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マックス・エルンストの“4番目の妻”ドロテア・タニング、謎めいたアートの軌跡

ニューヨークのKasmin Gallery(カスミン・ギャラリー)で、ドロテア・タニングの個展が4月16日まで開催されている。そのタイトル、「Dorothea Tanning: Doesn't the Paint Say It All?(ドロテア・タニング:絵の具が全てを語る」は、タニングの回顧録『Birthday(誕生日)』(1986)の一節に由来している。

ドロテア・タニング《On Avalon(アバロンで)》(1987) カンバスに油彩 Courtesy of Kasmin, New York. All images © 2022 The Destina Foundation / Artists Rights Society (ARS), New York. Photography by Diego Flores
ドロテア・タニング《On Avalon(アバロンで)》(1987) カンバスに油彩 Courtesy of Kasmin, New York. All images © 2022 The Destina Foundation / Artists Rights Society (ARS), New York. Photography by Diego Flores

タニングは、絵を描き終えた時に振り返った制作の過程を、心から喜びを感じ、かつ謙虚な気持ちになる体験だと語っている。「窮地に陥ったカンバスが床に落ちている。色彩は混ざり合い、チューブは乱れ、キャップはなくなり、ラベルは間違った色で塗りつぶされている。ああ、赤橙色はどこだ。この瞬間、世界で唯一の色であり、ディオニュソスが唯一の神なのだから」。

これは、現在カスミン・ギャラリーで展示されている絵について説明したものだったのかもしれない。今回の個展では、タニングがシュルレアリスムにありがちな視覚的要素から脱却した後の、今まであまり知られていない作品を展示している。1940年代後半から1980年代にかけて描かれた絵画は、半ば抽象、半ば具象であり、レム睡眠の深層をのぞき見ているような感覚になる。二つの体が泡立ち、揺れ動き、互いの内部に向かって伸びていく。これまで広く知られているタニングの作品は、少なくともある程度は現実とのつながりを感じさせる。しかし、今回の出展作品には明確な状況設定がなく、そこにあるのは色彩と欲望のプリズムだけだ。覚めようとしても覚めることのできない夢のようで、夢のディテールは朝の光の中で数回瞬きするとたちまちどこかに消えてしまう。

「私の一番の願いは、あなたにとっても私にとっても出口のないワナを作ることだ」とタニングは書いている。

ここ数年、世界各地でタニングの回顧展が開催されているが、今回の個展は米国内ではここ数十年で最も包括的なものだ。大型美術館の回顧展の規模には及ばないものの(展示作品は19点)、タニングの活動の本質を網羅し、初期の謎めいた絵画から断片化された光と形を激しく表現した時期、そして具象に戻り彫刻的要素も取り入れた最晩年の作品までの軌跡をたどる展示になっている。いくつかの重要な作品は、制作以来、初めてニューヨークで展示されるものだ(タニングは2012年にニューヨークで亡くなった)。カスミン・ギャラリーは、タニングの遺産を管理するデスティナ財団の協力を得て、今回の展示を実現している。

これまでほとんど見る機会のなかった作品の一つに、ギャラリーの入り口近くに展示されたミクストメディアの絵画作品《Door 84(ドア84)》(1984)がある。中央で実物のドアが画面を二分していて、左右に描かれた2人の女性がその分断に抗おうとしている。タニングのアートにおける抽象と具象の間の緊張関係を表した代表的な作品であり、今回の展覧会の導入にふさわしいものだ。

キュレーションにはタニングの姪であるミミ・ジョンソンも参加している。展覧会のねらいは、タニングの晩年に焦点を当て、夫である画家のマックス・エルンストなどパリで活動していたシュルレアリストグループとの関係を超えて、タニングのアートを理解することだ。タニングは、マックス・エルンストの妻という枠にはめられることを嫌った。タニング自身はこう言った。「エルンストと過ごしたのは30年だが、それから私は36年生きている」。タニングは詩人であり、彫刻家であり、版画家であり、自分自身の物語の偉大な語り手だった。

ドロテア・タニング《Door 84(ドア84)》(1984)油彩、カンバス、ファウンド・オブジェクト(ドア) Courtesy of Kasmin, New York. All images © 2022 The Destina Foundation / Artists Rights Society (ARS), New York. Photography by Diego Flores.
ドロテア・タニング《Door 84(ドア84)》(1984)油彩、カンバス、ファウンド・オブジェクト(ドア) Courtesy of Kasmin, New York. All images © 2022 The Destina Foundation / Artists Rights Society (ARS), New York. Photography by Diego Flores.

タニングは1910年生まれ。1936年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開催された画期的な展覧会「Fantastic Art, Dada, and Surrealism(幻想的なアート、ダダ、シュルレアリスム)」に衝撃を受け、アート制作を開始した。この展覧会の参加アーティストたちを追ってパリに行くが、彼らが戦禍を逃れてすでに米国に渡っていたことを知り、すぐに船でニューヨークに戻る。シカゴの美術学校に短期間だけ通った間も反抗的態度を貫き、ほぼ独学でアーティストとして成長した。

フリーランスのイラストレーターとして生計を立てながら、グリニッジビレッジのアパートで絵を描き、1942年に全身を描いた自画像《Birthday(誕生日)》で一躍有名になった(この作品は現在フィラデルフィア美術館に所蔵されていて、今回カスミンでは展示されていない)。美しくてカリスマ性があったタニングは、神秘的な怪物を従える不気味でエロティックな女性として自分を描いている。この作品は、スタジオ訪問のために立ち寄ったエルンストに選ばれ、ペギー・グッゲンハイムのArt of This Century gallery(アート・オブ・ディス・センチュリー・ギャラリー)の展覧会で展示された。この作品はタニングの代表的な自画像であり、アーティストとしての出発点を示すものでもあった。そして、ここに見られる安定したスタイルを脱却し、より複雑で真実味のある女性像を捉えるようになる。

カスミンで展示されているほとんどの作品には裸体を思わせるものが登場するが、それぞれが独自の個性を放ち、タニングの筆使いの中でかろうじて形を保っている。たとえば《Far From(遠く離れて)》(1964)では、変態しつつある生物のような形が中心に描かれ、その周りで吹き荒れる嵐の中で、恋人たちがリボンや脚を絡ませている。《Philosophie en plein air(野外の哲学)》(1969)では、2人の人物の情熱が相反する流れとして衝突し、空と草を渦に巻き込む。物語の全体像を見せずに魂の本質だけを残すキュビスムを思わせるスタイルで、覗き見趣味に陥らないようにしているようだ。

タニングの相棒であるラサ・アプソ犬も、展示作品のあちこちに登場している。時折、ゆがんだ人体の下から滑らかな長毛の姿が見えるのだ。《La Chienne et sa muse(犬とそのミューズ)》(1964)では、タニングは肉付きのよい節足動物のような姿で描かれ、謎めいた犬は奇妙に引き延ばされている。動物に深い親近感を抱いていたタニングにとって、ペットたちは親友であると同時に変容を受け入れてくれるものでもあり、絵画の中で両者は一体となる。互いの顔が付いた体は人から犬へと変容し、また元に戻る。1977年の作品《Portrait de famille(家族の肖像)》では、鼻のつぶれたペキニーズの上で三つの人体がうごめく。一番上になった体は赤い雲の中に上昇し、重みに耐える犬は不気味な表情を見せている。

数十年にわたるフランス暮らしを経てニューヨークに戻ってきた頃の作品には、不穏な雰囲気が漂っている。《Pour Gustave l'adoré(憧れのギュスターヴのために)》(1974)は画面の大部分を黒褐色の影が占め、両生類の足のような形が白く暗闇に浮かび上がる。この絵は、ダンテの『神曲』やコールリッジの『老水夫の歌』などに幻想的な挿絵を描いた19世紀のフランス人画家、ギュスターヴ・ドレにちなんで名づけられた。タニングはドレを敬愛していたという。

今回の展示で最も新しい作品は、いずれも1987年に描かれた《On Avalon(アバロンで)》と《To Climb a Latter(はしごを昇る)》だ。前者はギャラリー奥の壁面いっぱいに展示されている大型の作品で、後者は深く胸に迫る別れのような印象だ。ビロードのような黒い海が水平線まで続き、小さな光が集まる一点が、都市の遠景かトンネルの入り口のように見える。はしごの最上段は空の裂け目、すなわち自由への入り口であり、誰もがそこに入りたがっている。

はしごの一段ごとに人間の肉体が重なり合い、あめ細工のように上へ上へと伸び、上下の人間同士がもみ合っている。彼らが必死で向かっている目的地はいったいどこなのだろうか。そして、もしもここに描かれているのが、何枚か前の絵の中で恍惚の表情で絡み合っていた女性たちと同じ人物だとしたら、これは格闘なのか、それとも革命なのか? タニングの言うことには反するが、絵の具が語らないこともある。(翻訳:清水玲奈)

※本記事は、米国版ARTnewsに2022年3月9日に掲載されました。元記事はこちら

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