アンジェリーナ・ジョリー、バスキアの終の棲家で新事業をスタート! ファッション分野の職人育成の場に
ニューヨークのマンハッタン南部に、アンディ・ウォーホルやジャン=ミシェル・バスキアが暮らし、制作を行った建物がある。この物件を、人道支援活動でも知られる俳優のアンジェリーナ・ジョリーが引き継ぐことになった。
7月7日、不動産会社メリディアン・キャピタル・グループのディレクター、ジョン・ローシュとギャレット・ケリーは、グレート・ジョーンズ・ストリート57番地にあるこの物件の賃貸契約をアンジェリーナ・ジョリーと締結したことを認めた。ジョリーは、自らの新しいクリエイティブ・ベンチャー、アトリエ・ジョリーのために、この場所を8年間の長期商業利用で借りることになる。
1983年から88年に亡くなるまでバスキアが生活していたこの物件は、メリディアン・キャピタル・グループから最低月額6万ドル(現在の為替レートで約860万円)、10年以上の契約という条件で、賃貸市場に出されていた。
3階建て、床面積約613平方メートルの建物の外側には、グラフィティが描かれている。ジョリーは、70年代末にニューヨークのストリートシーンで注目されたグラフィティアート・デュオ、SAMO©(セイモ)でキャリアをスタートしたバスキアへのオマージュとして、現在の状態を維持するつもりだという。
「(ジョリーは)建物に描かれた古いアートを保存し、バスキア的な雰囲気を残したいと考えています」とローシュは言う。「ストリートアートで飾られた建物の正面が、バスキアがここで暮らした象徴に思えるところが気に入ったようです」とケリーは付け加えた。
この建物は、もともとアンディ・ウォーホルが1970年に購入したもので、バスキアはウォーホルと初めて会って間もなく、2階部分を借りている。
ウォーホルが購入する以前も、1860年代に建設されたこの建物には彩り豊かな歴史がある。物件を最初に購入したのはイタリア系アメリカ人のギャング、ポール・ケリーことパオロ・アントニオ・ヴァカレッリ。ヴァッカレリは1904年、ここにブライトン・アスレチック・クラブをオープンさせた。その後、1970年まで金属加工業やキッチン用品会社として使用され、直近は高級日本食レストラン「ボヘミアン」が入居していた。
アトリエ・ジョリーは、世界各国で新進の仕立職人やパタンナーとして活動するクリエイターのためのワークショップの場として活用される。参加者は、ウォーホルやバスキアゆかりのこの建物で、作品を制作・展示することができる。ロッシュによれば、ジョリーは「できるだけ早く」新事業を開始する意向だという。(翻訳:石井佳子)
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