登場する預言者アブラハムを訪ねた3人の天使が描かれている。三位一体の視覚的表現としては世界でも指折りの名作とされているこのイコンは、ラドネジの聖セルギイを称えるために制作が依頼され、イワン雷帝の命により1904年までリザという金属の覆いでほぼ全体が覆われていたという。ロシア革命後にはソ連政府が接収し、国立美術館に移されていた。

モスクワにあるプーシキン美術館のエリザベータ・リハチェワ館長は、タス通信に対し、「イコンは3枚の木板でできているが、全体に緩みがあるため(移動によって)バラバラになってしまうかもしれない」と語った。

アートニュースペーパー紙によると、ドミトリー・ペスコフ報道官は、イコンの返還は「間違いなく国家元首の意に沿ったもの」で、「文化省の権限」によって行われると述べている。これに対し、元ロシア連邦博物館所蔵品目録の責任者でトレチャコフ美術館副館長のアンドレイ・ヴォロビョフは、プーチンは「ロシアの博物館コレクションに含まれる国家財産を処分する権限はない。一度たりともそんな権限を持ったことはない」とスペインのエル・パイス紙に語っている。

今年2月、ロシア文化省はトレチャコフ美術館に対して、国の「精神的・道徳的価値」に沿った展示に変更するよう要求し、前館長を交代させていた。(翻訳:石井佳子)

from ARTnews

あわせて読みたい