デュラン・デュランのジョン・テイラーが画家デビュー。コロナ禍の制作を語る
英国出身のミュージシャンでソングライターのジョン・テイラーは、ニューウェーブの代表的バンド、デュラン・デュランの結成メンバーとして知られる。スポットライトを浴びることには慣れている彼だが、先頃、これまでとは異なるステージに飛び出し、ファインアートの世界でデビューを果たした。3月に始まった初個展のタイトルは、「Not Broken, Unfinished(壊れたわけじゃない、未完成なだけ)」だ。
若い頃にアートスクールで美術教育を受けたテイラーは、パンデミックの間、家族の写真や個人的な思い出を題材に作品制作に取り組んでいた。今回の展覧会では、抽象画や具象画など7点のほか、アート雑誌の表紙のような絵柄をインクジェットプリンターでカンバスに印刷した「Pandemic Aesthetics(パンデミックの美学)」シリーズを展示している。このシリーズでは、アートの世界におけるブランディングと、それを後押しする出版物をテーマに、遊び心のある作品を制作している。たとえば、アートフォーラム誌の表紙を模した絵には公園にいる3人の人物が描かれているが、これはテイラーの母親が若い頃に友人たちと撮った古い写真をもとにしたものだ。
テイラーの個展は、急成長中のアートエリア、コロラド州アスペンで新たに登場した現代アートギャラリー、One Hour Ahead(ワン・アワー・アヘッド)のオープニングを飾っている。2月に開廊した同ギャラリーで開催されている2つの展覧会のうちの1つだが(会期は4月10日まで)、ギャラリー創設者でアスペンを拠点に活動するアートアドバイザー、サラ・カロドニーによると、テイラーの展示作品の半分は既に売約済だという。
ロサンゼルスの自宅からZoomでARTnewsのインタビューに応じてくれたテイラーが、アート分野での活動について初めて語った。
──あなたは、ミュージシャンやソングライターとして活動している間も、ずっと絵を描いていたのでしょうか。デュラン・デュランのファンが知らない、別の顔があったということですか?
ジョン・テイラー:ここ3年、腰を据えて取り組んでいるけど、絵を描くこと自体は子どもの頃からずっと好きだった。バーミンガムのアートスクールに通っていた時にパンクロックと出会って、デュラン・デュランを結成したんだ。初めてライブをやったのは学校だったが、その時期は音楽に夢中でアートのキャリアは二の次になっていたんだ。(デュラン・デュランを一緒に結成した)ニック・ローズと僕はビジュアル的なものが好きな人間でね。僕らにとって、バンド活動に伴うデザインの仕事は、音楽制作と同じくらい面白く感じられる時がある。ステージデザインからブランディング、ロゴ、物販まで、ビジュアルで遊べる要素はいくらでもあるからね。ただ、絵を描くことを再開したのは、元はと言えばセラピーのためだったんだ。
ある日、セラピストと話していた時、「この気持ちを視覚化して、色をつけたい」と口走っていた。カール・ユングの色彩論と似ていなくもないね。セラピストは色を使って感情を分析しようとするから。その時以来、ずっと水中に潜ったまま浮かび上がっていないような感覚がある。最初に制作したいくつかの作品は、スマッジ(ぼかした)アートと呼んでいる。そのプロセスは、非常に官能的かつ身体的なもので、何かメッセージがあって描いていたわけじゃなかった。
バンド活動を通していろんな体験ができたことはありがたく思っているよ。ある分野で成功すると、「洋服のデザインをしてみないか」とか「映画に出演してくれ」とか、誘ってくれる人が出てくる。ミュージシャンとしての仕事以外にも、活動の幅が広がるんだ。だから、自分にとって絵はプライベートで楽しむものだという考えは、すぐに捨てた。長い間、僕みたいなスタイルで仕事を続けていると、どうしても「これは売れるかな」と考えてしまうんだ。
──ロックダウンとコロナは、あなたの活動にどのような影響を与えましたか?
ロックダウンの前はイギリスにいて、ロンドンでバンドの仕事をしていたんだ。週末はいつも絵を描いていたけど、基本的にはバンド活動に集中していた。バンドっていうのは、ものすごくエモーショナルで、疲れる仕事でね。ロックダウンが間近に迫っていた時に急に思い立って、ロサンゼルスに戻ったんだ。そしてわりと早い時期にコロナに罹った。それ以降は、ひたすら制作に没頭していたよ。まるでアートスクールに戻ったような感じだったけど、今回は独学でやらないといけなかった。
絵を描きたくなった時期がコロナの初期と重なったのは幸運だったと思う。最初の頃は、ロックダウンだというのに隣で工事が行われていたんだ。工事現場に捨ててあった板や木材を拾ってきては、それに絵を描いていた。店にカンバスを買いに行くほどじゃなかったからね。最初の1年間は、ほとんど木を使って制作していた。それと並行して、アート雑誌の題字をフォトショップで加工して遊んでいた。それが今回展示されている、カンバスにプリントされた「Pandemic Aesthetics(パンデミックの美学)」シリーズのもとになっているんだ。ブランドやロゴの持つ価値については、特にファッションの分野で長年にわたって語られてきたことだし、僕は雑誌フリークなんでね。
──今回の展覧会名「Not Broken, Unfinished(壊れたわけじゃない、未完成なだけ)」は、展示作品の1つであるテキストペインティングにもなっています。このタイトルを決めた経緯は?
バイデン大統領の就任式でアマンダ・ゴーマンが朗読した詩から取ったんだ。彼女の実際の言葉は、「America is not broken. It is unfinished(アメリカは壊れたわけではない、未完成なのだ)」だったと思う。それを聞いた時、これだ!と感じて1日で絵を描きあげ、ずっと僕のキッチンの壁に飾っていた。アスペンでの展覧会のタイトルを決める時、ギャラリーとアイデアをいろいろ出し合ったけど、最終的にこの絵に戻ってきた。60代にもなるといろいろガタがきて、周りの友達も不調を訴えるようになる。自分が壊れていくような感覚だとね。最近、ある人が「絵は老人の仕事だ」と言っていると何かで読んだんだけど、「もっと早くから始めていればよかった」とは思わないようにしている。絵を描き始めたのは、まさに描き始めるべきタイミングだったんだ。
──今回の展示作品には、一貫したスタイルはないようです。また、観客に何か物語を押し付けてくる感じもしません。新しい分野で、いろいろ実験をしている段階なのでしょうか?
そう言われても別に構わないよ。僕は、あらゆるスタイルを試みた70年代のドイツの画家たちが好きなんだが、彼らのやり方はとても反企業的だと思う。同じことを繰り返さないといけないプレッシャーというのは、バンドで経験したからよく分かる。昔のヒット曲と同じような曲を書かないといけないという縛りがあるんだ。
何人ものアーティストが描いたみたいに作風がバラバラでも、あまり気にしないことにしている。まだ特定のスタイルに縛られる必要はないと思っているし、今は作ること自体が楽しすぎるからね。ただ、「Pandemic Aesthetics」シリーズでアート雑誌の表紙を10点描いたのは、スタイルを統一する一つの方法だと思うので今後も続けていくつもりだ。同じ雑誌の絵を増やしていくのか、もっと国際的な雑誌を使うのか、それとも他のメディアに広げていくのかは分からない。
年齢を重ねると、どんな創作活動であれ、自意識が強くなっていく気がする。でも、僕には絵があって本当によかったと思っている。コラボレーションの要素が強く、骨の折れる音楽活動とは対極にあるからね。音楽制作では些細なことを決めるのにも、全員の意見を比較検討しないといけない。誰にも相談せずに進められるのは最高だよ。自分が赤を使いたいと思ったら、そうすればいいだけだから。
──自分はラジオから流れるあなたの音楽を聴いて育ったのですが、歌という表現方法は、普遍的で、多くの人に届きます。絵画にはそういう面が欠けていると思いますか?
確かにファインアートには、エリート主義的なところがある。たとえば、ジャクソン・ポロックやジョン・レノンのことを考えてみてほしい。彼らが、今の自分の作品の値段を知ったら、驚いて嫌悪感を抱くと思う。一方で、アートの作り手たちは皆、もっと多くの人にアートを楽しんでもらいたいと望んでいるはずだ。だけど今は、音楽業界もアートの世界も、タガが外れたような状況だよ。音楽で重要なのはライセンスで、広告やテレビ番組、映画の中で曲が30秒間でも使われると莫大な金額になる。アートは少し違う。僕は情報に疎いから、あるアーティストを知った時、既に作品が何百万ドルという値段だと「嘘だろう?」と思わされる。自分にとって大切だと思える作品を少しずつ手に入れているけど、到底コレクターとまでは言えないね。
──絵を描く時は、音楽をかけていますか?
もちろん。大概は古典音楽で、ロマン派以前のシンプルなものが多いかな。電子化されていない、20世紀以前の音楽が好きなんだ。BGMとして流すには、曲調が一貫していて歴史的に評価が定まっている音楽がいい。この世にいる人はみんな未来へと前進しているわけだけど、僕の絵には、どこか過去に向かって手を伸ばすようなところがある。
気取っているように聞こえるかもしれないけど、僕は「人生の意味」について考えてしまうタイプなんだ。僕らは前に向かって進みながらも、常に振り返って何かを見つけようとしている。それが、絵を描くことで発見したすばらしさの1つでもある。絵を描いている間は半分くらい、自分が何をするのかまったく予想がつかない。無意識にやっている部分が大きいからね。だからこそ面白いし、これ以上の幸せはないよ。(翻訳:野澤朋代)
※本記事は、米国版ARTnewsに2022年3月31日に掲載されました。元記事はこちら。