強い自然と可笑しな人間、そして種の存続をめぐる考察【アーティストは語る Vol. 2 渡辺志桜里】

アーティストたちはなぜ創作するのか。何を伝えようとしているのか。いまを生きる日本のアーティストたちの声を届ける企画の第2回は、水耕栽培の植物と水槽の魚によるエコシステムのインスタレーションを制作する渡辺志桜里を紹介する。その発想の根源と、創作に対する思いを聞いた。

皇居の生態系をそのまま持ちこむ

──渡辺さんの代表作、植物と魚を使ったエコシステムのインスタレーション作品《サンルーム》(2017)はどういう経緯で制作されたのですか?

1つめの大学でドゥルーズ=ガタリや思弁的実在論を学んでいた影響で、マルチスピーシーズや南方熊楠に興味を持っていまして、東京藝術大学在学中は粘菌を育てていました。ですが段々と日々の餌やりなどのメンテナンスという行為に違和感を覚え、同時に面倒というのもあり、じゃあ、ケアしなくても良いシステム、生態系を作れば良いじゃないか。と考えたことが《サンルーム》の始まりです。生態系を再現するにあたって、もともとそれが成り立っているところの動植物をそのまま持ち込むことを思いつき、参照した場所が、皇居だったんですね。

私は千代田区番町と呼ばれる、東京の真ん中の地域で生まれ育ちました。周りはビルばかりで、自然がある場所といったら皇居周辺ぐらいでした。最初は皇居の雑草を採取して、堀の水をポリタンクで汲んできて、堀に住む外来魚のブルーギルを獲っていたのですが、外来魚を飼育する事は法律で禁じられていると知り、金魚に置き換え、一年草かつ勢力の強すぎる雑草も野菜やハーブに変えました。

──《サンルーム》のエコシステムの仕組みについて教えてください。

構造としては、金魚の水槽と水耕栽培の鉢をチューブでつなげ、電動ポンプで水を循環させるというシンプルなものです。それがあった上で、まず、日光によって緑藻が生成されます。その緑藻を餌にするイトメが繁殖し、定期的に金魚の水槽に送られます。金魚はそのイトメを食べて排泄し、その排泄物の中に含まれるアンモニアを水耕栽培の鉢に入れた溶岩に住み着いているバクテリアたちが食べて排泄を繰り返します。そうすることによって植物にとって大切な栄養素である窒素が生成されるわけです。その栄養素によって野菜が育ち、アンモニアが分解された水が水槽に戻る仕組みです。

「種の存続」にはナショナリズムが隠れている

──どんな植物を育てているのですか?

植物の持つ性質や形などの形質が代々受け継がれた「固定種」のトマトやセロリなどの野菜、そしてミントなどのハーブを育てています。一般的に野菜には、固定種のほかに、異なる形質の親を掛け合わせた「F1」種が存在し、今スーパーで流通する野菜のほとんどは、野菜の形が揃うので流通に乗せやすいF1。一方、F1は種が取れなかったり、取れても次の世代から形が崩れたりするため、農家は毎年F1の種を買う必要があります。私の作品は「種の存続」がテーマでもあるので、固定種を選びました。

──「種の存続」という意味では、ブルーギルやその代替としての金魚も象徴的な存在と言えますね。

日本におけるブルーギルの歴史は、1960年にアメリカのシカゴ市長から現在の上皇陛下に贈られた17匹のうちの15匹が始祖になります。その後、食用研究のために繁殖され、今では外来魚として厄介者扱い。琵琶湖に行くと、ブルーギルなどの外来魚を釣った場合はリリースせずに「外来魚ボックス」に入れるよう指示されています。外来種はその土地の生態系に影響を及ぼす存在ですが、そもそも生態系の規範を定めているのは人間です。人間が生態系に介入しようとするところに、ナショナリズムにも似た思想が隠れている気がするのです。《サンルーム》も種の存続の使命はあるものの、ブルーギルが金魚に、名もなき雑草が固定種の野菜になったように、生態系の中で常に揺れ動いています。

──皇居周辺の生態系から始められたということで、皇族についても興味を持たれたそうですね。

はい。皇族という存在は、日本で最もその「種の存続」や「種の質」に注目が集まります。2020年に発表したインスタレーション《emoticon A-M-Ma》では、美智子上皇后、雅子皇后、愛子様の笑顔の口元の写真をモニターで上映しました。皇族という特異な環境の中で、3人の女性たちは皆、心身の不調を経験されています。でも、その笑顔は判で押したように美しいんです。

──人間の手が加えられた自然や、人間が規定する自然のルール、どちらにも矛盾を感じざるを得ません。

都会で生まれ育ったことも影響しているのかもしれませんが、私は人間の力でゆがめられた自然を完全に元の姿に戻すことだけが是であるとも思わないんです。20歳の時に山に入って狩猟した時期があり、人間が太刀打ちできないほどの自然の威力を体験しました。身近な例では、植物はアスファルトを破って芽を出します。近代化によって汚染された海や土地、そう言ったものすらを軽々と包摂してしまうような桁違いのものが存在します。

人間にとって生きにくい環境になるつつあるこの地球が、別のパースペクティブ(考え方・視点)で見ればまったく違う景色が見える事が、やはり世界は善悪ではできていないと感じます。例えば太平洋ゴミベルトで今何が起こっているかというと、浮島のようになったゴミの島に新たな生態系が生まれている。もちろんプラスティックの影響や放射能の話については今後も考えていかなくていはいけない一方で、そんな中にも思いがけないことが起こったりする。それこそが自然なんだと思うんです。

意味が無くても、それでいい

──《サンルーム》は、環境保護の啓蒙的な意味を込めた作品なのかと思っていました。

そういった意味は作品に込めてはいません。もちろん時勢として人新世、資本新世という、資本主義下で環境のことを考えざるを得ないことは影響しているとは思います。2021年の個展「べべ」(新宿・WHITEHOUSE)での《サンルーム》のステートメントで、ロラン・バルトの『表象の帝国』で東京を「空虚な中心」と評したくだりに触れました。バルトは日本を本質がない国と表現しましたが、まさしくそうだなと。西洋は何事においても「意味」があるのが前提です。でも日本は形だけがあって中身が無い事が多い。

そもそも自分という主体性の所在すらわかりません。最近、腸が脳と相関関係にあることが明らかになりましたが、人間が考える「主体性」は、もしかすると腸内細菌という他の生物たちの全体のムードによるものかもしれない。そう考えると確固たる「私」なんてないんじゃないかとも思います。そう言った意味で、上記の人新世や資本新世を、人類をもう少し矮化することによって他のスピーシーズと並列にして考えることも可能なんじゃないかと思っています。

「べべ」展示風景

──2022年には、展覧会「とうとうたらりたらりらたらりあがりららりとう」(新宿歌舞伎町能舞台など)のキュレーションを手掛けていますね。能舞台の床に延命治療医中の昭和天皇のバイタルを振動させる、飴屋法水さんの作品が印象的でした。

飴屋さんも天皇を題材に作品をいくつか制作されています。そう言った飴屋さんの問題意識を共有できたことは本当に貴重な体験でした。終戦後 1946年に昭和天皇が「人間宣言」を発し、「天皇」という身体に加えて「人間」の身体を持つことになりました。その極めてプライベートな身体の延命治療中のバイタルサインは、連日テレビ放送で国民に享受され、一方で、日本の古典芸能「能」の起源である「翁」という演目は、東アジアからつながる稲の豊漁豊穣の踊りであり、古代にそれを司っていたのは紛れもなく天皇でした。私はエコロジーを考える上でこの複雑な「翁」の概念が文字で記録するような伝え方ではなく、身振りや呪文のような発声によって伝わった事に重要なものがある気がしています。あの作品は、そういった意味で能舞台をある種の「おほやけ(公)の身体」として見立て、バイタル音を足下から響かせることで、鑑賞者も一体となったその身体から「人間宣言」を眺めるというアンヴィバレントな状況を作っています。

「とうとうたらりたらりらたらりあがりららりとう」展示風景

新宿の包容力が叶えた展示

──個展「べべ」に次いで、新宿という場所での開催でした。渡辺さんにとって新宿は特別な街なのでしょうか。

そろそろ新宿以外の場所でも展示したいですが(笑)、私の作品は水や土を使うので、日本の美術館では、作品保護のためカビや虫を排除しなければならないという理由で展示できないんです。その意味で、展示の機会を開いていただいた新宿の 2 会場には感謝しています。

新宿は、必ずしも東京の中で治安も良い場所とは言えませんが、どんな境遇の人でも受け入れる包容力があり、それが大きなエネルギーを生んでいると思います。何でもありの環境の中で自ずと秩序が生まれているという点で、自然の生態系にも通じるものを感じています。

──最近ご出産されました。作家としての心境の変化はありますか?

当たり前ですが、赤ちゃんは本当に自分では何も出来ないということに、驚きました(笑)。でも先日、養老孟司さんがWEBメディアに寄稿された神宮外苑の樹木伐採についての記事の中で、都会の街づくりは効率重視で、デベロッパーは樹木に有用性を見出せないため排除してしまうと指摘していました。そしてそれと同じ感覚で、“役に立つ”存在ではない子どもを、今の日本社会は排除している、と。子どもを持ったことで、役に立つ/立たないの二項対立で物事を判断しない価値観を持てたのは良かった。仕事との両立については悩ましいですが、こういう環境を得たからには、面白くやりたいと思っています。

──今後の活動について教えてください。

《サンルーム》を小分けして、リースする事業を始めました。水槽と水耕栽培の鉢、それをつなぐホースと電動ポンプを貸し出して、月に1回メンテナンスをさせてもらうというシステムです。もちろんアート作品ですので、作品証明書は発行します。《サンルーム》の植物の株がどんどん増えているというのもありますが、それをリースという形で分散することで、万が一、本体の株が枯れてしまっても種の保存の危機は免れる。そして、将来的にオーナー同士の連帯感やコミュニケーションが生まれるかもしれない。この先の展開が楽しみです。

あとは、年内に「とうとうたらりたらりらたらりあがりららりとう」展の書籍化。石垣島のある地域の祭り作り、プレーパーク作りですね。何年かかるかわからないですが、もうこれは私のミッションになっています。


渡辺志桜里(わたなべしおり)
1984年東京生まれ。2008年中央大学文学部仏文学専攻卒業、15年東京藝術大学美術学部彫刻科、17年同大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。おもな展示に2021年「非≠人間と物質」 / Non Not equal Between man and matter」(3331 Arts Chiyoda)、「Das Fremde in der Isolation」 (ドイツ/ケルン)、「ベベ」(WHITEHOUSE)、 「FLUSH-水に流せば-」(EUKARYOTE)ほか。

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