作品の中に暮らし、自身も作品になってしまったアーティスト
コレット・リュミエールは、1970年代から1980年代初頭にかけて、フリルやドレープ、プリーツの生地で覆われた空間を作り、その中でパフォーマンスを行い、ついにはそこに暮らすようになった。ちなみに、コレット・リュミエールは、フランス生まれの彼女がアーティストとしてのキャリアの最後に使うようになった名前だ。
一番有名なのは、ニューヨークのダウンタウンにある自分のロフトを作り変えた《Living Environment(生活空間)》(1972-1983)だが、この作品が近頃ニューヨークのカンパニー・ギャラリーの展示で再現された。
《Living Environment》はごく自然な形で始まった。「家にパラシュートを置いている人がいて、その生地がとても気に入ったのがきっかけ」とリュミエールは回想する。そこで彼女は、白やオフホワイトの布を部屋に何枚も重ね始め、最後には床から天井まで全部が覆いつくされてしまった。
初めの頃は、絹地のドレープに隠されたわずかな家具のある部屋は、生活空間というよりインスタレーションのような趣だった。しかし、イタリア旅行中にバロックの美にすっかり魅了されたリュミエールは、帰国後「カンバスが一つしかない画家が同じカンバスに繰り返し絵を描き続けるように、ひたすら部屋を作り変え続けた」のだ。
リュミエールは、サテンや人工皮革、メタリックな生地などを集めて布を重ね、淡いピンク色も使うようになった。「素材は使い古しの布。キャナルストリートに行けば、いろんなものが手に入ったから」という。
この頃からリュミエールは、布で覆われた部屋で生きた彫刻としてパフォーマンスをするようになった。コスチュームは、ニューヨークのダウンタウンのクラブシーンで見られるパンクファッション。それもヴィクトリア朝やフランスのロマン派絵画に影響を受けたようなデザインで、「医療用のコルセットやブルマーを身に着け始めた」と話す。そして、インスタレーションの中で自分を撮影した写真をライトボックスに付けて壁に飾っていた。
何十年もの間、リュミエールのインスタレーションやパフォーマンスに使われた物は、あちこちの倉庫に散在していた。彼女が初期の作品を処分しようとしているのを聞いたキュレーターのケンタ・ムラカミは、昨年キックスターターで《Living Environment》の保管資金調達キャンペーンを立ち上げている。
それがきっかけで決まったのが、リュミエールの作品を集めた個展だ。ムラカミが企画したカンパニー・ギャラリーでの展覧会では、部分的に再現された《Living Environment》を中心に、同じ時期に制作された作品やパンフレットなどの印刷物、当時の他のプロジェクトに関する資料などが展示された。
「作品は、私のようなキュレーターや保存修復担当者だけでは何もできない状態で、アーティストであるリュミエールが参加してくれなければ再現は不可能だった」とムラカミは述べている。
この個展のために選ばれた作品には、初期のインスタレーションの中で眠っているリュミエールのヌードの写真や、1978年にホイットニー美術館のダウンタウンにある別館でパフォーマンスが行われた時の壁の断片もある。パフォーマンスで彼女は自分自身の死を演じ、その数日後にジャスティン・アンド・ビクトリアン・パンクスの女性ボーカル、ジャスティンとしてMoMA PS1に登場した。
さらに、《Beautiful Dreamer Uniform(美しき夢想家のユニフォーム) 》(1981–82)の衣服も展示されている。「カンバスの外で何か新しいことをすることに関心があった。街が、そして自分の家がカンバスだった」とリュミエールは語っている。
当初、ムラカミもリュミエールも、新作を展示に含めることを検討していた。しかし、カンパニー・ギャラリーでの展示では《Living Environment》の時期に集中することでこの作品を歴史に刻み、新しい世代に彼女を知ってもらうきっかけを作ることが重要だという結論に至ったという。
一つ確かなのは、この空間を再現するにはリュミエールの物理的な存在が不可欠だということだ。「モノや記録の中に存在しないものをどう認識させるかという課題があった。それは到底言葉にできないものなので、ただそれを指し示すしかない」とムラカミは話す。
この個展用にリュミエールは、彫刻家のカイサ・フォン・ツァイペルと協力して、自身に似せた等身大のシリコンフィギュアを制作している。これは、人形のような格好でパフォーマンスをすることが多い彼女にふさわしいプロジェクトと言えるだろう。フォン・ツァイペルは、双方が納得するまで多くの試作品を作り、完成したフィギュアに彼女のガウンを着せて展示した。
また、傷んでいた作品の修復をどうするかという問題もあった。「本当に一苦労だったけれど、その理由の一つは数が多かったこと。作り直しや補修が必要なものもあれば、きれいなままのものもあった」とリュミエールは話す。たとえば、展示されているランプの中には、2012年の大型ハリケーンの被害に遭ってほとんど壊れてしまったものもあったが、彼女は「壊れた状態も美しかったから」と、破損したまま展示することにした。
「ドイツ語に、アーティストのように生きる人という意味のLebenskünstlerという言葉がある」。リュミエールについて説明する言葉を探しながらムラカミは言った。「当時は、彼女の一挙手一投足がアート作品だったと言えるだろう」(翻訳:平林まき)
※本記事は、米国版ARTnewsに2022年3月18日に掲載されました。元記事はこちら。