「記号や情報の世界の筋書きをひっくり返そうとする試み」──ダグ・エイケンが最新作について語る
ロサンゼルスを拠点に活動するダグ・エイケンの最新作《HOWL》が、現在チューリッヒのギャラリー・エヴァ・プレゼンフーバーで展示されている。映像や写真、彫刻、サウンド、インスタレーションなど幅広い創作活動を行い、1999年にヴェネチア・ビエンナーレ国際賞を受賞したエイケンに、US版ARTnewsがインタビューを行った。
「いま私たちはここにいるけれど、明日はどうなるのだろう?」
ダグ・エイケンの最新作《HOWL》(唸り声、遠吠えの意)は、アメリカ西部の名もない町を描いた長さ15分、5チャンネルの映像作品だ。この作品は、油田が広がる壮大な風景の空撮映像や、町の日常、住民へのインタビューから抜粋した短いフレーズで構成されている。その言葉は、反響しながら何度も繰り返されるうちに不気味な意味合いを帯びてくる。
チューリッヒのギャラリー、エヴァ・プレゼンフーバーでの展示では、照明を落としたメインの展示室に2つの木製の構造物(一方は3面のスクリーン、もう一方は2面のスクリーン)が鑑賞者を取り囲むように設置され、その間には椅子として使える小さな木製ブロックが置いてある。また、この部屋に入るには、2つの展示室を通ってくる必要がある。そこには、作品に関連する彫刻が展示され、映像に出てくる風景の一部が壁一面にプリントされている。
──今回の展覧会の中心となっている映像作品《HOWL》はどのように制作を始めたのですか?
私にとって《HOWL》は、風景の中へ旅をするように入り込み、それを深く知るために作られたひとまとまりの作品群、つまり総合芸術なんだ。ある意味、地質学の展示のようなもので、風景の上に積み重なっている要素、たとえば人間が作り出した建造物、言語、イメージ、写真、人々の暮らしなどを取り入れている。作品の中では深い時間と浅い時間が摩擦を生み出す。人間が(この世界に残す)痕跡は非常に短く、一時的なものだが、ある面では永久に残る痕跡も残している。
《HOWL》では、どこまでも続く油田に囲まれた人里離れた砂漠の町が描かれている。掘削機は、そこで働く人がいる時もいない時も、昼も夜も休むことなく稼動し続け、地球の鉱物資源を掘り起こし、汲み上げている。この町は1930年代、40年代、50年代と好景気に沸いていた。今、この町を見ると、未来を覗くためのレンズのようだという気がする。過去を見ることで、未来について語ることができるのではないかと思うんだ。この作品は、ドキュメンタリーでも教訓的な作品でもない。白か黒かをはっきりさせたり、何が正しく何が間違っているかを明らかにしたりするものでもない。それは、人々や場所で構成される音楽のように、「次は何?」と問い続ける。私たちはどこに向かっているのか? 地平線の向こうに何があるのか? 次なるフロンティアは何だろう? こうした疑問が浮かんでくるのは、この場所がとても傷つき、粉々に砕かれ、まるで地球が血液を吸い取られているように感じるからだ。
──《HOWL》は「ドキュメンタリーではなく、ノンリニア(非直線的)な物語だ」とプレスリリースに書いてあります。なぜそのようなアプローチをとろうと思ったのですか?
このプロジェクトには台本も、具体的なプランもなかった。完全にプロセスベースで、好奇心に導かれるまま、どんどん発展していった。最初に糸を作ったら、それがロープになり、そのロープを使って登り始めると、未知の領域に深く入り込むことができる。このプロジェクトの場合、それは場所の概念、21世紀における場所の概念だった。
私はいろんな場所に出かけていって、そこにいる人に声をかけた。事前に計画を練ったり、質問を用意したり、特別な意図もなく、ただそこにいる人たちと話をした。しばらくそうしているうちに、政治の話題が出てこないことに気づいた。共和党か民主党か、誰に投票するかといった話が出てこない。私たちがしたのは、もっと内面的で個人的な、生きていくことに関する話だった。つまり、「いま私たちはここにいるけれど、明日はどうなるのだろう?」という問いだ。
1年か1年半ほど撮影を続けた後、撮り溜めた映像を見てみたら、あまりにもドキュメンタリー色が強すぎるし、長ったらしくて説明的だと思った。だから取りあえず塩漬けにしておいて、8カ月後くらいにもう一度見直してみた。その時に「もしかしたら、捉え方が間違っていたのではないか。曲を作るように、音楽作品のようにアプローチすべきかもしれない」と考えた。そこで、もう一度撮影したインタビュー映像に戻って、話されている言葉をいくつかの単語や1つのセンテンスにまで減らし、視覚的にも音楽的にも、ミニマルな構造にすることにした。1つの文章が2回、3回、5回と繰り返し耳に入ってくるうちに、それが重なり合い、抽象化され、異なる意味や意義を持ち始めると思ったんだ。
「風景はしばしば個人を映し出し、個人は風景に映し出される」
──こだまのように反響しあう短いフレーズを聴いているうちに、それが心に響いてきます。町の人たちと話していて、政治の話が出ないことに驚きましたか?
驚いたね。どういう反応が返ってくるかは予想していなかったけど、分断があるんじゃないかとは思っていた。ところが、実際はずっと人間的で、個人的な話ができた。分断された国、分断された大陸の縮図を見る代わりに、私たち自身の手によって絶えず変化し続ける社会システムの中で居場所を探す個人の存在論的な問いかけが浮かび上がってきた。
──あの町はどうやって見つけたのですか?
ただなんとなく、あちこち移動しているうちに見つけたんだ。似たような町は、おそらく数えきれないほどあるだろう。西アフリカのジャングルや、オーストラリアの砂漠、中国の平原など、地形は違うかもしれないが、どの国、どの大陸にも同じような場所はある。私にとって、あの町はどこでもない場所だ。普遍的で抽象的な場所でありながら、そこにいる人の感触や、そこで人間が観察したものは個別で具体的だ。それが、作品に思いもよらない波長と深みをもたらしている。
──意図的に、町の名前を簡単には特定できないようにしていますね。
私にとって場所という概念は、とても魅力的なものだ。風景と社会が同居しているという考え方、また、私たちがそこで何をするのかという問題に惹きつけられる。風景はしばしば個人を映し出し、個人は風景に映し出されることがあると思う。私は1997年に《Diamond Sea》という、ナミビアのダイヤモンド鉱山を撮影した作品を作った。大地とその掘削という似たモチーフを扱っているが、そこには人間が出てこない。《Diamond Sea》の鉱山は、コンピュータによってほぼ完全に自動化され、風景を横切っていく機械が掘ったものをふるいにかけながら、外界から隔絶された7万平方キロメートルもの土地を動き回っている。《HOWL》の風景は、それとは対極的だ。人間が主体となって運営され、あちこちに人の姿が見られる。そこにある重機は機械化時代のもので、21世紀の技術ではない。デジタルやコンピュータ言語とはかけ離れた、古めかしくて油臭い機械だ。そうした下部構造が今も残っているのが興味深いと思う。汚くて重々しい、きしむようなメカニズムが、私たちのアパートの暖房設備や、私たちが運転する車、私たちが乗る飛行機を今も支え続けている。私にとってこの作品の制作は、カーテンの向こうに隠されている舞台裏を覗き込むようなものだった。
──見ていて一番びっくりしたのは、閉鎖されたシェルとBPのガソリンスタンドが映っている場面でした。このショットが、絶え間なく動いている油井と対比されています。それから、「石油娘」を選ぶ美人コンテストのシーンもありますが、これはどうやって見つけたのですか?
(笑)あれは、あの町で行われている石油のお祭りなんだ。石油がコミュニティのアイデンティティとなっていることが興味深いと思った。地元の人たちはそれをポジティブに、祝祭として捉えている。見ていてとてもシュールだった。
──「ユートピア」という概念について話していた人たちがいましたね。その言葉がこだまのように響きわたるのが、とても不気味でした。
不気味な感じを出すために、ほとんど工夫はいらなかった。ただ何よりもまず、話をしてくれた人たちがとてもオープンだったのに感銘を受けた。「こんなこと、今まで聞かれたことがなかった」「これまで私の意見に関心を持ってくれる人なんていなかった」「これについて、今まで話す機会がなかった」というようなことを、いろんな人から言われた。私たちが置かれている状況について、非常に個人的で実存的な考えを話せる場をアート作品が提供することは、新たな形のエンパワーメントになるのではないかと思う。作品が社会的に、アーティスト以外の何かに力を与えられる方法があるのではないかとね。
この作品に取り組む中で話を聞けば聞くほど、ユートピアというのが言語的な物語の軸であるべきだと思うようになった。ほとんど潜在意識に近い詩があるとしたら、その詩は、出会った人々とその人たちの言葉、彼らとの対話を最小限の要素にまで還元したミニマルな構成になるだろう。(コンセプチュアル・アーティストの)ローレンス・ウィナーの言葉を使った作品のような、削ぎ落とした簡潔さにたとえられるかもしれない。レス・イズ・モア(*1)というミニマリズムに、私は常に惹かれてきたんだ。
*1 「Less is More(少ないことは、より豊かだ)」は、20世紀のモダニズム建築を代表する大建築家、ミース・ファン・デル・ローエの言葉。
「私は、俳句のように最小限まで削ぎ落とされた言葉が好きなんだ」
──映像作品が上映されている展示室へとつながる部屋には、単語の形をした彫刻がいくつか展示されています。それらについて話していただけますか?
私にとってあれは、あまりに多くの情報がものすごい速さで拡散されている世界に住んでいることの副産物なんだ。言葉を取り戻そうとするような、再び自分のものとして捕まえようとする行為に近い。個人として1つの文章を所有し、それを1つの単語にまで凝縮し、しっかりとそれを掴んで意味を減速させるツールとして使用する。この展覧会に登場する「HOWL」「DRAMA」「CONTACT」という言葉の作品は、減速するためのツールであり、記号の世界、情報の世界の筋書きをひっくり返そうとする試みだ。
私たちが毎日その中を行き交っている記号の森について考えてみてほしい、たとえば、目の前にあるこの(さまざまなポスターが貼ってある)コラージュの壁などだ。この世界から、これを引き剥がして、それを最小限のエッセンスにまで還元する。《HOWL》では、見る人がこうした言葉やフレーズの中に入っていき、自分自身でそれを再解釈できるような柔らかい空間を作ることができたらいいと思った。外へと広がっていく情報の攻撃性や暴力性とは対照的に、言葉を読んだ鑑賞者が、そこに自分の内側から出てきた何かを込められるように、彼らをエンパワーできないだろうかと考えたんだ。
──彫刻にする言葉はどう選んだのですか?
言葉たちの方が私を選んだのだと思う。私はいつも言葉を収集している。今こうして話している中でも、2つほど思いついたよ。そうやっていつも言葉を見つける。私は、掴みどころがなくて、意味がずれていったり変化したりする、俳句のように最小限まで削ぎ落とされた言葉が好きなんだ。
──5チャンネルの映像スクリーンに囲まれるメインの展示だけでなく、すべての展示室が没入感のある作りになっています。なぜそうしたのでしょうか?
この展覧会を、徐々に展開していく章のように組み立てたかった。それぞれの建築的な環境が進化し、次々と変化していくように。鑑賞者が最初に目にするのは、樹脂のような彫刻だ。これは、回収された海洋プラスチックを液体にし、鋳型に流し込んだものが15層ほど重なってできている。風景の中から集めた素材を再利用して、海底の地図や地形を表した作品だ。これは抽象的な地図なんだ。そこから最初の展示室に入っていくと、壁一面が青々とした緑で覆われ、植物が密生している。それ(植物がプリントされた壁紙)によって鑑賞者は地質学的な空間に引き込まれる。ここに展示されている言葉の彫刻に使われている写真はすべて、非常にゆっくりとした時間感覚、氷河のように途方もない長い時間をかけて変化していく風景を写したものだ。2番目の部屋は、乾燥した砂漠のような空間で、そこに展示されているのはより循環的な作品だ。たとえば《TERRA》(大地、地球の意)は、鑑賞者とその周りにあるものを映し出す。その部屋では、風景の抽象化というアイデアをもっと掘り下げたかった。そして、《HOWL》がある3番目の章では、場所の一時的な占有をテーマにしている。
──《HOWL》は、アレン・ギンズバーグの同名の詩「吠える」にちなんでいるのでしょうか?
直接的に言及しているわけではない。油田を歩き回っていたときに考えていたことを一言で表している言葉なんだ。正確に言うと、考えていたというより、聞こえていたことだ。錆びた機械が無限に動き続ける中で立ち上がってくるサウンドスケープだ。
──この作品を、あなたが拠点とするロサンゼルスではなく、チューリッヒで発表することにしたのはなぜですか? アメリカ西部というのは、ヨーロッパよりもアメリカでの方が、より具体的な概念として共有されているのではないかと思うのですが。
確かにそのことは考えた。アメリカ人以外にとっては特殊すぎる作品かもしれないと。でも、設営中にギャラリーに入ってきた人たちはアメリカ人ではなかったが、この作品にとても共感していた。具体的な場所かどうかはほとんど気にならず、どこでもない場所として見てくれたようだ。
「今の社会では、アートはおそろしく保守的になってしまった」
──ロサンゼルスで育ったことが、アーティストとしてのあなたにどのような影響を与えたと思いますか?
ロサンゼルスのダウンタウンは今と違ってかなり荒れていたが、アートにとっては勢いのある時代だったと思う。ロサンゼルスの出身でなければ分からないかもしれないが。ロサンゼルスといえば、ベストアルバムのような分かりやすさをイメージする人が多い。でも、ロサンゼルスにスポットライトが当たるずっと前、70年代から80年代にかけて、そこにはディープなアンダーグラウンドシーンがあったんだ。非常に実験的で、性別にとらわれない、活気に満ちたエネルギーがあった。知られざる、いい時代だった。
若い頃から実験的なアートコミュニティに出入りしてきたので、妥協を許さない姿勢は当たり前だった。実験的な試みを「やるべきこと」として捉えていたんだ。実験は、例外的なことではなく、ほとんど前提に等しかった。そういうシーンで育ったことに感謝している。今の社会では、アートはおそろしく保守的になってしまった。商品化され、価格中心で、手に入れられるものばかりだ。時間軸をベースにした作品や、はかなく消えてしまう作品、パフォーマティブな作品を受け入れる余地がとても少ない。かつてロサンゼルスに存在したアンダーグラウンドシーンでは、長い間それが可能だったんだ。
──先ほど、この作品の対極として《Diamond Sea》の話をされましたが、これまでに作ってきた中で、ほかにも《HOWL》につながる作品があれば教えてください。
コロナ禍はある意味、私たち全員にとって新しい章となった。多くの人にとって、自分が何に価値を見出し、何にエネルギーと時間を割きたいかを棚卸しする、振り返りの時間にもなった。このような作品を作ることで、私はおそらく直接的にも間接的にも、以前よりゆっくりとした目で物事を見られるようになった。より深く概念や場所に入り込むことができるようになったと思う。あのときの環境がこの作品に影響を与え、作り上げたんだ。作品が完成したのは1週間ほど前だが、まだ当時の空気がそこに残っている。コロナ禍の間に、アートのあるべき姿についてよく考えるようになったのは確かだ。私が作る作品は多岐にわたるが、それらの実践を極限まで押し進めることに興味を持つようになった。《HOWL》でもそれを試みている。この作品は、循環する歌であり、詩的な楽曲であり、鑑賞者がスクリーンと交わす対話でもある。スクリーンは見る者を誘惑するためにあるのではなく、ある種、非常に残酷で生々しいものなんだ。
──この作品は、気候変動とも関係しているのですか?
ある意味、この作品を作ろうと思った理由の核心にはそれがあったと思う。ただ、私は教訓的なアートには興味がない。何をすべきか、どう考えるべきかを教えようとする作品は心に響かないんだ。さまざまな周波数の作品を作ろうとしているが、環境問題は常に私の頭の中にある。風景の定義について考えているが、それは私たちが知っている風景ではない。無数の穴が穿たれていて、すっかり血を抜かれた風景だ。私たちがこの場所に強いた抽出の痕跡は、何百年、何千年と残るだろう。(翻訳:野澤朋代)
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